1-13-4-28 masquerade 石のエッセンス(Petrichor)
1階から4階の各階に少なくとも数名ずつは居た仲間が、たった二人のARISに尽く倒されるとは思っていなかったのだろうね。最後の5階フロアに居る君達の、焦りの匂いが此処まで漂ってくる。
でも君達、その焦りは駄目だ。確かに私達は1階から4階までは、下から登ってきた。けれど、5階に来るときも4階から登って来るとは限らない。自分達の身勝手な主張を押し通すためにテロを選択するからには、占拠する場所の部屋や階段等の配置は把握しておくべきだよ。
君達は気づいていないのかもしれないが、6階には展望デッキがある。そして展望デッキの一部は5階の吹き抜けも兼ねている。要するに6階の展望デッキから5階の一部は丸見えなんだよ。
始めは罠だと思った。誰も居ない。監視カメラも作動していない。余りにあからさまな誘い出しと思った。まさか本当に忘れていたとは思わなかった。でも、ありがとう。君達の失態のお陰で、私達は君達の配置を上からゆっくりと観察出来る。
あそこに見えるのは、妹達、天音と音葉かな。位置関係が悪いのか上からでは良く見えない。天音、音葉、もう少しだから我慢して。お姉ちゃんが、もう少しで貴女達を助け出してあげるから。
「嫌……だ、こんな……所で死にたく……ない」
下の階の騒ぎの音が近づいてくるにつれて、この階の雰囲気が張り詰めていくのが分かる。医官の私達ですら分かるのだから、テロリスト達は恐怖に押し潰されそうになっているだろう。
だとするなら、動揺し切った彼らが暴走する可能性も大きくなったという事。彼等を無暗に刺激しない様にしないと。そう思っていたら、斜め前に居たテロリストが、撃たれて壁に叩き付けられた。
倒れこんだテロリストが死にたくない等と言っている様に聞こえるけど、何を言っているんだか。抵抗したら殺す等と人を散々に脅しておいて、いざ自分が撃たれたら命乞い。自業自得でしょうに。
撃たれた場所と出血量からみて、もう少しでご臨終かな。ご愁傷様。来世では、良い人に生まれ変われたら良いね。
え?医者なら助けろって?何を言っているんだろう。あなた達の仲間と思われて誤射されたら堪らないから、あなた達の手当なんて出来る訳ない。それに、うつ伏せになり両手を後頭部に置けいたまま動くなと言ったのは、あなた達でしょうに。
でも、いい加減、この姿勢を続けるのが辛い。拘束されて居る事よりも、この姿勢の辛さでテロリスト達に殺意を覚え始めている。今日は途中までは幸運な日常だったのに。本当にテロリスト達のお陰で、散々だよ。
昨日、妹の音葉と母船から地上に降りてきた。何の危険の匂いも感じられない一寸長めの休暇。休暇初日の昨日は、お墓参りに行った。
お墓は、母船にもある。でも、この地上のお墓も残してある。昨日のお墓詣りは、私と妹の音葉だけ。
小さな頃は大家族だった。けれど、いつの間にかお姉ちゃんと3人家族になっていた。少し前はお姉ちゃんも一緒だったのに、少し前にお姉ちゃんが戦死してしまい、今は私と音葉の二人だけしか居ない。
還ってくると約束したのに嘘つきと、お墓の前でお姉ちゃんに文句を少しだけ言っておいた。
今日の前半は、絶好調だった。このホテルのイベントで、推しの歌手兼俳優の彼を間近で見られたし、少し話しも出来たので最高だったと言える。
恋人の沙羅さん連れだったのは微妙な気持ちになったけれど、心の別の部分が沙羅さんを応援している。何故、応援する気持ちになるのだろう。
そんな気持ちになる理由は何かと問われれば、変な事を言い出すと言われるかもしれないけれど、沙羅さんがお姉ちゃんに見えるからかもしれない。
