地下書庫の深淵とフィリアの過去
『基礎書庫』での訓練は、リアムの想像以上に過酷なものだった。フィリアは容赦なく、次々と新たな魔法や技術の知識を彼に与え、その制御を求めた。リアムは、心の中の『書架』を拡張し、そこに知識を整理して収める術を磨いていった。
「今度は、この魔法陣を模倣してください」
フィリアが示したのは、部屋の壁に投影された、これまでで最も複雑な魔法陣だった。それは、複数の属性の魔法が絡み合い、まるで生き物のように蠢いている。
「これは、『複合属性魔法』。複数の知識を同時に制御する、高度な技術です」
リアムは、その魔法陣に目を凝らした。彼の『模倣眼』が、その複雑な構造を瞬時に解析しようとする。脳裏に流れ込む情報の奔流は、以前の比ではなかった。全身が震え、右手の痣が激しく脈打つ。
(これほどの情報を、同時に制御するのか……!)
彼は、フィリアから学んだ呼吸法と集中法を最大限に活用し、心の中の『書架』に、この膨大な知識を整理して収めようと試みた。しかし、あまりにも情報量が多すぎた。知識の波が、彼の精神を押し流そうとする。
「抗わないで。しかし、流されもしないで。知識は、あなたの一部となるのです」
フィリアの静かな声が、彼の耳元で響いた。その声に導かれるように、リアムは意識を集中する。そして、彼の掌から、複数の属性が混じり合った、不安定な光の塊が放たれた。それは、訓練用ダミーに命中する前に霧散してしまったが、確かに『複合属性魔法』の片鱗だった。
「今のあなたには、まだ早すぎます」フィリアはそう告げると、魔法陣の投影を消した。「あなたの『模倣眼』は、知識を『取り込む』ことにかけては比類ない。しかし、それを『消化』し、己のものとするには、時間と経験が必要です」
リアムは、膝から崩れ落ちそうになった。肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が彼を襲う。だが、フィリアの言葉に、彼は納得した。確かに、この魔法は、今の彼には荷が重すぎた。
「フィリア……お前は、どうしてそんなに詳しいんだ?まるで、全ての知識を、お前自身が体験してきたかのように……」
リアムの問いに、フィリアは静かに目を伏せた。その銀色の瞳の奥に、深い悲しみが宿っているように見えた。
「私は……この図書館の『書架』そのものです。この図書館に収められた全ての書物、全ての知識は、私の一部。そして、この図書館が経験してきた、全ての出来事も……」
フィリアは、ゆっくりと語り始めた。彼女の声は、まるで遠い過去から響いてくるかのようだった。
「遥か昔、この世界は、知識の暴走によって滅びかけたことがあります。人々は、自らが創り出した魔法や技術を制御できず、互いに争い、世界を荒廃させました。その時、知識を司る神々が、この『運命の図書館』を築いたのです」
リアムは、息を詰めてフィリアの言葉に耳を傾けた。
「図書館は、全ての危険な知識を封印し、同時に、人々が真に知識を理解し、正しく使うための『試練の場』として機能するよう設計されました。そして、私……『書架の守護者』は、その知識を護り、探求者を導くために生み出された存在です」
フィリアは、再びリアムに視線を向けた。
「私は、この図書館が築かれた時から、ずっとここにいます。何千年もの間、無数の探求者たちがこの場所を訪れ、知識を求め、そして去っていきました。中には、知識の誘惑に負け、心を蝕まれた者もいました。あなたの両親も、この図書館の奥深くへと進んでいきましたが……」
フィリアはそこで言葉を区切った。その沈黙が、リアムの胸に重くのしかかる。両親が図書館の奥で何に直面したのか、そしてなぜ戻れなかったのか。フィリアは、その全てを知っているのだろうか。
「私は、彼らの探求の結末を、直接見てはいません。しかし、彼らが残した『痕跡』から、彼らが『無の頁』に非常に近づいていたことは確かです」
フィリアの言葉に、リアムの心臓が強く脈打った。両親は、『無の頁』のすぐ近くまで行っていたというのか。
「あなたの『模倣眼』は、知識を『写し取る』だけでなく、その知識の『本質』を理解する力を持っています。そして、その力は、この図書館の真実を解き明かす鍵となるかもしれません。だからこそ、私はあなたを導くのです」
フィリアの銀色の瞳には、リアムへの期待と、そしてこの図書館の未来への深い使命感が宿っているように見えた。彼女は、リアムの力を、この図書館の、そして世界の未来のために必要としているのだ。
リアムは、自身の『模倣眼』が持つ、計り知れない可能性と、それに伴う重い責任を感じた。彼の旅は、単なる両親の足跡を追うだけでなく、この図書館の、そして世界の運命をも左右する、壮大なものへと変貌しつつあった。
「分かった……フィリア。俺は、お前の導きに従う。この図書館の真実を、そして『無の頁』の秘密を、必ず突き止める」
リアムの言葉に、フィリアは静かに頷いた。彼女の表情は変わらないが、その銀色の瞳の奥に、微かな安堵の色が浮かんだように見えた。
『運命の図書館』の地下書庫で、リアムとフィリアの、より深い協力関係が築かれた。彼の『模倣眼』が、この古の図書館の秘密を解き明かす、唯一の希望となることを信じて。