一章 黄昏に沈む
ノイン、巻き込まれるなよ?
リティルは、セクルースの半分が戦場になってしまった事態に、兄のような補佐官の身を案じずにはいられなかった。
息子のレイシには、ノインは大丈夫だと言い切ったが、聡明で嫌みなほど冷静な大人な彼でも、この、死の匂いが充満しつつあるセクルースは厳しいだろう。
なんせ彼は今、死へ向かって時計の針を進めさせられている状態なのだから。しかし、どうしてやることもできない。リティルには、ノインの居場所すらわからないのだ。大事な補佐官のことを、想うなと言う方が無理な話だ。
だが、リティルはキッと前を向いた。ノインなら「目の前のモノに集中しろ!」と叱ってくれると思うからだ。
世界中にゲートを繋ぐことのできる、次元の大樹・神樹の娘であるシェラに、太陽の城の上空にゲートを繋げてもらったリティルとゾナは、白く輝く華奢な城の、広大な庭園に舞い降りた。芝と石畳の道で大きな太陽の絵が描かれただけのだだっ広い庭園だった。上空から見ると圧巻だが、こんな空高く飛べる精霊は風の精霊くらいしかいない。地上からでは、ただの広い野っ原だった。
「おう!リティル、待っていたぞ」
粗暴な声がして、振り返るとそこには、オレンジ色の髪を伸ばしたい放題伸ばした、ずぼらで豪快な大男が立っていた。
夕暮れの太陽王・ルディルだ。ルディルは、風の王の証であるオオタカの翼を生やしていた。それは彼が、初代風の王だからだ。その名残で、彼の背には、色こそオレンジだが、リティルと同じオオタカの翼があるのだった。
「ルディル、城の守りは大丈夫か?」
「おうよ。で?どう戦う?リティル」
おまえの戦略聞いてやる!と、ルディルはがさつに豪快に笑った。
「大魔法で一掃だ」
「豪快だねえ。そういうの、嫌いじゃねぇわ」
ルディルは「さてやるか!」と両手の指をバキバキと鳴らした。あの大群を目の当たりにしてもこの余裕、さすがは元最強の風の王だ。
「おまえは力温存しといてくれよ?オレとゾナで魔法撃った後が、本番だからな」
「おう、何かが釣れてくれりゃぁいいんだがなぁ」
「親玉、いると思うか?」
「ああ、これだけの規模だからなぁ。指揮してるヤツがいやがるぞ。他の奴ら、大丈夫か?」
「たぶんな。親玉が釣れたら、戦場放棄しろって言ってあるぜ。風の城が落ちると痛いけどな」
「風の城はインファか?」
「ああ。補佐でシェラとファウジが討って出てるぜ。城内はインリー、インジュ、シャビ、観測はセリアとゴーニュだ。余っ程落ちねーとは思うけどな」
「セリアとゴーニュのおっさんか。あいつらにかかってるってわけだな」
ルディルは、男らしい顎を撫でながら「正体がわからんことには、対処のしようがねぇわ」と、笑みさえ浮かぶ余裕の表情で呟いた。
「……おっさんって、おまえもおっさんだろ?」
「抜かせ!オレはまだ若いぞ!なあ、ゾナ?」
同年代だ!と言いたげに、ルディルはゾナの肩を組んだ。ゾナは作り笑いを浮かべて、ヤンワリと拒否していた。
「精霊的年齢19のオレからすると、30過ぎのおまえらも、55って言ってたかな?ゴーニュも変わらないぜ?」
おまえら、おっさんだ!とリティルに言い切られて、ルディルは固まった。そして「そういや、おまえお子ちゃまだったな」と、ルディルはフウとため息を付きながら、50センチ以上背の違う小さなリティルの頭をグリグリとなで回して逆襲した。リティルはルディルの大きな手を両手で掴んで引き離そうとしながら「やめろ!ガキじゃねーよ!」と抗議していた。
「リティル、それはオレも一緒にされたくないと、言わざるを得ないよ。さて、何をお見舞いするとしようか?リクエストはあるかね?」
ゴーニュとは20は年が違うと苦笑したゾナは、気を取り直して、何の魔法を使おうかと聞いてきた。