沙羅さんとお姉ちゃんと同じ名前だからだけじゃない、沙羅さんが見せる仕草がお姉ちゃんを思い出すからかもしれない。
話し方もお姉ちゃんに似ていたからかもしれない。少し前に音葉と一緒に彼のコンサートに行った時、ステージの端に居た沙羅さんと話をした事がある。話し方や、話す時の仕草がお姉ちゃんにそっくりだった。
「彼には後で、ちゃんと話をしておかないと」
三浦中尉の巧みな誘導で、テロリスト達は対角線の向こう側、6階展望デッキに上れる階段の近くに追いやられている。良いぞ、早く階段を上れ、6階の展望デッキに行け。そこは行き止まりだ。そして人質達が誰も居ない。思う存分撃ち込んでやるから早く6階に上れ。
臨機応変な適格な自己判断を必要とするこの闘いで、三浦中尉は上手くやっている。恐らく何も無ければ、この騒動が終われば、死神達が彼を勧誘するだろう。
決してそれに応じるなと言っておかないと。昔の私ならそんな事は考えない。何も考えずに君を勧誘したと思う。だけど、外の世界を知ってしまった私は思う。君は此方の世界に来ては駄目だ。
外の世界……か。長い幸せなな夢を見られただけで、良しとするべきなんだろうな。もう叶わないんだろうな。私が悪夢に魘された時、彼は優しく抱き締めてくれた。過去に何があったか知らないけれど、君が辛い時は俺が傍に居る。何かに怯えて震えるお前を抱きしめてやる。そう言っていた貴方は、私を再び抱きしめてくれるのかな。多分、それは叶わない夢かな。
「動かないで。頭は下げたまま、伏せたまま。未だ動かないで。同士討ちの可能性があるので、良いと言うまで動かないで」
フロアの此方側での銃声が少なくなってきたと思い、伏せた状態で見まわしてみれば、油断なく銃を構えた、ストールで顔を覆った戦闘服姿の女性が、未だ動くなと言いながら近づいてくる。こんな事態に不謹慎とは思うけれど、彼女を見た時、映画のクライマックスシーンに登場するヒロインみたいだと思った。
思わず見入ってしまった彼女の瞳、銃を持つ指に光る蒼い指輪を見て気づいた。彼女は沙羅さんだ。そう気づいた途端に何故だか、涙が零れた。そんな訳ないのに、戦死した沙羅お姉ちゃんが、私達を助けに来たんだと思った。
「ねぇ?彼女は何故ボディアーマーを脱ごうとしているの?」
この場所からじっと動かないで待っていてくれる事が、私達には最もありがたい。そう言って出て行った沙羅達の言葉を守り此処に残った私達は、彼女達を画面越しにしか応援出来ない。
何とも歯痒いけれど、彼女達の言う事には一理ある。素人の私達が、しゃしゃり出てどうにかなる状態じゃない。見守る事しか出来ない私達は、ただ彼女達が無事に怪我ひとつ無く帰ってくる事を祈りながらる事しか出来ない。
三浦中尉だったか、此処に私と一緒に居る彼の妹も気が気でないだろうが、私は画面の中の彼女が移動を開始する度に心臓が止まりそうになる。
4年近く、彼女が不在だった期間を除いたとしても3年と少し。決して長くはないが、短くもない期間を、それこそ文字通り24時間、沙羅と寝食を共にしてきた。だから彼女の雰囲気から、彼女が何をしようとしているのか何となく分かる。
彼女が準備をする姿、人質の情報を愛おしそうに触る姿、彼女が出て行くときの姿、彼女の闘う姿を見ながら嫌な予感がしていた。彼女は生きて還ってくる気がないんじゃないのかと。そんな馬鹿な事はあるものかと思いたかった。
画面の中で彼女がボディアーマーを脱ごうとしている。自分の命を守るより、二人の女性の安全を優先しようとしている。何を考えているんだ君は?ボディアーマーを着用していたとしても、死ぬ可能性がある。なのに、それを脱げば死ぬ可能性が跳ね上がる。そんな事は子供でも分かる。
