3 初めての釣り
「あっちぃですわ……」
季節は夏。わたしは軽装に着替えてから後宮を飛び出した。
天璟様直々に外出の許可を得ているとはいえ、きちんと門番に行き先を告げて、外出のしかるべき手続きを経た。
後宮のすぐ近くの林に、川が流れている。
この川は海と繋がっていて、わたしがいるのは河口の近く。淡水と海水がぶつかる汽水域だ。
誰の協力も得ずに釣った魚を振る舞うことで、天璟様をギャフンと言わせたかったので、女官を置いて一人でここまでやって来た。
「まずは、餌探し!」
とはいえ、釣り竿一本では何もできない。ただ糸の先に針がついているだけで、魚が釣れるわけがないのだ。
わたしは陰っているエリアの落ち葉をばさっとめくる。
「当たりですわ〜!」
ミミズが三匹!
近くにあった短めの木の枝で湿った地面を少し掘ると、さらに三匹出てきた。
「ちゃんと桶を二個持ってきてよかった…!」
釣った魚を入れる用の底が深い桶と、釣り餌を保管する用の一回り小さな桶を洗い場から拝借してきたのだ。
本当は、お皿でも良かったのだけれど……ミミズを入れた後に使いたくなくなってしまうからやめておいた。
小さいほうの桶にミミズを六匹放り込む。とりあえず、これだけあれば足りそうだ。
大きいほうの桶には川の水をたっぷりと汲む。
放置していた釣り竿を拾い上げた。
幸い、リールも糸もセッティングされており、なんと糸の先には仕掛け(釣り針)もついているのだ。
初心者レンタルセットのような釣り竿である。怖いのは糸が切れることだけだ。
もしかしたら、海月宮に行けば、替えの糸や仕掛けも残っているかもしれない。
「ちょっとミミズが大きいかしら……?」
ミミズを拾い上げて大きさを見る。五センチくらいはありそうだ。
「あっ! ハサミを忘れてしまいましたわ……!」
釣りで必須のハサミを忘れてしまうなんて、なんたる失念……。
しょうがない。ミミズはこのまま針につけてしまおう……。
「お姫様がなんでミミズ持ってんの!?」
ミミズを釣り針に通そうとしていると、信じられないものを見たような声をぶつけられた。
振り向くと、天璟様の執務室で一緒になった金髪の女官が目を見開いて立っていた。
「あら? 先ほどの……ええと、お名前は」
「月瑤です。賢妃様の護衛に参りました……って、それより、それ!」
月瑤がわたしの手にいるミミズを指差す。
「月瑤もやります? ミミズは平気ですか?」
「ミミズは平気かってこっちのセリフなんだけど……」
呆れた様子で近づいてくる月瑤。フレンドリーな感じで助かる。
「何を釣る気なんですか?」
「そうですね……あわよくば、鰻を釣りたいところですが、流石にこの明るい時間では無理でしょうね」
「鰻!? こんな林の川で!?」
「ほら、川を見てください」
月瑤と川に目を凝らす。光の反射で水面が光って、魚影が見えにくい。
「……何もいませんが」
「よく見てください、あそこの木陰になっているところの、大きな石です」
わたしが指差した方向へ、月瑤が目を細める。
「……あ! 魚が石にくっついてる!」
「そう、あれが今回の狙いです」
わたしは言いながらミミズを針に通して、釣り竿を月瑤に差し出す。
なかなかの大きさだ。これなら、ミミズにも食いつくかも。
「あの魚の顔の前を狙って、投げてみてください」
「……!」
月瑤は釣り竿を受け取り、指示した通りに振るった。
ぽちゃん。
ミミズがゆっくりと水中を落下していく。
「見てますね……」
魚がミミズをじーっと見つめているのが、地上からでも分かる。
ここからは耐えだ。
「竿を上下に小さく振ってみてください」
「こ、こう?」
月瑤が軽く竿を上下に振ると、ミミズもそれに合わせて水中で踊る。魚が注意を惹きつけられている。
「そうそして、たまに動きを止めてください、気持ち長めに」
「……こうか?」
ぴた、とミミズの動きが止まると、魚が少し近づいてきた。しかし、そこで警戒してまた止まってしまう。
「なるほど、こうやって誘うのか」
月瑤は慣れてきたのか、自分のタイミングで竿を振ったり止めたりできるようになってきた。
小さくアクションを加え、ピタッと止める。それの繰り返し。
「見てます、見てます。いいですよ……!」
そして、ミミズの動きを止めたとき。
──ブルブルッ!!
