6 ハゼを食べる
月明かりが後宮を照らす中、わたしは月瑤とともに、天璟様の執務室を訪れていた。
座ることを許可されたので、ローソファに腰を下ろす。月瑤はわたしの側で立っていることを選んだ。ローテーブルを挟んで向かい側に天璟様が座り、その後ろにはやたら顔のいい家臣が一人控えている。
「報告を聞こう」
「はい」
わたしの代わりに、月瑤が口を開いた。
「毒のヒレを触ってしまった女官には、熱湯消毒を施し、大事には至りませんでした。しばらくは休養を取るようです」
わたしは焦燥しきった女官を思い出す。
台所がトラウマにならないといいけれど……。
「アイゴについてですが……」
月瑤はそこで言葉を切って、わたしを見る。
その視線に頷いて、わたしが続きを引き継いだ。
「あの魚は、何かの手違いで紛れ込んでしまったのではなく、誰かが故意的に紛れ込ませたものだと思います」
「故意的に? なぜだ?」
「アイゴを釣ったら、海に戻すのが釣り人の常だからでございます。わざわざ手元に残して、ましてや流通させるなんてあり得ません」
「ならば、漁師の仕業か……!?」
「待ってください」
席を立ち上がろうとする天璟様を引き止める。
「今回の料理は四夫人の夕餉に出される予定でした。わたしが襲われた件も合わせて、何者かが四夫人を狙っているのは間違いないでしょう」
「では、やはり漁師が四夫人の暗殺を依頼されたのではないか?」
「しかし、魚に詳しい漁師が、ヒレに毒のあるアイゴを選ぶでしょうか? 暗殺目的なら、食べて毒が回る魚を選ぶはずです」
「確かに……」
天璟様は顎を指でつまんで考え込んだ。
「そこで、わたしは月瑤に頼んで、わざわざ毒魚を買われた漁師はいないか探してもらいました。意外と口が固かったので、少々手荒に行ってもらいましたが」
わたしが月瑤を見ると、月瑤が口を開く。
「毒魚を売った漁師がいました。口止めをされていましたが、“軽く”こづいたら、ペラペラと教えてくれましたよ。買い手は、顔を隠していてよく見えなかったらしいです。毒魚ならなんでもいいと思って、たまたま釣れたアイゴを渡した、と」
月瑤の説明に、わたしが付け足す。
「つまり、買い手は魚の知識がなく、毒魚の毒が、魚の身以外にもあることを知らない者で、四夫人がいなくなると優位に働く者……」
そこまで言うと、天璟様は目を見開いた。
「四夫人より下の位の姫たちか!?」
「おそらく。後宮の外出記録を調べれば、すぐに分かるかと」
「劉帆、調べてこい」
「御意」
天璟様の一声で、側に控えていた強ビジュアルの家臣が走る。
劉帆様という名前のお方らしい。
後宮では見たことがないけれど、彼も宦官なのかしら?
あんなに整った顔立ちでも、容赦無く取られてしまうのね。
「……ご苦労だったな」
「いえ。今回の本題は別にございます。月瑤」
「はい」
月瑤に合図を送ると、一度退室してすぐ戻ってきた。
手には、皿に載ったハゼの素揚げ。しかも揚げたてである。
香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。
「こちら、わたしが調理したハゼの素揚げでございます」
「これが……」
魚嫌いの天璟様は、少しだけ眉を寄せた。見るのも嫌なのかもしれない。
「ハゼは小さく、骨まで食べれますので。とはいえ、毒味が必要でしょうから、先にわたしが……」
「清蘭様」
よだれが垂れそうになるのを必死に抑え、真っ先に食べようとしたところを月瑤に諌められる。
「……月瑤が毒味をしてくださるそうです……」
「そんな残念がらなくても……」
月瑤は箸を巧みに使って頭の部分を切り離し、塩を少々付けてから、パクりと食べた。
「〜〜〜〜っっ!!」
ほっぺたを右手で触り、驚きに目を見開く。頬は赤くなり、口角は上がりっぱなしだ。
美味しいでしょうね……! わたしが作りましたから……!