ゾナは、時の精霊だが、本体は魔道書だ。その魔道書には、時以外の属性の魔法が多く記されている。そしてその魔法は、研究者気質のゾナの手によって改良が重ねられているのだった。それに、インファは一役買っている。インファは自身の力である風と白い光以外の力は扱えないが、他の属性の力に精通していて精霊大師範という異名で呼ばれていた。副官であるインファは、風の城の応接間の、恐ろしく高い天井に向かって聳える、中庭に面した、尖頭窓のそばにあるソファーが定位置だ。ゾナは、応接間の暖炉のそばの肘掛け椅子が定位置だ。同じ部屋にいる2人は、仕事の合間に息抜きと称して、魔法の研究を行っているのだった。
「そりゃおまえ、得意の炎じゃねぇの?」
青い業火の賢者だったよな?異名。とルディルはそれしかないと言いたげだった。
「広範囲焼き尽くすが、いいのかね?」
「構わんぞ。どうせオレがやっても、地形変わっちまうからなぁ」
そう言ってルディルは、豪快に笑ったのだった。
「はは。じゃあ、コントロールはオレだな」
行ってくるとルディルに笑うと、リティルは金色のオオタカの翼をはためかせ、空へ舞い上がった。ゾナは、暗い青色の鱗に覆われた、トカゲ型のドラゴンの背に乗り、リティルを追って行った。
「ふう。こりゃぁ、イシュラース始まって以来の大戦争だわ。骨の兵士たぁ、何が起こっていやがる?」
骨……それだけ聞けば、死者か?と思えるが、あり得ない。死者――死に関したことは風の王の領域だ。そのはずなんだがな……と、ルディルは迫ってくる地を踏みならす音を聞いていた。
空高く舞い上がったリティルとゾナは、砂埃を上げて迫ってくる大群を見据えた。再生の精霊・ケルディアスの報告の通り、骨の馬に跨がった骸骨の兵隊が進軍していた。
「はは、どっからどう見ても死の軍団だな。これの鎮圧に失敗したら、風の王のご乱心だと思われるぜ?」
「あれは、死者なのかね?」
リティルはわからないと首を横に振った。
「風の精霊以外で、死に触れられる精霊はいないはずなんだ。って言っても、オレも全部の精霊を知ってるわけじゃねーけどな。まあ、観測役の2人に任せるさ」
風一家に狩られた魂は、風の城を経由して始まりの地・ドゥガリーヤに導かれるようにしてある。風の城を通る時、風の王の闘志である、殺戮の衝動を造り鍛える深淵の鍛冶屋・ゴーニュが霊力を分析し、生命奪取という、生命力を奪う固有魔法を操るのあるセリアが、この軍勢が生き物であるのかそうでないのかを調べる手筈になっていた。
「こんな有無を言わせねー展開は、そうそう無いぜ?」
ヤルか?とリティルは、ゾナに青い炎の魔法の展開を促した。ゾナの差し出した左手に、懐中時計の巻き付いた分厚い魔道書が現れた。ゾナが呪文を詠唱し始めると、魔道書のページが淡くコバルトブルーに光りながら独りでに繰れた。
ゾナの前方に向けた右手に、青い炎が燃え始めた。
リティルは横からその炎に干渉する。すると、ゴッと大きな青い炎の塊が産み出された化と思うと、1羽の巨大なオオタカの姿を取っていた。青い炎のオオタカは羽ばたき、骸骨兵達の上を舐めるように飛んだ。その途端に、骸骨兵達はたちまち青い炎に灼かれていった。焼き尽くされ、頽れていく仲間だったモノを踏み越えて、骸骨兵の進軍はなおも衰えない。
ゾナとリティルは次々と青い炎の猛禽を産みだし、戦場に放った。10羽ほど産み出したところで、骸骨兵達の進軍が止まった。進軍スピードを、炎の猛禽たちが焼き尽くす方が上回ったのだ。
「一応底はあるんだな」
片手を目の上にひさしのように置いて、リティルは目を眇めた。どこから湧いているのかはわからなかったが、大軍の尻が見えた。
「もう一押しして、蹂躙するかね?」
あれだけの大魔法を使っても、ゾナは疲れた様子なくケロッとしていた。さっさと終わらせられるなら、そんな楽なことはない。もう少し力を込めて、焼き尽くすかとゾナに言いかけたリティルは、当然飛来した殺気に、咄嗟にゾナを庇っていた。
