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二章 騎士に迫る蛇

 15代目風の王・リティルは、生まれが少々特殊だった。

精霊という生き物は、世界が、その力の司を求めたとき、目覚めるという産まれ方をする。故に、目に見えて成長も衰退もしない。

しかし、リティルの目覚め方は、世界に請われたからではなかった。

14代目風の王・インが、その魂を与え、息子として作り出した王だった。

魂を与えたインはそのとき死んだ。しかしその心は、リティルの心に住み着いて息子が風の王となるまで共にいた。

別れは決まっていた。だが、その別れは唐突となった。

 風の騎士・ノインは、そんなインの蘇りで生まれ変わりだ。潔く聡明で、恐ろしいほど強く美しかった伝説の風の王から、たった1つの願いを託されて、1度は蘇ってしまったインの代わりに目覚めた精霊だった。

強く揺るぎない、たった1つの願い。「リティルをどんなことをしても守りたい」

ノインは、その願いを守り続け、インその者の容姿と力、知識、リティルに関することだけ抜けた記憶を、インとは違う心でこれまで生きてきた。

ノインもまた、歪んだ生まれの精霊だったのだ。

 不具合が決定的になってしまったのは、ノインをノインとして生かす為に主となってくれたインファが、上級精霊から最上級精霊へ昇格したためだった。

しかしそれは、切っ掛けにすぎない。インファの昇格がなくとも、ノインは薄々命を失うような気がしていた。この身が滅びるまで、騎士として、リティルのそばにいようと思っていた。そのときは、命を導く風の王の補佐官として、潔くと思っていた。

だが、それができなかった。

ノインは、その運命に抗うことを決めたのだった。


 ノインの命の期限を見抜いてくれたのは、インファを上級から最上級精霊へ昇格させ救ってくれた精霊だった。

深淵の鍛冶屋・ゴーニュ。

彼は、風の王の闘志である殺戮の衝動を鍛え、与えるという役目を持った精霊だ。ゴーニュは、インファの殺戮の衝動であるイヌワシが瀕死であることに気がつき、彼を救ってくれた。それが、インファの昇格へ繋がった。

予想外だったのは、当時風の城最弱の精霊だったインファが、実は風の王・リティルよりも強い力を秘めた精霊だったということだった。故に、殺戮の衝動の鍛え直しではすまず、インファは1度死んで生まれ変わったといっても過言ではないほどの変化を、余儀なくされた。その衝撃は、インファの守護精霊として存在していた、ノインにまでも及んでしまったのだ。霊力の著しい変質。それが、インファと霊力で繋がっていたノインとの繋がりを断ち切ってしまった。故に、ノインは主であるインファから霊力の供給を受けられなくなり、消滅の危機に陥ってしまったのだった。

責任を感じたゴーニュは尽力してくれたが、ノインの命の期限を取り払うことはできなかった。

 ノインは インの記憶にあった「蛇のイチジク」に一縷の望みを託すことにした。

ノインは話しがあると、リティルとインファを深夜、人払いした応接間に呼び出した。

「何だよ?ノイン、改まって」

「オレ達3人だけというのは、遙か昔を思い出しますね」

「ん?3人ってこと、なかったか?ああ、そうだよな。あの頃より家族が増えてるしな。風3人って呼ばれてた昔が懐かしいな」

今でも変わらないモノがある。と、ノインは、正面のソファーに座った2人を、まるで記憶に留めるかのように見つめていた。

リティルの、明るく力強い笑顔。

インファの、落ち着いた寄り添うような温かな気配。

頼りにしてるよと言ってくれる2人に、ノインは救われていた。今、この2人から離れることが、ひどく寂しい。そんなノインを許してくれるだろう2人に、後ろめたかった。

「リティル、インファ、オレは城を、離れなければならなくなった」

静かに切りだしたノインに、2人の視線が注がれた。

「それは、手がけたい仕事があるということですか?」

「いや、個人的な事情だ」

「ノイン、単刀直入すぎてわからねーよ。怒らねーから、もったいぶらずに言えよな」

おまえはきっと、怒ってくれる。ノインはそう思って、仮面の奥、無表情だったインとは違う涼やかな目元に笑みを浮かべた。

「オレの命の期限が迫っている。覆す為、離れることを許してほしい」

ガタンッとリティルが勢いよくソファーを立ったかと思うと、襲いかかるように目の前の机を飛び越えて掴み掛かってきた。

「……………………おまえ……いつから隠してた……?」

抑えてはいるが、腹の底からの怒りを、ノインを押し倒す勢いで胸に当てた手を見つめるリティルから感じた。

「インファが復活したすぐ後、ゴーニュが気がついた」

「オレの昇格が原因ですね?オレの霊力は、以前の雷帝・インファが死んで生まれ変わったかのように、もともとあったとは思われないほどに変わってしまっています。ノイン、オレはあなたに、何か変化はないかと尋ねたはずですよ?」

精霊大師範という異名で呼ばれるインファは、魔法や霊力のエキスパートだ。インファは確かに、ノインを案じてくれていた。だが、問われた時、ノインは死の運命を告げることができなかった。恥ずかしながら、その運命を受け入れがたかったのだ。

「すまない。告げる勇気がなかった」

「あなたが?いえ、そうですね。ノイン、その運命を覆せるというんですか?」

ノインはリティルを隣へ座らせると、インファの顔を真っ直ぐに見つめた。

「絶対とは言い切れないが、可能性はある。それに、賭けようと思う」

「どうするんですか?」

「精霊の至宝・蛇のイチジクを探す。失われて久しい至宝だ。見つかるかどうかも危ういが」

至宝・蛇のイチジク?その名に、リティルは首をかしげ、インファは思案するように俯いた。2人がその名に聞き覚えがないことは明白だった。

「それが見つかれば、望みがあるんだな?インリーとレイシを連れて行けよ。インリーなら、おまえと一緒にいても辛くねーはずだぜ?」

リティルは、机を迂回すると、元のようにインファの隣に腰を下ろした。

オレの風は、今のおまえには辛いだろ?そう言われた気がして、それが事実であっても寂しかった。

荒々しく、歴代の誰よりも優しい風。孤高で冷たかったインとは正反対の、暖かいリティルの風を、感じる事が辛いと思う日がくるとは思わなかった。

「いや、オレ1人で行う。風の城とも連携を取らない」

「ノイン!」

再び鋭く立ち上がったリティル腕を掴み、インファが努めて冷静に言葉を紡いだ。

「わかりました。それがあなたの意志なら、尊重します。ですが、オレ達はこれからも、あなたと共にありますよ?この絆は、断ち切れるモノではありません。あなたの重荷になったとしても、断ち切らせはしませんよ」

インファの感情を抑えた瞳は、ノインを鋭く睨んでいた。

「インファ、この絆が歪んでいようと、オレも手放すつもりはない」

「古いことを持ち出しますね。オレの下心と、インの願いが合致したからといって、産まれたあなたは、他の誰かだったことはこれまでなかったと思いますよ?オレの思い違いですか?」

心外だと示してくれたインファを、傷つけた事がわかった。だが、事実だ。そのことを、インファも気がついていたはずだ。

「インかノインか、これまで幾度となく揺れてきた。それは事実だ。だが、おまえ達の心は揺るがずに、このオレをノインだと、オレを選び続けてくれた。感謝している。そして、詫びよう」

「おまえはノインで父さんじゃねーよ。間違いようがねーんだよ。けど、ノイン……ごめんな。おまえがこれまで迷ってきたんなら、それはオレが、王として頼りねーせいだよな?」