「ほろほろとした白身が、癖がなくてとても食べやすいです……! 塩だけなのに、それが素材の味を引き立てています」
月瑤の食レポを聞いて、ますます口内によだれが溜まっていく。
「魚料理はもともと好きでしたが、ハゼは初めて食べました。これ、美味しいですね」
興奮気味の月瑤に、わたしはうんうん、と大きく頷く。
「そんなにか……」
さすがの天璟様も興味を持ってくれたみたいで、自然と箸に手が伸びる。
「これで美味しくなかったら、お前は後宮から追放だからな」
「それでいいですから、とにかく食べてください」
天璟様が食べないと、わたしが食べられないのだ。
わたしに促され、不服そうになりながらも、天璟様は箸を持った。
ハゼの身を崩して、一口分をえいやっと口に入れる。
「……!?」
ゆっくりと咀嚼しながら味わっているようだ。
無言のまま、ごくんと嚥下するのを見届けてから、わたしは感想をワクワクして待った。
「……美味い」
わたしは、姫にしては、はしたなくもガッツポーズを取る。
「そうでしょう!! ハゼは市場に出回りませんから、この美味しさは釣り人の特権なのです!」
「こんなに美味い魚は初めてだ」
天璟様は本当に驚いている様子だった。
食わず嫌いをしていたのかもしれない。
なんて勿体無いこと。
「世の中には美味しい魚で溢れているんですよ……! どうですか? わたしを海月宮に置いて下さったら、いつでも美味しい魚を持ってきますよ」
もちろん、釣れたらの話だが。
「…………」
天璟様は腕を組んで、思案し始めた。
きっといい返事をもらえるに違いない。
自信満々のわたしは、箸をとってハゼを頂く。
「ん〜〜! たまらない!」
「おい、皇帝が考えている前で食べ始めるな。まったく、お前は……」
天璟様がくっくっと笑う。
なんだか天璟様の笑顔が、やけに拝見できる日だ。
ハゼの旨みでほっぺが落ちないように、左手で支えながら、そんなことを思った。
綺麗な顔なんだから、もっと笑えばいいのに。
天璟様はひとしきり笑い終わった後、「はーあ」と一息ついてから、
「いいだろう、海月宮の移住を許可する」
と言った。
「ありがとうございます!!」
ハゼを飲み込んでから、拱手する。
やった〜〜!
これで釣り三昧だ〜〜!
立ち上がって小躍りしたい気持ちを必死で抑えて、脳内で踊り狂う想像をするに留めた。
「釣れない日はどうするんですか?」
こそっと月瑤に尋ねられた。
「……釣れない日は後宮から食材をせしめます……」
「そんな盗人みたいな!」
「いいんです、四夫人ですよ!」
「こういうときだけ!」
はなから自給自足の生活は無理だ。
無人島でサバイバルするわけじゃない。
わたしは適度に釣りをしながら、緩やかに暮らしたいだけなんだから。
「ははは、お前ら、本当に相性がいいみたいだな」
もう笑顔を隠さなくなった天璟様が、わたしたちのやり取りを見てニコニコしていた。
「なぁ、清蘭」
「はい」
天璟様が座り直してわたしを見据えてくるので、わたしも姿勢を正した。
「私は、もっと、お前のことが知りたくなってしまった。海月宮に行ってしまったら、私はいつお前に会える?」
「そうですね……」
わたしは人差し指を頬に当て、上を向いて考える。
いつ会える、か……。
天璟様に出向いてもらうには、少々遠くて悪い気がするし、わたしが出向くのがいいだろう。
「魚が釣れたら、馳せ参じますわ。来なかったら、坊主だと思ってください」
「坊主?」
「一匹も釣れなかったということですわ」
わずかな間、笑いが流れる。
もちろん、風が強い日や雨の日に釣りはできないから天候も関わってくるが、まとめて坊主ということにしておこう。
そんな中、扉が強い音でノックされた。
「入れ」
「階下!」
天璟様が許可するや否や血相を変えた劉帆様が転がり込んできた。
「犯人の姫を捕まえました! 確かに、清蘭様が仰ったように九嬪の女でした」
九嬪は四夫人の一つ下の位のことだ。
「しかし……」
劉帆様の視線が、天璟様からわたしに移る。
「しかし?」
「清蘭様を襲った男については、何も知らないとのことです……!」
えっ……!?