ゾナを背後から斬りつけてきた者の刃を、リティルは愛用のショートソードを両手に抜き、凌いでいた。
「やっとお出ましか?おまえ、誰だよ?」
黒い鎧に身を包んだ、長身な細身の男。体型から男だろうと思うが、あの鎧の形状では、中身が女性でもわからないなと思った。顔はフルフェイスの兜で見えず、まあ、男性ということにしておこうとリティルは思った。
「ゾナ!オレ、遊んでくるぜ!掃除よろしくな!」
黒い鎧と切り結びながら、リティルはゾナに言葉を投げた。
「承知した。風の王、存分にやってきたまえ」
ゾナの霊力が増し、青い炎がゾナを守るように駆け抜けながら、徐々にその太さを増していった。それは龍へと成長し、咆哮を上げながら、底の見えた骸骨兵達目掛けて一直線に飛んでいった。
リティルはその光景を、黒い鎧と切り結びながらチラリと見ていた。
「おまえの兵士、殺し尽くされちまうな!」
リティルはニヤリと微笑むと、相手の剣をギリギリで躱し、その懐に鋭く飛び込んだ。
「顔見せろよ!」
リティルの手の平が、黒い鎧の胸に押し当てられていた。ドンッと放った風が、彼の鎧を粉々に砕く。
鎧の下から現れたその人物に、リティルは「え?」と瞳を奪われた。
金色の長い髪、背負ったオオタカの翼――その姿に見覚えがあった。いや、思い返せば、その鎧にも見覚えが――
「おまえ……風の王?」
風の城には、歴代風の王の肖像画が飾られた部屋があった。そこに飾られている2代目から15代目までの絵、目の前の彼は、その中の1人のような気が、リティルはしていた。14代目風の王・インに造られたリティル以外の王は、インファに系統が似た顔立ちを皆していたと記憶している。
――どういうことだ?
風の王は、死して代替わりしていったはずだ。それなのに、今目の前にいるのは?刹那混乱したリティルは、彼の放った攻撃を避け損なった。
「甘いねえ。インファが強制パワーアップさせられるわけだわなぁ」
リティルを突き飛ばして風の王?の長剣を代わりに受けたのは、地上から鋭く飛来したルディルだった。
「よお、おまえは2代目、インフィだな?なんだ、死にぞこなっていやがったのか?」
ルディルの巨体に弾き飛ばされたリティルは、空中で体勢を立て直して振り返った。リティルは、ルディルがニヤリと笑うのを見た。その顔を見たリティルは、鋭く飛び、2人が剣を合わせる前に、容赦なく2代目だと思われる彼を切り裂いた。
2代目は、あっけなくその身を金色の風に変えて消え去った。脆い。まさか一撃で葬り去れるとは思わなかったリティルは、ヒヤッと体が刹那冷えた。
そんなリティルの様子に、ルディルは気がつかなかった。
風の王の証を失い、幽閉されながらもルディルは、2代目から15代目までの王のことを知っていた。
消え行く2代目の残滓に手を伸ばしたいのを、ルディルは堪えた。憂うこと、引き留めるように触れることは、ルディルがしていいことではなかった。ルディルが、彼等に課してしまったことを思えば……。
「リティル、おまえさん――」
剥き出しの力のような大剣の切っ先を下げたルディルは、咎めるように15代目風の王の名を呼んだ。リティルが獲物を横取りした理由を、ルディルは察していた。リティルは、ルディルが風の王達に自責の念を抱いていることを知っている。ルディルが風の王の姿をしたモノと、対峙しないようにしようとしてくれたのだ。
「悪趣味だな。悪趣味すぎて、思わずヤッちまったぜ」
リティルは、嫌悪感を露わにした。そんなリティルの様子に、気を使わせたなとルディルは、普段負の感情など見せない優しすぎる風の王に、感謝した。
風の王が、15代目まで死んでしまったのは、初代風の王・ルディルの罪だ。
ルディルが、先代太陽王と揉めなければ、ルディルが風の王の証を放棄して幽閉されなければ、風の王はここまで死ぬことはなかった。
