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終章 失われた想い 芽生える想い

 午後のまどろみの中、インジュは応接間のソファーでラスの整理した資料に目を通していた。しかし、内容が頭に入らない。

「……あのぉ、どうしていつもボクの隣にいるんです?」

インジュはやっと、そう問うことができた。

何をするでもなく、隣に座り、2本の腕は頬杖を、2本の腕は膝に淑やかに置いた彼女は、ヒスイ色の瞳をインジュに向けた。

真っ直ぐ見つめてくるその瞳に、インジュは思わず視線をそらしてしまう。

「あら、私に用があるのはあなたではなくって?インジュ。私、それを聞きにきているのですわ」

智の精霊となったためなのだろうか。彼女の灰色だった肌は、健康的な肌色に変わっていた。妖艶な美しさはそのままに、リャリスはその妖艶さを生かすかのように、上半身の布面が少なくなっていた。……ようは、目のやり場に困る。

「ええ?でも、あの、あれから毎日来てますよねぇ?何も聞かなかったじゃないですかぁ!」

からかってますよねぇ?インジュは困惑気味に再び隣のリャリスを見た。隣にいるだけで、触れては来ないリャリスの座る距離は、遠すぎず近すぎずでとても健全な距離だった。

初めは誘惑したいのか?とも思ったが、彼女の座る距離、発する言葉、そのどれにも誘惑という素振りはなかった。

「あら、お邪魔でしたの?」

そう言うとリャリスは、間に1人座れるくらい間を空けた。

「あの、遠いです」

思わず言ってしまったインジュは、またしても「今ボク何言いました?」と言う顔をした。その表情が面白くて、リャリスは翻弄してやりたくなる。

「あら、近づいてもよろしくて?」

「ひい!ち、近いですよぉ!胸、胸!当たりますからぁ!」

今度はピトッと寄り添ってきたリャリスに、インジュは飛び上がった。

「あなた、恋愛しないのではなくって?欲望はあるのですわね」

「ないです!ないです!ボク、そういうのも感じた事無いですからぁ!」

嘘だ。恋愛感情がなくて不能でも、なぜかそういう欲望はあるのだ。どうしてだろう?とは長年の疑問だが、発散しなくてもいいので深く考えたことはなかった。

「あなたはますます不思議な人ですわね。受精させる力の精霊だと、聞いていますのよ?」

「だからじゃないんです?ボクがその……しちゃうと、1発だってリティルが……」

リティルの名を聞いて、リャリスの顔が曇った。そして彼女は健全な距離に座り直した。

「お父様、1度も太陽の城を訪ねませんのよ」

背筋を伸ばして、机に視線を落としたリャリスはポツリと言った。

智の精霊となったリャリスは、太陽の城に暮らしている。智の精霊は、太陽王の家臣だからだと言って。細かいことを気にしないルディルが「リティル、おまえにやるわ」と言ったのだが、リャリスはそれに苦言を呈し、毎日風の城に通う道を選んだ。

「……行けないと思いますよぉ?だって、会えないですよぉ……」

「なぜですの?これでは、死んでしまったのと、同じですわ」

「死んじゃいましたよ。あの人、死んだんです。でも、これでよかったんだと、ボクは思うんです」

「哀しいと思うのは、なぜですの?」

「それはボク達が、知ってるからです。死んじゃう前のあの人を。でも、今のあの人には関係ないことですよぉ?だって、別人なんです。死んじゃう前のこと、いらないですよね?ボクは、これで、よかったんだと思います」

まるで言い聞かせるよう。リャリスは、これでよかったんだと繰り返すインジュに、深い悲しみを感じた。

「あなたは、風なのですわね」

「風ですよぉ。ボク、雷帝の息子ですよぉ?ずっとそばで見てきました。リティルとお父さんの苦悩。それから、あの人の苦悩……。生きてほしかったリティルの想いは、深いです。リティルはこれからも、あの人を守り続けますよ」

そしてボクも。ノインがこれまで、一家の誰にもしないような命令をインジュにだけしてきたのは、育てるためだったのだと知っている。

おまえならできるだろう?と涼やかに笑い、失敗しても大丈夫だと背中を押してくれた。

インジュにとっても、大きな、大事な人だった。

「私、守られ続けるたまではないことに、期待しますわ。だからといって、何もしませんけれど。ルディルがモヤモヤしているのですわ。もう、その姿がおかしくって、あの方、観察のしがいがあってよ?」

