1-13-4-21 masquerade 映画の街
「うわぁ……もの凄い人出。水槽フロアに入れるまで1時間待ちらしいよ」
車窓から見えるホテル。そのホテルの巨大な水槽フロアに入るための長蛇の列に驚き、目を丸くした彼女が此方を振り向いた。
今年のイベント区域は、商業施設や高級ホテルが立ち並ぶ新規開発地区を含む様に拡大されている。このイベントに併せる様に開催される各種お披露目イベントも相まって、大勢の人達で賑わっている。
あのホテルの巨大な水槽は只でさえ目立つのに、事前の報道が混雑に拍車をかけた様だ。そこに火に油を注ぐ様に芸能人を用いたプレオープニングセレモニー。警備関係者は発狂しそうだろうな。まぁ、その油のひとり、出席する芸能人のひとりが言って良い事ではないけれど、本当に警備関係者はご苦労様だ。
事務所の社長や業界の諸先輩曰く、往時の姿を知る者からすれば、想像も出来ない程に盛大且つ華やか。こんな光景を見るなんて、夢にも思わなかったと言う。
元々は、アジアの片隅で、海外に知名度が無い事を良いことに映画祭という名前をかこつけて、年に一度の国内業界パーティの場だった。もっと端的に言えば、互いに接待という名目で、会社の接待費を使って合同慰労会を行う場だった。
そんな不純な動機で開催されていた国内限定のイベントも、今では映画祭にコンサートや各種イベントを含む、2週間程の大規模な国際的イベントになった。
決して関係者の努力の結果、世界的に認知されたからではない。たったふたつの外的要因がこの国の業界に良い結果をもたらした。簡単に言えば、棚から牡丹餅。運が良かっただけ。
大型肉食魚が回遊する大海に人知れず浮かぶ瓶の中で、小魚は同族同士で殺し合いながらも、それなりに幸せに生きていた。そんな或る日、呼んでもいない迷惑な客が瓶の蓋を外し、瓶の中の幸せな日々は消え去った。
普通なら、小魚は肉食魚に喰われてお終いだったのだろうが、過酷な生存競争を繰り広げていた小魚は、小型でも肉食魚だった。
それこそ死に物狂いで、小型肉食魚は大型肉食魚に食われぬために、軌道上に浮かぶ母船にも慣れた。地から湧き出すVOAを駆除するために、楊陸艇から降る装甲兵にも慣れた。
新しい環境に順応出来ない個体、身勝手な信念で、群れに危機を呼び込む個体、大型肉食魚に寄生して生き延びようとする個体、群れが生き延びるために邪魔になる個体を切り捨てた。
それこそ死に物狂いで新しい環境へ順応し、生き延びた。その過程で、誰もが大なり小なり影響を受けた。SFでしか有り得なかった事柄に、人生を捻じ曲げられた話は枚挙に暇がない。今この時も、世界から見捨てられ、棄民扱いされ塗炭の苦しみを味わっている民族も居る。
彼等に対して憐憫の情を覚えない訳ではない。でも、だから何だと言うのか?その民族と極一部の不運な者達を除いて、大多数の人達はそれらの事から微々たる影響しか受けない。その不幸が自分自身に降りかからない限り、気にも留めない。それだけの話でしかない。
このイベントが、その良い例。車窓の風景を見れば分かる。会場への無料巡回バス乗り場で、笑顔で会話しながら順番待ちをする幾重もの長蛇の列。普段の生活に何の影響もないVOAの驚異は、彼等には他人事でしかない。
夜は灯りを手にした人類の物だったが、VOAにその地位を追われた。夜はVOAの時間になり、人々は毎夜現れるVOAの脅威に怯え、家に閉じこもった。
現代社会において日没後の経済活動は、無視出来ない割合を占める。必然的に経済活動は停滞し、そして悪化する。恐怖と不況が、人々に圧し掛かる様な閉塞感を覚えさせていた。
今でこそ彼等と各国軍の努力の甲斐もあり、VOAの根源であるコアの破壊が進み毎夜のVOA出現に怯える事も少なくなった。とは言え、皆無じゃない。地域に依っては、未だに夜は死の時間でしかない。
人はパンのみにて生きるにあらず。確かにそうだが、金が無ければパンも買えない。金を得るには稼がなければならない。誰が何と言おうと、これは世界の真理。
