シャチクブラック、家族に思いをはせて。
長らく期間が開いて申し訳ありません。
朝葉の死因:過労死について思いを馳せているだけの一話です。
社畜生活をふわっと思い返しているだけなので、読み飛ばしていただいても差し支えありません。
次話、待ち人来たります。
不摂生による多臓器不全。朝葉の死因は簡潔に言えばこの一文で説明がつく。
しかしながらその生活習慣と社業における業務形態をつまびらかにすれば、おのずと導き出される言葉がある。
『過労死』。
たぶん、きっと、そういうことになるのだろうな、という薄らとした自覚があった。
ありていに言ってしまえば、朝葉は社畜であった。
会社はブラックで、業務は多忙を極めた。直近の二、三年で同期もほぼいなくなり、サービス残業と休日出勤は当然で、有給休暇は幻だった。
そんな会社に新卒から勤務すること十年超。朝葉は弊社以外の正社員の勤務形態を知らないので、これが普通で、日常だった。これがいけなかった。
朝葉が思うに。
弊社が最初からブラック企業だったわけではない。
ぺっかぺっかの新入社員であった当時、昭和の悪習や男尊女卑がそこかしこで残ってはいたが、決して悪い空気ではなかった。バブル崩壊を何とか乗り越えた安堵と先行きの不安、それでも人を育てようというおおらかさがまだ目に見えてそこにあった。
高度成長期の悪いところを煮詰めたような社長の言葉を聞いた入社式から、後に言うパワハラモラハラを感じた研修を終え、朝葉が最初に配属されたのは総務部だった。
営業部のギラギラガツガツした雰囲気や、経理部のキリキリピリピリした空気とはまだ違う平穏が総務部には残っていた。
上司にも同僚にも恵まれた二年間、新人のする失敗をきっちり二周しても見捨てない出来た人たちに囲まれ、朝葉はここで事務職のイロハを叩き込まれた。ようよう殻付きのひよこから脱却しつつあった四年目に、営業事務として営業部に駆り出されることになる。
ここが坂道の始まりだった。
移動した営業部では、就労三日目にして部長が過労のため倒れ入院。朝葉は生まれて初めて救急車を呼んだ。
彼が戻ってくるまで部長を兼任する形となった取締役の一人は、昔気質とは聞こえがいいが、コンプライアンスがアップデートされないタイプだった。総務部の部長とは犬猿の間柄ともっぱらのうわさ。この配属で若手と女性の居心地がぐんと悪くなった。
間を置かず、課長の一人が慢性のストレス性胃炎がついに胃ガンとなり、そのまま退職。繰り上がりでそのポストに就いた人は叩き上げの営業マンで、仕事はデキるが周囲を振り切るところがあるパワフルな人だった。直接の部下はそれについていける同タイプたちばかりで、ただでさえオーバーワーク気味だったその周辺の人材は軒並み巻き込まれ、その中に朝葉もいた。
ひとりでも誰かが欠けたら詰む。そんな緊迫感がはびこる中、課内は徐々にアクセルを踏むように『忙しい』が常態化され、体を壊して辞めるもの、転職するものがぽつぽつ現れる。そうなってくると『忙しい』は他課まで波及し、部署全体が自転車操業のような有様。
周囲のあれやってこれやってを目をまわしながらこなしていくうち、気づけば、朝葉は総務部所属の営業事務としての仕事をおおいに逸脱した仕事を任されるようになっていた。
朝葉は営業事務として、総務部から出向する形で勤務していた。あくまで営業の事務作業のサポートが職務。
営業として外回りに行くというのは事務職の職分ではない。謝罪が必要な場面に高確率で連れて行かれるのも解せなかった。
総務部の上司にも相談したのだ。
上同士で話をつけてもらえるはずが、それは叶わなかった。営業部全体が多忙を極めてしまった結果、積みあがった案件は他部署まで波及し、そのころには社内全体でこの山を乗り越えようという同調圧力が蔓延しだした。
人気のない廊下の片隅で、総務の上司に頭を下げてもう少しこらえられるか聞かれた。そのず―――――っと遠くにいた営業部の過労の元凶である課長と、上司と相性最悪と聞く営業部部長がものすごい顔でこちらをにらんでいて、朝葉は頬を引きつらせながら諾と答えるしかなかった。こうなってしまっては引けるに引けなかった。
二、三年外で経験を積んで、総務部に戻ってきたら管理職に向けた経験を積んでもらう、と移動前に詰めていたキャリアプランはここでご破算となる。移動から三年はゆうに過ぎていた。
