15 諦念と達観の果て
王宮での仕上げ
コニアスが詰めていた息を吐き出した。
「楽しい見世物であった。一考に値する。『鏡カメラ』と名付けたのだな」
トーマスは、食い入るように鏡を見ていたイーサンの足を蹴った。宰相を抜きにして事態は動かない。
鏡の中では、朝稽古が終わって、力士を褒めるレギオンの横でリッチーが若い力士に声を掛けていた。
ジェイドが鏡の木枠を掴み、表面が曇った。何の変哲もない鏡がトーマスの手元に残った。
話を進める。ジェイドは何かの企みを持って、『鏡カメラ』を持った来たはずだ。利権が絡み、思惑が交錯する。
ホークハウゼ侯爵家として発言するために、王立魔法師団のローブを脱ぐ。
「我が娘のジェイドが創り上げた『鏡カメラ』は、げに安全に使うべきでしょう」
所有の有無を明確にする。
トーマスに交渉を任せたジェイドは、俯いて控えていた。慎ましやかに微笑むジェイドを、後ろに庇いたくなる。やはり引き籠っていて欲しい。ジェイドにとって王宮は危険だ。
「物騒な物にしない算段は、王宮がつける。ジェイドの条件を宣べよ」
「国王陛下が譲歩する必要は、一切ありませんぞ。こましゃくれた十六歳の娘が生意気だ。但し書きを付けずに献上せよ。レスラリー王国の国民の義務だ。他の魔道具も、今まで設計を王立魔法師団に公開していた。隠すな。独り占めにはさせん。やはり、ジェイドが王立魔法師団に所属すべきだ。ジェイドが物騒だ」
滔々と論を展開し、イーサンが満足気に顎を突き出した。
「割れた顎が気持ち悪いって、王宮で拝謁する心得として母様が仰ってました。良く分かりますわ」
小さな小さなジェイドの呟きに、トーマスは吹き出す息を呑み込んだ。
「げふっ、ジェイドは控えていなさい。十六歳のジェイドに敵わなかったのは、我々王立魔法師団だ」
割れた顎を揺らして、イーサンがトーマスに前に詰め寄った。
「奥方が可哀想だ。こんな変な物を生み出す娘を持って、心労が尽きないだろう。慰めて差し上げたい」
「ほざくな。イーサンとアデレイドは関係がない」
俯いたジェイドが、はっきりと言い返した。
「母様はいつも、私を楽しそうに応援してくれます。顎を見なければ良いって、教えを受けました。母様は何を見せても、父様よりも驚きませんわ。でもあの顎は、辛かったのでしょうね」
ジェイドへの助言が手厳しい。アデレイドの心配が、トーマスにも伝わる。イーサンとコニアスを相手に、企みを成し遂げるなら覚悟がいる。情に訴えても無駄だ。確実な利益を、示す必要がある。話を前に進めなければならない。コニアスに視線を投げた。
「ジェイドの肝の座りは、アデレイド仕込みだな。イーサンも諦めが悪い。ホークハウゼ侯爵夫人の面影を、いつまでも追っているから、禿げるのだ」
禿頭を撫でて、イーサンが吠えた。
「頭の話は、誰にも口にしてほしくない。顎は自慢なのだが、変だな。今は『鏡カメラ』の使用方法と、作成についてが最優先課題ぞ。話を戻す」
コニアスがジェイドに手を伸べた。言葉を促すように指が二度、くいっと動いた。
「相撲にのみ『鏡カメラ』と使うこと。設置場所は、レスラリー王国の不知火神殿の各支部。雲龍神を祀ってある神殿のみ。王宮にも、本当は置きたくありません」
「ジェイド!」
誰の叫び声が分からなかった。トーマスも叫んだが、コニアスもイーサンも声を上げていた。
「コニアス国王陛下が相撲を御覧になるのに、毎回、不知火王都神殿まで出向くのは難しいでしょう。王宮内の礼拝堂には、雲龍神が安置されていますわ」
コニアスが懸命に頷く。
「この小さな『鏡カメラ』でも良いのですが、大画面で迫力は見逃せません」
ジェイドのアイテムボックスから、トーマスの身長を越える鏡が出てきた。立てかけ脚を伸ばして、鏡を固定した。鏡の木枠をジェイドが握った。
「これは、昨日の稽古の様子です。『記憶の鏡』の改良版として、考えてください」
鏡の中には、等身大のボリスとフィンが相撲を取っていた。土俵際にボリスが追い詰められる。
フィンががぶり寄る。胸を合わせたまま、何度も足を前に出して、跳び上がるようにがぶる。
堪らず、ボリスが土俵際で足を入れ替える。
「ボリス! 詰めが甘い、引くな」
「がぶれ、寄れ。フィン、あと一押しだ」
二人が同時に土俵を割った。
「どっちだ? 先に土俵を割ったのは、どの足だ?」
