001 食堂エーアステ
今から20年前。ここ、大都市テルドルの南方にあるグラ・ジオール山近郊に生息する魔物たちが獰猛化し、北進。この街の存在を脅かしたのだ。
それに二振りの剣を携えて立ちはだかった者がいる。
【断罪】のエルガー。
彼はその圧倒的な戦闘力と統率力を以て敵を駆逐し、このテルドルの街を地図に残した。
その様子を描いた絵画――『断罪の時』は今もこの食堂エーアステに飾られている。
ではそのエルガーは現在どうしているのかと言うと――
「ただいまー!」
低くよく通る声が狭い食堂にこだまする。リーベは耳を押さえて声を上げる。
「もー! お父さんったら、声が大きいよ!」
「わりいわりい!」
エルガーは悪びれた様子もなくそう言った。
筋骨隆々の大きな体。日に焼けた顔に無精ひげ。そして左腰と背中に携えた二振りの剣。
冒険者時代の面影を濃く残している……というよりも、実際は引退した後もちょくちょく冒険に出ているから冒険者そのものだった。
(今朝早くから冒険に出てたというのに元気だな)
「はあ……おかえり、お父さん」
「おう、父ちゃんが帰ったぞ~」
そう言うとエルガーはリーベをひょいと持ち上げ、頬に唇をブチュッと押しつける。無精ひげがチクチクして痛い。
「ちょ、ちょっと降ろして!」
「なんだ、昔は喜んでただろ?」
「昔は昔! それにひげが痛い!」
リーベは抵抗するが、エルガーは愉快そうに笑っていた。
そんな父を見ていると、この人があの【断罪】のエルガーなのかと半信半疑にさせられた。 ようやく彼女が降ろされた時、「おかえりなさい」と張り詰めた声が厨房の方から響いてくる。
エルガーが振り向くと、ホールと厨房とを隔てるスイングドアを押し開ける妻シェーンの姿があった。
リーベによく似て、緋色の髪と緑の瞳を持つ美人だ。
しかしその顔には険しさが宿っていて、せっかくの美貌が台無しだった。
「エルガーさん。そこに座ってください」
椅子の一つを示して言うと、彼は「なんでだ?」というが、「何でだと思いますか?」と威圧的に言われると身を竦めて従った。
怒ったときの母は怖い。リーベは距離を取って様子を見守る。
「先ほど、あなたに助けられたという商人さんがやって来ました」
「商人……アイツか」
思い当たる節があった。
「その人が言っていました。カンプフベアに襲われたところを救われた、と」
カンプフベアというのは醜悪な外見と、他に類を見ない獰猛さを持つ極めて危険な魔物だ。そんな恐ろしい魔物の名を口にされるとエルガーはうなだれた。
「『人でが足りないときに、弱い魔物とだけ戦う』って条件で冒険を続けることを許しているんですよ? わかりますか?」
「でも、俺以外にカンプフベアをやれる奴なんて――」
「あなたがいつも助けてるからでしょ!」
頬を張る代わりの怒声に食堂が静まりかえる。
「私はあなたのために言ってるんです! もう若くないんですから、いい加減、けじめをつけてもらわないと!」
そこまで言うとシェーンは語調を和らげて、すがるように言う。
「だからもう、本当に冒険に出ないでください。お願いします……」
それから長い沈黙が流れた。よどんだ空気の中、エルガーは何かを言おうとしては閉口するを繰り返していたが、やがて観念し、「わかった」と言った。
「金輪際、冒険には出ない。約束する」
「そうしてください……」
こうしてエルガーは本当の意味で冒険者を引退した。
食堂がディナータイムを迎える頃には既に行列ができていた。
エルガーの――この街の英雄の引退のウワサが広まっていることもあり、いつも以上の客足だ。
開店時間にはまだ早いが、客を待たせるのも申し訳ない。
そんな思いでリーベは厨房を覗き込む。
「ねえ、お客さん待ってるから開けちゃってもいい?」
「ええ。失礼の無いようにね」
「はーい」
リーベは手鏡を取り出し、前髪を整えるとドアを開け、客を迎え入れる。
「いらっしゃいませ! エーアステへようこそ!」
並んでいたのは顔なじみばかりで、客と店員の関係でありながら、ご近所さんのような親しげな挨拶を交わしていった。
狭い店内にはテーブルが6つしかない都合上、相席をしてもらうのが通例であったが、客たちは嫌な顔をせずに快く受け入れてくれた。
「リーベちゃん」
ある客が彼女を呼んだ。それを受けてリーベは埃を立てないように、しかし迅速に向かう。
そこには肉付きが良く健康そうな婦人とその夫がいた。
「こんにちはスーザンさん。ダルさん」
「はい、こんにちは」
スーザンという女性は隣で手を弄んでいた夫を小突く。
「ほら、アンタもむっつりしてないで、挨拶くらいしたらどうなんだ?」
「俺は単なる客だ」
武器鍛冶として名高い彼は職人気質であり、人間関係にはとても淡泊であった。
「ごめんね? ウチの旦那は愛想がなくて。まったく、シェーンちゃんが羨ましいよ」
そう答えるとスーザンさんは厨房の方へ――シェーンへ向けて手を振った。
彼女とシェーンは――というよりも、彼ら夫妻とエーアステ一家はとても親しくしていたのだった。それは何故かというと、エルガーの剣も、シェーンが愛用するナイフも、全てはダルの作であったからだ。
そうした親交があるが故に、リーベはダルが無愛想であることに何の不満も抱かなかった。
「いえ。お待たせしてすみません」
「いや。それより、エルガーが引退したってのは本当か?」
ダルが問い掛けると周囲の視線がリーベに集まる。そこには不安の色が宿っており、リーベは父の存在が彼らの中で大きなものだと痛感させられた。
「ええ。お父さんももう若くありませんから」
「……それもそうだな」
ダルはグラスを傾ける。するとその隙を見計らったかのように別の客が言う。
「だったらリーベちゃんが冒険者になればいいよ」
「え? わたしですか?」
するとまた別の客が答える。
「あのエルガーさんの娘なんだ。きっと才能の塊だよ!」
「そんな! わたしには食堂がありますから!」
そう答えると客たちは揃って残念そうな顔をした。
その様子にリーベは自分が冒険者になる姿を想像してみたが、上手く画にならなかった。
そうしてホールが静まりかえる中、厨房からシェーンが彼女へ呼びかける。
「リーベ。お客さんを待たせないの」
「あ、そうだ! ご注文をお伺いします」
するとスーザンは小さく笑んで「いつもので頼むよ」と答える。
「はい。『鶏のグレントマト煮』と『ザクザクバゲット』ですね」
トマト煮はエーアステの看板メニューで、バゲットと組み合わせ特に人気だった。
それを裏付けるかの如く、周囲からは「同じの!」と手を上げる人が続出した。
「はーい! ありがとうございます!」
開店直後というのはオーダーが重なる為、大変であるのだが、常連の人々は同じ注文をすることによって、料理人に掛かる負担を軽くなるよう、気を遣ってくれるのだった。
このお店は愛されている。
リーベがそう実感する瞬間だった。




