表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/43

13 恋とは、どういうものかしら?

ボリスの頑張り…実るのか?

 三十六歩を数えたジェイドの部屋の前で、ボリスは立っていた。

「部屋から王都へ転移するって話だ。もう訪ってもいいだろうか。俺はジェイド嬢と過ごす時間で、運命を決めるんだ。恋をしてもらう。迷わない」

 扉が大きな音を立てて開いた。

「最初に謝ります。暴言をお許しください。部屋の前でうろうろして、見物される熊ですか? 食事が足りないんですか? 睡眠不足でしょうか? 欲求不満が全身の毛穴から滲みだしています」

「合ってる。全部だ」

 ニーナが誇らしげに胸を張った。はち切れんばかりで、胸のボタンが飛びそうだ。鳩獣人は胸がでかい。

「ジェイドお嬢様の支度が整いました」

 廊下の遠くで、アニョーの角が光った。

 昨日は朝食後で、アニョーの指導を受けた。ジェイドに伝えたい思いを言葉にして書き連ねた。立ち居振る舞いや顔の角度も、微に入り細を穿って調整した。

「途中からフィンやリッチー親方まで入って、盛り上がった。実体験に則った話は参考になる。辺境部屋は頼りになる」

 雑念を振り払い、初めて、ジェイドの部屋に入った。

 言葉が出ない。滑らかな肌も、艶やかな黒髪も、煌めきを宿した漆黒の瞳も、互いを高め合うほどに典雅な姿だ。

「普段は、ブラウスにスカートって簡易な装いをジェイドお嬢様は好まれます。特に熊主砦城にに来てからは、ブーツで歩き回っていました。やっと着飾ってくれました」

 身体を包む紫紺のドレスは繊細なレースで、腕が透けて見える。華奢な足元にはドレスに合わせた紺の靴が見えた。

 頷くだけのボリスに、ジェイドが首を傾げた。

「身体は貧相ですが、ニーナの頑張りで何とか形になりました。ボリス閣下に御挨拶が出来て、安堵いたします。これから王宮に行って参ります」

 迷子になった言葉を探って、搾り出す。

「楽しそうだ。嬉しいのか?」

 褒めるのを忘れた。レディを見たら、直ぐに姿を称賛すると説いたのはフィンだった。実感の籠った言葉だったのに、実地で忘れてしまった。ボリスは唇を噛んだ。

「はい。久しぶりですし、相撲の話もできます。魔道具を持って行きます。謁見で、コニアス国王陛下にお伝えする事項がありましたら、承りますわ」

 血が吹き出すほど、唇を噛み締めた。口の端に、温さが流れた。指で血を拭った。

「何もない」

 コニアスの姿を掻き消す言葉は、切り裂く勢いで飛び出した。瞠目したジェイドの前に立つ。

 引き留めて、他を見て欲しくないと告げたい。恋を始めて、余所見をさせたくない。優雅な姿を、熊主砦城に閉じ込めておきたい。

 リッチーの言葉が蘇る。必要なのは、楽しい時間の共有だ。思い出を辿って、気持ちを引き留める。語るリッチーは、自棄に苦い顔をしていた。上目遣いが効くらしいが、顔の高さが違い過ぎる。目を眇めた。

「なあ、ジェイド嬢は、熊主砦城で楽しかっただろうか?」

 出た声に、僅かな非難が混じった。ジェイドが楽しそうにする姿は、常にあった。ボリスがいなくても、満ち足りているようだった。

「熊主砦城にいるのは、楽しいです。毎日が、とても充実しています。特に今は、魔道具も造っていたので、次々としたい事が湧き出して来ていますわ」

 屈託のない笑みが、ボリスの心の底に刺さった。ジェイドがボリスを惜しんでいない。何の名残も残さずに、王宮へと向かうジェイドが憎らしくもある。ぐっと奥歯を喰いしばった。

 焦燥に駆られて、昨日の指導が吹っ飛んだ。

「俺と過ごして、その、恋しいとか、愛しいとか、感じただろうか?」

「婚約していて、形は整っています。ボリス閣下は何を焦っているんでしょうか? 心までは縛れないと思います。すみません。余計な話です。聞き逃してください。形だけの夫婦ってもの多いと聞きます。喋り過ぎました」