「ああ、それで太陽の城に住んでるんです?」

「だって、放っておけませんのよ?あなたも、彼の様子を見ればおわかりになりますわ」

「ああ、そっちです?そうですか……でも、ボク達も行けないんです。ボク達はリティルの想いを、守りたいですからねぇ」

インジュは、寂しそうに微笑んだ。けれども、動く気配はない。この城は、一見バラバラのように見えて、風の王・リティルの下統率が取れている。父が――インラジュールが認めただけのことはある。リャリスもリティルを心のよりどころにしていた。

初対面なのに、まるで旧友のように言葉を交わした2人の王に絆を感じた。そんなもの、あるはずないのに。

”インジュ”とリティルは、インラジュールをそう呼んでくれた。リティルは、インラジュールに、リャリスを押しつけられることを感じていたようだった。そして、躊躇いなく引き受けてくれた。こんな、異形の姿の者に父と呼ばれることさえ嫌がらずに。

「リャリス、来てたのかよ?」

城の奥へ続く扉が開いて、リティルが姿を現した。表面上は変わりなく笑っているように見えた。

「お父様、ごきげんよう。お出かけですの?」

「ああ、ルディルに呼び出されたんだよ」

「あら、ルディルのことなど、呼びつければいいのですわよ?」

あの方暇ですのよ?とリャリスは辛辣に言い放った。

「はは、なんかな、手が放せねーんだってよ。気は進まねーけど、行ってくるぜ」

リティルは元気に、玄関ホールへ向かって飛んで行った。

「……ルディル、謀りましたわね」

「でしょうねぇ。リティルもわかってますよぉ。それでも行くんですよねぇ。自分が傷つくことに躊躇いないんです。だから、あの人はずっと、そばにいたかったんですよ……!残酷です。残酷ですよ!死は、残酷です……!」

彼の名すら、呼ぶことが許されない。顔を覆ったインジュの肩に手を置いて、丸めたその背を撫でてやりながら、リャリスは一家の姿を描いた肖像画を見上げた。

 この広すぎる応接間で、一際目を引くその絵。

風の王・リティルを中心に、この城の住人の姿が描かれている。

数日前まで、リティルの座るソファーに共に腰掛ける、ある精霊の姿が、描かれていた。リティルの左側、寄り添わずに座るフロインは、ススキやキキョウなどの秋を思わせる植物を抱え、不自然に空いたその場所を埋めていた。

リティルは、皆が止めるのも聞かずに、この絵を、描き直してしまったのだ。まるで、彼がこの城に生きていた痕跡を消し去るように。

「インジュ、いいえ。死は残酷などではありませんわ。生きていることの方が、ずっと、もっと、残酷なのですわ……」

それでもリティルは選ばせた。生き残る方を。

大丈夫、おまえは生きられるよ……。と、確かに繋いでいた絆を、断ち切ってでもリティルは優しく残酷に命を繋いだ。

 死に別れる哀しみは、いつか癒える。しかし、忘れられた哀しみは、癒えることはないのでは?リャリスは、無気力にのうのうと生きている彼に、怒りが湧いてしまって、それも理由で風の城に入り浸っていた。

日だまりのような雰囲気のインジュの隣は、理不尽な怒りに燃やされる心を正常に戻してくれるようで、彼がどこかビクビクしていることには気がついていたが、この場所から動けなかった。