歴代最年少の王。風の王は、精霊的年齢が二十代後半から三十代前半に集中していた。だが、リティルはその生い立ちのために、19才という若さの王だ。

皆に認められ慕われる王だが、目指す風の王が伝説言われる風の王であるだけに、力不足を悔やんでいる。

ノインは、背をソファーに預けると、腕を組んだ。

「王としてのおまえは、誰がどう見ても揺るがずに風の王だ。だが、リティル、おまえは危うい。オレがいない間、インファに苦労をかけるな」

褒められ慣れていないリティルは目を見開いたが、「ん?」と眉根を潜め、ジロッと視線をノインに寄越した。

「おまえ、それ、絶対褒めてねーよな?ノイン、絶対に帰ってこいよな!どっかで野垂れ死んだりしたら、オレ、一生捜し続けてやるからな!」

どんなに隠そうと、オレの死を、おまえは知るだろう。そしておまえは、オレの生きた証を、探してくれるのだろうな……。ノインは微笑み、瞳を伏せた。

本当は怒っているのだろう。だがリティルは笑ってくれた。力強く生きている、明るい笑みで。

「頼る気になったら、いつでも頼ってください。オレも独自に探しますから」

信じていますよ?と、インファもニッコリ笑ってくれた。

ノインは、2人に背中を押させ、そして風の城を旅立った。

 ノインを送り出した後、リティルは放心していた。

ノインが死ぬ?悪い冗談だと思った。インファに続いてノインが?15代目風の王の統治する城の、中核を担う風の精霊が、順番に命を脅かされていた。

――命を救いたいオレのエゴが、一家のみんなの命を縮めてるのか?これは、代償なのか?オレは、死を導く風の王――

リティルは、冷たい想いに体が震えそうになった。

「――ノイ……」

隣のインファが、消え入りそうな声で呟いてくれなければ、リティルは無様に、ノインが抗うと言ってくれた言葉を忘れ、1人孤独な道を歩ませるところだった。

「インファ……思ってても言ってやるなよ?でも、今オレだけだよな?言えよ。言ってスッキリしろよ」

リティルが、俯いたインファの背に触れると、インファは堰を切ったように言葉を紡ぎ始めた。

「ノインが、何かを隠している事は気がついていました。親方と何かをコソコソしていることにも気がついていたんです。彼はよく隠しますから注視していたんです。ですが!ですが……それが命の期限に抗うことだったとは思いもよりませんでした。ノインは大人です。オレよりも遙かに大人です。頼ってくれない彼を、オレは今まで散々頼ってきました。インの代わりに――身代わりにしていたのは父さんではありませんオレです!ノインを迷わせたのはオレです。ずっと支え続けてくれた相棒を、オレは……すり減らしてしまったんです。ノイン……なぜですか?なぜ、1人で抗う選択をあなたはしてしまうんですか?オレ達はそんなに……そんなに――!」

頼りないんですか?……言えずにインファは声なく泣き崩れた。

冷静なインファが、父とはいえ誰かの前でこんなに泣くのは皆無に等しいことだった。

「インファ、自分を責めすぎだぜ?ノインをインの身代わりになんて、おまえが絶対させねーだろ?ノインが頼らねーって?頼ってたぜ?ノインはおまえを頼ってたさ。わかってるだろ?」

「しかし父さん……!父――さん……!」

インファは悔しいのだろうなと、頽れた息子の背中を撫でてやりながらリティルは思った。

ノインは、孤高だった14代目風の王・インがベースであるせいで、ほぼすべてのことが1人でできてしまう。加えて補佐官という立場だったために、城を率いる王と副官を支えることが仕事だった。頼られることが仕事だった。

最上級精霊のリティルでも、未だに一太刀もノインに届いたことがない、無敗の騎士。

それでもノインは、インファを頼っていたとリティルは思っている。インファが副官にインサーフローに忙しくしていたときなどは、インファと話すらできないとぼやいていた。

2人は対等に信頼していた。

「ノインは大丈夫だ。オレの父さんが、あいつを殺させねーよ。父さんが遺してくれた知識が、あいつを導いてくれる!だから、信じろ!インとノインを、信じようぜ!」

「こんな――に、心細くなるなんて、思いもよりませんでした。ノイン……あなたを助けられないオレを、許してください……!」

同じ事を言うんだな?打ちひしがれるインファを慰めながら、かつてノインが、苦悩するインファを引き揚げてやれないと落ち込んでいたことを思い出した。

愚痴を言ってきたりぼやいたり、ノインはオレのこともそうやって頼ってくれていたと、リティルは思い出した。ただ、頼らせてくれたばかりではなかった。

今、離れるしかないノインに何ができるのか、リティルはそれを考えていた。

蛇のイチジク。それに関してはおそらく、オレ達がいくら探してもたどり着けないだろう。精霊の至宝の守護者であるリティルには、何となくわかっていた。あれらには、至宝に選ばれた精霊しか関われない。しかしそれを捻じ曲げるのが、風の城だと自負している。

いや、もっと他に――

「あった。あったぜ、ノインを助ける方法!」

泣いていたインファが顔を上げた。まだ涙の伝うその顔に、こんなに泣いてるおまえ、久しぶりだぜ?とリティルはこんなときだが思ってしまった。

「インサーフローだよ。歌うんだ、インファ!おまえ達の歌なら、ノインに届くぜ?インジュの歌なら魂に響かせられるだろ?」

「歌……たしかにそれなら、城にいながらノインの助けになれるかもしれませんね。魂に霊力を送ることができれば、死を食い止められるかもしれません」

インファはグイッと涙を拭うと、その瞳に前向きな光を取り戻してくれた。

だが、止められない……それを2人覚悟していた。


 死の先には何もない。

魂はドゥガリーヤの混沌に溶けて、新たな魂としてこの世に生まれ出ずる。それを、輪廻の輪という。元の魂の所有者のことは、新たな魂には欠片も残らない。

輪廻の輪を回す者である風の精霊はそれを知っていた。だからリティルは、命を奪う選択を極力しない。世界が敵と定め、風の王に討てといったとしても、リティルは最後まで、定められた死の運命を回避しようと尽力してきた。

たとえそれが、自己満足でしかなかったとしても、異形と成り果てた者をも、リティルはその小さな体で抱きしめてきた。

そんな15代目風の王の姿を、よく思わない者もいる。知っていた。味方も多いが、敵も多い。15代目風の王はそんな王だった。

 インファに叩き起こされ、リティルは副官と2人、シェラの開いてくれたゲートを通り大地の城へ赴いた。

ノインが花園を壊滅させたという、その事件を調査するためだ。

森に半分以上飲まれた、廃墟の城。そんな姿の大地の城のエントランスに、城の主である、大地の王・ユグラが待っていた。

年端もいかない少女の姿をした、ホワイトタイガーの耳と尾を生やした精霊だ。

「ユグラ!」

「待ってたわ!すぐに花園に来て!」

ユグラはそう言うと、グイグイとリティルの腕を引いた。リティルとインファは、ユグラに急かされるまま大地の城を出ると、花園に向かったのだった。

 花園は、花の精霊達の住まう場所だ。

花の精霊は弱く儚く、風の精霊が近づいただけで散ってしまう。故に、風の精霊は絶対に近づかない。ノインも当然知っていた。

「!」

ユグラと共に山に囲まれ、更に広大な森に囲まれたその中心にある花園に、足を踏み入れたリティルはあまりの惨状に足を止めていた。

この上空を何度か飛んだことがあるが、地上に落ちた虹のような、美しい場所だったと記憶している。

「実はね、もう風の精霊が近づいたくらいじゃ、花は散らないのよ」

「そうなんですか?」

咲き乱れていたであろう花々がすべて、グチャグチャに踏み荒らされていた。花を付ける木々もすべて折られていた。生きている者の気配は――しなかった。

「シェラがインリーを産んだ2ヶ月かそれくらい後だったと思うわ。シェラが赤ちゃんのインリーを連れてきたことがあったの。シェラ、ここでまだしゃべれなかったインリーに、歌を歌わせたのよ。そしたらね、そうなったの」

「そしたら、そうなったのか……ユグラ、これ、戦闘の痕だよな?ノインと誰が戦ったんだ?」

その話題にリティルは触れなかった。インファは、そんな父にチラリと視線を送ったが、すぐに花園に視線を戻した。

「それが……ノインがやったとしかわからないの。おかしいのよ。花園は、大地の領域の中でも秘境中の秘境よ。それなのに、ノインがやったんだって凄い勢いで知れ渡っちゃって……」

苦虫を噛み潰したような顔をして、ユグラは悔しそうに両手を揉んでいた。

「誰かが吹聴しているということですか。生き残った花の精霊はいますか?」

ユグラは俯いて、首を横に振った。

誰だが知らないが、ノインを陥れるために、花の精霊すべての命を使ったのか?とインファは一瞬で怒りが沸点を超えそうになって何とか耐えた。

「何かねーか、調べていいよな?」

「うん。その為に呼んだんだから。ノインが意味もなくこんなことするはずないもの。変な宝物に魅入られてるなんて、嘘よ!……そう、よね?」

ユグラは怒りながら、反応の薄い風の精霊を、自信なさげに伺ってきた。

「変な宝物?ユグラ、何か知ってるのかよ?」

リティルはキョトンとして、問い返した。だが、リティルの脳裏には『蛇のイチジク』という名が浮かんで消えていた。

「え?噂知らないの?それであなた達反応無かったのね?ノインが風の王と決別して、城を出たって。その理由が、探しちゃいけない宝物に魅入られたせいだって、ノインが狂って、イシュラース中を徘徊してるって。あまりにヒドすぎて、否定して回ってたのよ!」

ユグラは嫌悪感を露わに、怒り狂っていた。

大概な噂に、インファでさえ嫌悪感を露わにしていた。

「はは、すげー噂だな。けど変だな。風の城にはそんな噂、入ってきてないぜ?」

風の城には、すべての世界から新しい情報が常に集まる。一家に対する誹謗中傷は、ラスが執事になってから迅速に処理されるようになった。もともとそんなものは一切無視だったが、ラスは我慢ならないらしい。しかしラスは、一切隠さない。ノインの噂は特に丁寧にまとめてくれていた。こんなにヒドい噂を、ラスが放置するはずがなく、彼の性格なら即リティルに伝えたはずだ。