「わっ!?」
魚がミミズに食いつき、釣り竿が振動する!
「食いましたわ!! 月瑤、竿を縦にしてください!」
「竿を縦に!?」
月瑤は困惑しながら竿を持ち上げた。地面と垂直になった竿を確認して、わたしはリールに手を添える。
「月瑤、この持ち手を回します、いきますよ」
月瑤がリールに手をやり、一緒にリールを巻いていく。
バシャン!
水面から糸に吊された魚が現れた。
距離が近いので、魚はすぐわたしたちの手元までやってくる。
ミミズを食べて針を飲み込んだまま、上を向いてビチビチと揺れている。サイズは十センチぐらいだろうか。
「つ、釣れた……!」
「これが今回の狙い、ハゼです。夏からが旬の小魚。揚げると美味しいんですよ〜」
後宮で天ぷらが出されたことはないけれど、揚げ物は出てきたことがある。
ハゼの素揚げを、天璟様に実食して頂こうという作戦だ。
わたしはハゼの口から釣り針を取る。口の端にかかっていたため、簡単に取れた。
ミミズはまだ形が残っていた。再利用できそうだ。
「…………」
月瑤は釣り竿を見つめて、ぼうっとしている。
「ふふ、釣りは初めてですか? どうでしたか、アタリの感覚は」
「アタリ?」
「魚が餌を食ったということです」
わたしはハゼを、水を汲んでおいた桶に入れる。ぽちゃん、と小気味のいい水音がして、ハゼはすぐおとなしくなった。
ハゼが飛び跳ねて逃げ出さないように、バケツを川から離れたところに移動させる。
「あぁ……、ブルブルって竿が震えて、アタシも震えてるみたいだった。魚が戦ってるのが分かって、アタシも負けないぞって気持ちになって、なんていうか……」
月瑤は両手をぎゅうっと握りしめる。
「楽しいな、釣りって」
「そうでしょう!」
わたしは渾身の笑顔で月瑤に応えた。
前世では、ずっと一人で釣りをしていた。釣りに付き合ってくれる女友達もいなかったし、男友達ができたと思ったらすぐに告白されてしまうので、結局一人になったのだ。
月瑤と釣りの楽しさを分かち合えたことは、わたしにとって初めての経験だった。
なんだかくすぐったくて、ちょっと嬉しい。
人に教えたことがなかったわけじゃないけれど、こうやって楽しんでくれたことはなかった。
釣りは一人でするものだと決めつけていたけれど、たまにはいいかもしれない。
わたしは桶の中のハゼを見つめる。
「でもやっぱり、夏は小さいですね。今回のミミズが小さめだったから、口に入りましたけど、他のミミズは大きいから切ったほうがいいかもしれません。月瑤、ハサミを持っていませんか?」
「裁縫用なら持ち歩いているけど……ミミズ切るの!? 嫌だよ!? そのあと裁縫に使えない!」
「ですよねぇ……」
困った。手や爪で切れるとは思えない。先の尖った小枝でも探すしかない。
「でも、小型剣なら……」
おずおずと月瑤から差し出されたのは、護身用の小型剣。おおよそ、後宮にいる女官が持っているとは思えないものだ。
「助かります……ですが、なぜ剣を?」
「……アタシ、武官になりに来たから」
女性が武官?