城の住人は気さくにからかってきたが、そんなことよりも、インジュの日だまりと、リティルの中に見る父親に縋っていたかった。

――私は、恵まれていますわね。あら、お父様と離れなければならなくなったあの人に、同情してしまいましたわ

暖かい風の城。

かつてこの場所には、風の王・リティルの兄と噂されていた補佐官がいた。

涼やかに、やんちゃな風の王を助け、その涙に寄り添ってきた大人な補佐官。

彼の姿は、この城から消えてしまった。


 太陽の城に着いたリティルは、やっぱりなと思った。

呼び出したルディルが出てこない。今リティルは、白い城内を火の鳥に案内されていた。

これはあれだよな?あいつ絡みだよな?とリティルは、平気なフリをしていたが緊張していた。

 リティルは情けないことに、あのとき、転成する彼を見届けてやれなかった。

『リティル、今まで世話になった。さらばだ。オレの、生涯ただ一人の主君』

その言葉を聞いたとき、号泣すると思った。そして、リティルはあの場から逃げた。見届けて、共に太陽の城に行ってくれたリャリスが、転成が成功したことを教えてくれた。

そして、残酷な現実も。

わかっていた。ノインが、今までノインとして生きてきた記憶と、14代目風の王・インの記憶を失うことは必須だった。

力の精霊は、風の精霊ではない。風の知識は必要ではないのだ。むしろ、力の精霊としては邪魔な記憶だ。

風の王・リティルを、1番大事に思ってしまうその心は邪魔者以外何者でもない。

風の騎士・ノインは死んだ。そして、力の精霊・ノインが目覚めた。

それでいい。おまえはおまえを生きていいんだぜ?リティルは無感情に、肖像画からノインの姿を抹消した。

――オレとおまえ。何に例えたらよかったんだろうな?

リティルは、もう永遠に答えの出ない問いを、絵の中のリティルの隣、不自然に空いた空白に問いかけた。

 どうして呼び出されたんだ?とリティルは疑問だった。

毎日風の城に通ってくるリャリスは、日がな一日インジュの隣に座っていて、皆とは気さくに話すが、彼についての話題はまったく話さない。そんなつもりはなかったのだが、肖像画からノインの姿を消したことで、ノインのことは暗黙のタブー扱いとなってしまったようだ。あれから皆は、ノインの名すら呼ばなくなった。

故人を悼めねーなんて、オレは、哀しいことをみんなにさせてるな……。とは思ったのだが、ノインがノインの姿のまま存在しているこの現実がややこしすぎて、気持ちの整理ができなかった。大事だったのは、彼がリティルをだけではない。リティルも、ノインが大事だったのだから。

オレが大切だったって?ふざけるなよ!オレの方がおまえよりずっと、おまえのこと大切だったんだよ!と、こうなった今も張り合うような子供っぽい怒りを感じてしまう。

オレが手を放したんだ。だから、あいつを、求めちゃいけない。リティルは、感情を抑える自信がなくて、転成したノインに会うことができなかった。

 リティルはやっと、ある大きな扉の前にたどり着いた。

大剣を中心で交差させた細工がされた、重々しいが洗練された美しさのある扉だった。

リティルは、一度大きく息を吐くと、扉を開いた。

「おーい!ルディル、来てやったぜ?風の王を呼びつけるなんて、なんかあったのかよ?」

オレは多忙なんだぜ?とリティルは部屋に入りながら、声をかけた。

ここは……新しい部屋か?とリティルは辺りを見回した。

白い大理石の床が所々くり抜かれ、樹木が植わっていた。太陽の城は全体がそうなのだが、どこから差し込むんでいるのかわからない、白い柔らかな光に満ちている。

庭か、温室か?と思えるほど、木々が植わり白い石のプランターに花々が植えられ、入り口の扉の印象とはだいぶ違った。

リティルは、ふと、縦に溝の掘られた白いオブジェの柱の上に乗ったプランターを覗いた。中には、パンジーとビオラが咲いていた。この配色……誰かを思い出すような?リティルの脳裏に、金色の波打つ髪に枯れない花を飾った女神の後ろ姿が浮かんだ。

「ああ、フロインだ」

そう呟いて、でも、どうして?とリティルは顔を上げた。再び辺りを見回して、首を傾げる。

どういうことだ?この部屋何なんだ?と見れば見るほど、何か違和感があった。初めて訪れたはずなのに、今し方までいたような……そうだ、風の城みたいだ。

この部屋は誰が造った、誰の部屋なんだ?とリティルが疑問を抱いた頃、動かなかった部屋の気配が突如動いた。

「っ!と、いきなりかよ。ずいぶん好戦的だな!」

リティルが飛び退くと、今し方立っていた場所を炎が走っていった。

リティルは両手にショートソードを抜くと、辺りを警戒する。気配は……うまく隠してるなと、リティルは意識を集中した。

「おい!オレを風の王だってわかっててやってるか?」

幾筋も炎が襲ってきて、リティルはそれらをすべて避けて叫んだ。相手の位置はすでに見当がついていた。これが囮だったとしたら、かなり遊べそうだなと、リティルはニヤリと笑った。

