14 鏡よ、鏡
王宮に到着
王宮の謁見室は、近衛の騎士が扉の前にいた。ジェイドは頭を低くして、待った。
「昨日の電話の後で、直ぐに謁見となった。コニアス国王陛下の深い御心を感じる。ジェイドもしっかりと感謝を伝え、御礼をしておくれ。聞いているのか? 熊主砦城で、また大人になった。父よりも老成したようだ」
隣に立つトーマスは濃紺のローブを纏っていた。王立魔法師団の制服だ。
「父様の年を越してはいません」
トーマスは五十歳で、アデレイドは四十五歳だ。翠の年齢は、トーマスより下だと力強く頷いた。
「ボリス閣下と何かあったのか?」
鋭すぎるトーマスの言葉に、表情が消えた。額が今も熱い。そっと指を額に寄せた。指先を確かめるトーマスが、笑ったように見えた。
奥の幕が開き、コニアス国王が進み出た。禿頭の宰相が後に続いた。
「恐れ多くも、レスラリー王国のコニアス国王陛下直々に謁見する」
宰相の頭がつるりと光った。
「デビュタント以来だな。ウルスラウス領に出向き、熊主砦城に滞在していると聞いた。婚約者の居城へ押しかけるとは、引き籠りのジェイドが励んだと褒めよう。面をを上げよ」
声が掛かってから、ゆっくりと身体を起こした。侯爵令嬢としての身のこなしだ。「拝謁の機会を頂き、恐悦至極に存じます。ウルスラウス領では、相撲を肌で感じて充実した時を過ごさせて頂いております。国王陛下から婚約の発表をして頂きまして、感謝申し上げます」
「あれは、余の不手際があった。時間を過ごして、ボリスを待たせた。ボリスとは仲良くやっているのか?」
小さく頷くと、顔が熱くなった。
「野暮だった。トーマスは嘆くな。それで、何かあったのか? 用がなかったらジェイドは王宮には来ない。何度誘っても、濃紺のローブを拒む」
控えめに小さく笑みを浮かべた。
「今まで多くの魔道具は、王立魔法師団に収めています」
額に手を当てた宰相が、口の端を頬に付くほど曲げて顎を突き出した。
「トーマス主席魔法師が甘やかしているから、コニアス国王陛下の下知をも退ける。だから巷で、こましゃくれた侯爵令嬢って名前を聞くぞ。引き籠りとは情けない。奥方もさぞ、頭が痛いだろう。私ならこんな苦労はさせなかった」
「アデレイドに似た我が娘に、近づくな。穢れる」
宰相とトーマスの間に小さく魔法の渦が巻き上がった。
「こましゃくれたは、王都でも聞く言葉でしたか。驚きました」
ジェイドの言葉に、三人が首を傾げた。
「ジェイドが驚く場所はそこか? 肝が据わっている。控えよ、イーサン。トーマスとやり合っても、ジェイドが二人の魔力を圧し潰す。分かりきった話だ。ジェイドに敵う魔法師はいない。魔力も技術も桁違いだ」
宰相のイーサンも元々は魔法師だった。辺境での戦いが続く中で、宰相となった。イーサンを筆頭に、ジェイドを王立魔法師団に取り込みたいと画策する勢力があるとは聞いていた。トーマスが盾となり、ジェイドの意志を尊重してくれている。分かっていたが、目の当たりするとトーマスの辛苦が身に染みた。
屈する訳にはいかない。平穏な引き籠り生活を維持したい。相撲に関わる熊主砦城にいつでも出向きたい。王宮に勤めたくない。
「新たな魔道具をお持ちしました」
アイテムボックスを開いて、本の大きさの鏡を取り出した。
「羨ましい。私のアイテムボックスは小さい。お菓子が入るくらいだ」
イーサンの顎が萎んで下がった。
小ささの見当がつかない。
隣のトーマスが、食い縛った歯の間から小さく声を出した。
「男振りとアイテムボックスは、相通じるようだな。でも、ジェイドから何も聞いていない。鏡を如何するんだ」
トーマスに渡した鏡の木枠を、一回、叩いた。
鏡の表面が曇った刹那、鮮やかな色が躍った。ぶつかり合うボリスの姿が見えた。
「ウルスラウス領の熊主砦城にある辺境部屋の、朝稽古です。ボ、ボリス閣下が見えます」
噛んでしまった。朝稽古の前に側で見上げたボリスの眇めた目を思い出した。息を吐く。
「変だ。『記憶の鏡』ではないぞ。動いた。ボリス閣下が相撲を取ってる、はっきり見える」
コニアスとイーサンが、大股にトーマスに近寄った。
鏡の中で、ボリスがフィンを投げ飛ばす。ぶつかり三番稽古だ。土に塗れて黒くなったフィンの身体を押さえて、ボリスが土俵へ転がした。
「まだまだ、フィンも食らいついて行け」
イーサンが拳を固めた。