ルディルを幽閉場所から助け出し、先代太陽王を共に討ってくれたリティルは、当時歴代最弱の王だった。リティルがこれまで生き残ってくれたことは奇蹟だが、リティルは、その絶対生き残ってみせる!という誓いにも似た想いを守り通し、ルディルが課してしまった命がけの試練にも打ち勝って、最上級精霊へと返り咲いてくれた。
リティルは、どんなに感謝してもしきれない、ルディルのかけがえのない友人だ。
「にしても、おまえがヤルこたぁねぇわ。大丈夫か?」
ルディルは、僅かにリティルの手が震えていることに気がついた。彼は優しいが決して弱い王ではない。だが、割り切れないよな?ルディルは表情を、からかうような笑みに取り繕った。
「ああ?オレは風の王だぜ?こんなことで、いちいち傷ついてられるかよ!」
強がるリティルに、こんなリティルを守ってきた涼やかな目元の補佐官を思い出した。彼ならこんな時、理不尽に斬りたくなかった者を斬ったリティルを、スマートに慰めてやれるのになと、早く帰ってこいと思ってしまった。
「リティル、一筋縄ではいかないようだが、どうするかね?」
ゾナの冷ややかな声に、2人はハッとして彼の見据える方へ視線を向けた。
眼下、ゾナの炎で蹂躙されたはずの骸骨兵達が不死鳥のごとく蘇ってくる様が、リティルの瞳に映った。
奴らは不死身か?リティルは、絶望的な状況を打開する方法を探していた。
――待てよ?産み出された兵隊が不死身だってことは、まさか――!
リティルがあることに気がついた時だった。背後に集まった風の気配に、3人は同時に反応していたが、防御が間に合わない。
「くっ!」
ルディルはその巨体を生かして、リティルとゾナを守っていた。ルディルの背後で、リティルはルディルの右腕が落ちるのを見た。
「ルディル!」
ルディルの巨体を飛び越えたリティルは、復活した2代目を頭から一刀のもと切り伏せた。
「インファ!レイシ!歴代風の王も不死身だ!気をつけろ!」
両手の剣を手放しながら空中で蹌踉めいたルディルを支え、リティルは手の平に集めた風の中から水晶球を取り出して叫んでいた。
『ええ、3代目、手強かったですね』
『ラスがいてくれて助かったよ。一瞬兄貴かと思っちゃったよ』
息子達はすぐに答えてくれた。インファは心配していなかったが、レイシの補佐に付けた風の城の執事は、いい仕事をしてくれたようだ。
「ルディル、今癒やすか――」
リティルの中には、王妃であるシェラの霊力が留まっている。彼女の力である無限の癒しを使えば、落ちた腕などすぐに癒やすことができるのだが、ルディルはそれを拒んだ。
「その力、自分のために使いやがれ。ゾナは治癒魔法を操れるだろう?オレはそっちでいい」
「けど、おまえ……」
失った腕から血が止まらずに流れていた。ルディルは無事な左手で傷口を撫でると、傷口を焼き止血してしまった。
「リティル、2代目は刃が鋭いぞ。一撃も食らうな!小っこいおまえじゃ真っ二つだ」
「ああ、そんな目にあったら雷帝親子に怒られちまうからな。用心するよ」
ともかく、ルディルを癒やさないとと、ゾナを振り返ったところだった。
水晶球が再び光り出し、インファの声が聞こえた。
『父さん、敵の正体がわかりました。死者です。鎮魂歌を歌います』
観測役の2人が突き止めてくれたようだ。
一気に決めてやる!リティルは、キッと水晶球を睨むと言った。
「わかった。インサーフロー、頼むぜ?ラス!蓄音機で拡散してくれ。敵はオレが全部引き受ける!」
『了解しました』
『わかった』
インファとラスは言葉少なく頷くと、水晶球から消えた。
「ゾナ、ルディルを頼むぜ?」
「承知した」
ゾナの乗るドラゴンは、ルディルの斬られて落ちた腕を咥えていた。リティルは、ルディルをドラゴンの背に乗せると地上へ見送った。
1人空中に残ったリティルの目の前に、再び風が集まった。
――おまえも風の王だ。だから……気兼ねなくぶっ飛ばす!
