92 残り火 - 3 -
よろしくお願いいたします。
祭りの後片付けが粗方終わったのは、日が傾き始め周囲に朱色が漂い始めた頃だった。掃き集められた花弁や飾りは袋に詰められ纏められ、日を改めて燃すのだという。立ち登る煙が生と死、再生を表すらしい。
「お得意の魔法とやらでさっさと終わらせればいいものを……」
サラダへフォークを突き刺しながら、アーネストはぶつぶつと口にしていた。人は魔法を使えない、それゆえ地道な片付けは相当堪えたのか彼はとにかく機嫌が悪かった。苛立ち紛れだろうか、それとも単純に空腹なのか。見ているだけでも感心するくらいの勢いで提供された料理を平らげていっている。
「そう言うわけにもいかないんだなあこれが。祭りってことはつまり祭事だからね、形式は尊ぶべきものなんだわ」
木の実が練り込まれたパンにバターと蜂蜜を塗りながら、ルアードがのんびりと答える。アーネストに対してこちらはどこまでもゆったりとした物言いと動作である。そりゃあ楽なのには越したことないけどねぇ、言葉は続くがそれすらどこか間延びしていた。どこまでも対照的。
慰労会という名目で集められたのは、普段食事をするダイニングルームだった。テーブルの上には色とりどりの料理が並べられており、どれも派手さはないが丁寧に作られているのが見て取れる。見事な植物に覆われた室内にはいつもの面々、先程呼びに行ったルーシェルも不承不承と言った体ではあったが隅の方に座っていた。
「ともかくお疲れだったな」
「せめてもの会です、少しでも楽しんでいかれますよう」
祭りの運営のために奔走していたオリビアとイーサンがそう言って笑っていた。彼らこそ疲弊しているだろうに、そのような素振りを見せない彼らはたしかにこの里の長たる人物なのだろうと思う。
周囲には彼らの手配なのだろう、メイド達が控えていて給仕をしてくれていた。
差し出された皿を受け取り、礼を返す。そのまま、目の前の光景へと視線を落とした。テーブルの上にかけられた上等な白い布に、コップに注がれた飲み物と同じ淡い色彩の影が落ちる。
「確かに墓石は洗車機では洗わないもんな」
「センシャキ?」
自身の仕事が終わったのだろう、屋敷へと戻ってきた隼人が茸と根菜のスープをスプーンですくいながら納得したように呟いた。独り言のように呟かれたこの世界には存在しない機械の名に、ルアードがそりゃなんだ、と。興味を引いたらしく、ちぎったパンを口に運びながら問うていた。
「んん……人を乗せて高速で移動する鉄の塊を、高水圧で洗い上げるからくり、ってのか? 魔石で動いてる梓の椅子のようなものというか……便利ではあるが、意思がない道具の動きは乱暴に感じるものだろ? 畏怖と敬意があるからこそ、効率は度外視にして手作業であるべきだというのはわかると思ってな」
「そこに誰もいないってのわかっていても、乱暴にはしたくないかなあ」
言葉を選びながら口にする隼人に、傍らに座る梓もふふ、と。小さく笑って、丁寧に盛り付けられた若葉と果実のサラダに手を付けていた。彩りにだろうか、セセアの淡い花弁が飾られており見た目にも色鮮やかなそれ。
「……元の世界での、お墓参りは私達はもう出来ないから。いつか、アーネストさんの里にも連れてってくださいねぇ」
アーネストさんのご両親に手を合わせたいんです。
そう言ってごく自然に紡がれた言葉は、どこまでも柔らかな音だった。憂いなど一つもないかのように、まるでそうするのが当たり前のように梓は穏やかに微笑んでさえいる。迷いはないと体現しておりながらどこか漂う儚い寂寞。元の世界に戻る気はないと言う兄妹の意志は硬いようだが、それでもやはり、残してきたものについて少なからず複雑なものを抱えているのだろうと思う。――戻った所で居場所などない、しがらみがなくなった、そう言ってこの世界に留まる決意した彼らの感情を、思惑を、自分は上手く噛み砕くことが未だ出来ないままでいた。
「…………それ、は」
アーネストの、どこか困ったかのような声に己の思考を無理やり打ち切った。今は関係のないことだ。気を取り直して改めて彼の方へと視線をやるのだが、そこには声の通りの困惑顔があった。
サラダに続きパンをそこそこの数を平らげ、運ばれてきた肉の皿を受けとった状態のまま。あれほど勢いよく食べていた手をアーネストはぴたりと止めていた。生来のきつい目元を困り果てたように下げ、手にしたままのフォークをぎゅうと握りしめていた。視線がテーブルの上をさまよっている。横一文字に結ばれた唇の、その固さ。ほんの僅かの間落ちた沈黙に、梓がはっとしように体を震わせた。