「え?そんな、どうして?」

ユグラが驚くのも無理はない。噂など新しい情報は、1番初めに風の城に集まるはずだからだ。

「さっきの死の軍団騒ぎといい、風の精霊が関わってるとしか思えねーことが重なってきてるな。ノインの噂流してるヤツは、風にだけ伝えない術を知ってるみてーだ」

「ユグラ、その噂はいつからですか?」

「半月前くらいかしら?」

「水と炎の領域にも、同様の噂が流れているんでしょうか?」

「調べてみるか?イシュラース中にそんな噂が流れてたら、ノインのヤツ、動きづらかっただろうな」

「ノイン、本当に風のお城から出てるの?」

「ああ、単独任務なんだよ。ノインを陥れるなんて、調べられたら困るヤツがいるってことか」

そう呟いたリティルは、変わり果てた花園の中に入って行ってしまった。

 そんなリティルを見送ってしまい、ユグラがインファを心配そうに見上げた。

「……リティル、大丈夫?」

「心穏やかではいられませんよ。父さんは、2代目、3代目、7代目の風の王と散々戦わされましたからね。まだ、本調子ではないと思いますし。加えてノインです。オレ達は今、彼とは一切接触できません。そういう仕事なんです。許可した父さんは、怒り狂っているでしょうね」

オレも腹が立っていますと、インファはフウと息を吐いた。

「!ごめんね!」

「いいえ。あなたも大地の領域が戦場になり、気が気ではなかったでしょう?ホッとしたところにこれですからね、胸中察しますよ」

優しい笑みを向けられ、ユグラはいたたまれなくて俯いた。

「……あたしは大丈夫よ……守ってもらっただけだし……あの歌、すっごくよかったわ!」

ユグラは顔を上げ、笑顔を作って見せた。インファは瞳を細め、更に笑みを深めた。

「それはありがとうございます。ユグラ、花園を案内してくれませんか?」

「うん!……復旧したらまた来てね?」

「ええ、花が散らないというのならば、1度は訪れてみたい場所ですよ」

インファの流れるような言葉に、ユグラは社交辞令だとわかっていた。というのは、花の精霊達は風の精霊を毛嫌いしているからだ。

そのことが、花園をノインが壊滅させたという噂の信憑性を増す結果となった。

鬱陶しい花の精霊に、狂った風の補佐官は報復したのだ!と。

俯いたユグラを尻目に、インファは、さて、何か残っているといいんですけどね。と、気を取り直して前を向いた。


 先に花園に入ったリティルは、力の痕跡を分析していた。

そして、ため息を付いた。分析すればするほど、ここに残る霊力は風のモノで、しかもノインの気配がする。

「はめられた?あいつが……?……無事なのか?ノイン……」

1対1で、ノインが負けることをリティルは考えられなかった。チーム戦ではインファが無敗でも、インファほどの指揮ができる精霊はそうそういない。それに、ここで大きな戦闘があった情報は風にも届いておらず、ユグラも把握していない。ノインが襲われたとしても、この有様は……。

 リティルは、無残に土にまみれてしおれたコスモスを拾い上げた。

慌てて出てきてしまったために、鬼籍を管理する無常の風に、何人死んだのかを確認することを忘れていたなと思い出した。

「シャビ、花園が壊滅してる。死者の数を教えてくれ」

風の中から取り出した水晶球を片手の平に話しかけると、病人のような、しかし思わず見入ってしまいそうな、妖しい魅力のある男性が姿を現した。

『御意。………………死者の数、ゼロでありまする。花園の壊滅は、戦闘によるものなのでありまするか?』

意外な答えだった。完膚なきまでに壊され、誰の気配もしない花園。花の精霊は儚いために、花園から殆ど出ないというのに、いったいどこに行ったのだろうか。

シャビの問いに「そう見えるけどな」と曖昧に答えながら、リティルは確かめるように辺りを見回した。

「……ノインの鬼籍は?」

壊滅した花園。ノインの風の気配。巻き込まれた花の精霊の数は無し。ノインが護った?だとするなら、ノインはどこに?

『ありませぬ!リティル殿、どうされたので?』

リティルは、風の城内外で精霊達に過保護にされがちだが、シャビはその筆頭だ。あまり表情を取り繕えないリティルは、しまったと思い何でもないと笑おうとしたが、思い直した。ノインが関わっているかもしれないと冷静さをかいていたことに、気がついたのだ。

花の精霊達が行方不明なのは、死者の数で判明した。彼女達はやはり死んでいて魂が誰かに捕らえられたとしたら、無常の風にはわかる。宿敵・ネクロマンサーが関わっていないとしたら、答えは?

「シャビ、ファウジ、オレの補佐官を陥れたヤツがいる……」

ノインの鬼籍はない。ならば、ノインは生きているということだ。ノインを信じるなら、ノインが花の精霊達を守ったことになる。そんな彼の行いを、悪の方へ振った者がいるということになる。

これは、風の城への宣戦布告だ。

『それは、本当に?』

冷たく冷えた心の奥底で、熱い怒りのマグマを滾らせたリティルは、彼の声に一気に冷静になっていた。

「………………ラス?」

『割り込んでごめん。インファに、応接間にみんなを集めろと言われていたんだ。花園は本当に壊滅してるんだな?亡くなった花の精霊がゼロってことは、行方不明の花を捜すのか?どう捜せばいいんだ?』

『死した魂を捕らえることができるのは、死霊術・ネクロマンシーだけでありまする。死霊使いが動いた形跡はありませぬ。花の精霊達は生きている可能性が高いと思われまするな』

『じゃあ、風が捜せないはずはないんだけど……』

答えたシャビとは違う方向へ、ラスは視線を投げた。ラスに答えたのはインジュだった。

『引っかからないですねぇ。うーん、風が隠してるってことです?ノインが匿ってるんです?』

『リティル、そっちに何かないか?……リティル?』

「ああ、ごめん。はは、ブチ切れてていろいろ見失ってたんだ。実はな――」

リティルは、ユグラに聞いた、風の拾ってこなかった噂を語った。水晶球の中のラスが絶句していた。「今更だけど、調べてみる」と風の城の執事は真面目な顔で言った。

『大丈夫?』

心を気遣ってくれるラスの前髪に隠れていない右目に、リティルはやっと笑った。

「ああ、おまえの声聞くまでヤバかったけどな」

「誰ともわからない者と、全面戦争でも考えましたか?しっかりしてください、父さん。今のところ、ノインが花園を壊滅させたという線が濃厚です」

リティルの手から、ユグラと共に現れたインファが、水晶球を取り上げた。インファの言葉を聞き、水晶球の中がざわめいた。

「大罪人を捕まえなければなりませんね」

『兄貴、本気で言ってんの?あのノインだよ?あるわけないだろ!』

ラスから水晶球を取り上げたのだろう。レイシが噛みつくように声を荒げた。

「痕跡がそれを示しています。レイシ、彼が風の王の補佐官である以上、厳しい対応が求められますよ。オレ達中核の風は、そういうふうにしか動けません。動けないんですよ、オレ達は。わかりますよね?レイシ」

言い聞かせるように、インファは無情に返した。

『だったらオレは、ノインにつく。今からオレ、風の城の敵だからそのつもりでいてよね!』

「ちょ、ちょっと!ケンカはやめてよ!」

『ユグラ、オレ、ノインの味方について、風の城を裏切るから』

「レイシ……しかたのない弟ですね。オレを眠らせないつもりですか?」

『ふん、知ったこっちゃないね!そんな冷たい兄貴なんて、猫に引っかかれればいいんだよ!』

「どっちが冷たいんですか?地味な嫌がらせですから、くれぐれも、寝ている猫、を起こさないでください」

『アハハハ!いいこと聞いた。兄貴、覚悟してよね?』

『あ、わたしも裏切るからねー!お父さん、お兄ちゃん、バイバイ!』

そう言って、ヒョイッと顔を覗かせたレイシの妻で、風の王夫妻の娘であるインリーが笑顔で手を振った。

「ええ?ちょっと、インリーまで!リティル、止めなくていいの?」

「ん?あいつ、混血精霊だからな、誰にも何にも縛られねーんだよ。しかも、グレてる不良息子なんだ。父親の言うことなんて、聞くわけねーだろ?さて、オレ達は一旦城に戻るぜ。今後の動き決めねーといけねーからな。ユグラ、悪いんだけどな、被害者代表としてオレ達と来てくれねーか?」

精霊と人間の混血だっていっても、リティルと血が繋がってないっていっても、レイシがリティルに逆らったことなんてないじゃない!とユグラは叫びたかったが、ユグラは言葉を飲み込んだ。何も言うなと、リティルに鋭い瞳に睨まれたからだ。

童顔で明るい雰囲気のリティルが、真面目な顔をすると途端に凄みが増す。それを、彼は気がついているのだろうか。

オレには、威厳がない。と言い切る彼が、偉大な風の王であることは疑いようがないのに。

そんなリティルを、ノインは「おまえはおまえのまま行け」と言って守っていた。

「う、うん。いいけど……」

風の城、バラバラじゃないの?とユグラは不安を感じつつ、疲れの見えるリティルとインファを案じたのだった。


 そばに、誰かいたんだろうか?