再び形を取った2代目の風の王を睨み、リティルは心の中に呼びかけた。
「ジョーカー、一暴れしようぜ?」
ドクンッと空気を震わせるほどの鼓動が、リティルから脈打った。リティルの姿が変貌を始めた。リティルから立ち上った風が、斬りかかってきた2代目を消し飛ばしていた。
『うおおおおおおおおおおおん!』
憂いを帯びた、哀しくも力強い声が、イシュラースの空に解き放たれていた。
リティルの姿は、上半身の逞しい、翼ある体の大きな人狼に変化を遂げていた。
更に上昇したリティルは、大地を見下ろして歌い出した。
風の奏でる歌――風の精霊の力ある歌。歌う者によって、聞く者に現れる効果の変わる、魔法の歌。風の精霊の魂の歌だ。
リティルはこの歌を、心根1つで様々に歌うことができる。
――すべての脅威をオレに集めてやる!インファ、インジュ、ラス、頼んだぜ!
歌うリティルに、地上の骸骨兵達が引き寄せられ、リティルの真下でグルグルと回り始めた。そして、風の城の方角と大地の城の方角から、風の王と思わしき気配が鋭く飛来するのを感じた。リティルは歌いながら、襲いかかってきた2代目の剣を鋭くナイフほどに伸びた爪で受け、そのまま、激しく斬り合う。弾き飛ばした2代目の穴を埋めるように、2つの気配が背後と正面から同時に襲いかかってきた。
ギリギリまで引き付けたリティルは、正面から来た、レイシがインファに似てたと言った風の王と刹那目があった。
――ごめんな!
巨体に似合わない俊敏さで彼の攻撃を避けたリティルは、背後から来ていた3代目と彼は相打っていた。散っていく金色の風。その残滓が消える余韻に浸る間もなく、リティルは再び2代目とぶつかった。
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どれだけ3人の王を斬っただろうか。翼ある人狼へと変身したリティルは、息が上がってきていた。それでも、歌うことをやめないリティルに、再び復活した3王が同時に迫る。
2代目に気を取られたリティルは、両の翼を3代目と7代目だと判明した王に斬られていた。傷ついた翼では、さすがに機動力が落ちる。それに、この姿では超回復能力は使えない。リティルの殺戮形態であるジョーカーは攻撃特化で、防御と治癒は捨てているような状態だ。このまま地上に落下すれば、骸骨兵達まで相手にしなければならなくなる。リティルは傷ついた翼をはためかせると落下を食い止める。
その背に、3王が迫っていた。
「待たせたな!」
ゴオッと背後を熱線が通り抜けた。その瞬間、リティルは体の前面に衝撃を受けていた。衝撃で一瞬息が詰まり、歌が途切れていた。背後に投げていた視線を前に戻すと、前からリティルの体を受け止めたルディルがいた。頼もしいた夕暮れの太陽王の出現で、リティルは意識が揺れるのを感じ、慌てて意識を失わないように堪えた。
歌わなければと、息を吸い込んだリティルに気がついたルディルは、金色の毛の混じった灰色の背中をグッと力を込めて片手で抱いていた。
「もういい!戻れリティル!」
今、変身を解き、歌をやめれば、骸骨兵達と風の王達は再び、風の城と大地の城へ戻っていってしまうかもしれない。風の城は何とかなっても、大地の城のラスは、固有魔法・蓄音機で、風の城から歌うインファとインジュの歌を中継拡散していて動けない。大地の城に、彼等が戻るのだけは阻止しなければならないリティルには、できない相談だった。
「リティル!もう終わるわ!」
白い輝きを纏った3本の矢が、リティルとルディルを通り越してその背後に向かって行った。ルディルの肩越しに視線を上げると、金でできたオオタカの羽根の細工が巧妙な、髪飾りを黒髪に飾った美姫が白い輝きの弓を構えていた。
歌声が聞こえる……。
インファの奏でるピアノと、インジュの明るく透明な声……。
地上が刹那金色に瞬いた。
死者の魂を慰める鎮魂歌が、この太陽の城にも届いたのだ。
――終わった……。さよなら……2代目・インフィーユ。3代目・インネイ。7代目・ツェルイン
それを見届けたリティルは、ルディルに体重を預け、意識を手放した。