休日出勤があたりまえになり、もとよりあった有給休暇の消化にますます批判的な目が集まり、成績という数字に引き絞るような空気が流れ、舌打ちと陰口が蔓延し、営業部はいつでも落ち着かず殺伐とした場所となっていた。他課のものも寄り付かない。朝葉は窓口にされがちだった。口も態度も悪いおっさんよりまだ話しかけやすいので。
上から降られる仕事が増え、すぐに辞めたがる後進の育成を任され、明らかにキャパオーバーであるというのに休めない。朝葉は慢性的に疲弊していた。しかし疲弊に気づけないほどには営業部という環境に毒されていた。
ここをこうしたら時短にならない? これをあーしてこうして、この隙間にこれを進めて、えっ追加でもこれもっスか?! あ、ハイ、いえ、お預かりします、ハイ……流されやすいなりに適応能力も高かったが故の負の連鎖反応。
なんとかやれちゃうし、やってしまうがゆえに増える仕事。
朝葉なりの物事に対する向き合い方は、就職しても変わらなかった。右も左もわからないなりに、がむしゃらにタスクをこなす。
よこされる仕事をひたすらさばいているうちに若手と呼ばれる期間は過ぎ、気が付けば周囲の人員もずいぶん様変わりしていた。
このころには、部署の中で朝葉が営業部の配属ではないと覚えている社員は少なかった。そのくせ事務処理が必要な書類や手続きは朝葉に集まってくる。そりゃ早いよ、入社から優先的に覚えた仕事内容ですもの。
文句の一つも言ってもよかったが、こぼす暇すら惜しい状態だといったらお察しいただけるであろう。
ゆうきゅうきゅうかって外国の制度ですよね知ってる知ってる、という冗談が定番化して久しかった部署で、笑えていたのは一部の仕事中毒者だけである。一部以外はだいたい虚無の顔か引きつった作り笑いで流し、笑えないものは賢く辞職していった。ほんとに賢い。朝葉は目の下を真っ黒にした虚無の顔で猛烈にキーボードを打鍵しながら、モニターの見過ぎででしぼしぼする目頭をもみほぐす。これが休憩だと言ったらまずいのはさすがにわかっていた。
そんな生活が十年近く続いて、しまいに朝葉はこの世からサヨナラバイバイしてしまった。ネタが古い。笑えない。
笑えないが、死んでしまったものはしょうがない。
いまごろ弊社では、過労死か否かの審尋が進められていることだろう。
朝葉が大学時代、就職活動をしていたころ。
世は空前絶後の就職難とされていた。悪名高き就職氷河期のどどどど真ん中である。
大卒の求人倍率が一割を割り込む中で、大手も中小も零細も企業の採用枠は乏しく、そこに新卒も中途採用も大差はなかった。
わずかな可能性に賭けて、何枚も何枚も何枚もエントリーシートを埋め、腱鞘炎になりかけながら履歴書をしたため、履き慣れないパンプスにかかとをえぐられながらひたすら歩き回ってあっちこっちそっちの説明会におもむき、胃痛に悩まされながら面接を受け、一生分の今後をお祈りされ、隙間に企業に赴くための交通費やら履きつぶしたパンプスや化粧品やスーツやらの消耗品を稼ぐためのアルバイトを忘我とこなし――気力だけで動き続けた一年半。
『採用』の封書が届いたとき、朝葉はもう就職活動はしたくない、と心から思った。生来が能天気な朝葉をもってして、精神と体力をごりごりに削られた。そんな就職活動期。
置かれた場所で咲けとばかりに放り込まれた中学から高校の間、朝葉に『逃げ』のコマンドはなかった。逃げたいけど、逃げられない。そんな思いで勉学に、学校にしがみついていた。
逃げずにひいこらしているうちに、雪森による基礎叩き込みブートキャンプによって成果が出はじめた。勉強以外でも同様で、やればやったなりの結果が出る。これを学習した朝葉は、勉強もそれ以外も似たようなやり方で成果を出すという成功体験を繰り返す。
『出来るまでやる』の杭は朝葉の真ん中に深く深く打ち込まれてゆき、それ以外の選択肢は徐々に存在を薄くしていった。
この『出来るまでやる』と『もう一回就活は嫌だ』は、よほど強い経験だった。
実際、入社から十年超、畑違いの業務でもなんでも、『業務』として降ってきた仕事はなにがなんでもこなしてきた。こなしてきたがゆえに似たような案件が回ってくる負のループ。朝葉の駄目なところは、業務外の仕事を毅然と断れなかった、そこに尽きる。