「だんまりかよ。じゃあ、遠慮無く暴くぜ!」

トンッと床を蹴ったリティルは、見当を付けた場所目掛けて強襲していた。それを妨害するように放たれる攻撃をすべて掻い潜り、狙いを付けたその場所へ飛ぶ。その場所に人影は……なかった。そして気配が背後で動く。

「ハハ、甘いんだよ!」

空中で身を捻り、リティルは斬りかかってきたその剣を片手で受けた。

「本気でこいよ。じゃねーと、勢い余って殺しちゃうぜ?」

彼は、仮面の奥の涼やかな瞳を潜めた。

「野蛮な」

「バカか?おまえ。風の王が淑やかなわけねーだろ!」

ギラリと殺気を灯らせ、リティルはノインの大剣を弾き飛ばしていた。小柄なこの体型を甘く見ていたのだろう。ノインの瞳に、僅かに驚きが浮かんでいた。

「わからせてやろうか?命を奪う刃の重さ。おまえとは、鍛え方が違うんだよ!力の精霊!」

リティルの突きつけた切っ先から、風の弾が弾丸のように撃ち出されていた。ノインはその風の球を大剣で受けた。金色の輝きをまき散らして消える、風の残滓がまだ残るその空気を切り裂き、小柄な風の王は真正面からノインに肉薄していた。

素早く切り込むリティルの気迫に、ノインは気圧されていた。

――ああ、ルディル、ありがとな

タイミングをずらして繰り出されたリティルの剣が、ノインの腕をかすっていた。

――あいつが死んだこと、オレにわからせるために、おまえ、こんなこと仕組んだんだろ?

リティルはノインに、一太刀も通ったことはなかった。ノインは涼やかに笑いながら、あの手この手で切り込むリティルの剣をすべて受け流した。ノインはただ受けるのみで、反撃してこず、リティルが疲れて剣が振るえなくなるまで付き合ってくれた。

『リティル、風の糸を攻略しなければ、オレに剣が届くことはない』

ノインの周りに神経のように張り巡らされた、目に見えにくい細い細い風。ノインはそれを使い、すべての攻撃を凌ぐ、無敗の騎士だった。

だが、この目の前の精霊には、リティルの猛攻如きに必死になるほど、余裕がなかった。

――ノイン……おまえに勝ちたかった。勝ち逃げなんて、狡くないか?なあ、ノイン……

リティルはギリッと、奥歯を噛むとノインを突き放した。

両手の剣を捨て、空中でクルリと鋭く身を翻すと、その両手には1本の大鎌が握られていた。

「遊びにもならねーよ!」

『大鎌は威力は高いが、無防備になる時間が長い。防御を一向に覚えないおまえには、不向きだ。一撃で決められないならば、使うべきではない』

ノインの言葉が脳裏に蘇る。「オレ、怪我しても瞬間回復できるぜ?」と言ってみたがノインは、コツンと軽くリティルの頭を拳で叩きながら「怪我をするな」と言ってしかたのないと笑った。そして「使い方を覚えるまで、オレが共に飛ぼう」と指南してくれると言ってくれた。

背中を、安心して預けられた。だが、今目の前にいるノインには、とても預ける気にはなれなかった。

 振り切ったリティルの大鎌が、ノインの握った大剣をいとも容易く切り折っていた。

ヒュンッと大鎌を翻し、リティルはノインの首の後ろに大鎌の刃を宛がった。

「筋は悪くねーな。まあ、オレの足下にも及ばねーけどな。なんだよ?オレを呼びつけたのはおまえかよ?力の精霊」

勝負あったなと、リティルは刃を退くとトンッと大鎌の長い柄を肩に担いだ。

久しぶりに見るノインは、あの時、別れた姿のまま、オオタカの翼を背負っていた。しかし、金色ではない。気になる艶のない黒い色をしていた。だが、今のリティルには関係のないことだ。

「非礼を許せ、風の王。我が主の戯れだ。貴殿を呼んでやるから、戦えと言われた。ルディルはたまに何を考えているのかわからない」

我が主……『リティル、今まで世話になった。さらばだ。オレの、生涯ただ一人の主君』最後のノインの言葉が蘇って、リティルはフイッとノインから視線をそらすと、大鎌を風に返しながら大理石の床に舞い降りた。

 それを追って、ノインも艶のない黒色の翼を操って舞い降りてきた。

「オレ、休暇だったんだぜ?」

「それは、すまなかった。風の王、リティルと呼んでも?」

「……ああ、好きに呼べよ」

ズキッと胸が痛む。

――風の王、リティルと呼んでも?

