夏~2人の誓い~
大正10年7月。わたくし達が白百合女子音楽学校に入学して3カ月が経ちました。朝の掃除、先生方や歌劇団の先輩方への挨拶、駅までの二列横隊での登下校。厳しい学校生活も3カ月もすれば日常となっていたのです。
しかし規則にはなれても授業にはなかなか慣れずにおりました。バレエは幼い頃から習っておりましたが声楽や日本舞踊、ましてや演劇なんかはわたくしの踏み入れたことのない未知なる世界でした。
白百合では主に西洋を舞台にした作品を上演しており既存の海外文学もあれば劇団の先生が一からお書きになった物もありました。
演劇の授業は既存の海外文学を先生が脚本にして班毎に分かれて演じるのが常でした。
7月の課題はマーガレット・ミッシェル原作の「Gone with the wind」日本代「風と共に去りぬ」でした。
4人の班に分かれわたくしは幸いにも月乃様と同じ班でした。後の2人は主席入団で委員長で4つ年上の高嶺雪子さん、そして3期生一の美貌の持ち主3つ年上の如月星歌さんでした。雪子さんは男役志望、星歌さんはわたくしと同じ娘役志望でした。
わたくし達4人は主演のバトラー、ヒロインのスカーレット、スカーレットが恋するアシュレイ、そしてその妻メラニーをそれぞれ演じることになりました。
娘役志望のわたくしはアシュレイの妻メラニーを選択致しました。
メラニーは月乃様演じるバトラーとの2人だけのシーンがあるのです。怪我をしたスカーレットを案じるバトラーにメラニーが優しい言葉をかけるのです。
「バトラー船長」
わたくしが自分の台詞を発したその時でした。
「ちょっと待って!!」
芝居を止めたのは雪子さんでした。
「ねえ今の何?棒読み?もっと真面目にやってくれる?」
「ごめんなさい。」
「まあいいじゃないの。読みは初めてなのだから。」
月乃様がわたくしを庇ってくださった。
「月乃さん、貴女花絵を甘やかし過ぎじゃないですか?ねえ、花絵、貴女本当にやる気あるの?台本読みもまともにできないなら辞めたら?」
わたくしは雪子さんの鋭い言葉が怖くて悲しくてその場で泣き出してしまったわ。
「泣きたいのはこっちだわ。なんで私がこんな子とやらなきゃいけないの?」
いてもたってもいられなくなったわたくしは教室を飛び出していったの。呼び止める月乃様の声に気にも止めずに。
「花絵ちゃん」
中庭で泣いているわたくしは愛しい人の声を聞き顔を上げました。
「月乃様」
月乃様はわたくしのとなりに腰かけてきました。
「雪子ちゃん、あんなこと言ったけど決して悪気はなかったと思うの。」
月乃様の話によると雪子さんは子役出身で映画や舞台にも多数出演していたそうです。1つの役のために何千人もの人が落とされ日の目を浴びるのはほんの一握りだというのです。
「雪子ちゃんはそんな競争の中生きてきた。だから厳しいこと言ったと思う。」
「わたくしやっぱり向いてないのでしょうか?この世界。」
「大丈夫。」
月乃様はわたくしの手を握る。
「まだ始まったばかりじゃない。私も協力するから。一緒に頑張りましょう。」
「はい。」
それからわたくし達は時間を見つけては2人で練習しました。月乃様と2人だけの時間は何にも代えがたい時間でした。