周囲の辞めていった元同僚や就職浪人した同期生の再就職率の低さや、現在の自分よりよっぽど悪い労働環境を伝え聞くに、現在以上の先が見通せないのはリスクが高い。就活市場は買い手から売り手に転換しつつあったが、それは新卒くらいで、就職氷河期世代の中途採用は厳しい現実が待っている。
なので、就職した弊社がなんかおかしいと感じても、『辞職』という選択肢を浮かべることさえできなかったのは、過労という限界状態であったことを押しても、仕様のない結末ではあったのかもしれない。
死んでからはかどる自己分析。遅いが過ぎる。
三途の川のかすむ向こう岸を薄い目で眺め、思いを馳せる。
姉は「こんなになるまで働けとは言ってない!!」とか言ってぷんすこ怒ってるだろうし、兄は「自分の気持ちに鈍感だとは思ってたけど……これは笑えないぞ……」とか言って頭を抱えてあきれてるだろう。父は身も世もなくおえおえ大号泣してるだろうし、母は……ハハハかんがえたくねぇ~。まあ、死んでしまったのだから、どうしようもない。生きている人のことは、生きている人に頼むしかない。
朝葉は、自分が家族に愛されていたと自覚しているので、ただただ申し訳ない。親よりも早く死んでしまって、本当に申し訳ない。
親孝行も何もしないまま三途の川まで来てしまった。はしりのころから愛用していたネットショッピングで、日常の憂さ晴らしとばかりに折々銘酒や地方の名産品を送り付けていたくらいしかしていない。両親に最後に顔を見せたのがいつなのか、忘れたほどに久しい。最後の最期にとんでもない親不孝をしてしまって、本当に申し訳ない。反省するたび不甲斐なさで泣きたくなってくる。
親孝行はデキのいい兄姉に任せるしかない。
彼らは自らの志望するよいとこに就職できたし、いい人と結婚したし、何ならかわいい孫たちまで父母に見せてくれた。
甥姪たちに会える時間が作れないなりに物量で貢いでいたので、これから貢げないのは寂しいし、「おばちゃんありがとー!」と口々電話口でさえずるあのかわゆい声をもう聴けないのも悲しい。ネットショッピングは本当によい発明だったな。当社の唯一いいところは、経営難な割に金の払いしぶりがなかったことだ。ブラック化していったのに人が集まった最たる理由。本当に頼りがいのある兄姉たちなので、両親の老後も心配していない。
……あれ? あの家族で不安要素って、私だけ……?
朝葉は考えるのをやめた。私は家族に愛されていた。それでオッケー。それでいい。
血気盛んな姉と母が、弊社相手にどうしかえ……ほうふ……対応するのか知りようもないが、まあ弊社は自業自得として業務を見直してほしい。心からそう思っている。
余談だが、水山家の父はいくつもの企業の法務を担当する弁護士で、姉は法務省の官僚、兄は救急隊員、母は要人警護畑の元国家公務員だった。義兄は国際弁護士に転職した姉の元同僚で、義姉は看護師。詳しくはないが、争うための伝手が身内に集中している気がしないでもない。
今、現世で何が起こってるのかわからないのが本当に惜しい。きっとすごいことになってる。
父と、兄と、義兄は、母と姉を止められるだろうか。
怒るまでは長いけど怒りだしたら沈着苛烈な母(座右の銘は風林火山)と、売られた喧嘩は億万倍にして高笑い付きで叩き返す姉(雇用機会なんちゃらのうたわれ始めに入省し最前線を走っている猛者)である。過剰戦力が過ぎやしないだろうか。義姉は火に油を注いで離れた場所で笑っているタイプなので、ハナから戦力外。男家族は基本、尻に敷かれにいっている。ストッパーがいない。……水山家の女家族、おそろしいのしかいないな。
平凡でごめんなさい。
明後日な謝罪を抱きつつ、ほんのちょっぴりのワクワクを抱いて、家族に思いをはせる。
これから朝葉にできるのは、家族のために祈ることだけなので。
朝葉の社畜生活をつまびらかに一万字近く書いたところで我に返り、これは違う話になってしまうぞと寝かしたのが去年の春です。
希望いっぱいの新入社員が、人事異動で人間関係と社内権力闘争のあおりを食らい、じわじわと生活を侵食され、夢も希望も無くなる機械的な社畜になるまでを新年度から読みたくねぇな……と筆が止まりました。ここが肝要ではないので、さらーっとまとめる程度に。
学生時代の成功体験を大人になっても繰り返した結果、うまくいってしまった悪い例が朝葉です。どこかで大失敗していれば己の許容量以上のものを抱え込むことはなかったでしょうに、という話です。