言い方まで同じなのかよ?リティルの脳裏に、ノインが目覚めて初めて面と向かって話した時の事が蘇っていた。あの時ノインは、インファの守護精霊という立場から、リティルを風の王と呼んだが、何を思ったのか、名で呼んでもいいか?と聞いてきた。なぜだったのか、思い出したリティルにもわからない。

「リティル、オレは貴殿に、何か無礼を働いたのだろうか?」

「はあ?無礼ならいきなり攻撃しかけてきた今の事じゃねーのかよ?風の王にいきなり攻撃とか頭おかしいんじゃねーのか?オレは命を奪える世界の刃だぜ?ルディルに言われたからって聞くなよ!死にてーのかよ!」

一気にまくし立ててしまった。

オレ、今何を期待したんだ?あの時ノインは、インと親子だったリティルとの記憶を失って、初対面だった。だのに、関係があったことを気がついていて、そしてこう言った。

――記憶などなくても支障はない。我もそなたもここにこうしている。存在している。ならば、また時を重ねればいい。作ればいい。我はそう思う

何もわからなかったのに、ノインはインとリティルが浅からぬ関係だったことを瞬時に見抜いて、そう言ってくれた。

それは、リティルとインを繋ぐモノが、ノインの中に残っていたからだ。ないんだな?オレとおまえを繋ぐモノ、おまえの中にはないんだな?リティルは、そう思ってしまった。

「すまなかった」

表情を崩さずに詫びるノインに、毒気が抜かれて、リティルはハアーとため息を付いて首の後ろを掻いた。

「力の精霊、相手との技量くらいわかるだろ?無謀なことしてんじゃねーよ。オレじゃなかったら容赦なく斬られてたぜ?副官か補佐官連れてこようかとも思ってたんだけどな、連れてこなくてよかったぜ。あいつらだったら、おまえ、怪我してたぜ?」

ノインが抜け、補佐官の位置に現在は煌帝・インジュが納まっていた。インジュは自ら、その位置を志願し、現在風四天王は、風の王・リティル、副官、雷帝・インファ、補佐官、煌帝・インジュ、執事、旋律の精霊・ラスという構成になっていた。ラスはともかく、インジュに務まるか?と半分思っていたのだが、城の住人の助けもあって、ノインが抜けた穴は驚くほどすんなり埋まってしまった。

ノイン、いつからおまえがいなくなること知ってたんだ?城の住人まで巻き込んで、ノインが行っていた仕事を皆が分担してすんなりこなせる様を見て、リティルは思わずにはいられなかった。

どうして、1人で戦っちまったんだよ?命が有限だと、知っていたなら、こんな土壇場になる前に頼ってほしかった。言いたいことが次から次へと湧き上がってきて、リティルはここから早く去りたくなった。

どんな言葉も無意味だ。もう、彼はいないのだから。

「貴殿がオレと目も合わせないのは、今の行為を怒っているためか?」

こいつ!とリティルはイラッとした。目、目なんか合わせられるかよ!とリティルは、ノインその者の姿のノインを睨んだ。視線は外して。

「悪い。おまえと話してたくねーんだ」

リティルは、フイと視線をそらすと低く呟いた。

言いたい。本当は全部ぶちまけてやりたい。

おまえは元風の精霊で、オレの補佐官だ!思い出せよバカヤロウ!と突きつけてやりたかった。だが、抜かりなく旅立ちの用意がされていて、彼がいなくてもまったく困らない風の城に、ノインを見送らなければとそんな心が、リティルの口を塞いでいた。