水晶球の通信を切ったラスは、しばし光を失った水晶球に見入っていた。

「兄貴、ずいぶん用心してたね」

インファとケンカを繰り広げたレイシは、冷たい鋭い瞳に笑みを浮かべて、ラスの隣に座ったインリーの向こうで、ダラリと座って寛いでいた。ケンカが偽装で、何か情報交換したらしいことは新参のラスにもわかっていた。故に、周りにいた誰もレイシを止めなかったのだ。

「やっぱりそうなのか?」

猫、猫、と言い合っていたが、あれはレイシに対するメッセージだったのだろうか。

猫。と聞いて、パッと頭に浮かぶ精霊がいるが、彼と接触しろとそういうことなのだろうか?とラスがボンヤリしていると、レイシが楽しそうに笑った。

「ハハ”寝てる猫”ね。ラス、オレとインリー、ルキルースに行くから、あとよろしくね」レイシはインリー越しにラスに、ニヤリと笑うとインリーを促して席を立った。

「みんな、ノイン捕まえるから、楽しみにしててよ。インジュ、暴走禁止だよ?」

「ええ?わかりましたよ!レイシ、通信球小型版です。ラス直通ですよぉ?」

インジュは、レイシに小さな水晶球のついたピアスを投げた。受け取ったレイシは、右耳のピアスを外すとそれに付け替え、外したピアスを「なくさないでよね」と言ってインジュに投げた。

 「じゃあね」と軽いノリの獣王夫妻を見送って、インジュはラスの正面で、緊張を解いたかのようなため息を付いた。

「レイシ、おしゃれで助かりますねぇ」

インジュの手の平の上には、レイシから預かった翼の形のピアスがあった。それを風の中にしまいながらインジュは呟いた。普段アクセサリーを付けない者がつけていたら、不審がられるが、そうでないからよかったとインジュは笑った。

「そうだね、リティルがおしゃれだから?」

左耳にフクロウの羽のピアス。右耳に赤い涙型のピアス。右腕にクジャクの羽のブレスレット。左手首に、丸いビーズのブレスレット。半端な長さの髪を、黒いリボンで束ねている。

「あれ、全部魔導具です」

「え?そうだったのか?」

「ちなみに、ボクの髪留めも魔導具です。リティルが作ってくれたんですよぉ?羨ましいでしょう?」

インジュは「お父さんとデザイン似せてくれたんですぅ」と嬉しそうだ。インジュの髪で、金でできた羽根の細工が綺麗な、円柱型の髪留めが、キラリと光を返した。

インファの髪留めは、金色の羽根と白い百合の細工が施されている。繊細なデザインは、リティルが得意としているのだった。

「ノインの左耳のピアスは……婚姻の証だったね」

「はい。あれは、フロインとの婚姻の証です。リティル……ノインには何もわたしてないんですよねぇ……」

精霊の婚姻は、霊力で作ったアクセサリーを贈り合うことで成立する。ノインの左耳にある、オウギワシの羽根をモチーフにしたピアスは、彼の妻である風の王の守護鳥・フロインが贈ったものだ。

「こんなことになるなら、何か押しつけておけばよかったって、リティル、言ってました」

ノインを思い、応接間に集まった一家の皆は思い思いの方へ視線を巡らせていた。

「ので、何かほしい人はリティルに作ってもらってくださいねぇ?持ってるだけで、繋がってる感じがしていいですよぉ?」

 そんなインジュが勝手に営業していたとき、大地の城に行っていたリティルとインファが、ユグラと共に帰還した。

リティルは集まっていた皆に、物言いたげに見つめられ「ん?何だよ?」と戸惑っていた。「おかえり。レイシとインリーが出発したよ」

ソファーを立ったラスは、リティル達を出迎えた。

「そうですか。ラス、風の城はノインを大罪人と定め、獣王夫妻はそれに不服を示し離反したと、噂を流してください」

「え?どうしてそんなこと……」

インファはユグラに席を勧めながら、そう言った。

「ノインを守る為だよ。レイシとインリーはあいつを助ける為に行ったんだ。もう、ノイン1人じゃ危ねーからな」

リティルは、インジュの詰めてくれたその隣に腰を下ろすと、疲れたようにため息を付いた。

「収穫無しです?ボクとシェラが行ってみましょうか?ついでに直してきますよぉ?」

疲れている王と副官を見て、インジュは思わしくなかったことを察した。

「ん?そうだなー……悪い、頭がボケてて何にも浮かばねーんだよ」

「あー、お父さんに叩き起こされましたからねぇ。黄昏の軍団のほうも何もないんです。ので、情報収集するしかないですねぇ。ルディルが城の図書室あたるって言ってました。勝手に動いていいなら、そうしますけど?」

インジュにそう提案されて、リティルは同じく疲れ顔のインファに視線を合わせた。

「そうしてくれると、ありがたいですね。オレも頭が働きません」

「大地の王のもてなしはオレがするよ。リティル、インファ、休んでくれ」

「それがいいわ。あたしのことは大丈夫」

ユグラに背中を押され、風の王と副官は席を外す運びとなった。寝室に向かうインファに、彼の妃であるセリアが「インファがちゃんと寝るようにしてくるわ!」と元気に明るく意気込むと、くっついていったのだった。

 無常の風の2人は、鬼籍の書庫に戻ってもらい、深淵の鍛冶屋・ゴーニュも深淵へ戻っていった。破壊の精霊・カルシエーナと再生の精霊・ケルディアスは、ここにいてもしかたがないと、太陽の城に行くと言って出て行ったのだった。

さて、と、インジュがユグラに改めて視線を戻した。

「わかってること、教えてくれません?」

「うん。でも、あんまりないのよ、確かなこと。それがおかしいって言えば、おかしいのよね」

ユグラは、花園が壊滅させられたという知らせを受けたこと、それをしたのがノインであるという報告を受けたこと、半月前から大地の領域に立ったノインの噂のことなどを、スラスラと語った。そこそこの情報量に、インジュは途中でゾナに書記を頼んだほどだった。

 花園の件は、レイシとインリーに任せて、一旦置いておこうということになった。

ラスはずっと気になっていることがあった。

「なぜ、大地の城、風の城、太陽の城だったんだろう?」

ラスは昼の国・セクルースの地図を取り出すと、机の上に広げた。

次元の大樹・神樹を中心に、5つの領域が並んでいる。

1番北、五角形の頂点に太陽の領域。東に炎の領域と風の領域。西に大地の領域と水の領域が並んでいる。

地図で見ると、太陽の領域と大地の領域は接しているが、風の領域は離れていた。

ラスは、もう1枚、風の領域だけの地図を広げた。

領域のほぼ真ん中に風の城が位置し、城は切り立った樹木の生えていない山々に囲まれている。その谷間を縫い、水の領域の方角に向かってのみ道が通っている。城の背後、炎の領域の側はテーブルマウンテンとなっていて、アリの巣のような道が通っているが、その1つも風の城には通じていなかった。

「風の報告だと、炎の領域の側には黄昏の軍団はいなかったんですよねぇ。とすると、大地の領域から水の領域を通って、進軍してたんです?」

インジュが、地図の上に駒を置き始めた。

「だが、だとするならば、なぜ水の領域は無事だったのかね?」

ゾナが大地の領域と風の領域の間にある、水の領域を指さした。

「ユグラ、黄昏の軍団はどっちの方角から攻めてきたんだ?」

ラスの質問を受けて、ユグラが大地の領域の地図を、その小さな両手に緑色の輝きを集めて出現させた。

受け取ったラスが開くと、大地の城は領域のほぼ中心。花園は城のすぐそばで、太陽の領域とも水の領域とも神樹とも遠い位置にあった。

「たしか、神樹の方角からだったわ」

「これは、川かね?」

ゾナが指さしたのは、隣の水の領域から繋がっている太い線だった。それは大地の城を迂回し、神樹の側を回って太陽の領域まで続いていた。

「そうよ。恵みの川よ。風の領域にも、水の領域から川が流れてるわよね」

見れば、水の領域から風の領域の北側、神樹の側を川が流れていた。

「忘却の川ですねぇ。どうして、そんな名前なんです?」

「風は、死の力を使う事のできるセクルースで唯一の精霊なんだ。死はすべてを失うこと、忘れ去られること。この川の名は、そんなところからつけられたんだ。だからって、この川の水を飲んだからって死んだり、記憶を失うことはないよ」

