1-9b 生贄
「民主主義国家、独裁国家、軍事国家。手法は様々あれど、個々の国民に自ずからの意志に基づき集団意識を醸成したと信じ込ませる。指導層の意図した方向に世論が統一される。指導層、特に独裁者にとっては、これほど夢の様な状況はありません。
もっとも夢であって、まず起きない話です。普通ならば。
異様な同調意識、それが誤解であろうと無かろうと、下の立場の者に対する横柄、高圧、尊大な態度、自我の優越性を維持するためならば、虚言、暴力、犯罪を厭わない民族性、法規や事実より、その場の情緒が優先される社会、その様な背景を持つ休戦地域の国家は違いました」
もっと簡単に、あからさまな蝙蝠外交の自業自得、肥大した集団的な自意識過剰の結果と言ってしまえば、もっと簡単ではある。しかし、今それを言ってしまっては先入観を与えてしまう。だから言えないし、言うべきでもない。ああ、なんて面倒な。
歴史を調べれば調べるほど思い知らされる。そりゃぁ封鎖される。仲間が居るわけがないよと。
「流石にそれは一部が同調しただけで、国民全部って訳じゃないですよね?」
「国民の統一意識としてその様な行動を取るなどと、信じられない。そう思うのは当然です」
普通ならそう思う。それが正しい認識だと思う。独裁国家だってここまでならない。何かしらの不満を持つ層が発生する。
「自分が持たない物は集る。持てないものであれば奪う。羨ましい、妬ましいと思う感情が優先され、改善しよう努力しようという考えに至らない。
自分達が欲しいと思ったものは、国家が支援した広報戦略を繰り広げ、自国に起源があると捏造し奪おうとする」
「そんな事をしたら、非難されるだろうし、行動を慎まないと嫌われるんじゃぁ?」
「自分達を非難する者は、優秀民族である自分達の成功や、輝かしい歴史が妬ましく、僻でいるだけ。記録を見るに、彼等はそう思っていた様ですね」
信じられない。そんな顔をしてるけど、その気持ちは充分に分かる。誰だってそんな集団があるなんて信じられない。ネタとか、ヘイト発言としか思わない。
事実は小説より奇なりとは言われるけど、現実に体験するなんて、普通はない。けれど、記録をみると彼等は本気でその様に信じ切っていたんだよ。
「対VOA戦が始まったばかりのテラは、対VOA兵装が行き渡っておらず、主戦力はARISだけでした。そしてそのARISは、日本地域を起点にして整備されていました」
今と異なり、当時の日本地域は、ひとつの主権国家でしたが、大国の影に隠れ、目立たぬように動くことを国是としていた。
突如パワーバランスの頂点に担ぎ上げられ、大混乱に陥っていた日本の尻をARIS叩いて動かしまわっていたのは有名な話。まぁ、この部分は学校でも習っている筈なので、説明しなくても大丈夫でしょう。
「ところで、先ほどの休戦地域の民族ですが、その主戦力の日本地域に対し、意味不明な居丈高い態度を取り続け、また自分達はその様な行動を取り続けました。
その自信がどこから来ていたのかは不明ですが、自分達の居丈高な態度は日本地域のに人達には、格好よく見えていて、そして自分達は日本人に好かれていて、尊敬されているから問題ないと信じていました。
この部分は当時のテラでも有名で、異常性格犯罪者の様だと言われていました」
「ストーカー?」
「ストーカー……は、言い得て妙ですね。この彼等の理解の範疇を超える行動に対し、当時の日本人は毛嫌いしていても、その感情は滅多に表に出しませんでした。
これは今も余り変わりません。テランの日本地域出身者は、最後の一瞬になってやっと敵対的な感情を表に出すので有名ですね。まぁ、その場合は、もう手遅れなんですが。
それはさておき、表立った敵対感情が日本地域の人々から出ない事に増長していた休戦地域民族ですが、日本地域で致命的な事件まで起こすに至って、ああ、説明は別の機会にしますが、最後の一線を越えてしまいました。そう、激怒させてしまったのです」
あの事件のことは、この子達にはまだ刺激が強いでしょう。まぁでも知っている子も多いでしょうが。あの写真や動画、骸を抱きかかえ天を仰ぐ蒼い悪魔は有名ですから。
「最後には面倒を見てくれる筈だと、休戦地域の民族が信じていた日本からも見捨てられ、自分達には仲間というものが一切無い孤立した国家である。
この事実を突きつけられてもなお彼等休戦地域の民族は、自分達には大勢の仲間がいる、この現状は小癪な日本地域の陰謀だと思っていたようです」
「はぁっ?!どれだけ自意識過剰なの?」
「自意識過剰で、わがままで、何でも欲しがる子供様な人の国家版ですね。
ところで、彼等が仲間と思っていた彼等の隣国は、彼等を属国、下僕以下としか思っていませんでした。そんな国や民族が居るなんて有り得ないと、まぁ、そう思うのが当然ですが、存在したのです」
「さて、最後のみっつ目。周辺国家の悪意というよりは、阿吽の呼吸で責任回避の考え方が周辺国家間で一致したことでした」
「阿吽の呼吸で考えの一致?何かの利権とか、支配権分配を決めたとかですか?」