「あっあっあの、べつにそんな深い意味はなくて!」
「ハヤト達の世界も面白そうだよねぇ」
深い意味、というものを自分は把握しきれていなかったのだが、梓は慌てふためいて何やらあわあわと口ごもっていた。墓参り、手を合わせる、残された側の話だと思うのだが。同時に不穏な空気を漂わせる隼人のそれを払拭するかのように、ルアードが殊更弾んだ声で話題を変えた。それはいっそ、あからさまなほどに。
「そっちの世界って魔法が使えないんだろ? キカイとかいうからくりが魔法の代わりに発展した世界っての、興味あるんだよねぇ。全然文化が違うんだろ? こっちにきたばかりの頃、凄い戸惑ってたの覚えてるよ」
「……まあ、慣れるまで苦労はしたな。あっちとこっちとじゃ常識がまるで違うし」
酷く不機嫌になった隼人が、溜息を付きながら口にする。具沢山のスープは結構ボリュームがある、大きめのスプーンで皿の中の具材をつついていた。
「っそ、そう、言葉が通じないのも困ったけど、食べ物が一番大変だったよねぇ! 似てるようで味がぜんぜん違うんだもん」
上ずった声で、それでも平静を保とうとしているのだろう。梓が頬を赤くしながら隼人の言葉に続いた。アーネストは黙ったままではあるが食事を再開する、先程よりはずっとゆっくりとではあるが。
ふうん、ルアードが興味深そうに声を上げる。
「やっぱり味が違うのはきつい?」
「別にそこまでじゃなかったかな、米と味噌と醤油を諦めたわけじゃないが」
「ここの食事は結構シンプルな味付けだから、慣れちゃったらそうでもないですよ。こう、極端に辛いとか酸っぱいとか、奇抜な味じゃないし」
「似たような味付けだったってこと?」
「味は、まあ……」
「でも、こう、見た目と味の乖離が……」
「凄い言い淀むじゃん」
ルアードはけらけら笑って、グラスに注がれた琥珀色のものを一息に飲み干す。香草を漬けた香りの良い酒だという、ふはー、と満足げにしている彼を、渋面のアーネストが視線をうろうろとさせつつも「飲みすぎるなよ」と酷く低い声で釘を差していた。「わかってますよぉ」と答えるルアードの声は殊更ごきげんで、アーネストの深い溜息が転がって落ちていった。
「でもさ、二人とも出されたものを残したりはしなかったよね。食べ慣れてないのに」
「食いもんを粗末にする方がよっぽど嫌だからな。そういうのは……なんだ、うちの方じゃ、罰当たりって言うし」
「バチ?」
「目に見えない何かに怒られる、みたいなもんか。食べ物で遊ぶ奴とか、食いもせず捨てたりする奴は見たこともない仏罰が当たればいいと思う」
「ブツバチ……なんか音が禍々しいな……精霊みたいなもの?」
「そんな感じだな」
そもそも人間は食ってかなきゃ生きてけないしなぁ。どこか達観したように隼人は嘯く。
「……食えるだけありがたいもんだ」
「二人とも痩せてたもんねぇ」
懐かしそうに目を細めて。
「ほら、二人がこっち来た時さ。凄い痩せてるし、子供がお腹空かせてるのって良くないじゃん? とりあえず食事をと差し出したらなんか物凄いびっくりした顔してたの覚えてるよ。な、アーネストも覚えてない?」
「……アズサがオリビアの持ってきた菓子を、リスみたいに食べてたのは印象的だったな」
ルアードの問いかけに、渡り鳥の香草焼きを食べていたアーネストも思い出したかのように小さく口にした。それと同時にひぇっ、と。梓の悲鳴のような何かが上がって、その隣の隼人がへぇ、と。酷く低い声を発したかと思えば、静かに手にしていたスプーンをテーブルの上に置いた。
「なるほど、その頃から梓が可愛いと思ってたんだ?」
「――な、ち、ちが、」
「なんだ、俺の妹が可愛くないとでも?」
「そうは言って、いや、ちょっと待て」
「お、お兄ちゃ、」
「梓は可愛いだろうが!」
「ハヤトー言ってることが無茶苦茶だよー?」
アーネストを問い詰める隼人に、それこそやめてほしいとばかりに梓が小さく声を上げるのだが聞き入れられない。その様子を見ながらルアードがおかしくて仕方がないとばかりに笑っている。
「ハヤト、アーネストをあまりいじめてやるな。そもそも当人同士の問題だろう、お前が口を出すことじゃ、」
「それはそれ! これはこれ!」
見かねたらしいオリビアが隼人に苦言を呈すのだがしかし、納得できないのか隼人は大声で叫んだ。普段あまり表情の変わらないアーネストだったが、わずかに身を引いて遂に食べる手を止めてしまう。
「そりゃあアーネストは家族みたいなもんだがな、腕も立つかもしれないがな! だからといって定職にもつかず旅に出る男に大事な妹をやれるかと言われたら無理だろ絶対苦労するのわかってて認められるわけがないだろ!」