「へえ、ラス物知りです!お父さんいらないですねぇ!」

「そんな不吉なこというと、インファさん、また死んじゃうわよ?」

歌の精霊・エーリュにジトッと睨まれて、インジュは「はい、すみません」と素直に謝っていた。

「川」「川……」

ゾナとラスの声がハモっていた。ゾナとラスは同時に顔を上げ、互いの顔を見た。

「水の領域を調べた方がいい?」

「そのようだね。インジュ、人選をどうするかね?」

「ええ?あのわかるように説明してくださいよぉ。ボク、お父さんみたいに察しよくないですよぉ」

「黄昏の軍団は、川から出てきた可能性があるんだ。大地の領域は神樹側、風の領域は水の領域の方向、太陽の領域は、この辺りから。ほら、みんな川があるほうから来てるんだ」

ラスは、木で作られた赤い矢印を置いていった。

「へえ……そうですか。うーん、水に強い人って……いないですよねぇ……。ゾナは魔道書ですし、炎の魔導士ですし……」

「オレかな?」

怖ず怖ずと自信なさげに手を上げたのは、ラスだった。

「ああ、六属性フルスロットル。でも、ラスはダメです。お父さんかリティルが起きるまでは、最低でも城にいてくれないとです」

「相性がいいのは、わたしだわ」

次ぎに手を上げてくれたのは、花の姫・シェラだった。

「シェラはボクと花園デートです!」

「ふむ、優先順位はどちらが上なのかね?」

「あとでいいって言いたいけれど、花園は早く直してあげたいわ。直すだけならあたしができるけど、現場検証するのよね?」

「ハシゴ……ってわけにはいかないですねぇ。うーんじゃあこうしましょう!水の領域を監視するんです。監視だけなら、風の精霊のエーリュとお目付役のゾナでいけますよねぇ?」

「ゾナ、水に濡れるとふやけちゃう?」

もしも戦闘になったら……とエーリュは、風の城の賢者を案じていた。

そんなエーリュに、ゾナはふむと、頷くと言った。

「ページがくっついて、死んでしまうのでね、瞬間に乾かしてくれたまえよ。冗談だ、許してくれたまえ。風の魔法をリティルが教えてくれたのでね、オレは防水仕様だよ。ククク、ノインが真顔で案じてくれたことがあったことを思い出してしまったよ。今のような冗談を言ったときの顔といったら――」

「もお!死んじゃうなんて冗談でも言わないで!ノイン、怒ったでしょう?」

「それが、怒りはしなかったのだよ。防水は1ページ1ページか、本を覆うようにかと興味深げだったよ」

ゾナが思うにノインは、戦闘でどこまで使えるかと知りたかったのだろう。

水。は、戦場において非常に不利だ。水の中に隠れてしまう魔物が、水面へ浮上するまでひたすら待たなければならない。水の領域、ことさら海が舞台となってしまうと、この風の城でも戦える者は限られてしまう。

いや、雷を操る雷帝・インファと、6属性フルスロットルの旋律の精霊・ラスしかいないのだ。それを、なんとかできないかとノインは考えていたなと、ゾナは城の事ばかり考えていた友人のことを思った。

「あのぉ、それで、どっちなんです?」

「おや、君も気になるのかね?1ページ1ページだよ。水の中でも魔法使用可能なのでね。任せたまえ」

「頼もしいですねぇ。あはは、ボク情けないです……。風三人、偉大ですねぇ」

「うん、偉大だよ。ノインが帰って来るまでオレ達で頑張らないと」

「はい。じゃあ、エーリュ、ゾナ、監視お願いします」

インジュの指示で、シェラがゲートを開き、エーリュとゾナは水の領域へ旅立っていった。

「ラス、城は閉じてくださいよぉ?誰も入れなくていいです。ルディルも締め出しでいいです!」

「はは、大丈夫だよ。オレには強い味方がいるから。それに、地下に無常さんと親方がいるじゃないか」

ラスが応接間に1人になってしまうことを、インジュは心配していた。ラスは強いが、最上級ではなく治癒能力も持たない。襲われることにでもなったらと、インジュは相棒を過剰に心配していた。

「そうです?でも、用心してくださいよぉ?」

心配顔ながら、インジュがやっと腰を浮かせたところだった。開くはずのない、玄関ホールへ続く扉が、開いたのだった。


 ユグラは、思わずインジュの腕に抱きついていた。ラスが、慌てたようにシェラの腕を引いて、庇うように位置を入れ替えていた。

「あら、風の王様はお留守のようですわね」

彼女の声は毒だ。

インジュはそう思ってしまった。その異形とも言える姿さえ、美しい。インジュは、突然現れた来客に瞳を奪われていた。

もしも、インジュに恋愛感情があったなら、これは、俗に言う一目惚れというヤツだったのかもしれない。それほど、彼女はインジュの心を引き付けた。

「王は不在だよ。伝言ならオレが伝えるけど?」

警戒気味に、ラスが進み出た。だが、5、6メートルから先へは距離を詰めなかった。彼女は、気怠げな様子でラスをジロリと一瞥すると、まあ、いいわと言いたげに首を竦めた。

「私は、リャリス。これを、届けに来ましたの」

リャリスと名乗った彼女は、4本ある腕のうちの1本の手に何かを掴んでいて、それをラスに差し出した。

ラスは風を操ると、彼女の異形の腕からそれを受け取った。それを見たラスの雰囲気が、緊張するのを、後ろで見守っていたインジュ達は感じた。

インジュはゆっくりと、コの字型に置かれたソファーの置かれていない机の前に立った。

「これをどこで?」

ラスは平常心を装い、前髪に隠れていない右目で、目の前の女性を観察した。

4本の腕と、灰色の体色。漆黒の癖のない真っ直ぐな長い髪。妖艶な雰囲気を醸しているが、上半身の露出は極めて少なかった。問題は……下半身だ。

彼女は下半身は、蛇だった。

「察してくださらない?」

「それは、ノインを陥れたのがあなただと思っていいって事なのかな?」

「何とでも。私はそれを、届けに来ただけですの」

じゃあとやる気なさげに、リャリスはシュルリと踵を返した。

「この部屋に入って、無事に出られると思ってます?」

インジュの静かな声に、リャリスはゆっくりと振り返った。彼女は、風の最強精霊を前にしても、妖しげな雰囲気を崩さず、赤い唇に笑みを浮かべたままだった。

「あなたがお相手してくださるの?けれども、それは指示されていませんのよ。帰らせていただきますわ」

リャリスの隣を、一陣の風が吹き抜けた。チラリと玄関ホールに続く扉を見やると、ラスに背後を取られていた。正面にいるインジュの背後から、シェラがすでに弓矢を構えていた。

いい動きですこと。リャリスは、シュルリと蛇の下半身をくねらせた。

「争う気は、ありませんのよ?」

ほら、丸腰でしょう?とリャリスは四本の腕を困ったように上げてみせた。

「じゃあ、お話ししましょうよぉ。風の王妃の紅茶、定評ありますよぉ?」

インジュはフワリと微笑むと、ソファーを勧めた。しかし、その瞳は獰猛なオウギワシのそれだった。

「残念ですわ。私、緑茶派ですの」

ザリッと床を硬いモノで引っ掻くような音がしたかと思うと、リャリスは動いていた。

一直線に、ソファーと聳えるような中庭に面したガラス窓の間へと。

狙いに気がついた3人も同時に動いていた。リャリスに向かって放たれたシェラの矢は、彼女がフウッと吹きかけた毒々しい緑色の息に冒され、溶けて消えていた。接近戦へ持ち込めたインジュだったが、地を這うほどに低くなった彼女に脇をすり抜けられていた。

彼女の狙いは、こっそり中庭へ逃げようとしていたユグラだった。小さな彼女は、インジュに背中に隠されて、ソファーの下へ逃げていたのだ。頃合いを見計らって、中庭へ逃げる。そういう手筈になっていた。

 ソファーの下から這い出したばかりのユグラは、襲いかかってくる蛇女に硬直してしまった。リャリスを捕らえようと背後を取ったインジュは、見越していた彼女の毒の息に阻まれてしまった。

――人質にされちゃう!