「フィンの足は治ったんだな」
「魔法薬を使いました。飲み薬も塗薬も、改良を続けています。ボリス閣下も喜んでいました」
鏡を覗き込んだまま、三人がジェイドの言葉に頷いた。
「これは、現在の様子です。生です。ライブの姿です」
刹那、三人が固まった。
トーマスはジェイドの見て、何度も首を横に振るう。堪えているが、瞳には案じる色が過った。
顎を擦ったイーサンは、鏡を見て震え出した。ぎらついた笑いを、懸命に押さえている。
コニアスは微動だにしなかった。
耐えらない様子で、イーサンが手を叩く。
「素晴らしい魔道具だ。馬を飛ばしても、三日は掛かる場所の様子が分かる」
土俵の上には、若い力士が上がって互いに礼をした。四股を踏み、塩を撒いた。
「おはようございます。コニアス国王陛下には、御前を失礼いたします。トーマス主席魔法師と宰相のイーサン様にも御覧いただいていると、伺っています」
鏡の木枠から声は聞こえ始めた。
「何故、私の名前が最後なんだ」
イーサンの呟きを掻き消す哄笑が、鏡から鳴り渡った。
「うははっ、若い力士の仕上がりが見られて、この上ない楽しみ。苦しゅうない。存分に励め。余の若い頃は、四股の高さを互いに競った。真っ直ぐに足を伸ばすには、稽古が要る」
画面から聞こえた声に、鏡の前でコニアスが息を呑んだ。
「レギオン公爵だ。声が聞こえるが、姿は映っていない」
鏡から声が響く。ジェイドは鏡の枠を握って、声を大きくした。
「右枠の上部を握ると、音声が大きくなります。小さくするには、下を握ってください。魔力がなくても、反応します」
イーサンの手が動き、音量が変化する。
「声が聞こえない。大きくせよ。イーサン」
「本日の見学は、レギオン公爵様がお出でです。今日はジェイド様の姿がなく、レギオン公爵様にとっては、朝稽古の華やぎが、やや足りないでしょうか?」
木枠には空洞がある。穴を空けなくとも、スピーカの役目をしてくれる。
「摺り足も足りない。『鏡カメラ』の向こうで見ておると嘯いた。ジェイドは見ておるのか? 声が聞こえないから、分からぬな。まあ、勝手に喋っておれば良い」
「解説にレギオン公爵様をお迎えして、土俵の実況は行司のベンジャミン。魔道具の操作は呼出のグレイが勤めます」
鏡に眼鏡のベンジャミンと横顔のグレイが映った。
「眼鏡で行司が務められないと神殿から報告があったベンジャミンだが、嬉しそうだな。グレイも力仕事が出来なくて、持て余していたはずだ。イーサンがそう報告した」
イーサンは首を捻った。
「レギオン公爵様と御一緒に、皆様には良くして頂いています。役割は作れば良いのです」
鏡が様々な角度から稽古場の様子を映していく。上から見た土俵に、コニアスが楽し気に声を上げた。
「ボリスの肩が盛り上げっている。廻し姿も引き締まってきた。なあ、ジェイドの嬉しいだろう」
仕切り線を挟んで、若い力士が礼をした。
「もっと深く頭を下げよ。一礼をして、相撲は始まる。相撲は五穀豊穣を願う儀式であったのだ。所作の一つ一つに、意味がある。四股はもっと踏み締めたほうが、格好がつく」
コニアスが鼻を鳴らして、ジェイドにも鏡にも頷いた。
「レギオン公爵様から見ると、若い力士の力強さが足りないようですね。力水を付けて、塩を撒いています」
「塩は、土俵を清めて怪我のないように安全を祈願する。あな、疎かにしてはならん。美しく塩を撒くのも、力士の大事な所作だ。余の若い頃は、塩も撒き方で人気のある力士がおったもんだ」
「レギオン公爵様の話があると、意味が分かって面白いな」
「黙れトーマス。声が聞こえない」
イーサンの声が謁見室に響いた。
「本日は、辺境部屋の稽古場で行司がおりません。しかし、盛り上げるためにベンジャミンが、行司の声を出させていただきます。手を下ろして、まだまだ」
「ベンジャミンも忙しいな。苦しゅうない。存分に声を上げよ」
「時間です」
仕切り線で見合って、二人の力士が動きを止めた。
「ハッキョイ」
「発揮揚々(ようよう)がハッキョイって言葉となった。互いの奮起を促す。余の若い頃から変わらぬ、相撲の掛け声であるぞ」
「残った、残った」
画面を覗き込んで、謁見室に興奮が広がって行った。
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