 ニーナが明け放した扉から、アニョーの角と拳が突き出ていた。

「フローラは覗いたりしているだろう?」

 恋敵の名前を挙げて焦らす。高等テクニックだと囁いたのは、誰だっただろうか。思い出せない。

 獣耳を触って、返事を待った。

 しばしの潜考の後、ジェイドがゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ちょっとも、考えていませんでした。ああっ、フローラさんのように稽古の後でボリス閣下を追い廻したり、物陰から覗いたりはしません。あれが恋する姿なら、私はできません。時間は有限です」

「俺に時間は割かないのか? ニーナの説教の通りに、確かに心は縛れない。だが、形だけの夫婦にはなりたくない。お互いに、恋をしている婚約者でいたいんだ」

 畳み掛ける。一歩を踏み出したボリスの前で、ジェイドが足を引いた。

「私はまだ、思いが追いつきません。恋も様々な形があります。心は縛れませんから、片思いなら一人でもできますわ」

 ぶんぶんっと首を振るう。

「辛い恋にはしない。俺は幸せになるんだ、戦いがやっと終結した」

 幸せと行きついて、ボリスは拳を握った。幸せを望める時になった。相撲をして、愛しい人が側にいる。逃せない。足を進める。

 戸惑う顔をしたジェイドが、指を折った。

「十分に時間をかけて、ボリス閣下の相撲を見学しています。相撲を取るボリス閣下の姿は、好ましいです。摺り足も、四股も、見ていて心が弾みます。てっぽうも好きです。肩の筋肉が、盛り上がって揺れます」

「そうか、よく見てくれていて嬉しい」

 今日は引かない。踏み出せば、ジェイドが逃げる。ジェイドの背が、壁に当たった。

「それは、相撲が好きだからだ」

 ジェイドの顔の横に手を伸ばし、壁に突く。

 この体勢を、アニョーを相手に何度も練習を重ねた。威圧せずに、ドキドキさせる。難しい。両手が効くか、片手が適切か。検討を重ねた。

 勢いに任せて、ジェイドの顔を両腕で挟んだ。位置が少し下過ぎた。ジェイドの耳を押さえ込みそうだ。

 黒い瞳に獣耳が映った。

「相撲に向き合っている俺のことも、考えて欲しい」

「私は、確かに相撲に夢中です。相撲をするボリス閣下の姿を追います。今は、それで満足しています。ダメですか?」

「ダメだ」

「え?」

 驚きが重なり合ってハウリングした。

 ニーナが入口まで下がって、扉の陰に隠れた。

 角を押さえたアニョーが、背を向けて振り返った。

「ドレスが似合っている。一緒に過ごして楽しかった。相撲を見てくれて、嬉しい。フローラは俺の恋には関わりない。片思いの恋はお断りだ。戦いで誓ったんだ。俺を、辺境騎士団を、救った魔法薬を造った人に愛を捧げる。だがら褒賞に望んだ」

「魔法薬ですよね。私は褒賞の婚約者です」

 ジェイドの頬に手を当てた。指に伝わる柔らかさに瞠目した。

「でも、今は違う。婚約者だから、好ましいわけではない。魔法薬も関係ない。貧相な身体なんて言うな。相撲を楽しそうに語るジェイドの姿が、愛おしい」

「呼び捨て!」

 アニョーの叫びに、ニーナがメモをしながら拳を振るった。

 瞬いた瞳の中に、翡翠の色が混じった。

「ボリス閣下は、私を見てくれているんですね」

 ジェイドの翡翠は、思いが昂る時に現れる。熊主砦城で共に過ごして、分かって来た。悲しみでも、苦しみでも、喜びでも、翡翠が過る。慄くほどに美しい。

「相撲を見る目が、俺を追ってもいるだろう。ジェイドの瞳に惹かれるよ」

 翡翠の色がボリスに挑んだ。

「しかし、恋とはしようと思ってするのではありません」

 ボリスを捉える色だ。離せない翡翠が、見えた。

「ああ、落ちるものだ。俺は落ちている」

 壊さないように、そっと、額に唇を落とした。愛おしんでから離れる。

「待っているから、帰って来てくれ」

 俯いたジェイドの顔が、張り手の後のように染まっていた。


お読みいただきまして、有難うございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