「リティル」

「ああ?」

名を呼ばれ、リティルは顔を上げていた。

「ノインだ」

「はあ?」

「貴殿は1度もオレの名を呼ばない」

それは、オレに名を呼べってことか?とリティルは瞳を見開いた。

ノイン……おまえ、どうしてその名前のままなんだよ?――当たり前だ。ノインは転生ではなく転成なのだから。

ノイン……どうして、その姿のままなんだ?――当たり前だ。ノインは転生ではなく転成なのだから。

ノイン!どうして、オレのこと、忘れたんだよ!オレの騎士でいたいって、言ったじゃねーか!――転成は、これまでのすべてが保存された状態で、引き継がれる。なのに、ノインはすべてを失った。どうして?どうしてなんだよ!

心の中で、感情が爆発した。

「…………ノ……イ……ン………………」

零れ出るようにその名が、口から出ていた。リティルの見開いた瞳に映るノインが、驚いた。ハッと我に返ったリティルは、涙が頬を伝ったことに気がついて、慌てて踵を返すとその場から逃げていた。

――オレは……!

大きな扉を力任せに押し開けて、リティルは廊下に飛び出していた。外へ出る道が、わからない。彷徨うように、リティルは視界を徐々に涙に塞がれながら飛んだ。

どれだけ彷徨っただろう。リティルは白い光に満たされた廊下に落ちていた。

あの部屋から、どれだけ離れられたのかもわからなかった。

ただただ、ノインの幻が脳裏で笑うたびに、哀しみが募った。

生きろと。そう、強要したのはオレだったのに、おまえの騎士以外の何者にもなれない!と言ってくれたのに、すべてを捨てさせたのはオレなのに、リティルは哀しかった。

ノインの中に”リティル”がいないことが、哀しかった。忘れられることが、こんなに辛いなんて思わなかった。

あれは誰だ?ノインの姿をしているのに、ノインではないことが受け入れられない。

新たに繋げばいいと、ノインにそう言ったのに、それができそうになかった。

「リティル」

そっと目の前に膝を折り、背に手を置いてくれたルディルに、リティルは縋ってしまった。

 ルディルは縋ってきたリティルを、何も言わずに抱きしめてくれた。普段、戯れでもこんなことはしないのに、それほどリティルの様子が危うかったのだろう。

「オレは身勝手だ。あいつを手放したくせに、思い出してほしいって、思っちまったんだ!うわああああああ!ノイン……!思い出すな!思い出さなくていいんだ!おまえに苦悩を繰り返させるくらいなら、オレはおまえに忘れられたままでいいんだ!歪んだ絆はいらねーんだ……!」

――思い出せよ!ノイン!

失いたくなかったのはなんだったのか、リティルは見失った。ノインに生きてほしかった。

命だけあればと、あの時はそう思った。だが、やはりノインは正しかったのだと思ってしまった。

生きている。生きているとはどういう状態なのか、ノインは正しく理解していたのだ。

風の騎士・ノインと力の精霊・ノインは相容れない。それを受け入れるということは、死ぬことと同義だと、ノインはわかっていた。命だけを守ってくれたのは、リティルがそれをわからなかったからだ。

「おまえ、なにわけのわからんこと言っていやがる?黄昏の大剣だけ守ってくれりゃぁ、オレは構わん。おまえは信頼できる王だしなぁ。力の精霊、おまえの城に常駐させとけ」

ルディルの思惑は、ノインの今の状態をリティルに見せて、導かせることだった。

どういうわけかリャリスは、ノインをこの太陽の城に連れてきた。空っぽになったノインは、おまえ魂入ってるか?と心配になるくらい覇気がなかった。リティルの養女になったというリャリスは、風の城に通っている。それもなぜなのか、ルディルには疑問だったが、すぐにリティルはノインの様子を見に来ると思っていた。だが、リティルはこなかった。

そればかりか、風の城の誰もこない。なぜだ?と疑問しか湧かなかったが、リティルがノインと接触を断っていることに意味があるのならと、傍観していた。だが、以前のノインを知っているだけに、引きこもっている彼をこれ以上見守れなかった。

