4-8 ダメ男は領地に帰省する②
アルバート伯爵家の領地である“レイリス“は、王都から馬車で4日ほど行ったところにある。領内には肥沃な穀倉地帯があり、小麦の生産が盛んだ。また、森や山で林業も行われている。しかし、自然が多い反面、魔物が多く生息することでも知られていて、だからこそ、こうして騎士団をあげて魔物討伐がなされるわけだ。噂では、領内にダンジョンかダンジョンの跡があって、そこから魔物が溢れているんじゃないかと言う話もあるが、今のところそれらしきものは見つかっていない。
領都である“レイリス”に着くまでは4日かかった。伯爵家の領都(県庁所在地みたいなもの)は、周りを堅固な城壁で囲まれた城塞都市だった。もっと魔物の活動が活発だったころに、伯爵家の先祖が戦いの最前線に砦を作ったのが始まりなんだとか。
着くまでは、途中の街で泊まりつつの旅程だった。貴族の義務で、途中でお金を落としていくのが習わしなんだそうだ。経済政策の一環ってことか。
しかし、その間、俺はフィオナとあまり話したりしなかった。理由は察した人もいるかもしれないが、母上に捕まっていたのである。顔を合わせたのは食事の時ぐらいだった。フィオナは母上が用意したらしい服を着させられていて、とても似合っていたのだが、本人は母上のようにぐいぐい来る人にあまり免疫がないのか、少し疲れているようにも見えた。声をかけようと思ったのだが、その度に母上に連れていかれてしまう。大丈夫だろうか?
無事領地には着いたが、万全を期すために、討伐は明日からということになり、今日は軽くミーティングをするだけになった。
というわけで俺は明日から一緒にモルンの森に入る騎士たちのところに向かったのだが、そこに居たのは、かつて王都の屋敷で一緒にラジオ体操や騎士ドロをした若い騎士たちだった。
「レオン様‼ お久しぶりです!」
「おお! 久しぶり‼ 元気だったか?」
「はい! こちらの方に移ってもう一月ほどになりますが、なんとかやってます」
さっそく声をかけてきたのは、若い騎士たちのリーダー格の騎士、「カイル君」だった。それ以外にも見知った顔がいくらかいる。見ると、皆最後に見たときよりもたくましくなっているような……。……俺ってどうなんだろう?
旧交を深めたい気もしたが、まずは明日からの討伐の準備だ。班割りや巡回のルートについて決めて、その日はお開きになった。
その日の夜。領都にある伯爵家の屋敷では、豪勢な夕食が饗された。トールはさっそくこっちの料理人に混ざって腕を振るったらしく、王都の屋敷でも出た料理が見受けられる。もちろんおいしかった。
夕食後、腹ごなしに屋敷内を散策していると、庭へと続くバルコニーに人影を見つけた。誰だろうと思って、近づいてみる。そこに居たのは、……フィオナだった。
フィオナは、白いワンピースに、薄い緑のショールを羽織っていた。その瞳は庭の方を見つめている。
綺麗な黒い髪をなびかせて静かにたたずむその姿は、まるで絵本などに登場する精霊か何かのようだった。
俺の視線に気が付いたのか、精霊——もといフィオナがこっちを向いた。
「あ……。レオン様」
俺に呼びかける表情は王都にいたころよりもずいぶんと柔らかくなっていて、彼女が穏やかに過ごせていることが分かった。
「ああ。……庭を見ていたのか?」
「はい。月に照らされていて、綺麗だったので……」
「そうか……。君はずっと母上と一緒だったと思うが、大丈夫だったか?」
俺の問いかけに、フィオナは言ってもいいのかという感じの表情を見せた。
「俺も母上も気にしないから大丈夫だ」
「はい。……たくさんお話ししました。あと、服を次から次に色々なものを着せられて、目を回しそうになりました……。でも……うまく言えませんが、嫌では、なかったです」
そう言って、控えめに笑う。……まだ遠慮してるところがあるみたいだけど、いい傾向かな。
「そうか……なら、連れ出した甲斐があったということだな」
俺は笑顔でそう返した。不安なことはあるし、解決してない問題もあるけど、この選択は間違っていなかったと思えた。
「夏とはいえ夜は冷えるし、そろそろ中に『あの……お聞きしてもいいですか?』」
俺の言葉をさえぎって、フィオナが口を開いた。……珍しいな。
「何かな?」
「レオン様は……どうして……私なんかに優しくしてくださるのですか?」
その声は小さかったけど、しっかりと俺に届いた。フィオナは体の前で両手を握りしめて、俺を見ている。その瞳には、期待や不安が入り混じっているように見えた。
「私は……魔術師の名門であるミストレア家に生まれたのに……属性魔法が使えません。家族は皆、魔法の才を発揮しているのに……私には……何もない。貴族は……魔力がすべての世界です。魔法が使えない私は、無能でしかありません。なのに……なんで……」
暗いからか紫色に見える彼女の瞳が潤んでいって涙がぽろぽろと頬を伝っていく。……魔力に魔法という、前世にはなかった要素があることによって生まれた理不尽。それがこの心優しい少女をここまで追い詰めていることが、ひどく悲しくて、そしてそれ以上に、腹立たしく思えた。
その時、頭の中に浮かんだ言葉は、
私は、この子を幸せにしたい。
というものだった。
彼女の姿を見て、俺の心に生まれた、新たな欲。もともと考えていたことをさらに強く意識することになった。正直、伯爵家の次男でしかない俺に何ができるのかは分からないけど、この優しすぎる少女が笑っていられるように頑張りたいと心から思った。
そのためには……
「……俺は、倒れて眠っているときに、夢を見た。……ずいぶんはっきりと、夢の中身を覚えている」
「……」
フィオナは静かに俺を見つめていた。
「夢の中の街、いや、世界には、魔法を使える人が、誰もいなかった。そもそも、魔法自体がない世界だった。それでも人々は当たり前のように生活していた。魔法や魔力がなくても。その光景を見ているうちに、今まで悩んでいたことが、馬鹿らしくなってしまったんだ。剣の腕が兄たちに及ばないことも、魔法がうまく使えず悩んでいたことも、それに向き合わないでふてくされていたことも……」
俺はひとつ一つ、自分の想いを言葉にしていった。
「そして目覚めた後、自分がたくさんの人の好意を踏みにじっていたことをひどく実感することになった。……これは贖罪でもあるんだ。いままで向き合ってこなかったことに向き合うっていう……ね」
そこで、俺は言葉を切った。これ以上は、今は説明できそうになかったから。これ以上説明するとなれば、前世の話もしなければいけなくなる。幸せだった思い出が頭をよぎった。
でも俺には、その話をする勇気がまだ持てなかった。フィオナは納得しているような、何か引っかかっているような表情をしていた。当たり前だ。なんせ俺の説明は、前の時と言っていることにあまり変わりはないのだから。フィオナはきっと、そこに違和感を覚えているのだろう。でも俺はそれに気づかないふりをして、彼女を屋敷の中へと誘った。




