寒抜(363日前)
この学校の生徒全員に嫌いな季節を聞いてみるとしよう。おそらく春夏秋冬、それぞれ異なった答えが返ってくることくらいは誰だって予想のつく話だろう。
ある人は春が嫌いだと言う。花粉症がひどく、マスクや花粉用メガネが手放せない。意図してもいないくしゃみが次から次へと放出され、これでもかと持ってきておいたポケットティッシュは数時間にして全て消費してしまうほどの勢いだ。
ある人は夏が嫌いだと言う。汗が止まらぬほどの暑さに加えて、溜まりに溜まってしまう夏休みの課題、そして予定が詰め込まれすぎているような部活。計画的に夏休みを過ごそうとしても、どこかでつまずいて結局夏休み終盤まで引き伸ばしにしてしまう。
ある人は秋が嫌いだと言う。木の葉が次から次へと落ちて冬に備える様を虚しく感じてしまう。気温もどんどん低くなり、しかも天気が不安定な日が多い。気分の上下が激しい時期でもあるようだ。
そして俺は冬が嫌いだ。でも「寒いから」とか「インフルエンザが流行って怖いから」などと言う素人の理由ではない。それは今これから始まろうとしている、嬉しくもない一大プロジェクトが始まるからであった……
「はーい、4組男子は集合ー。」
一面雲に覆われたどんよりとした空と、毎度鳥肌がビンビンと立つような冷たい風が襲う中、複数で固まっている男子軍団が、呼び声が聞こえた方へとのろのろと歩き始める。向かった先に立っていたのは、全身真っ青なジャージ姿で俺らの到着を待っている年配の体育教師、岡本だった。
「はい、それじゃあ出席とるぞー。井上、梅本……」
グラウンドの真ん中でお互い固まりながら寒さを凌ごうとしている俺ら男子の前で、暖かそうなジャージを羽織ってへっちゃらそうな顔をしている岡本がむかつく。
「蓮田。」
「は、はい……」
ザ・体育着と言えるようなジャージ1枚と長パンでは、さすがに今のような寒さには到底適応できない。俺は岡本の点呼に震える右手を最低限わかるように挙げて、ビブラートがかかったような声で返事をすることしかできなかった。そろそろ顎が痙攣して、歯同士がぶつかってカチカチ言い出す頃だろう。
「全員いるな。よし、全員聞けよー。」
偉そうな態度の岡本を、他の男子たちも体に力を入れながら耳を傾けた。
「2月の後半、定期テスト2週間前あたりに、本校では毎年伝統のマラソン大会を行なっている。」
うわぁ、でたよ。中学でやっとおさらばできるものだと思っていたものが、高校になってまた再来するとは。周囲からも、「えー」と言った声がポツポツ聞かれた。
「えーじゃない。太綱寺にある県立総合運動公園の外周を3周、男子には走ってもらう。距離にすると大体12kmほどだ。」
ざわめきがさらに大きくなった。12km? 冗談じゃない、これまで俺が一度も走ったことのない距離を走れなんてどういう精神してるのか。
ちなみに桜山市のお隣の太綱寺市にある、県立総合運動公園は国体の開会式も行われるほど規模の大きい公園で、これまでに聞いた話だと、面積は東京ドーム約23個分にもなるらしい(東京ドームの面積で言われても、どれくらい大きいのかピンとこないのは俺だけだろうか)。
東西に900m、南北に1200m伸びているこの公園の外周は、12.6km。フルマラソンの3分の1以下とはいえ、俺にとっては永遠としか言えないような距離を延々と走らされるのだ。
「スポーツ得意だからそんな苦しみわかんねえよ」というハイスペックな方は、こんなことを想像してほしい。ムシムシする真夏の昼間、クーラーも扇風機も涼しそうなものは何もない部屋。手元にあるのはたった10円だけ。
そんな中、ただ一つしか残っていないアイスを食べようとすると、「それは今あるただ一つのアイスなんだから、大事にとっておきなさい」と言われてしまった。そうなれば、あなたはアイスが買いに行けるようになるまでこのムシムシにずっと耐えねばならない。
よほどのドMでない限り、そんな状況下では死んでしまいそうな苦しみをいつまでも味わうことになる。俺の気持ちは、これと同じだと思っていただければ差し支えない。
というわけで話を戻そう。
「今日は久しぶりに長距離走る人も多いだろうから、まずはこの学校のすぐ近くにある河川敷を4周ほど走ることにしよう。体育科の先生が他数人ほど誘導してくれるから、それに従うように。あと、普通に一般の通行人も歩いているから、迷惑をかけないようにな。」
河川敷といえば、俺がいつも登校するためによく使うあの道も含まれているはずだ。いつも通りなれた道であるが故にこれは俺にとってアドバンテージとも取れそうだが……
軽めの準備運動を済ませた後、俺らは熊のようにのしのしと歩く岡本の後ろを、気怠くついていった。この同じ世界で暮らしているはずなのに、なぜか平日学校のある時間帯とかに校外に出ると、新鮮な感じがする。
ランチ営業をしているレストランや、いつも通りかかる時はほぼ満員のバスにできた空席がちらほら見える。あ、あの店ってあんなランチやってたのか。
吐いた空気が白くなって消えていくのを、ただ見つめながら歩くこと3分。いつも例の川沿いの道に入る前に渡る、橋の手前までやってきた。言い忘れていたが、いつもの川沿いの道はどうやら「桜山リバープロムナード」などという名前が付いているらしく、俺がいつも通っている道の対岸に同じような遊歩道がもう一つ存在する。
そちら側には子供が喜びそうな小さめの遊具や、筋トレ用の懸垂なども作られているのだ。一方にはそんなに豪華なモノを作ってもう一方にはベンチだけっていうこの格差は何ですか行政さんよぉ?