ユグラはそう思ったが、蛇に睨まれた蛙のように、体が固まって動かなかった。

「――あら、いましたのね」

瞳すら閉じられなかったユグラは、伸ばされたリャリスの手が金色の壁に阻まれているのを見たのだった。

「ちょっとはゆっくり寝かせてくれよな」

ドンッと天井から垂直に金色の風が鋭く落ちてきた。

「リティル!」

風の障壁に守られたユグラと、飛び退いたリャリスとの間に立ったのは、大あくびをするリティルだった。

リティルの出現にホッとしたユグラは、カクンと足の力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。

「遅くなってすみません。大丈夫ですか?ユグラ」

背後から抱き留めてくれたのは、インファだった。この風の障壁は、彼が張ってくれたものだったのだ。

「緑茶くらい、うちの執事が淹れてくれるぜ?大人しく招待受けてくれれば、手荒なまね、しなかったぜ?」

リャリスは、ダイヤモンドの檻に閉じ込められていた。視線を巡らせると、手を繋いでこちらに手をかざしているインジュとセリアの姿があった。セリアの宝石の力を受け取って、インジュが固有魔法・想像の創造で檻を作ったのだ。

 リャリスと対峙するリティルに、ラスがそっと彼女に渡されたモノを手渡した。それは、ノインの仮面だった。偽物か?とも思ったが、どうやら本物のようだ。

「私にも、事情というものがありますのよ?」

檻の中で、リャリスは恐れも何もなくやる気なさげに佇んでいた。

「君、蛇……だよな?」

リティルはしげしげと遠慮無く、リャリスの下半身を観察していた。

「ヘアリーバイパーですか?美しい鱗ですね」

ユグラを首にしがみつかせ片手で抱っこしたまま、インファがリティルの隣に立った。彼女の下半身は蛇だった。青みがかった緑色や茶色を基調とし、不明瞭なバンド模様の、隆起の強い鱗。硬いのだろうか柔らかいのだろうか。リティルはふと触ってみたくなってなんとか耐えた。

「あら、ありがとう。けれど、奥方様の前で褒めていいのかしら?」

リャリスは蠱惑的に笑うと、舐めるようにセリアを見つめた。手を強く握られたインジュは、母が薄ら頬を赤らめたのがわかった。

幻惑の暗殺者という異名のセリアも、彼女の魅了するような妖しさに当てられてしまったのだ。

「美しく可愛いオレの妃は、あなたより数倍魅力的です。それを知っている彼女は、今更嫉妬などしませんよ」

さらりと流れるように言ってのけるインファを、リティルはチラリと物言いたげに見上げたが、小さく息を吐いて結局何も言わなかった。

「で?君は何者なんだよ?ノインの仮面持ってくるなんて、わたしが犯人ですって言ってるようなものだぜ?」

「何者。という問いにはお答えしかねますわね。私も知らないのですわ。そうですわね、何者に属しているのか。というのならば、答えられますわね」

精霊にしか見えないですけどねぇ?とインジュは、遠巻きにリャリスを観察していた。インファはサラリと彼女の蛇の下半身を褒めていたが、本当に、美しい人だなとインジュは目が離せなくて少し困った。インジュの恋愛感情は枯れている。だのに、瞳を奪う彼女の存在はなんだろう。恐れと何かへの期待が、心の中を吹き荒れていた。

「私、黄昏の軍団に属していますのよ」

「ん?その割に、死者って感じはしねーな」

姿は、異形といっていいが、きちんと魂の存在を感じる。彼女は生きているとリティルは言い切った。

「わからないとしか言いようがないのですわ。風の王が死者ではないと言うのならば、生きてはいるのでしょうね」

「投げやりじゃねーか?大丈夫かよ?君をここへ送り込んだヤツは、君に死んでこいとでも言ったのかよ?」

保護してやろうか?そんな心を感じて、リャリスは苦笑した。変わった風の王だと聞いていたが、その片鱗を見た気がした。

「風の城へ行けというのは、死んでこいと同義だと思いますわ。けれども、本当に争う気はありませんのよ?」

「ユグラを狙っておいて、よく言う」

彼の反応が一般的ですわね。とリャリスは首を竦めて見せた。

「それは、人質にして逃げるつもりだったのですもの。大地の王を殺すほど、愚かではありませんわ」

無傷で解放してさしあげてよ?リャリスはフフフとユグラに視線を合わせた。ユグラは真っ青になって、インファにしがみ付いた。

「ノインの仮面を手に入れた経緯を、教えてください」

「花園の上空で遭遇しましたの。驚きましたわ。私のことを、知っていたんですもの」

「ノインが君を?」

彼女の容姿は特異だ。こんな精霊がいるなら、どこからか噂が上がってきていてもいいはずだ。だが、リティルが彼女を知ったのは今の今。ノインはどこで、彼女を知ったのだろうか。

「ええ。蛇のイチジクはどこかと、聞かれましたわね。あれを求めるのはおやめなさいと警告したのですけれど、聞き入れてはもらえませんでしたわね」

蛇のイチジク――!ノインが名だけを口にした至宝。インファでさえ、その至宝が何なのか未だに掴めていない。

リティルは、努めて冷静にリャリスに問うた。

「君は知ってるのか?」

「何をですの?ノインの所在なら知りませんわよ?逃げられてしまいましたもの」

「あなたが襲ったんですか?」

「降りかかる火の粉は払いますわよ。けれども、あの方がゲートを使えるとは、思ってもみませんでしたわね」

ゲート?そんな力、あいつは持ってねーんだけどな?とリティルは思ったが、口にはしなかった。

「蛇のイチジク、君が持ってるのか?」

「いいえ。それを持っているのは、私の父ですわ」

「父?君は純血二世なのかよ?」

精霊と精霊の間に産まれた子供。インファやインリー、インファとセリアの子のインジュ、そしてケルゥがそうだが、彼女も?しかし、何か違和感がある。

「便宜上そう呼んでいるだけですわ」

「君の父親は誰だ」

初めて、リャリスは心から笑った。妖艶で、美しい微笑みだった。

「父の名は、インラジュール」

「!」

インファは咄嗟にリティルを片腕に庇い、落ち着いた様子で半歩進み出たラスが、風の障壁を展開していた。毒々しい緑色の霧が彼女から放たれ、ダイヤモンドの檻は溶かされていた。

「楽しかったですわ。また、お会いしましょう?」

毒々しい暗い緑色の霧が晴れると、中庭へ続くガラス窓の一部が溶け、リャリスの姿はなくなっていた。

「――無事ですか?皆さん」

ユグラとリティルを庇ったインファは、何事もなかったかのように、ユグラを抱いたままリティルから手を放した。

「……ああ。あいつ、余裕だったな。ユグラ、大丈夫か?巻き込んじまって悪かったな」

「あ、あたし、狙われてないわよね?」

「その可能性は低いですね。城まで送りましょうか?」

しかしユグラは、震える手でインファの肩の辺りをギュッと掴んで答えなかった。

「お茶を淹れるわ。ユグラ、みんな座って」

シェラは優しく微笑むと、ラスと共にシラサギの持ってきてくれたワゴンに向かった。

リティルは皆を促し、ソファーに向かったが、1度だけ、金色のスズメたちが群がり修復を始めた溶けたガラス窓を見たのだった。


 リティルは、日の暮れた応接間で資料に目を通していた。ユグラはもういない。平静を取り戻したユグラは、シェラの開いたゲートを通って気丈にも1人で帰っていったのだった。

「……ダメだ。頭に入らねーよ!」

バサッと乱暴に紙の束を机に置いたリティルに、向かいにいたインファがやれやれと微笑んだ。

「敵の狙いに嵌まっているようですね」

「だよな?ムカつくぜ!」

そんなリティルに、コーヒーを手渡しながらラスが隣に腰を下ろしてきた。

「内容なら、オレが把握してるよ。もう、今日は休んだら?」

「この黄昏の軍団に関する資料、素晴らしいですね。オレの頭の中を覗いたのかと思いましたよ」

インファが絶賛した資料は、昼間ゾナ達と話していた内容をまとめたものだった。インファは皆で導き出したことを、1人で、しかも頭の中だけで構築したのか!と震撼すると共に、1つ大きな疑問が湧き起こった。

「……ちゃんと寝てる?」

インファが考えることができた時間は、彼がセリアと寝室に引っ込んでいた時では?とラスは呆れた顔で副官を見ていた。

「寝ていましたよ?セリアは強制睡眠ですからね」

「体に悪そうだ。幻夢の霧で寝てたのに、よくリャリスの侵入に気がついたよ」

イシュラースの半分、夜の国・ルキルース。幻夢帝・ルキの統治するその国が、セリアの故郷だ。ルキルースの精霊は皆、強弱あるが夢の力を使う事ができる。セリアはしばしば、眠りをおろそかにする夫を、強制的に眠らせるのだった。

「風が騒ぎましたからね。父さんも叩き起こされましたよね?」

「ああ。間に合ってよかったぜ」

「でも、あんなところに隠し扉があったなんて、知らなかったよ」

ラスは高い高い天井を見上げた。ここからは見えないが、大きなシャンデリアのぶら下がる天井に、隠し扉があり、寝室のある3階の廊下の床から繋がっているのだ。

「この城な、いろんなところに隠し扉があるんだよ。鳥に化身しねーと通れねーのがほとんどだけどな。図書室にある魔書・風の城に聞いてみろよ。ビックリするぜ?」

そう言って、リティルは明るく笑った。

「なあ、インファ、リャリスが言ったこと、ホントだと思うか?」

「彼女が、インラジュールの娘であるということですか?語っていないことはあると思いますが、事実だと思います」

「インラジュール……5代目風の王だぜ?黄昏の軍団にいた風の王達みてーなら、意思らしい意思なんてねーんだけどな?」

「誰かの指示で動いてるっぽかった。意志ある存在が、彼女のバックにいるのは間違いない。オレが衝撃だったのは、ノインが彼女を知っていて、蛇のイチジクの所在を尋ねたことだよ。ノイン、どうやって調べてるんだ?オレ達がどれだけ探しても、何も見つけられなかったのに」

