16
それから数ヶ月が経ち、私は三年生になった。学年が変わったところで大きな変化はない。高垣とは相変わらずクラスメートで、ただ、今度は保奈美も同じクラスになった。
もう目を覚まさないのではないかとさえ思った保奈美だが、あれから少しして目を覚ました。しばらくは不安定な状態が続いていたけれど、今度はしっかりと両親が付き添っていてくれたおかげか、今ではすっかり元どおりに回復している。あの一件から両親とも保奈美に関心を向けるようになってくれたようで、むしろ以前よりも調子がいいくらいだ。
舞花は宣言通りに勉強を頑張っていて、時々会ってお互いの近況を話している。そして、最近では勉強だけでなく、学校に通う練習も始めようになった。クラスに入ることはできないけど、週に何度か保健室に行くようにしてるんだ、と誇らしげに話してくれた。お昼休みには、私も時々会いに行っている。
私はといえば、目標にした成豊高校の特待生に向けて猛勉強を続けている。あれだけ勉強なんてしてこなかったのに、自分でも驚くほどの変容ぶりだ。自頭にはまるで自信がないけれど、優秀な先生が付いていてくれているから心強い。今から次の模試が楽しみになるくらい、自分でも成長していることが分かる。
そして、私はあれ以来、あの穴を見に行っていない。別にそれは、呑み込まれかけたことが恐怖になっているからとか、そんな理由じゃない。ただ単純に、興味がなくなっていた。
今の私に、まだあれが見えるのかどうかは分からない。あるいは、他の人たちみたいに何もないように錯覚してしまうかもしれない。けど、別にどっちでもよかった。見えようと、見えなかろうと関係ない。
だってきっと、あれは私自身だから。
三年生最初の頭髪検査がやってきた。校長や生徒会長の長話の後のこの検査は、何度やってもやっぱり地獄だ。三年生にもなって、こんなくだらないことに時間を割かなくてはいけないことにうんざりする。
「次、上原理沙!」
体育館の一角に、大西の声が響いた。
そうだった。彼女が担任であることも、変わらないことの一つだった。大事な受験年に混乱しないように、という配慮で、二年から三年へ上がる時の担任の変更はなくなったらしいが、逆に変えてくれて方が嬉しかった。
はあ、とため息をつく。あのおばさんの声は、やっぱり嫌いだ。派手なスーツも、どキツい香水の匂いも相変わらずだ。
去年度まで出席番号が私の一つ前だった榎田雄二は、隣のクラスに行ってしまって、もういない。だからもう、次が私の番だ。順番が早いのはいいことなのか悪いことなのか、と、もう何度目になるかも分からない思考を巡らせた。
大西の鋭い目が、上原理沙の前髪やスカートに向けられている。
憂鬱で、思わず隣で立っている高垣に愚痴る。
「あーあ。ほんと、何回経験してもこの時間は嫌だな。一年の最初からだから、えーと、これで二十五回目でしょ? 三年生は免除とかしてくれればいいのに」
「夏休みの八月はないから、正確には二十三回目だけどな」
「細かすぎ」と、相変わらず話のつまらない高垣を一蹴。
「今回も、ちゃんと通ればいいけど……前髪切るの失敗しちゃったし、これで引っかかったら最悪過ぎ」
言いながら、私は自分の前髪を触る。今まで眉を覆い隠していた私の前髪は、今では眉に少しかかる程度になっている。私の前髪は、成豊高校を目指すと決めた時からこの長さになっていた。
まだこの前髪の短さに慣れきっていないのに、失敗して斜めに切ってしまった箇所が憎らしい。
「ちゃんと眉は見えてるし大丈夫だろ。それに、失敗した箇所も全然気にならないよ」
「はいはい、ありがと」
高垣の下手な慰めを適当にあしらった瞬間、
「次、遠藤里子!」
――その時が来た。
「頑張って」と見送る高垣に小さく手を振って応え、大西の元へ向かう。目を合わせないようにして、大西の前に立った。
彼女のそのセンスのないアイシャドウで強調された両目が、私の髪や服装をじっとりと見つめた。その目で見られるのは不快だし、やっぱり少し緊張した。
大西はすぐに「うん」とうなずいた。
「いいでしょう。最近の遠藤さんは問題ないですね」
その言葉に、胸をなでおろす。「ありがとうございます」と告げてから列に戻る。これで、今年の一月から四連続一発クリアだ。小さく「よしっ」とつぶやいてから、出迎える高垣にVサインを作って見せた。
列に戻った私は、ちらと大西の方を見た。彼女はもう、次の生徒の検査に集中している。私はポケットからヘアゴム取り出して、さっそくそれで髪を二つに縛る。そのヘアゴムには、星型のアクセサリーがついていた。私のお気に入りの、明らかに大西が憤慨するヘアゴム。
どうせもう、帰りの会まで大西と顔を合わせることはない。
「相変わらずだな」高垣はそれを見て苦笑する。
ニヤッと笑って、私は応えた。
「私は私だよ。それは変わらないから」
おわり