ショービジネス業界は国の経済を破壊する程の力はないし、ショービジネス業界が無くても国情は不安定にならない。真っ先にに切り捨てられる彼等が、自分達の存続のために、世界で最もVOAに対して安全な此の国に目を付けたのは必然とも言える。これが、ひとつ目の理由。尤も、ふたつ目の理由も無ければ、此の地でこんなイベントは開催されていない。
世の中は金。人は金になりそうな物に群がる。誰もが知っていたハリウッド、あの街が健在ならば、こんなアジアの片隅に世界各国から人が押し寄せる訳がない。
映画祭の本家本元のハリウッドの街は、密輸されたコアから溢れ出たVOAに依り灰塵と化した。それが此の地で国際映画祭が、こんなアジアの片隅で開催される様になった理由の根本。
何故コアを密輸したのか、その理由は今となっては分からない。生き残りの話と発生場所から推測するに、どうせ見せびらかせたいとか、パーティーで大受けするとか、考えるだけ無駄な様な碌でもない理由に違いない。
密輸されたコアから生じたVOAを起点として映画の街ハリウッドは、ひと月も経たぬうちに夜はVOAが跋扈し、昼は略奪者が徘徊する様な、とてもまともな人間が住める場所ではなくなった。
今の主要同盟国軍は、ARISの廉価版装備している。だから彼等単独でも、ある程度の犠牲は出るもののVOAを駆除する事は出来る。しかし当時の歩兵の携帯装備では、そうはいかない。
いくつかの部隊と街のひとつやふたつが壊滅する覚悟、それが在れば対処が出来るかもしれない。打たれ強さと数の暴力で攻めてくる、駆除するには幾多の血と肉が必要な存在。VOAとは、その様な恐ろしい存在だった。
にもかかわらず、当時は世界最強の軍と言われていた国家としての面子なのか、要らぬ見栄や自尊心が邪魔をしたのか、彼の国はARISに助けを乞わず、自軍だけで解決しようとした。
たら、ればの話をすれば、彼の国が要らぬ見栄と自尊心に拘らなければ、そこまでの被害にならなかっただろう。しかし、その道を選ばなかった結果は推して知るべし、VOAの数は減らず、一般人を含めた自軍の被害は増加し続け、それに比例して治安も悪化していった。
なぜ災害から生き延びないといけない状況で、治安が悪化するのか理解出来ない。もし貴方がそう思うのであれば、貴方達の国は経済的に豊かで治安が良い、ただし災害と共に生きていく事が日常である国なのだろう。
その行動を理解する事は出来ないが、残念ながら災害で混乱に乗じて暴力を含むあらゆる手段で荒稼ぎを企む。そんな輩が居るのが当たり前の国は多い。
どんな街にも光があれば影がある。煌びやかな繁華街から少し離れれば、夜ひとりで歩く事が自殺行為の場所がある。ハリウッドも、そうだったに過ぎない。
VOAの騒動に加えて、住民達による暴動や略奪の横行で、軍や治安機構の処理能力は限界を超えてしまった。ようやくに彼等が面子を捨てARISに救援を願い出た時は、既に街の大部分は灰塵と化していた。
ショービジネスは華やかな世界を見せて何ぼの世界。ショービジネス業界は、ハリウッド崩壊で困ってしまった。可及的速やかに、安全に金儲けが出来る代替地を見つけなければ自分達の生活が危うくなる。そんな彼等が、地球でのARISの本拠地と見做される日本に目をつけるのは当然だった。
そうして此の場所で、国際映画祭が開催されることになった。だから、棚から牡丹餅な訳。
報道番組のコメンテータでもないのに良く知っているって?自分がイベントに参加して利益を得ている身でもあり、また自分の生涯のパートナーにしようと決めた相手が彼等に所属しているのに、無知の振りをするほど厚顔無恥じゃない。まぁ、イベントが始まれば忘れてしまう程度の知識でしかないけれど。
異国の愚か者達のお陰で、世界的にも知られる様な芸能人になれた。それを喜ぶべきか、悲しむべきかなのか悩ましい。自分が思う正義だけで生きていける程この世は甘くない。清濁併せ吞まなければ、この世は渡っていけない。
嗚呼……何て守銭奴極まれりの言い訳だろう。彼女が傍に居る。それだけで十分なのに何を馬鹿な事をと思ったら、思わず苦笑いが浮かびそうになった。
良かった、彼女は気づかなかったようだ。盛況なイベントを見てその背景の事をひと時でも忘れ、素直に驚いている彼女の気分を壊さないで良かった。