「……至宝は、関わる者を選ぶんだ。ノインは選ばれたみてーだな」

嫌な予感しかしない。ノインは、本当に帰れると信じているのだろうか。

「会いには、行けない?」

控えめにラスは問うた。本当は、会いに行ったら?と言いたかっただろう。

「ああ。オレが近づいたら、あいつの寿命を縮めちまうからな。レイシとインリー、無事に合流できたみてーでよかったよ。けどインファ、よくノインがルキルースだってわかったよな?」

「花園に、ルキルースに干渉された痕跡が残っていました。意地悪な隠し方をされていたので、ルキが故意に残したんでしょうね。花たちも無事でなりよりでした」

花の精霊達はルキルースだ。ルキルースの王、幻夢帝・ルキが保護したようだ。

「リャリスとやり合ったって?花園を庇いながら?あいつ、死ぬ気かよ!」

1対1でノインが負けることはない。だが、彼の力では、負けることがないというだけだ。リャリスの力は申し分なかった。花園を庇いながらではノインに勝ち目はなかっただろう。

「ノインが父さんでも、戦いましたよね?オレでも戦いますよ。ルキがついていてくれて、助かりました」

「ああ、幻夢帝様々だな。ルキルースに足向けて寝れねーよ。ラス、レイシ、どう動くって?」

「ノインが怪我してるみたいだから、まだ動けないらしいけど、水の領域に目を付けてるみたいだよ」

リャリスは、黄昏の軍団の軍団に属していると言った。彼女の事を知っていたノインは、リャリスが黄昏の軍団に属していることを知っているだろう。そして、彼なら、黄昏の軍団がどこから出現したのか、それにもたどり着いていることだろう。

「ってことは、オレ達と目的地が一緒って事か?ノインと遭遇しねーようにしねーとな。川の監視組は?」

「動きはないって。……リャリス……」

ラスが名を呟き、俯いた。インパクトのある容姿だった。リティルもしばらく忘れられそうにない。

「ん?何か思うところでもあるのかよ?美人だったな~とか?」

「えっ?え……ええと……」

途端に挙動不審になったラスを、図星かよとリティルは呆れた顔で眺めた。ラスは妻のエーリュ共々、シェラの大ファンだ。可憐な姫君であるシェラは、超絶美形と言われるインファと並んで、イシュラースの眼福精霊だ。女性の様な柔らかさの美形であるインジュは、なぜか騒がれないが、美しいと定評のある精霊達に囲まれて、まだ見とれるか?とリティルは思ってしまった。

「おまえ、面食いだな」

正統派美女のセリアには見とれないラスを、リティルは可愛い系が好みなのだと思っていた。だが、あの妖艶な美女に見とれるとは、ストライクゾーンが広いんだなと思ってしまった。

「ち、違う!オレじゃなくて、インジュが……」

「ん?インジュ?」

あいつが異性に興味?もう何百年も聞いたことのなかったことを聞いて、リティルは返答に困った。

「インジュの趣味に合致していましたね。彼女」

「へ?」

肯定するインファに、リティルは驚いて視線を向けていた。そんなリティルにインファは苦笑した。

「格好良かったですよね。オレ達を相手に余裕でしたし、逃げるとは思いましたが、鮮やかでしたね。異性としてインジュが見ているかどうかはさておき、オレも非常に興味があります」

インファは、彼女に悪い感情はないらしく、もう1度会ってみたいと言い出した。

 おいおい、大丈夫なのかよ?と余裕すぎる副官に、リティルが一抹の不安を覚えた頃、城の奥へ続く扉が開いた。

「インジュ?」

怖ず怖ずと自信なさげに現れたのは、インジュだった。浮き沈みが激しいが、ねあかな彼が神妙に見えて、リティルはどうしたのかと腰を浮かせていた。

「すみません……なんだか眠れなくてですねぇ……ボクも混ざっていいですかぁ?」

いいぞ、座れよ!とリティルは手招くと、ラスとインファに酒でも飲むか?と提案した。

ラスには、こんな時に?と苦言を呈されるかと思ったが、ラスはいいよと言って、用意するよと部屋を出て行った。

「今な、リャリスのこと話してたんだよ」

リティルがおもむろに切り出すと、インジュは一瞬瞳を見開いてリティルの顔を見た。

「おまえ、気になるのかよ?」

「……はい……すみません……敵なのに……」

「インファもな、あいつのこと好きだっていうんだよ」

ガバッとインジュが顔を上げた。

「誤解を招く言い方を、しないでください。オレがウッカリ美しいと言ってしまったもので、セリアに睨まれてしまいましたよ」

「おまえの発言にはオレもビックリだったよ!あいつ、美人だったけどな、セリアの前じゃマズいだろ!」

「あのぉ、シェラは気にしないんです?」

キョトンと、リティルはしながら答えた。

「気にしねーよ?オレの言い方がそういう風に聞こえねーから、気にならないって言われたぜ?」

「お父さんの発言、惚気にしか聞こえなかったんですけど……シェラの器ですねぇ」

「違うよ。インファは女嫌いじゃないか。そんな人が容姿を褒めたら、セリアは不安になるよ」

シラサギと共にワインのボトルを数本持って戻ってきたラスが、会話に加わった。

「オレが気が多いみてーじゃねーか」

グラスに赤ワインを注ぎ、ラスは皆に配る。そして、自分もソファーに腰を下ろした。

「リティルは普段から褒めてるから。歌がうまいとか、戦い方がって。インファの事なんて、しょっちゅう褒めてるだろ?その延長で容姿も褒めるから、気にならないんだよ」

「へ?オレ、そんなに褒めてるか?」

「ええ、褒められていますね。あとはそうですね、礼を言われますね」

「それは言ってる自覚あるなー。そりゃ、みんなには感謝しかねーしな」

そう言って、リティルは高い天井を、目を細めて見上げた。

「それはそうと、今度リャリスに会ったらどう戦うんだよ?気に入ってても、気になってても敵だぜ?あいつ」

「インラジュールの娘って言ってましたねぇ。純血二世じゃないって、蛇のイチジクって生命まで作り出せるんです?」

「召使い精霊、守護精霊、作って作り出せねーこともねーのが精霊って種族だけどな。あいつはどう見ても独立した精霊だったな。自分の存在がなんなのかわからねーって、グロウタースの民みてーなこと言ってたな」

「話して……みたいんです。あの人と。ボク、変ですよね?」

こんなに自信なさげなインジュは久しぶりだ。インジュは負けても「悔しい!」と言って、あまり俯くことがない。強い相手に会えば燃えるのが煌帝・インジュだ。なのに、リャリスにはそんな気は起きないらしい。

「エンドは何か言ってるか?」

「いいえ。エンド君、リャリスの事になると何も言わないんです。今も聞いてない感じなんですよぉ」

エンドとは、インジュのもう1つの人格だ。インジュの強すぎる殺戮の衝動を制御するため、彼自身が作り出した。よき相談相手で、戦闘時では相手の力を分析してくれたりするらしい。

案外おしゃべりであるらしく、何も言わないエンドが怖いと、インジュはそちらの態度にも困惑しているようだった。

「おーいエンド、インジュを不安にさせるなよ。ノインに加えて、獣王夫妻もいねーんだ。インジュには気張ってもらわねーといけねーんだからな」

「……わかってるって言ってます。じゃあ、どうしてなんです?エンド君?」

エンドはまた答えなくなってしまったらしい。インジュはハアとため息を付いた。

「インジュ、エンドも戸惑ってるのかもしれないぜ?しっかしおまえ、どうしてそう癖の強えーヤツばっかりなんだよ?」

「それ、オレも入ってる?」

ラスが苦笑いを浮かべた。

「まあな。暴走オプション付き極度の男性恐怖症だしな、おまえ。マシになったって言っても、それを落として相棒にするって、ものすげーよ。その勢いで、リャリスも落とすか?」