「ということは、清蘭様を狙った犯人は別にいる……!?」
月瑤が目を見開いて言った。
四夫人ではなく、わたし個人を狙って依頼した犯人。
後宮の中にいるのか、外部の人間なのかは分からない。
「その男は何と言ってるんだ?」
「それが……」
天璟様の問いに、劉帆様は息を飲んでから告げた。
「すでに死んでおりました」
「死んでた!?」
わたしと月瑤は同時に声を荒げてしまった。
「そんな、殺してはいないし、数時間は意識を取り戻さないはずです! そう加減しました!」
「落ち着け。お前が殺したとは疑っていない。おそらく、口封じだろう」
抗議する月瑤を、劉帆様は片手で制した。
「口封じか……」
天璟様はそう呟いて黙り込んでしまう。
重い沈黙が執務室を覆っていく。
……なんだか、マズいぞ?
海月宮への移住に好意的だった風向きが変わってきた気配がする。
「清蘭を狙った人間がまだいる以上、後宮から出すわけにいかないな」
やっぱり……!
嫌な予感が的中して冷や汗がダラダラ垂れるわたしを、天璟様が見据える。
「悪いが、犯人が捕まるまで海月宮は諦めてくれ」
うわああああああ!!
いやだああああ!!
本来なら床に仰向けになってバタバタ暴れ回って拒絶したいところだったが、
「嫌です」
前世はアラサーなのでキッパリと笑顔で断った。
「嫌って……お前なぁ」
「天璟様になんて口を……!」
「よせ、劉帆」
劉帆様が腰に携えた刀に手をやろうとしたが、天璟様が止めてくれた。
横を見やると、月瑤も応戦する構えを解くところだった。さすがに察してからの動きが速い。
「私はお前が気に入ったんだ」
天璟様の手がわたしの髪に伸び、ちゅ、と唇を落とす。
わぁお。
日本では考えられない。なんてキザな。
しかもそれがサマになってしまう、圧倒的な天璟様のご尊顔。
「身に余る光栄でございます」
「……そうじゃないんだが」
ぺこり、と拱手するが、天璟様はどこか不服そうな顔をした。
「あ〜伝わってないですね、これは……」
横にいる月瑤まで呆れたように言う。
「だから、わざわざ危険に晒して、お前に死んでほしくないんだ」
天璟様の言葉に、うんうん、と月瑤も首を縦に振った。
なるほど。
「では、一人でなければいいですか?」
ちら、ちら。
わたしは月瑤に可愛らしい視線を送る。
「え? え? ……え〜?」
月瑤はわたしの意図に気づいたのか、己の顔を人差し指で示す。わたしが何も言わずに頷くと、彼女は軽く息を吐いてから意を決したように背筋を伸ばした。
「階下」
「なんだ」
「アタシも女官として付き添うので、海月宮への移住を許可してもらえないでしょうか?」
両膝を床について、月瑤は拱手する。
「あぁ、確か、月瑤だったか。活躍は聞いている。かの男を捕まえたのが、お前らしいな。しかも、武官を志望しているだとか?」
「おっしゃる通りでございます。今回、清蘭様の護衛で成果を挙げたら、推薦してもらう手筈でした」
「確かに、そんなことを言っていたな」
ふむ、と天璟様は視線を上にやって思い出すような仕草をしてから言った。
「いいだろう。此度の犯人が捕まるまで、無事に清蘭を守り抜けたら武官に任命しよう」
「……! ありがとうございます!」
良かった、月瑤……!
わたしの力ではないのに、なぜだか目頭が熱くなってしまう。
これはつまり、わたしが無傷で犯人を捕まえれば、月瑤は武官になれるというわけだ。
わたしが囮になって犯人をおびき寄せる……!
名付けて泳がせ釣り作戦!
「いや、泳がせの魚は無傷で済まないから、ちょっと違うか……」
「おい、お前、今よくないことを考えたろう」
天璟様に釘を刺されて背筋を伸ばして誤魔化す。
そんなわたしを見て、天璟様は力が抜けたように微笑んだあと、
「ただし、条件がある」
と言った。
条件?
「月瑤、劉帆が推薦する武官に勝利しろ」
天璟様は劉帆様を親指で示した。
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