変身の解けたリティルを肩に担ぎ直し、ルディルは風に溶けるように消えていく、3人の風の王達の姿を見送った。
「ルディル、遅くなってごめんなさい」
モルフォ蝶の華奢な翼をヒラヒラとはためかせ、シェラが隣に並んだ。
「すまん、シェラ。そっちも手こずったみてぇだが、インファ、大丈夫か?」
「ええ。……今頃ピアノホールで寝ているかもしれないわね」
シェラはそう言って、小さくホッとした様に笑った。鎮魂歌を歌うと決めた後も、インファはしばらく風の城の前で歌いながら戦っていた。ピアノホールでインジュと合流したのは、リティルが3代目を引き付けてくれた後だった。
インファの歌う風の奏でる歌には、共に歌う者の歌の効果を底上げする効果がある。インファはインジュの歌う、鎮魂歌の効果を上げるために歌わなければならなかったが、広範囲魔法を操る3代目に、魔法を撃たせないために牽制しなければならず、リティルが引き付けてくれるまで城内に戻れなかった。
ファウジは強力な力を持っているが、風の城を包囲した骸骨兵の数が膨大で、シェラと共に、進軍を食い止めることに忙しく、2人はインファをまったく手伝うことができなかったのだった。
やっと風の城の安全が確保でき、シェラは太陽の城にゲートを開き飛んだ。そこで、1人で3人の風の王相手に歌いながら戦う夫の姿を目の当たりにしたのだった。
ルディルは?と捜すと、右腕を切り落とされ、ゾナの治療を受けていた。ゾナもリティルの引き付けた骸骨兵達の相手をしなければならず、治療もしなければならずで忙しかった。花の姫の能力は無限の癒やしだ。シェラは瞬時にルディルの腕を癒やし、彼と共にリティルのもとへ飛んだが、一足遅かった。リティルの両の翼が斬られたときは、シェラは心臓が止まるかと思った。
『父さん、無事ですか?……父さん?』
意識を失って、ルディルの肩に担がれたリティルの右手の平が金色の輝き、インファの声がした。シェラはリティルの手から水晶球を取り上げると、リティルの代わりに答えた。
「大丈夫、リティルは無事よ。暴れすぎて疲れてしまって、ルディルの肩で寝ているわ」
『そうでしたか。大地の城組が無事帰還しました。ケルゥ達も無事です』
「おう、インファ!活躍だったな。よっ!インサーフロー!」
通信に割り込んだルディルは、すかさずインファをからかった。水晶球の中で、インファは苦笑すると言った。
『お疲れ様です、ルディル。活躍したのはオレではなく、ヴォーカルのインジュですよ?オレはインフロのピアノの方です』
「おまえさん、立ててばっかしだな。またおまえらの歌、聞かしてもらうわ!」
『はあ、こんなゲリラライブはしばらく勘弁してほしいですね。ピアノホールでよければ、いつでも歌いますよ?インサーフローは永遠に伝説のデュオですからね』
「ガハハハハ!インフロのおまえはノリがよくていいねえ」
『何ですか?オレはいつでもオレですよ?……ルディル、今回のことで少し話したいんですが、いつ来られますか?』
「リティル送るついでに行ってやるわ。それよりおまえ、休まなくて大丈夫なのか?」
『ええ。と言いたいところですが、今寝てしまうと、しばらく起きられなくなってしまいそうですので、今すぐがありがたいですね』
「了解だ。インジュとラスは?」
『インジュはピアノホールで寝ています。ラスは応接間で執事してますよ』
「ガハハハハ!ラス、大昔を知ってるだけに笑えるわ。おし!今すぐ行ってやる」
『お願いします』
シェラの手の中で、水晶球は光を失った。
風の城の応接間のソファーに座り、通信を切ったインファは、フウと息を吐くとソファーに深く背を沈めた。
「インファ、休んだ方がいいんじゃないか?」
コーヒーを淹れて持ってきたラスは、長い前髪から露わになった右目で気遣うように伺ってきた。
「あと1時間ほどなら大丈夫です。その頃には、父さんも起きてくれると思いますし」
インファは「ありがとうございます」と礼を言いながらコーヒーを受け取ると、疲れた顔に笑みを浮かべて答えた。
