醜砂(361日前)
日曜日。一昨日のマラソン練習の疲れがまだ残り、この一日くらい、せめて外出の用がない日くらい休ませてほしい。特に明日は楽しみにしてるエキサイティーング、なイベントがあるのによぉ……
と言いつつも俺は金曜日の時のようなジャージ姿で、夕方の神宮児童公園に呼び出されてしまっていた。数週間前に真夜にジャージを貸して風邪を引いた場所である。目の前には、一生懸命に屈伸したり腕を伸ばしたりと入念に準備運動を行う真夜。冬なのにも関わらず白い半袖ウェアとは、強者だ。
「こんな日に呼び出されてもさー……」
確かに俺は一昨日の練習の屈辱で、女子の中で一番足が早そうな真夜さんにご指導を賜りたいとは願い出た。男子の速いやつ、しかも特に関わりのないやつにコツを教わるよりかは、今ではもう彼女となってしまった真夜に色々聞く方が話もできるし、カレカノ関係になって以降近かれ遠かれよくわからなかった距離感覚を取り戻せるかもしれないという、一石二鳥の作戦だと思ったのだが。
「練習したいからいつでも呼んでって言ったのは陽佑の方じゃん。エライこと言わないの。」
正論で論破され撃沈。ぐうの音も出図、俺は不平を言う口を閉ざした。
「さてと、まずはどんな走りか見せてほしいかな。フォームとかおかしいかもしれないし。短距離と長距離だと色々変わってくるけど、根本をまず改善しなきゃね。」
腰に手を当てて仁王立ちする真夜が、公園の入り口の方を向いた。
「あそこの入り口から、」
真夜が入り口を人差し指で指し、そこから体を180度回転させながら入り口の正反対の方にある砂場を指した。
「あそこの砂場の手前まで。一旦走ってみてよ。」
見た感じの距離は大体50m弱ほどだろうか。楽勝、と思いながら、俺は少し運動神経が良さそうな感じアピールをするように、歩きながら体をクネクネさせた。
「桜山市立神宮児童公園」と書かれた木のポールが立つ入り口のところまでくると、目指すべき砂場の方を向いて体を少しかがめた。いつもより低い視線からゴールを見つめ、今いる場所からゴールの砂場まで、一直線に見えない線を引く。
「準備はいいー?」
砂場の手前で真夜がスタンバイし、こちらに手を振る。手にはストップウォッチ。首からは100均で買えそうなプラスチックのホイッスルを提げている。安い武装だけどかなり本格的だな。
「おう、いいよー。」
真夜にも聞こえるように俺も大声で返した。
「行きまーす。位置についてー、ヨーイ、」
俺はクラウチングスタートはせず、体をさらに低くして前に出した右足に力をかける。
「ピーー!」
笛がなり、俺は右足で精一杯の力で地面を蹴った。
腕を大きくふり、前を凝視し続ける。水の上を爽快に走る忍者トカゲのように、俺はできる限り足の回転を早くした。ゴール付近では、こちらを興味津々で見つめる小さな子供たちが3人ほど。これを見て闘志が燃え、俺のスピードはさらに上がった。
目から火が出てきそうな勢いで、俺は真夜の前を通過し、余った勢いで砂場に数歩踏み入れ、停止した。
「真夜、どうだった?」
少し息が上がりながらも、俺は少しかっこつけるように振り返る。しかし真夜の目は思っていたほど輝いてはいなかった。
「9秒23! 50mにしては遅すぎるって! てか私より遅いし!!」
ガーーン…… 「私より遅いし!」という言葉が頭の中でエコーする。
「フォームもめちゃくちゃだよ! 何あれ、街襲ってる怪獣みたいなの!」
ええええーーーー…… そんなに俺の走り方はキモかったのか!?
「なんかゾンビみたいだったなー。」
真夜の近くで見ていた子供のうちの一人がそう言い出した。矢が頭に一本ぶっ刺さる。
「ねー。ゴリラみたいだったねー。」
二本目。ブスっ。
「ゴリラゾンビのお兄ちゃんがんばれー!」
ブスブスブスブスッッッッ…………
俺の人生、終わった。
「こら、そんなこと言わないの!」
近くで井戸端会議をしていた子供のお母さんが子供たちを叱りにきた。
「すみませーん、うちの子供達が……」
お母さんは真夜にペコペコ頭を下げて謝る。しかし俺には下げてくれない。
「いえいえ、大丈夫ですよ。」
真夜は優しく微笑んで許した。しかし俺の許可はない。
「ほら、もっとこっちで遊びなさい!」
「はーい。」
お母さんは不満げな子供達を連れて、少し離れた滑り台の方へと連れて行った。結局俺への謝罪はない。
子供達が離れていったところで、真夜が俺の方へと近づいてきた。俺は刺さりまくった無数の矢のせいで砂場から起き上がれなくなっていた。
「まったくもう。」
そう言って真夜は俺の左手をとり、体を起こそうとした。俺もようやく正気に戻り、不安定な砂の上に立った。
「うーん、陽佑は体が硬いかな。動きカッチカチだったし、ビビってるみたいな走り方だったよ。そりゃゴリラゾンビみたいって言われてもおかしくないよ。」
うぅ、真夜まで……
「まずは走ってる時の姿勢になってみて。地面蹴った後。」
「はい……」
やる気がなくなったまま、俺は数歩下がり、そこからスタートした時の体勢を思い出しながら再現した。真夜の前まで来たときに右足が前に出て、そこで動きをフリーズした。
「ほら、もうこの時点で体に力が入りまくってるよ。腕の力を抜いてみてよ。」
腕の力を抜いてみろと言われてもよくわからない。息を吐いてみても、どうにも力が抜けそうになかった。それに気づいた真夜が、はぁ、と一回ため息をついて言った。
「大きく息を吸って!」
俺は命令通り、鼻から大量の空気を髪が逆立つほどに取り込んだ。
「そこから息を吐きながら肩をストンと落としてみて!」
俺はゆっくり息を吐きながら、肩を意識してストンと落としてみる。一気に体から余計な力が抜けた気がした。
「そうそう、そんな感じ。あとは肘の角度かなー。なんか今の陽佑さ、太鼓叩いてるサルみたいな感じだよ。」
「ひ、肘の角度って……」
そう言われても運動音痴の俺にはわからないものだ。肘を色々動かしてみるが、どうにも真夜のお望みどおりのフォームにはならないようだ。
「だーかーらー。」
真夜は俺の両肘を掴み、これまで地面に平行になっていた俺の肘を垂直に直した。うぉっ、確かにみんなこんな感じで走ってるわ!
