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42 千秋楽にございまする

優勝の行方は、いつでも、どこでも、予想ができません。

 (せわ)しなかった今日の時間が、ジェイドの後ろに遠くなっていく。

 呼出が柝を打った。

 興奮を孕んだまま会場が静まる。熱気を増幅させて、互いに息を潜める。

 行司が仕切り線に進み出た。

「番数も進みましたるところ、かたや、エドワード、エドワード。こなた、ボリス、ボリス」

 行司の一拍の休みに、会場全体が息を合わせる。耳を澄ませる。

「この相撲一番にて」

 柝が打たれる。

「千秋楽にございます」

 行司が礼をした。

 万雷の拍手の中、西からボリスが土俵に上がる。

 全てを押し遣っていく柝の音が、ジェイドの心の奥底に滲みて行く。この一番を見るために、ウルスラウス領に来たと実感した。

 急遽造った『鏡カメラ』も、熊主砦城に滞在したのも、フローラに声を掛けたのも、全てはこの一番を迎えるためだったと分かる。

 心の奥底で、翠の双眸が光った。

「しっかり応援したかったのですね。私は一途に、応援する力士がいます。翠も安心してください。千秋楽です。一緒に居なくとも、共に進んでいきことはできます」

 ベンジャミンが、眼鏡の中で何度も目を瞬いている。

「行司の千秋楽の触れを辺境の地で、この不知火大神殿に届けることが出来ました。ああ、レギオン公爵様が、涙を拭っていらっしゃいます」

「嬉しさも悲しみも、込み上げてくる思いが溢れる。失った時間も遠くなった懐かしい仲間も、家族も、此処に集っているように思う」

「神事ですから、きっと仰る通りです」

 翠も見てくれている。慕うボリスの相撲を見て欲しい。

 ボリスの方の盛り上がった筋肉が、美しい。今なら肩を撫でたポーラの気持ちが良く分かる。鍛えた日々を、愛おしく思う。

 初めての蹲踞を見て怪訝な顔をしたニーナが、今はペンを止めて土俵を見詰めている。

 土俵の上で蹲踞するボリスの姿に、震えるほど心が躍る。四股を踏む足の角度に、目が離せない。

「足が今日はあまり上がっていませんわ。緊張しています」

 塵手水の手の動きが、ジェイドの思いを握る。

 ボリスしか見えない。

 四十数年を超える翠の経験を持っていても、戸惑う。甘くて切なくて遣る瀬ない。経験もチートも魔力も、ボリスの前では関係がない。ボリスと一緒に居たい。土俵に上がるボリスを、側で支えたい。ああ、これは――。