彼女達は君の何なのだ?ああ!もう!聞きたいことが一杯ある。とにもかくにも、良いから早く無傷で戻ってこい。とことん説教してやる。
「三浦中尉、被害者の受傷確認のため、少しの間任せる」
「了解」
仲間と何か話していた彼女が、柱の裏に隠れている私と天音お姉ちゃんの傍にしゃがみ込み、怪我をしていないかとか、大丈夫かと話しかけながら、背負っていた鞄から上半身用のボディアーマーを取り出すと、それを私に着させ、そして次には自分のボディアーマーを脱ぎ、それを天音お姉ちゃんに着せた。
我に返った私達が、ボディアーマーが必要なのは、貴女で私達じゃないと言いながら、自分達のボディアーマーを脱ごうとすると、私にとって貴女達が怪我をしない方が、自分の命より大事。私の言う事を聞きなさいと言って、ボディアーマーを返されることを頑なに拒否された。
銃声が上の階で聞こえる様になったら、周り注意しながら、二人揃って下の階に逃げなさい。出来るなら1階まで逃げる事。絶対に離れ離れにならない事。分かったね天音、音葉。彼女は、私達の頬を優しく触りながらそう言うと、再び銃を構えて行ってしまった。
私達の頬に触れているとき、ストールで覆われていたから確かではないけれど、彼女は微笑んでいたと思う。そういえば、彼女はどうして私達姉妹の名前を知っていたんだろう。
「5階フロア、クリア。残りは6階の展望デッキに逃げ込んだ3名だけです」
除隊者と言う意味で、半ば芸能人と化している彼女は我々の中でも有名人だ。容姿が可愛いというのもあるが、その懸命に一般人として生きようとする姿に自分の将来の姿を重ね合わせていた。
今日分かった事がある。恐らく彼女は始末屋だったに違いない。そうであれば、どれだけ必死に生き様としていたのか。その苦労は言葉では表せない筈だ。なのに彼女が生きるのを諦め様としている。下っ端の中尉だとしても、私には正規兵としての矜持がある。何が何でも彼女を生きて彼の下に還す。絶対にだ。
「さて、最終ステージだ。行こうか、三浦中尉」
これが終わった後に、何処に帰ろう。彼の場所以外に帰る場所が無いのに、帰りたくても彼の場所には帰れない。でも、天音と音葉にも会えた。彼に指輪も貰った。世間様に彼の彼女だと公言もされた。もう良いや、今世はそれだけで十分。長い良い夢だったな。
さてと、後は、殺人機械の私は人の世から去らないといけないとしても、三浦中尉は関係ない。彼だけは、彼の妹さん達の下に生きて帰してあげないと。
どうやら外は雨らしい。雨で濡れた展望デッキがの匂いがする。ギリシャ語ではPetrichor(石のエッセンス)というらしい。何て良い言葉だろう。
それに比べて私からは、何年も浴び続けた返り血の匂いがする。どれだけ洗っても洗い流せなかった、私が命を奪った者達の血の匂いがする。
偽りの私を抱き締めてくれる人は居た。でも、血濡れの死神を抱き締めてくれる人は居ない。偽りの私の帰りを待っていてくれる人は居た。でも、死神の帰りを待っていてくれる人なんて居る訳がない。
でも、星の神様、もしも、もしも星に願いが叶うのなら、万にひとつでも願いが叶うのなら、これが終わったら、彼に抱きしめて欲しい。抱きしめられたまま、家に連れ帰られたい。私は生きて……生きて彼と一緒に家に還りたい。
馬鹿だな私……、神様なんて居ないって知ってるのに。何を祈ってるんだろう。でも……還りたい。叶わぬ望だと分かっているけれど、彼の下に還りたい。




