032 初めての戦い
街道の両脇には樹木が林立し、大きな森林を形成している。
通行人であるリーベには、この森林が街道の果てにあるマルロの町まで延々続いているかと思われたがしかし、その予想は裏切られた。
「なに、これ……」
森の一部がなくなっていた。
樹木は派手になぎ倒されていて、倒木は魔物がのし掛かったのか、半分ほど地面に埋まっていた。この状況を見れば、ラソラナが何者かと戦闘したのが容易に想像がつく。
(……でも、誰と?)
「見てください」
フェアが地面を指し示す。
見やると『!』を横に2つ並べたような足跡があった。
「ラソラナは恐らく、イノシシを捕食したのでしょう」
イノシシといえば誰しも厄介な害獣というイメージを抱くだろう。リーベもそうだった。故にそれを捕食――しかも丸呑みにしてしまうラソラナに対し、畏怖を募らせる。
リーベが怖々としていると、森の奥からガサガサと音が響く。
「ん? なに――」
振り返った直後、テラテラと怪しく光る粘液を帯びた紐のようなものが飛んできた。それは先端が投げ縄状になっており、見事にリーベを捕らえた。
「え――」
『ラソラナは舌先が輪っか状に広がっていて、これによって獲物を捕らえ、口内まで引きずり込むんですよ』
フェアの言葉が脳裏を過り、リーベは血の気が引いていく。
「……っ!」
目を固く閉じたが、衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、驚きの光景が広がっていた。
なんとヴァールがラソラナの舌を握り絞め、引っ張ることで彼女の捕食を阻止していたのだ。
(なんて怪力……!)
呆気に囚われている一方、ヴァールが弟子に向けて叫ぶ。
「フロイデっ!」
「にゃあっ!」
フロイデは素速く抜剣し、舌を断ち切った。
お陰でリーベは束縛から解放されたが、恐怖と安堵とで胸の中で混沌としており、礼も何も言えなかった。
「さ、こちらへ」
フェアに手を引かれて距離を取る。
直後、樹冠が揺れ、何かが森の上空に飛び出した。それは飛翔するかのように迫り、まるで砲弾を撃ち込まれているような、そんな恐ろしい心地にさせられた。
ドスンッ!
それは彼女らの10メートルほど前に着地すると、派手に砂埃をあげた。
「ごほっ! ごほっ!」
リーベが咳払いをしながら前方を見やると、そこには大きなカエルがいた。
地面から口先まで優に三メートルはあり、顔や背中は苔色で、下顎から腹に掛けては淡黄色だった。出張った瞳はカエルらしい眠たげなものだが、先の攻撃もあり、リーベには明確な殺意を感じられた。
「ヴウウウウ……!」
ラソラナは喉元を膨らませて威嚇する。それを受けてリーベは声にならない悲鳴を上げたが、すかさずヴァールが指示を飛ばす。
「リーベ! フロイデ! お前らがやるんだ」
「うん……!」
「わ、わかった!」
リーベはリュックを投棄し、スタッフを構える。するとその脇でフェアが問い掛ける。
「リーベさん。冒険者の戦いは相手の力を削ぐことから始まります。今あなたが取るべき行動はわかりますか」
「力……」
ラソラナを観察する。リーベの使える魔法はメガ・ファイアとアイスフィストの2つだけ。これらを駆使して力を削ぐとなると、出来ることは自ずと限られる。
「目を潰す……ですか?」
「そうです。さあ、訓練の成果を見せてください」
「はい! アイスフィスト!」
リーベはラソラナの大きな左目を目掛けて魔弾を放った。
しかし狙いが甘く、分厚いまぶたを引き裂くに終わった。
「ゴゲエ!」
「外した! もう一度――」
「リーベさん!」
フェアに腕を引かれて脇に退く。するとラソラナは彼女のいたところ目掛けてのし掛かる。
もしあの場に留まっていたらと考えると背筋に冷たいものが這う。だがそれにかまってる余裕はなかった。
リーベは3メートルの距離にラソラナの左目があるのに気づく。
(この距離なら外さない!)