岡本は橋の前の横断歩道をコワモテオーラ全開で渡り、俺らもそれに続いた。その熊のような歩き方のせいか、途中すれ違った2歳ほどの男の子から指差されて泣きべそかいて怖がられていたのには、さすがに俺でも笑いを堪えられなかった。岡本が組長のように見えたとしたら、俺らはきっと下っ端のように映っただろう。
「よし、今日はここからスタートして遊具のある道を通り抜けて行きながら、2つ目の橋を渡る。で、対岸にある同じような道を戻って、同じように2つ目の橋、つまりこの橋を渡って1周、という感じだ。1周が大体1kmほどでそれを4周だから、楽な方だろ。」
いや、4kmでも楽じゃねえよ。中学でも2.5kmだったんだからな?
「準備が出来次第スタートするぞ。」
これを合図に、さっきまでグズグズ弱音を吐いていた奴らも、腕を伸ばしたりジャージを脱いだりして、仕方なくではあるがスタートに向けて準備をし始めた。俺はただ2、3回屈伸するにとどめ、ジャージは寒すぎるせいで脱ごうとも思わなかった。
「準備はいいかー? ヨーイ、」
岡本の掛け声で俺らは腰を若干低くし、右足を後ろに引いて構える姿勢をとった。周りの奴らは結構余裕そうな顔もちょいちょい見えるが、俺はと言うと、久しぶりすぎるマラソンのせいで緊張に縛られ、心臓が潰れそうなほどだった。
「スタート!」
男子が一斉にスタートダッシュを切る。各々の脚に、瞬時に大きなエネルギーで力を込め、はじめのいっぽで地面を思い切り踏み蹴った。元々足の速い、特に陸上部の人間とかは、スタートと同時にスプリント並みの速さでぐんぐん先に進んで行く。
俺はスタート前に結構前方に陣取っていたこともあって、最初のダッシュでは3番手あたりといいスタートを切ることができた…… わけではなかったことにすぐに気づかされる。
え、あれ、みんな速くね? スタートダッシュから数秒もしないうちに、何人もの人間に抜かされたことだろうか。後ろの方で手を抜いていると思われた男子数名に、一気に抜かされる羽目になってしまった。3番手という、自分でもウキウキなポジションは、3秒とも続かず泡と化した。
1分もすると、グングンと俺を抜いていく人間がいなくなったことに気がついた。ここでようやく実力順に並んだのか。体育の成績もそれほど悪くはないし(と言っても、5段階評価の3あたりなのだが)、さすがに俺よりも遅いやつは一人くらいいるでしょ…… と思い、後ろを少しだけ振り返ってみる。
嘘だろ、誰もいねえ! 俺今ドベ?
ここから力を入れてダッシュすれば追いつけるかもしれないと思い、今の脚に更に力をこめて、更に歩幅を大きくして何とかスピードを出そうとする。最初はまだ行けるとも思ったのだが、これも大誤算だった。
暑い! 暑すぎる。スピードをブーストしたせいで体から発生した熱がジャージ内にこもる。まだ真冬なのに、まあ5分も経過していないのに、汗が次から次へとダラダラ垂れ始める。
しかも2つ目の曲がり角を過ぎたあたりで、今まで何とか続けられていた鼻呼吸が口呼吸へとシフトする。吸える空気の量は多くなるがその分肺などへの負担が増加し、フィニッシュ前にはゼエゼエ疲れてしまう。
もう悪いことは散々だ、と思ったその時。
「陽佑じゃん、ヤッホ!」
後ろからポンと背中を押されたかと思うと、スタート時にはいなかったはずの真夜が、俺の横を颯爽と走り抜けていく! しかも後ろを見てみれば、真夜に追随する女子たちが次々と迫り来ていた。
これまで抜いた女子はいなかったはずだから、真夜が先頭なのか? そうだとすれば…… 真夜足速っ!
女子たちも同じコースで練習している中で、真夜はこれ以上俺にかける言葉もなくそのまま通り去っていった。
「嘘だろ。」
息が上がり始めていても、こう呟かずにはいられなかった。
✴︎
「ゴール。もう時間だし。ここまでにしておくぞ。」
これからラストの4周目に入るところだったのに…… タイムオーバーという理由で、俺の挑戦は中途半端に終わってしまった。
俺は走り終わった男子や数名の女子が爽やかに楽しく話している横で、跪いて溜まった疲れを地面に分散させた。周囲の声もまともに聞こえなくなるほど、俺の息が上がってしまっている。
「お疲れ蓮田、頑張ったな。」
もはや汗もかいていない皇太が、四つん這いになった俺のところへ労いにきた。
「屈辱……」
「へ?」
俺が独り言のつもりで言った言葉に、皇太が反応する。
「ま、まあ、速さなんて人それぞれだろ。足が速いやつがモテるなんて小学生だけの話……」
「いや、そうじゃねえ。」
これって、俺が思っていたカレカノの関係性じゃない。
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