「落ちました。これが恋です。でも、私は一緒に何ができる訳でもありません。烏滸がましいです」

 一緒に居たい。強く思う。

 ボリスが仕切り線の前に立った。

 軍配が返った。

「時間です。手を突いて」

 エドワードが先に腰を下ろした。顔を前に据えて、目を眇める。好戦的な光を纏って、口を緩く開けた。

「口を引き結んだボリス関が、今、ゆっくりと足を極めて、腰を下ろします。両者、仕切り線の前で見合っています」

「ハッキョイ、残った、残った」

 出足は、ボリスが早い。

「横綱がやや立ち遅れたか? 二度、三度と互いに突っ張った」

「組むよ」

 レギオンの声に合わせたように、二人ががっぷりと組み合った。

「さあ、此処から如何に攻めて行くでしょうか? ああっ横綱が吊り上げる」

「上がらないね」

「引いちゃダメ。粘って。押して」

 ジェイドの声は掠れる。呟くほど小さく、握った手を口に押し付けた。

 踏ん張ったボリスの足は、土俵に縫い付けたように動かない。曲げた膝で、エドワードの投げを封じる。

 土俵上で二人が組み、じりじりと廻しを掴み合う。

 土俵中央で、ボリスが右外掛けを仕掛けた。

「引いちゃダメ、引いちゃダメ。まだ、押せる。ボリス関お願い。負けないで。技を出して。引いちゃダメ」

 エドワードの背中が大きく仰け反る。同時に、エドワードは身体を左に捻った。

 ボリスの左足が宙に浮きあがった。

「エドワードが右から上手投げを繰り出しました」

「投げる」

 ボリスの右手が廻しから離れた。

 仰け反ったエドワードが倒れる刹那、ボリスの右手が土俵についた。

 エドワードが倒れて、ボリスが上から押し潰した。

「軍配は、どっちだ?」

 東に軍配が上がった。

「行司軍配は、東の横綱エドワード関に上がりました」

「早く、グレイのゆっくり再生を見せてくれ。崩れたのはエドワード関で、ボリス関はその上に乗ったから、何があった?」

 土俵下で手が上がった。勝負審判が手を挙げている。初めての事態に、観客がざわめいた。

「物言いです! 物言いがつきました。行司の示した勝負の判定に、勝負審判が協議を申し出るのが物言いです。初めてですね」

「早い勝負だったが、物言いがついた。行司は何を有利と見たんだろうか?」

 エドワードとボリスが土俵下に下がった。

 四人の勝負審判と行司が、仕切り線の前で協議をし始めた。

 グレイのゆっくり再生が『鏡カメラ』に映し出される。

「ボリス関の手が、先に土俵についてます」

 何度も同じ場面が映し出される。土俵の上でも、『鏡カメラ』を指差しながら、協議が続く。

「本当だ。これで、ボリス関が負けだと、行司は見た訳だ。確かに手が早い。では、物言いは、何でついたんだ? 長い協議だ。さて、何処を如何にみるのか?ああ、もしや――」

 ベンジャミンが勢い込む。

「レギオン公爵様にも何かが見えているようです。私には見えません。ああ、やはり行司は難しい務めです。お教えください」

 ベンジャミンがレギオンにさらに問い掛ける前に、協議の輪が解かれた。

「説明があります。グレイが『マイクコップ』を差し出しました。これで、どんなに

しゃがれて活舌が悪くても、声は大きくなります。勝負審判からの説明です」

 勝負審判が『マイクコップ』を手に、立ち上がった。

「行司軍配は、ボリス関の手が早く土俵についている、『つき手』と見てエドワード関に上がりました。が――」

 拍手と歓声が上がった。

「エドワード関の(たい)が既に飛んでおり、『死に体』と判断しました。また、ボリス関の右手は『かばい手』と判断します。よって、行司軍配差し違いで、ボリス関の勝ちです」

 一瞬の静寂の後、喝采が上がった。座布団が飛ぶ。拍手と歓声が、土俵を包んだ。

「言葉を失っているレギオン公爵様に恐縮ですが、『かばい手』の解説をお願いいたします」

 顔を上げたレギオンが、大きく頷いた。

「そうだな。投げの打ち合いで、下になった力士を落ちるより先に、上にいる力士が土俵に手を突いて、土俵に落ちて行く衝撃を和らげるのだ」

 大きく『鏡カメラ』に映し出されるのは、仰け反ったエドワードの姿だ。

「この場合は、投げを打ったエドワード関が崩れる前に、ボリス関が手を突いてエドワード関を庇ったってことでしょうか?」

「まずは、下で飛んでいる相手が『死に体』って判断される必要がある。何度見てもエドワードは体が飛んでいて、残っていない。左足の甲が返っておる。明らかな『死に体』だ。『かばい手』で浴びせ倒しの決まり手だ。素晴らしい協議だ。見ごたえのある千秋楽だった」

「物言いをレギオン公爵様からお褒め頂きました。これで、優勝は全勝のボリス関と決まりました」

 背中に土をつけたエドワードが、土俵を下がっていく。

 蹲踞したボリスが、勝ち名乗りを受けた。


お読みいただきまして、ありがとうございました。

次回が、最終話の予定です。どうか、おつきあいくださいませ。よろしくお願いいたします。

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