「アイスフィスト!」
放たれた魔弾は突き出した眼球をまぶたごと貫き、ゼリー状の液体と水晶体を飛散させた。
「ゴゲエエエエエエエエッッッッ!」
ラソラナは絶叫し、憎き魔法使いを視界に捉えようと旋回する。しかしリーベはフェアに先導され、常に視界に入り続けていた為、攻撃は免れた。
そうしてラソラナの大きな尻がフロイデへと向けられると、彼はラソラナの右脚の付け根に斬撃をたたき込む。すると赤黒い血液が飛び散り、ラソラナの巨体がビクリと震える。
そうして硬直した隙にフロイデは再度斬撃をたたき込み、右脚を切断した。
再びラソラナが絶叫を上げる。そしてその場からの逃走を図ろうとした。
「あ、逃げられちゃう!」
「大丈夫です」
フェアが言った次の瞬間、ラソラナは脚を伸ばした。しかし、左足だけでの跳躍では前方へは行けず、重たい腹を軸に旋回するに留まった。そうして実質的に身動きが取れなくなったラソラナはフロイデの刺突によって絶命した。
「お、終わった……」
リーベの耳にはラソラナの喘鳴が焼き付いていたが、それはフェアの清澄な声によって上書きされる。
「お疲れ様です。よく出来ましたね」
「あ、ありがとうございます……ふう」
額に浮いた汗を拭っていると彼は講評する。
「魔物の脅威に屈せず、攻撃の機会を逃さないところは評価に値します。ですが、攻撃に集中するあまり、敵の行動を読み取れないのは問題ですね。魔法使いは常に一歩引いた視線を持つよう心がけてください」
「はい。わかりました」
師弟が言葉を交わしてると、「ま、初めてにしちゃ上々なんじゃねえの」とヴァールがフロイデと共にやって来る。
「リーベちゃんが気を引いてくれたから、簡単に倒せた」
「そんな! フェアさんの指示通りに動いただけですよ」
「はは! そう謙遜すんな。ほんとうのことなんだからよ」
それよか、と彼は哀れにも投棄されたリュックを漁り、小箱を取り出した。
「さっさと後始末をしようぜ」
「あ」
それが何か察すると共に、リーベは事前に交わした約束を思い出した。
「友呼びの笛だ。お前に吹かせてやるって約束だったろ?」
「うん……!」
それを手渡されると、先程までの恐怖は薄れ、代わりに高揚感が湧き上がってくる。
「あ、開けてもいい?」
「落とすなよ?」
「大丈夫だって」
彼女はグローブを外すとそっと箱を開け、牙型の笛を取出す。
アイボリーで、サラサラしていて、持っているだけでも心地よかった。だがこれは愛玩するためのものではない。
「吹いて良いんだよね?」
師匠の許可を得て吹き口を咥えようとすると、フロイデと目が合った。彼は羨ましそうな顔をしていたが、今日は彼女が吹かせてもらう約束なのだ。
リーベは姑息にも、彼の視線に気付かなかったことにして笛を吹いた。
「プィ――――!」
甲高い音が森林に響く。
彼女の耳にはうるさく感じられるが、果たしてこれがテルドルまで聞こえるのか、半信半疑でいると、フェアがにこやかに言う。
「彼らは特別耳が良いので、ちゃんと聞こえていますよ」
その言葉を受け、リーベは期待に胸を高鳴らせながら南西の空を――テルドルの方を見上げた。
「ああ……早く来ないかな…………」
リーベがそう呟いた時だった。
ざわわ……!
背後の木々が震え、無数の鳥が宙へ舞い上がる。何事かと一行が振り向いたとき、樹木がバギィと物々しい音を立てて薙ぎ倒される。
そしてそこから現れた魔物の姿にリーベは声にならない悲鳴を上げた。
それはクマだった。
まぶたは蜂に刺されたかのように見にくく膨れ上がっていて、むき出しの牙の隙間には歯肉が挟まって口からたれていた。広背筋がコブのように隆起していて、その重みで前傾姿勢になっている。
「カンプフベア⁉」
リーベとフロイデが叫んだ時、ヴァールが命じる。
「コイツは俺とフェアがやる! お前らは下がってろ!」
「う、うん……!」
フロイデはリーベの手を引いて下がった。
「わ、わたしたちも!」
カンプフベアのことを、幼い頃から恐ろしい存在として聞かされていたリーベは、2人が勝つ画が浮かび上がらなかった。心配しているとフロイデが「大丈夫。2人なら」と言う。
その瞳は純粋な煌めきを宿していて、リーベはそこに根拠のない信頼を置いた。