「こうやってするの。わかった?」
「おう、わかったわかった。」
俺はやっと大きな一歩を踏み出せたことでワクワクが湧き出し、さっきとは真逆の陽気な返事を返した。
しかし真夜はまだ物足りないようで。
「うーん、まだフォームとしてはダサいから、」
ダサいって、今までの気持ちぶち壊すなよ。
真夜は少し考えた挙句、俺の方に近づいて、今度は俺の両手首を掴み、足を俺の隣に合わせ、体を密着させて理想のフォームを作った。
「こんな感じ。わかった?」
わかったどころではない。体を密着された影響で、心臓からアドレナリンが止まらない。真夜に握られた手首や体がくっついている状態の背中から汗が滲み出てくる。真夜の胸はそこまで大きくはないものの、普段なかなか味わうことのできない少し丸みを帯びた形が、俺の背中をつついてくる。
俺は真夜の質問にも答えず、ただ一人ドキドキしながらこの貴重な体験を味わっていた。
「ねえ、わかってるの!?」
真夜が朝起こしに来る母さんのような口調で俺に再び尋ねてきた。
「は、はい、わはりました。」
緊張のせいか思わず噛んでしまう。言っておくがこれは興奮ではない。あくまでそのことをご理解…… いただきたい。
「よし、じゃあもう一回入り口から走ってみてよ。」
俺は心臓がまだアドレナリンの大量放出を続ける中、真夜が教えてくれたフォームを忘れないように入り口のところまで向かう。先程と同様、俺は姿勢を低くしてスタートに備えた。
「位置についてー、ヨーイ、ピーー!」
ホイッスルの合図とともに、俺は思い切りスタートを切った。さっきとは違うように、俺は真夜から言われたことを一つ一つ確認しながら体勢を整えていく。
肘は地面と垂直に。肩の力を抜いて軽く走る。そして真夜の教えてくれたフォーム。できていることを何度も確認しながら、俺は脚に込めるエネルギーを注ぎ込み加速した。
ゴール。さっきより時間が早いと感じながらも、砂場に侵入して脚を止めた。
「8秒64! まだまだ遅いけど早くはなったね!」
俺は息をゼエゼエさせながらも、後ろで声をかけてくれた真夜にグーサインを出した。
「じゃあ一旦休憩にしよっか。」
俺はその場で砂の上に座り込み、冷たい空気を体内に取り込み、暑くなった体内の空気を外に吐き出していた。その間、真夜が自分のリュックから天然水を二本取り出してこちらに歩いて来た。
「はい、一本あげる。お疲れ。」
笑顔で渡されたペットボトルを俺は優しく受け取った。早速堅く締められていたキャップをひねり、パキパキっと音を立てる。キャップを完全に外し、俺は豪快にペットボトルに口をつけた。
真夜も同じようにして、恵みの天然水を口いっぱいに放り込む。
一息つけたところで、俺はこんな質問をしてみた。
「なあ、どうしてこんな練習に付き合ってくれたんだ?」
突然の質問に真夜は少々悩んだようだった。
「だって…… 彼氏だから。」
思わずキュンとしてしまう。またもや心臓の刻むビートが加速する。
「彼氏が困ってたら助けるのが彼女の役目でしょ?」
「お、おう。」
こう言われると、恥ずかしいようで嬉しいようで、また情けないようで。
「だからさ、」
真夜は少し俯いて間を開けた。
「変な姿、見せないでよね。」
思わず真夜かあ視線が逸れてしまう。もう既にこんな姿を晒してしまったからには、もう二度と恥ずかしい思いはできない。
「うん。がんばる。」
こうとしか言いようがなかった。真夜は照れ臭そうににっこり笑って、そしていつもの顔に戻った。
「明日。覚えてるよね?」
「もちろん。」
明日、また真夜と会うことになる。その時は、もっとかっこいいところを見せられるようにしなければ。俺はそう心に刻んでおいた。
少し時間が経ったところで、真夜が伸びをしながら立ち上がった。
「さ、休憩したんだし、もっとやろっか。」
「おう。」
俺は天然水を置き去りにしたまま腰を上げて、3回目の公園の入り口へと歩みを進めた。
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