「オレの補佐官だった記憶が、力の精霊としてのあいつを惑わせちまう!オレは散々!あいつを頼ってきた。全部忘れたあいつに、背負わせたくねーんだよ!」

「ノインが、おまえを背負ってたようには見えなかったぞ?楽しく補佐官やってたようにしか、見えなかったわ。おまえ、この城にいるノインの顔、知らねぇからなぁ。死んでるぞ?無気力な顔して、淡々とこのオレの世話焼いてるわ。おまえと戦えば、少しは生き生きするかと思ったんだがなぁ、そう簡単でもねぇらしいわ」

ノインが死んでる?有無を言わさず戦いになって、それで戦って、ノインが力の精霊になって初めて言葉を交わせた彼の様子は、笑顔はなかったが風の城にいたころと寸分違わず、だから、彼に名を呼んでくれと言われたとき、呼べなかった。彼と過ごした思い出が怒涛のように押し寄せて、もう、そのノインはいないのに、目の前のノインの名を呼んでしまったら、重ねてしまうと思った。

なのに、この口は、彼の名を、呼んで、しまった。

もう、あいつはいない……わかっているのに、同じ姿で、同じ声で温かさで目の前にいるノインが誰なのか、わからなくなってしまった。

そばにいてはいけない。名を呼んでは、求めてはいけない!ただただ、そう強く思った。

風の騎士・ノインは、死んだのだから!オレが、殺したのだから……

「オレ……わからねーよ……。どうしたらいいのか、わからねーよ!」

力の精霊・ノインを、リティルは受け入れられなかった。

ルディルが彼を導けと言っていることには気がついたが、到底できそうもなかった。ぶつけてしまう。子どものように。そんな、ノインに到底誇れないリティルを、見せるワケにはいかなかった。

もう、おまえがいなくても大丈夫だ。だから、力の精霊を全うしてくれ。そう言って笑えない。そんな自分が、リティルは許せなかった。

「おまえは本当に、バカがつくくらい優しいな。思い出させてもいいんじゃねぇ?不抜けていやがるあいつより、苦悩してでも生きてるあいつのほうが、オレは好きだぞ?」

思い出させて、それで、ノインが死ぬ前に戻れる?いいや、戻れない。彼はもう、風の王・リティルの補佐官ではない。力を司る最上級精霊だ。

戻れない。リティルは、彼の手を放したのだから。別の者になって生きろと、強要したのだから!生きて、ほしかったから……

「ノイン……ノイン……!オレは……間違ったのか?オレはおまえを、風の騎士のまま死なせてやればよかったのか?」

「なんでそうなる?リティル!あいつの本質は変わってねぇわ。ただ、おまえのことを、風の城の事を忘れただけだぞ?あいつは転生じゃねぇ、転成だ!」

ルディルはギョッとして、リティルの両腕を掴むと、言い聞かせるように叫んでいた。

転成だというのに、こんな生まれ変わったような状態はルディルにも疑問だったが、姿も名前もノインである彼は、やはり転成なのだ。

ルディルは、リティルと交流すれば、ノインは皆の知るノインに戻ると思っていた。そのための、とっかかりとしてリティルを呼び寄せたのだ。だが、その思惑は外れてしまった。

まっすぐルディルを見上げたリティルの瞳には、すでに揺るがない意志が宿ってしまっていた。

「ルディル……風の城とあいつを、力の精霊を関わらせるな。オレは2度と会わない。その名も、呼ぶことはねーよ」

フラリと、リティルは立ち上がった。そして、背後に突如開いたゲートに足を向けた。

「リティル!あの部屋見ただろう?あの部屋造ったのはなぁ!ノインなんだぞ!」

リティルは、逃げるようにルディルの前から去った。


 風の城から、小柄な王を守る、涼やかな瞳の、ミステリアスな補佐官の姿がなくなった。

代わりに、太陽の城に、風の騎士と同じ名の力の精霊が誕生した。

精霊達は首を傾げたが、風の城は彼との関係を頑なに否定。風の騎士・ノインは、単独任務中に命を落としたと瞬く間にイシュラース中に広まったのだった。

風の王が言うならと、精霊達は納得。噂もすぐに聞かれなくなった。

イシュラースは、長らく不在だった、力の精霊と智の精霊を迎え、黄金の安定期を迎えるのだった。

これにて、ワイルドウインド10は終幕です。

楽しんでいただけたなら、幸いです!

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