「利権ではなくて、利害の一致ですね。
今まで見たこともない異形の怪物VOAの出現とその駆逐の為に、当時のテラ各地域はパニック状態になっていました。
公式、非公式気を問わず、日夜、流言飛語が飛び交い、混沌とした状況で、各地域の政府は国内の動揺を抑えるのに必死でした」
「でも、襲撃からの避難訓練とか、そんな感じのものは無かったの?」
「今のみなさんは、VOAへの防衛組織も装備も、それに備えた訓練もあります。被害は無くなりませんが、大抵の場合は、大惨事になる前に撃退されることも知っています。
しかし、当時のテラはVOAを初めて知ったのです。予備知識が全くないまま、初めて見るVOAとの闘いを始めるしかありませんでした」
「……VOAを予備知識無しに初めて見る?余り想像できないかなぁ?」
「そうですね、例えばホラー映画を想像してみて下さい。突然、毎夜異様な怪物、それも自分達が今持っている兵器では倒すのが困難な異形の怪物が夜な夜な現れる。どうして現れるのか分からない。何が目的かもわからない。話は通じない。そして一方的に仲間や市民が、老若男女問わず殺戮されていく」
「うわぁ……」
「これが、当時実際に起こったのです。VOA出現の度に各国で情報が飛び交い、報道は憶測ばかり。
そんな中、日本がVOAを撃退したという噂が流れてきます。けれど、確かな情報かどうかを確認できない。流言飛語が飛び交い、パニック状態になったとしても責められません」
「原因の究明もままならない状態の所に、VOA出現地域周辺で、原因不明の体調不良で寝込む人達が増加します。寝込んだ人達の一部は体が崩れ死亡していく。変異の事を知らない人達がパニックになるのは当然と言えます。
今では、それは非常に強い正または負の感情を持つ人が、Abyss Coreに同調してしまう現象だとして知られています。変異の種類にもよりますが、初期段階で治療すれば、ある程度治療可能な事も知られています」
「治療を望まない人も居ますよね?」
「ええ、変異にも種類があって治療を要するもの、希望すれば治療をするものに区別されます。変異型によってはそのまま変異を望む人も多いですね。
しかし、当時は誰も知りません。テランから見れば、寝込んだ人間の何割かが変異を始め、人型の何かに変異する怪奇現象でしかありませんでした。
なぜ変異するのか?原因は?治療方法は?なぜ体が崩れるように死亡する者が居る?何なのだこれは?寄生生物か何かか?それとも何かの感染症か?などと考えても不思議はありません」
当時の医療関係者にとっては、悪夢だったでしょう。感染源が分からない、感染経路も分からない、そして治療法が分からない。ないないづくしの中で、必死で治療にあたった医療関係者の絶望感は想像出来ない。
「感染症と考えたのであれば、隔離措置等を取ったのでしょうか?」
「良い質問です。テランは過去の経験を活かし、休戦地域を感染源として国境封鎖を行いました。それは苛烈なもので無許可で突破しようとするものは、射殺。空路海路で夜間突破を図るものは撃墜、撃沈。あらゆる手段を用いて阻止しました」
「何故そこまで?」
「理由は色々ありますが、当時のテラは、休戦地域の国家及びその主人とも言える隣国が、自国での疫病の蔓延を隠蔽した結果、その疫病が世界中に広まり何十万人もの死者を発生させてしまい、何とか終息させたばかりでした。
従い、休戦地域等が何を言っても、どの国も聞く耳を持ちませんでした」
「いや……。疫病の発生源であれば、それを真摯に報告なりなんなりしていれば非難される様な事にはならないと思うのですが?」
「なかなかに信じられないでしょうが、どれだけ調べてもその両国がその様な行動を取った記録はなく、それどころか、自国を嵌め、疫病の発生源にしたい他国の陰謀だと、開き直っていました。
このような状況ですから、その両国を除いた他の地域政府が、強硬手段を用いるのも理解できます」
体の一部が変形して死亡する。この話が出たとき、最初はエボラ出血熱の系統が疑われた。変形ではなく、自壊しているのではないかと。
幸いにしてエボラ出血熱の系統ではないと分かった後は、過去に猛威を振るった疫病、武漢肺炎の悪夢が各国政府首脳部の頭を過った。
しかし、これも幸いにして関係はなかった。しかし幸いと思ったのはその瞬間までだった。
だったら、これは何なのだ?まだエボラ出血熱の系統であったり、武漢肺炎の系統であれば対処ができる。しかし原因が分からない。原因が分からない事が、分かってしまった。
そんな時、疫病で死亡者が多発する地域に、二足歩行の良く分からない生物が居る。その様な報告が各国上層部に上がるまで、長い時間はかからなかった。
こいつは何なのだ?疫病で忙しい上に、未確認の生物の発生。
国内が完全にパニック状態になる前に、何とかしなければならなかった。原因を、この疫病の発生場所を確定しなければならなかった。
生贄が必要だった。全ての罪を背負う生贄が。