「あなたは、大丈夫ですか?」
「うん。オレは中継しただけだから。レイシとエーリュが大変だったと思うよ。動けないオレを守って、リティルが引き付けてくれるまで戦ってくれたから」
2人は風の城に戻って、寝室へ直行だった。大地の城に現れたのは、7代目風の王だった。大剣を操る、線の細い風の王だ。同じく炎の大剣を操るレイシが押されるほど、力強かったとインファは聞いた。それを、エーリュのマシンガンのような魔法が助け、何とか退けていた。
戻ってきたレイシは「ラスが1番戦えてて、悔しいよ」と捻くれた鋭い瞳に、素直に賞賛するような笑みを浮かべていた。それを聞いたインファは、まあ、そうでしょうねと正直に思った。
ラスは、ハヤブサでありながら柳の枝のように攻撃を避けつつクォータースタッフを操る、接近戦が得意な魔導士だ。旋律の精霊という風の精霊でありながら、六属性――風、大地、水、火、光、闇を常に百パーセントの力で操ることのできる、六属性フルスロットルという特異な力を操ることのできる、戦闘特化の精霊だった。普段は、風の城の中核を担うリティル、インファ、インジュ、そしてノインの風四天王お抱え執事として裏方を務め、殺せない風の最強精霊のインジュの相棒として飛んでいる。誰と組んでも補佐に回る彼の実力を、レイシが見誤っていたとしても不思議はなかった。が、彼は、上級精霊でありながらかなりの実力ある精霊だ。
前々世、古参の精霊で、1度人間に転生し異形相手に戦っていた。後にリティルの手で精霊に転成し今に至る。経験した記憶すべてを持つラスとでは、レイシとは元々の鍛え方が違うのだ。
裏方でいたいラスは現在、ノインの代わりに四天王の一角を、不本意だと言いながらも務めてくれていた。
「あなたがしっかりしてくれていて、頼もしいですよ。ああ、帰ってきましたね」
見れば、恐ろしく広いこの応接間の、ダンスホールのように何もない、ただフクロウとクジャクの戯れる様が様々描かれた、象眼細工の床の上の空間が歪んでいた。そこから、太陽の城に赴いた面々が帰ってきた。
「!リティル!」
ルディルの肩に担がれて動かないリティルの姿を見て、ラスが血相を変えて駆け寄っていった。ルディルは身をかがめると、風の城の執事に小柄な王を引き受けさせた。
「そんな心配するな。殺戮形態で歌いまくって、3人の王と遊んでぶっ倒れただけだぞ」
ルディルのなんてことないと言う言葉を聞いて、ラスはますます青ざめた。
「無茶苦茶だ!シェラ、すぐに寝室へ」
「ええ、ありがとう、ラス」
ラスはリティルを背負うと、シェラと共に、城の奥へ続く扉に消えた。
そんな彼等を見送りながら、ルディルは遠慮無くインファの向かいのソファーに、ドカッと腰を下ろした。
「あいつ、甲斐甲斐しいねえ」
ルディルは、ラスの古参の精霊時代の上司だ。時を超え、ルディルは太陽王、ラスは旋律の精霊と、司る力が変わってしまったが、こうして再び会えたことをルディルは嬉しく思っていた。ただ、ルディルの知っている彼より、前髪が長くなって、影のようにさりげなく動くようになった。
ルディルは風の城によく出入りしているが、あいつが執事?とその働きはそうとしか表現できないが、だが、未だに違和感があった。古参の精霊時代のラスは、ある精霊に騎士として仕えていた。その精霊のことしか頭になく、他のことはまったく目にすら入っていないような精霊だった。それが今や、応接間を利用するすべての精霊のために、動いている。いったい、ラスとリティルとの間に何があったのか。ラスのリティルに対する絶対なる忠誠を感じて、またあいつはタラシだねえと、明るい笑顔で人の心を絆すリティルを思った。
「ええ、ラスも父さんが大好きですからね。2代目、手強かったようですね」
「オレも鈍ってるねえ。不覚をとってなぁ、腕落とされたわ。すまん、それでリティルのヤツが1人で戦う羽目になったんだわ」
「よく無事でしたね。骸骨兵もすべて引き受けていたはずですよね?」
思っていたよりも悲惨な状況に、インファは思わず瞳を見開いた。そんな状況で、すべての脅威を引き受ける判断を瞬時に下すリティルに、インファは心の中でため息をついた。