「やっぱり変だと思う?」
月瑤は自嘲気味に笑った。
わたしの表情の変化を悟ったのか、それとも、言われ慣れてきたのか。
「……いいえ、聞かせてください」
言いながら、わたしは小型の桶に入れておいたミミズを一匹取り出して、地面に押し付ける。三ミリくらいの幅に、小型剣を突きつけた。
「もともと、アタシ、孤児でさ。小さい頃にお母さんがいたんだけど、流行病で死んじゃって。そんなアタシを、師匠が拾ってくれたんだ」
月瑤はわたしの隣にしゃがんだ。
「師匠の運営する道場で育って、その道場で一番強くなった。だから、道場のみんなを守ろうと誓ったんだ。武官になって、大切な場所とみんなを、この手で守るんだって、でも……」
月瑤が言葉を切る。
わたしもミミズを切る手を止めた。
「師匠も武官に推薦してくれたんだけど、女だから後宮に入れって言って……」
「そんな……!?」
道場で一番強いのに……!?
お師匠様が朝廷に推薦できる権限があるということは、よっぽど名の知れた大きな道場のはず。
だが、朝廷側の決定に月瑤が逆らえるはずもない。
「後宮に入っても機会はあると思った。どの妃の担当にもならなかったし。宦官様に訴えかけてみたけど、それが逆に男に媚びてるって言われちゃって。この国では珍しい金髪と相まって、後宮では陰口ばかり……」
そう言って、月瑤は軽く頭を振ってみせた。
ポニーテールの金髪が、サラサラと揺れる。
そういえば、うちの女官も金髪について何か言っていたっけ。あの時は嗜めたけれど、そんなふうに言われるのが、月瑤にとっては、日常茶飯事なんだろう。
月瑤の金髪が、太陽光に反射してキラキラと輝く。
不思議だ。
こんなに美しいものに対して、なぜ醜い言葉をぶつけられるのだろう。
「みんな、月瑤の綺麗な髪に嫉妬してるんですかね?」
「え……」
パッと、月瑤の瞳に光が入る。よく見れば、瞳は美しいアクアブルーだった。
「嫉妬なんてしてるわけないだろ、母親が異国生まれだから、珍しいだけで」
「まあ、お母様が。その髪色、キラキラしていて、とっても綺麗です。名前の通り、月みたいに」
「月みたいって……そんな、恥ずかしいこと……」
月瑤の頬が赤く染まって、腕で顔を隠した。
「え、照れてます……?」
「照れてない!」
顔を覗き込もうとすると、月瑤はさらに顔を隠してしまう。
か、可愛い……!
思わず口角を上げながら、月瑤の、隠しきれていない頬を人差し指でつんつんとつつく。ぷにぷにだった。
「それに、キラキラは、海の中なら魚がいっぱい寄ってきますよ?」
「例えがよく分からないけど……」
月瑤は頬をつつかれるのを受け入れて、フッと笑った。
「ありがとな」
ぐっ……かわいい……!
胸の奥から庇護欲が湧いてくる。
「月瑤はわたしが守りますからね……!」
「いや、アタシが賢妃様を守りに来たんだけど……」
ん? 賢妃様?
呼ばれ方に違和感を覚えてしまう。
「なんだか他人行儀ですわ。清蘭と呼んでください」
「え、あ……」
月瑤は視線をしばらく漂わせてから、
「清蘭様……」
と弱々しく、照れくさそうに呼んだ。
その姿に、わたしは胸を貫かれてしまった。
ちょっともう無理かもしれない。
道場で一番強いのに、褒められ慣れてない恥ずかしがり屋なんて。
きっと今まで一人でも強く生きてきたんだろう。誰にも頼らず。何を言われても、されても、強くあろうとしてきたんだろう。
勝手に月瑤の人生を想像して涙が出てくる。
「えっ!? なんで泣いてんの!? もう〜」
月瑤が袖で涙を拭ってくれた。
「わたし、月瑤が武官になれるよう、応援しますわ!」
「あ、ありがとう、ございます……」
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