「ええ?大丈夫なのか?10代も前の風の王の娘を名乗ってるって、怪しすぎるよ」

ラスの言っていることはもっともだ。だが、何かが引っかかっていた。

「うーん、オレもあいつには悪い感情がねーんだよな。ルキの機転のおかげって言えばそうなんだけどな、実質あの戦いでの花園の被害、なかっただろ?」

「うん。花園は壊滅してたけど、ノインもリャリスも殺してないことになる」

「ノインを叩きのめしたのには、意味があるような気がするんだよな。ダメだな。どうしてオレ、あいつを信用してーんだ?」

「風の王の娘を名乗ったからですよ。血という繋がりはありませんが、やはり歴代の王達とどこかつながっているんだと思いますよ」

「なるほどなー。親近感ってヤツか。けどあいつ、鳥じゃねーけどな」

「上空でノインと遭遇って言ってませんでしたぁ?空飛ぶ蛇って、龍ってことです?」

「彼女の攻撃からは、風の要素も水の要素も感じませんでしたね。むしろ、大地でしょうか?」

龍は川に関係している者が多い。故に、龍の姿に化身する精霊の多くは水の精霊で、雨を降らせる為に天へ昇る。しかし、蛇は、地を這う者と言われ、その姿に化身する者の多くは大地の精霊だ。昆虫に化身することのできる大地の精霊は飛ぶことができる者もいるが、爬虫類が飛ぶというのは聞いたことがない。

ちなみに風の精霊は、これまで例外なく鳥類以外に化身する者はいない。

「ますます興味が……いえ、なんでもないです!」

自分の口から出た言葉にインジュは驚いて、すぐさま否定した。

「いいんだぜ?インジュ。興味あるなら興味持っておけよ。あいつとは、殺し合わなくてもいいような気がするしな」

「そうですか。でしたら、オレも話しかけてみますよ」

「お?インファ積極的じゃねーか」

女相手に珍しいと、リティルはからかうように笑った。

「オレに興味の無い、度胸のある女性は好きです」

「ほ、ほどほどにしてくださいよぉ!お母さんが怒っちゃいますよ?お父さん、酔ってます?」

「酔ってませんよ?ワインでしたら、リティルと樽でいけますよ。いけますよね?父さん」

「ハハ、インファ、飲んでも酔わねーヤツのこと、グロウタースでなんて言うか知ってるか?」

インファはニッコリ微笑んで、リティルと顔を合わせた。

「ウワバミだ」「ウワバミですね」

「ハハハハハ!あいつとオレ達の共通点あったな」

「乱暴なこじつけですよ。ウワバミは大蛇ですよ?ヘアリーバイパーは大きくはありません。彼女と会えば、レイシは容赦ないでしょうね」

「ああ。先に手を出したのがノインだったとしても、オレの不良息子は許せねーだろうからな。ノインが弱ってるなら尚更だな。インジュ、城はおまえとラスに任せるぜ?」

「はい!シェラと無常さんの出番、ないといいです」

「消極的だな。今後戦場になるとしたら、水の領域と風の城だ。オレ達が間に合わなかったら、剣狼の女王に助けてもらえよ?」

剣狼の女王・フツノミタマ。リティルとは契約関係にあり、たまにフラリと風の城を訪れる、風の領域の住人だ。剣狼と呼ばれる戦闘の力の高いオオカミたちを従えた、武神のような女性だ。

「はい。なるべく間に合ってくださいよぉ?ボク、今回はまともに戦えませんからねぇ」

「黄昏の軍団だったら、インサーフローで一掃だろ?何とかなるぜ」

「……」

インジュは、手に持ったワインに無言で視線を落とした。その様子が、とても弱々しく見えた。

「インジュ、心配事があるんですか?」

「ボク……戦いたくないって思ったの、力を手に入れて初めてです。ノインとあの人に、戦ってほしくないです」

「ノインが負けたから?」

「いいえ。あの人は、死のような気がするんです。綺麗な死……棺桶で眠る、美しい死に顔……。ノイン、死なないですよね?命の期限って、本当に覆せるんです?ノインの魂の叫びが、一瞬だけ聞こえました。リティル!って呼んでたんです」

空耳かと思った。ノインの声だとは思ったが、あまりに悲痛で、余裕のあるクールな彼とかけ離れていた。今思えば、あの声が聞こえたのは、花園が壊滅したときだ。ノインが、傷を負ってルキに助けられたときだ。ノインはあの時、死を覚悟した?最後に会いたい者の影に、手を伸ばした?リティルに会えないノインは、どんな気持ちで、リティルの名を呼んだのだろうか。それを思うと、ノインをそんな気持ちにさせたリャリスを敵だと思いたかった。だが、気怠げに、自分が何者かわからないと言いながら、それすらも気にした様子のない彼女が、気になってしょうがなかった。エンドが何も言ってくれないこともあり、インジュは悩んでしまった。

この気持ちは何なんだろう?インジュの心の中に、想いは像を結ばない。

「あいつが、オレを?……あるかもな。あいつの存在理由はオレなんだ。何の肩書きもねー、リティルっていう存在を守る為に、目覚めてくれた精霊なんだ。大人でクールで、そばにいたときはオレが1番大事なんて、思わせてくれたことなんてなかったぜ。シャビの方がオレが大事だってにじみ出てるくらいだからな」

「そうですね。シャビは、父さんが1番大事だと態度で示していますね。しかし、存在理由は鬼籍の管理ですけどね」

「ああ。オレに固執するのは、オレがシャビの主君だからだ。それ以上でも以下でもねーんだ。けど、ノインは……オレと離れてることだけで、追い詰められかねねーよな。ヤバイな。急に不安になってきたぜ」

白ワインの注がれたグラスを、ジッと見つめて俯いてしまったリティルの様子に、ラスが立ち上がった。

「リティル、オレがルキルースに届かせる。歌ってくれないか?」

え?っとリティルが顔を上げた。リティルの向かいに座っていたインファが、そっと立ち上がる。

「オレが増幅します。父さん、そのブレスレットにルキルースへの扉がありますよね?ラスに貸してあげてください」

インファの隣のいたインジュも立ち上がった。

「歌がありましたねぇ。ノインに何もあげてなくても、リティルの歌ならノインの魂に届きますよぉ?ボクが安らぎの要音仕込みますから、リティルがメインで歌ってくださいよぉ!」

「はは、風の精霊でよかったな。おし!歌うぜ!」

そう言って立ち上がり、何もない床へと飛んだリティルを追って、3人も翼を広げた。

 ラスの正面にリティルが立ち、4人は円形に向かい合った。

リティルはすっと瞳を閉じると、『風の奏でる歌』を優しく歌い始めた。その声に、インファが重ね、インジュが加わる。

――心に 風を 魂に 歌を 限りないと 君を信じて

――眼差しの向こう 風の導きに 逆らっても 叫べ 信じるままに

――透明な腕に 抱かれ 別れを突きつけられても 歌え 想いのままに――……

ノイン……離れてても、オレ達は一緒だぜ?命ある限り、ずっとだ!リティルの閉じた瞼の裏に、背を合わせて立つ、同じ顔の2人の風の精霊がいた。

1人は、無表情に前を真っ直ぐに見つめる、髪の長い男性。

もう1人は、仮面で顔の上から半分を隠した、涼やかな眼差しに笑みを浮かべる、髪の短い男性。

14代目風の王・インと、風の騎士・ノインの姿だった。

リティルにとって、2人は同一であり、違う存在だった。インの願いを受け取ってそばにいるノインは、リティルにとってインではない。だが、その戦い方、知識はインの物で、完全にインではないと言ってやれないもどかしさが確かにあった。

もしも、とリティルは思う。

もしもノインの中に、インの「リティルを何をしても、何を捨てても守りたい」という想いがなかったなら、彼は騎士としてリティルのそばにいてくれたのだろうか?と。

インと親子だった記憶を一切を持たないノインは、この子供な15代目風の王を、主君と認めてくれたのだろうか?と、リティルはそんなことを考えてしまうのだった。

 長い時を一緒に過ごし、世話を焼くノインの姿を、精霊達はいつしかリティルの兄だと思うようになってしまった。グロウタースを知らないくせに、変な知識だけはある精霊達にたまにリティルは全力で困る。

リティルの息子で、インによく似ているインファの存在が、インその者の容姿で、インファの兄弟ではないノインの存在を、そんなふうに解釈させたらしい。

精霊は、血縁がないほうが普通だろ!そう思うのに、婚姻関係にある精霊ばかり集まる風の城だからなと、ノインのことを誤解されたらしい。

インの蘇りの生まれ変わり。インが作ったといえばそうなるのか?と、同じくインに作られたインの息子であるリティルは、否定して説明する言葉がなく、もう面倒くさい!と聞かないふりをしていた。

リティル自身、ノインを、どういう存在なのか?と聞かれると、悩んでしまう。

王と補佐官。それだけではない感情が確かにあるのだ。

クールで大人なノインに、憧れる。父であるインには抱かなかった感情が、ノインに対してはある。

兄――的外れではないのだ。風の王ではないリティルは確かに、彼を自分よりも上だと見て、慕っているのだ。

張り合いたくて、でも勝てなくて、認めてほしい人。リティルにとってノインは、そんな存在だった。


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