聖女のいる日常1
聖女の朝は早い。
正確に言えば、聖女の寝泊まりしている神殿の朝は早い。
神官たち各々の修行だけでなく、早朝から礼拝に来た人への対応や、その日の神殿の活動の準備などやることは多いのだ。
そんな神殿の活動に合わせて早起きした優太は、しかし朝食後はすることがなかった。神官たちが忙しすぎて、優太の修行の指導に当たっていられないのだ。
本来ならば、神殿が忙しい午前中は、王城から講師役が来て礼儀作法などの勉強に充てる予定になっていた。
最前線でガンガン戦う勇者と異なり、聖女の役割は後方支援が主体だ。このため、聖女は他国との折衝や地元の領主への協力依頼などの場に出向くことも多いのだ。
むろん、聖女に全てお任せではなく、外交官とか政府の役人といったプロが出てきてちゃんと仕事をする。むしろ、聖女はお飾りなのだが、そのプロが何日かかっても進まなかった会議が、聖女の一言であっさり解決するなどといったことがあるのも事実だ。俗に、聖女外交などとも呼ばれる現象であった。
そういう訳で、聖女は各国の王族貴族との付き合いも多くなる傾向にある。だから、最低限恥ずかしい思いをしない程度に礼儀作法を学ぶのだ。
しかしながら、今回の聖女は優太である。聖女外交どころか、優太が出てきただけで場が固まることは、関係者は経験済みである。
礼儀作法以前に、相手に優太の、男の聖女の存在を理解させる必要があった。優太の存在をどのように公表するかが先送りになっている現在、礼儀作法の勉強についても棚上げ状態になっていた。
こうして、午前中が完全にフリーになった優太が何をしているかというと……
「皆さん、おっはようございまーす。」
早朝の大通りを爆走する巫女装束の男がいた。我らが聖女、優太である。
優太が何をしているのかといえば、体力作りである。
この世界はあまり交通機関は発達していない。乗り物といえば馬車か船がせいぜい。自動車も電車も飛行機もない。
聖女の役割は後方支援、とはいえ相手は世界の危機だ。世界中を飛び回ることになるだろうし、場合によっては回復役として勇者に同行して、道なき道を進むこともあるだろう。
ひ弱な現代人にとっては辛い旅になるだろう。
そこで優太は、空いた時間を利用して体力作りをすることにした。そして、嵌った。
そもそも、聖女の体力の無さが足を引っ張る可能性はずっと昔から考慮されていた。そのため、聖女の衣には、聖女の体力をサポートする機能が搭載されていた。
例えば、消耗した体力を回復させたり、身体能力を引き上げて運動の体への負担を減らすといった機能がそれにあたる。神聖魔法を使っても同じことはできるが、聖女の衣はそれを自動で行ってくれるのだ。
そして、か弱い乙女をサポートするための機能を、健全な男子である優太が使った場合、いきなりオリンピック選手並みのアスリートが誕生するのである。優太が少々浮かれるのも無理はない。
聖女の衣の恩恵はそれだけにとどまらない。強力な耐熱耐寒機能は寒さで体が縮こまることも熱が籠ってのぼせることもない。汗をかいても浄化機能ですぐに取り除かれるから着替えも必要ない。そもそも、優太は着替えられないのだが。
回復機能は体力の回復だけではなく、怪我の類も治してくれる。擦り傷切り傷のみならず、捻挫に突き指、まめができても治してくれる。はては、筋肉痛まで一瞬で治してくれるのだ。
何時でも何処でもいくらでも運動ができる。それだけのポテンシャルが聖女の衣には秘められていた。そしてわずか数日で実感できる程に鍛えられていたのだ。優太が嵌るのも仕方あるまい。
体を鍛え始めると、室内での筋トレでは飽き足らなくなるのは必然だろう。鍛錬の基本は走ることから。そういう訳で、優太は神殿を出て走ることにしたのだった。
神殿から王城までは歩いて三十分ほど。道も広いし、ウォームアップには手ごろだった。
早朝なので、大通りに並ぶ商店はまだ開いていない。だが、店を開ける準備に多くの人が働いていた。庶民の朝も早い。
「おはようございます、聖女様。」
ドップラー効果を伴いながら走り去る優太の背中に、町の人々が挨拶を返す。すっかりおなじみの光景になっていた。庶民の順応性は高かった。
しかし、緘口令を敷いて聖女の正体を隠していたのに、優太が聖女であることが町中に知れ渡っている。しかもあっさりと受け入れられていた。この光景を宰相あたりが見たら、何と思うだろう。
因みに、優太の格好が巫女装束のままなのは、適切な衣装がなかったからだ。正確に言えば、聖女の衣に登録されていた衣装の中には、運動に適したものもあった。あるにはあるのだが……
・体操着
ジャージだったら普段着にしよう、と優太が秘かに狙っていたもの。残念ながら、ブルマだった。
・レオタード
男子用のレオタードも存在することは優太も知っていた。しかし、聖女の衣に登録されているものは当然女性用であり、しかも太腿を露出したデザインものばかりだった。たとえ男物だったとしても屋外での着用は躊躇われた。
・テニスウェア
当然、ミニスカート、アンダースコート付き。
他のスポーツウエアも同様で、これでもかと言うくらいに女性向けのデザインばかりだった。
しかもデザインは変わっても聖女の衣の能力や着心地は変わらなし、巫女服姿で激しく動いても着崩れもしない。ということで、優太はあきらめた。
そんなわけで、今日も巫女服姿の男が町を爆走する。