第四話 ハゼを食べよう!
月明かりが後宮を照らす中、わたしは月瑤とともに、天璟様の執務室を訪れていた。
座ることを許可されたので、ローソファに腰を下ろす。月瑤はわたしの側で立っていることを選んだ。ローテーブルを挟んで、向かい側に天璟様が座り、その後ろには、宦官が一人控えている。
「報告を聞こう」
「はい。毒のヒレを触ってしまった女官には、熱湯消毒を施し、大事には至りませんでした。しばらくは休養を取るようです」
台所がトラウマにならないといいけれど……。
「アイゴについてですが……あの魚は、誰かが故意的に紛れ込ませたものだと思います」
「なぜだ」
「アイゴを釣ったら、海に戻すのが釣り人の常だからでございます。わざわざ手元に残して、ましてや流通させるなんてあり得ません」
「ならば、漁師が……!?」
「待ってください、まだ尚早です」
席を立ち上がろうとする天璟様を制する。
「今回の料理は四夫人の夕餉に出される予定でした。わたしが襲われた件も合わせて、何者かが四夫人を狙っているのは間違いないでしょう」
「では、やはり漁師が四夫人の暗殺を依頼されたのではないか?」
「しかし、アイゴに詳しい漁師が、四夫人暗殺のために、ヒレに毒のある魚を選ぶでしょうか? 食べて毒が回る魚を選ぶはずです」
「確かに……!」
「そこで、わたしは月瑤に頼んで、わざわざ毒魚を買われた漁師はいないか探してもらいました。意外と口が固かったので、少々手荒に行ってもらいましたが」
わたしが月瑤を見ると、月瑤は頷いて口を開く。
「毒魚を売った漁師がいました。口止めをされていましたが、軽くこづいたら、ペラペラと教えてくれましたよ。買い手は、顔を隠していてよく見えなかったらしいです。毒魚ならなんでもいいと思って、たまたま釣れたアイゴを渡した、と」
月瑤の説明に、わたしが付け足す。
「つまり、買い手は魚の知識がなく、毒魚の毒が身以外にもあることを知らない者で、四夫人がいなくなると優位に働く者……」
そこまで言うと、天璟様は目を見開いた。
「四夫人より下の位の姫たちか!?」
「おそらく。後宮の外出記録を調べれば、すぐに分かるかと」
「おい、調べてこい」
天璟様の一声で、側に控えていた宦官が走る。
「……ご苦労だったな」
「いえ。今回の本題は別にございます。月瑤」
月瑤に合図を送ると、一度退室してから、戻ってきた。
手には、皿に載ったハゼの揚げ物。揚げたてである。
香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。
「こちら、わたしが調理したハゼの揚げ物でございます」
「これが……」
魚嫌いの天璟様は、少しだけ眉を寄せた。見るのも嫌なのかもしれない。
「ハゼは小さく、骨まで食べれますので。とはいえ、毒味が必要でしょうから、先にわたしが……」
「賢妃様」
よだれが垂れそうになるのを必死に抑え、真っ先に食べようとしたところを、月瑤に諌められる。
「……月瑤が毒味をしてくださるそうです……」
「そんな残念がらなくても……」
月瑤は箸を巧みに使って、頭の部分を切り離し、塩を少々付けてから、パクりと食べた。
「〜〜〜〜っっ!!」
ほっぺたを右手で触り、驚きに目を見開く。頬は赤くなり、口角は上がりっぱなしだ。
美味しいでしょうね……! わたしが作りましたから……!
「ほろほろとした白身が、癖がなくてとても食べやすいです……! 塩だけなのに、それが素材の味を引き立てています」
月瑤の食レポを聞いて、ますます口内によだれが溜まっていく。
「魚料理は好きでしたが、ハゼは初めて食べました。これ、美味しいですね」
興奮気味の月瑤に、わたしはうんうん、と大きく頷く。
「そんなにか……」
さすがの天璟様も興味を持ってくれたみたいで、自然と箸に手が伸びる。
天璟様が身を崩して、一口分をえいやっと口に入れる。
「……!?」
ゆっくりと咀嚼しながら味わっているようだ。
無言のまま、ごくんと嚥下するのを見届けてから、わたしは感想をワクワクして待った。
「……美味い」
わたしは、姫にしては、はしたなくもガッツポーズを取る。
「そうでしょう!! ハゼは市場に出回りませんから、この美味しさは釣り人の特権なのです!」
「こんなに美味い魚は初めてだ」
天璟様は本当に驚いている様子だった。
食わず嫌いをしていたのかもしれない。
なんて勿体無いこと。
「世の中には美味しい魚で溢れているんですよ……! どうですか? わたしを海月宮に置いて下さったら、美味しい魚を持ってきますよ」
釣れたらの話だが。
「…………」
天璟様は腕を組んで、思案し始めた。
きっといい返事をもらえるに違いない。
自信満々のわたしは、箸をとって、ハゼを頂く。
「ん〜〜! たまらない!」
「おい、皇帝が考えている前で食べ始めるな、まったく、お前は……」
天璟様がくっくっと笑う。
なんだか天璟様の笑顔が、やけに拝見できる日だ。
ハゼの旨みでほっぺが落ちないように、左手で支えながら、そんなことを思った。
綺麗な顔なんだから、もっと笑えばいいのに。
天璟様はひとしきり笑い終わった後、「はーあ」と一息ついてから、
「いいだろう、海月宮の移住を許可する」
と言った。
「ありがとうございます!!」
ハゼを飲み込んでから、拝礼する。
やった〜〜!