なおも続ける隼人にもはや梓は言葉もない。兄の傍らに座ったまま顔を赤くして身を縮こませている。妹を想う兄の言動は美しく、彼のその憂いも分かるのだが。肝心のルアードとアーネストはきょとんとしていた。
「ハヤトは安定志向だなあ」
「外に出て、『魔』を狩って生計を立てるのは普通だろう……」
「これだから異世界は!」
二人から真面目に「旅に出ることは普通のことだ」と返されて、今度こそ隼人は頭を抱えてしまった。彼らの暮らしていたのは高度な文明を持つ平和な国だったはずだ、わざわざ危険を冒すような生活でなかったに違いない。死が身近でないというのは尊ぶべきことではあるが、こちらの世界ではいまいちイメージできないものらしい。
――竜人。
人を喰らう種族。
エルフ達の厳重な結界内にある里はあまりにも平穏で、つい忘れてしまいそうになるがこの世界は竜人を神として恐れている。かつてこの世界を支配した種族、人に討たれ今は姿を消した強大なる厄災。神の流した血の呪いにより『魔』と呼ばれるものは生まれ、蔓延り、それらを倒す事により呪いは再結晶化し、人々の生活に不可欠となった魔石へと変わる。魔石は竜人の血だ。それを狩り使用する人間。人間には使えぬ魔法、エルフと人間の確執、『魔』を狩り生計を立てることが当たり前になるほどに長く長い時を経た。市井の者が普段から使用するほどありふれた魔石、それは、流された血の多さを物語っている。
「……ハヤトはアズサが絡むと様子がおかしくなるな」
「それだけ大切なのでしょう」
呆然と彼らのやりとりを見ていたオリビアに、メイドのロージーがくすくすと笑いながらそっと口にした。重さを感じさせない動きで空いた皿を下げ、音もなく川魚の包み焼きを提供している。
「彼らは魔法が使えないばかりでなく、まともに戦う事もできません。里に残され、ただ帰りを待つだけというのは酷く淋しく、また苦しいものでしょう」
静かに落とされる言葉には、どこか哀れみさえ滲んでいた。彼らはアーネストの復讐を止めはしない、人が神に敵うわけがないと言いながらも、それを止めないのだった。それこそがアーネストの生きる原動力になっていることを知っているからなのだろう。
――祈ることしかできないのよ。
ふ、と。いつかの言葉が蘇る。
そう小さく囁いて、悲しげに微笑んでいた少女。生きていて欲しい、苦しい思いをして欲しくない。酷い怪我をしていないか、辛いことはないか。無事であるように、ちゃんと帰ってきてくれるように。残された者は、待つばかりの者は。ただひたすら祈る事しかできないのだと。
「人間というのは、脆いものだな」
ぽつりと、オリビアは小さく呟いた。
人よりよほど頑健な自分であってもそう言ってくれた存在がいるのだから、彼女らの思いはいかばかりだろう。脆く弱く、生の短い人間。置いていかれる者、残される者、は。……深く、苦しいものなのだろうと思う。
竜人に滅ぼされた村の生き残り。
元の世界へと戻らない決意をした兄と妹。
人間との共存の道を探るエルフ。
伝統を重んじ同胞の為に里を護るエルフ。
思いは逆巻いて揺蕩うばかり。
この場にいるのは立場や種族どころか生まれた世界でさえも違えた者達である。人、エルフ、天使と悪魔……あまりにも違う者達が一同に会すその意味を、この世界へとやってきた意味をずっと考えている。
我々は何もかも違う、生まれた集団内で培われた主義主張を理解はしても受け入れられるかは別問題である。感情、常識、正義と悪。常識とは積み重ねられていった結果としての習慣でしかない。違うからこそ反発し、衝突し、それでも情を交わしていく。迎合し他者を愛し慈しむ。厭い憎む。柔く清らかな心、言葉を重ね、心に触れ合い、やがて離れがたくなってゆくのは。肉を、心を、えぐり傷つけ合い、やがて負の感情に飲み込まれ相手の生を否定するようになるのは。相手を知るからだ。
誰しも他者を慮る事は難しい、知るからこそ、知らぬからこその思い込みと偏見は根底に流れて枝葉を伸ばす。善にも悪にも花を咲かせる。
……何故この場にやって来たのか、何故共にやってきた相手が彼女なのか。総ては神の御意思。被造物である我々にその真意を推し量れるはずもない。ちらと視線をやった先にいるのは、面倒くさそうにしつつもそこに居るのは凶悪な悪魔である。その闇が滴り落ちるような黒髪が嫌に目につく、強い光を放つ血のように濃い深紅はこちらを見ようともしない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