鏡の中で、ゆっくりとボリスとフィンが動く。足の位置が鏡からは見え難い。土俵を上から見た姿が映し出された。足の微妙な位置は分からない。
焦れたコニアスが鏡に寄った。
「もっとはっきり映らぬのか? おお、この角度なら良く分かる。ゆっくり、見せてくれ。どうだ。どっちの足だ?」
三人が手を叩いた喝采を上げた。
「ボリスの足は、残っている」
潮が引くように、諠譟が止んだ。『鏡カメラ』の前に立つ。
「迫力の大画面」
トーマスの声は震えながら小さく零れた。
「審判の正しさ」
イーサンが思わずトーマスの手を掴んだ。しっかと握り合ってから、慌てて互いの手を振り払った。
「レスラリー王国の全土で相撲を観戦」
コニアスの声がジェイドに念を押した。
「全て叶いますわ」
トーマスの背から、顔を出してジェイドが続けた。
「基本は雷の魔法です。風と光を絡めて、魔法石に閉じ込めました。仕上げに鏡の木枠に埋め込むだけです。木枠の鏡だと音が明瞭です。私が加工した魔法石があれば簡単です」
ジェイドの瞳が翡翠に煌めいていた。
「用途も設置場所も、ジェイドの意向に全て合わせる。翻意はしない。して、ジェイドは何が欲しい?」
「相撲の興行は、お金が掛かります」
「全ての『鏡カメラ』を買い取る」
「国王陛下に謹んで、『鏡カメラ』を差し上げます」
「何だと?」
コニアスが息を詰めた。
ジェイドが深く笑んだ。
「父様が財務や興行の運営をなさっていると、聞き及んでいます。各部屋からの運営資金も限界があります。王宮からの支援も、当てにはできません」
「神事として相撲を復活する王命で十分だ。有難く思え」
額から禿頭を撫でて、イーサンが脅す。
「驚きました。頭皮に皺が寄るのを、初めて見ました。王宮から支援を頂かない代わりに、利益も戻しません。『鏡カメラ』の利権は、あくまでも私個人が持ちます。だから、王宮に寄付しますわ」
「興行で稼ぐのだな。寄付と断ると言ったら、どうする?」
トーマスの手から『鏡カメラ』を取り上げて、ジェイドがアイテムボックスに放り込んだ。
大画面の『鏡カメラ』の前に立つ。
「容易いことです。王宮を通さずに、私個人で不知火神殿各支部に寄付いたします。神殿には私の造った魔道具を治めています。皆、私のこと(・・)を知っていてくれています」
「こましゃくれているとか、引き籠っているとか、他には――」
ジェイドの繰り出した言葉が、辺りを打ちのめしていく。
「使い易い魔道具。良く効く魔法薬。欠かさぬ拝礼と、全ては他愛のない話です」
イーサンに首を振る。不知火神殿の各支部が、ジェイドを受け入れるのは火を見るより明らかだ。焦燥が胃の中でのたうち、せり上がってくる。
「ジェイドは何が理由で、『鏡カメラ』を王宮に持ち込んだんだ? ボリス閣下のためか? ウルスラウス領主で、騎士団長で、大関のボリス閣下を支えるために、無理をしているように見える。もっと甘えてくれ。大人になり過ぎだ」
ジェイドを手元に引き留めたくなって、重ねて言い募った。
「父様に甘えているから、今、王宮に来ているのです。相撲の振興のためです。相撲は、平和を願う神事です。辺境の地に、平和を齎すのでしょう。ボリス閣下が魔法薬に縋らなくても大丈夫だと、確認したいのです」
鷹揚に態度を整えて、コニアスが微笑みを浮かべた。
「寄付を許す。如何に稼ぐか、話せ」
「有難き幸せです。『鏡カメラ』での相撲の興行は、力士や行司、呼出など相撲に直接かかわる民に還元してください。『鏡カメラ』での観戦は、すべて有料とします」
「姑息な」
「不知火神殿で観戦料の徴収をお願いします。ああ、身体で払ってもいいのですよ。人員誘導とか、お弁当の販売とか」
レディになってしまった。アデレイド譲りのとびきりの美しさと、誰に似たのか分からないほどの老練した言葉を紡ぐ。立ち居振る舞いは侯爵令嬢で、瞳の強さは計り知れない。翡翠の煌めきに、トーマスは背筋に一筋の汗が流れた。
熊主砦城で何があったのだろうかと、疑問と不安が押し寄せる。
「良い娘を持ったな。下知を出す。ジェイドの『鏡カメラ』を、全ての不知火神殿に届けよ。優勝者には王宮より褒賞を与えよう」
「懸命な御判断ですわ」
コニアスの側で項垂れたイーサンの肩を叩いた。
お読みいただきまして、有難うございました。