これで釣り三昧だ〜〜!
立ち上がって小躍りしたい気持ちを必死で抑えて、脳内で踊り狂う想像をする。
「釣れない日はどうするんですか?」
こそっと月瑤に尋ねられた。
「……釣れない日は後宮から食材をせしめます……」
「そんな盗人みたいな!」
「いいんです、姫なので!」
「こういう時だけ!」
はなから自給自足の生活は無理だ。
無人島でサバイバルするわけじゃないのよ。
わたしは適度に釣りをしながら、緩やかに暮らしたいだけなんだから。
「ははは、お前ら、本当に相性がいいみたいだな」
もう笑顔を隠さなくなった天璟様が、わたしたちのやり取りを見てニコニコしていた。
「なぁ、清蘭」
「はい」
天璟様が座り直して、わたしを見据えてくるので、わたしも姿勢を正した。
「私は、もっと、お前のことが知りたくなってしまった。海月宮に行ってしまったら、私はいつお前に会える?」
「そうですね……」
わたしは人差し指を頬に当て、上を向いて考える。
いつ会える、か……。
天璟様に出向いてもらうには、少々遠くて悪い気がするし、わたしが出向くのがいいだろう。
「魚が釣れたら、馳せ参じますわ。来なかったら、坊主だと思ってください」
「坊主?」
「一匹も釣れなかったということですわ」
わずかな間、笑いが流れる。
もちろん、風が強い日や雨の日に釣りはできないから、天候も関わってくるが、まとめて坊主ということにしておこう。
そんな中、扉が強い音でノックされた。
「入れ」
宦官が血相変えて、転がり込んでくる。
「階下! 犯人の姫を捕まえました! 確かに、四夫人の一つ下の位の姫でした! しかし……」
宦官がわたしをチラリと見やる。
「しかし?」
「賢妃様を襲った男については、知らないとのことです……!」
えっ……!?
「ということは、賢妃様を狙った犯人は別にいる……!?」
月瑤が目を見開いて、言った。
四夫人ではなく、わたし個人を狙って依頼した犯人。
後宮の中にいるのか、外部の人間なのかは分からない。
「これでは、一人で海月宮に行くのが不安になってきました……」
ちら、ちら。
わたしが月瑤に可愛らしい視線を送ると、月瑤は深いため息をついた。
「階下。海月宮にアタシも女官として付き添ってよろしいでしょうか?」
両膝を床について、拱手する月瑤。
「あぁ、月瑤。活躍は聞いている。かの男を捕まえたのが、お前らしいな。しかも、武官を志望しているだとか?」
「おっしゃる通りでございます」
「いいだろう。此度の犯人が捕まるまで、無事に清蘭を守り抜いたら、武官に任命する」
「……! ありがとうございます!」
良かった、月瑤……!
わたしの力ではないのに、なぜだか目頭が熱くなってしまう。
これは逆を言えば、わたしが無傷で犯人を捕まえれば、月瑤は武官になれるというわけだ。
わたしが囮になって犯人を誘き出し、捕まえれば、月瑤は逆プロポーズができる。
名付けて泳がせ釣り作戦!
「いや、泳がせの魚は無傷で済まないから、ちょっと違うか……」
「おい、お前、今よくないことを考えたろ」
顔のすぐそばに、天璟様の整った顔立ちがあった。あまりの美しさに、わたしは驚いて、飛び退いてしまう。
「私はお前が気に入ったんだ」
天璟様の手が、私の髪に伸びる。
「くれぐれも無茶だけはするなよ? 清蘭」
ちゅ、とわたしの髪に唇を落とす。
な、な、なんてキザなー!
でもそれが似合ってしまう圧倒的なビジュ! 眩しい!
「お、おい、賢妃様、大丈夫ですか、おーい?」
美貌に当てられて、くらくらと立ちくらみのようにへたり込みそうになったわたしを、月瑤が慌てて支えてくれる。
かくして、わたしの理想の釣り三昧な日々が始まろうとしていた。
暗殺者を添えて。
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