一家を守る為とはいっても、あなたが倒れてしまったら、意味がないですよ?と、インファは早く母に――シェラに行ってもらうべきだったと悔やんだ。ノインがここにいたなら、城の防衛に回っていた無常の風、司書・シャビを援軍に行かせていただろう。病人のような儚げな容姿の彼だが、相方のファウジに引けを取らない戦闘能力を持つ生粋の死神だ。3人の風の王相手にも、難なく立ち回れただろう。
実働で動いていたインファは、大地の城も太陽の城も満足に気を配れなかった。リティルもインファを当てにしてはいなかっただろうが、リティルの、この城で1番丈夫なオレが矢面に立ってやる!という基本気質をインファは忘れていた。
インファは副官として、一家のかぶる被害を最小限に抑える采配をすることが仕事だ。
ノインがいれば……インファは、相棒の不在を久しぶりに強く感じてしまった。
「おう、ゾナがやってくれたわ。オレに茶なんかいいから、おまえも休め」
紅茶を淹れてルディルの前に置きながら、インファの隣に当然の様に座ったゾナを、ルディルは労った。
「疲労など、時計の針をほんの少し過去に戻してなかったことにさせてもらったよ。ルディル、インファ、会話はすべてオレが記録しておくとしよう。リティルの事は気にせず、休みたまえ」
時の力は危険な力だ。ゾナは、ルディルの腕の時間を戻すこともできるのだが、自分以外の者に力を使う事を禁じられていた。時の力を他者に使う場合には、監視監督している風の王か権限を持つ副官、補佐官のいずれかの許可がいるのだった。
「風の城は抜かりがねぇわ。優秀な執事に優秀な書記官か」
「ラスが優秀なのは認めるがね。オレは魔道書故なのでね」
照れたのか、ゾナは冷静さを装って紅茶を飲んだ。
「風の城を運営する側のオレとしては、大いに楽させてもらっていますよ。ラス、父さんはどうでした?」
城の奥へ続く扉が開くのを見て、インファが声をかけた。扉からソファーまで、優に十数メートルあるが、風が声を届けてくれるため、大声を出さなくてもいいのだった。ラスはハヤブサの翼を広げると、素早く飛んできた。
「うん。疲れて寝てるだけだったよ」
そうですかと頷いたインファは「あなたも加わってください」とラスに、コの字型に机を囲んだソファーの1人席を勧めた。ラスはそれに従い、ルディルに深々と一礼してからそこへ座ったのだった。
「ルディル様、あれは本当に風の王だったのか?」
ラスが、真面目その者の瞳で、ルディルを見た。歴代風の王の姿をした者が敵として現れると思っていなかったレイシは、現れた7代目をインファと見間違えた。あの時は、本当にヒヤッとした。ラスが動かなければ、レイシは斬られていたことだろう。
「否定したいがな。あの3人は紛れもなく、風の王だったわ。2代目・インフィーユ。3代目・インネイ。7代目・ツェルイン。何度も斬らなけりゃならなくなったリティルは、相当きつかっただろうなあ。すまん」
深々と頭を下げる太陽王に、インファはすぐさま謝罪の必要なないと、頭を上げさせた。
「君は、幽閉されていたのではなかったのかね?ずいぶん詳しいではないか」
「幽閉先から見ていたんでな。顔と名前、死に様は全員知ってるんだわ。しかし、死者の軍団だって?風の王まで引っ張り出すたぁ、どういうことだ?」
ルディルは疲労を滲ませて、インファを伺った。
「実は、あれらが死者であることを見抜いたのは、セリアとゴーニュではありません」
言いにくそうに、インファは言葉を一度切った。
「ん?観測役の2人じゃねぇの?じゃあ、誰だ?」
「ノインです」
「ノイン?放浪していやがるあいつが、見抜いて連絡寄越しやがったのか?頼りになるねえ、元伝説の風の王」
「それを言うと、ノインに怒られますよ?黄昏の軍団と言うのだと、ツバメで知らせてくれました。あれは、旧時代を滅ぼした軍団ということですが、ルディル、旧時代のことを知っていますか?」
「旧時代、ねえ……。そいつは、この世界、衰退と繁栄の世界・グロウタース、精霊の世界・イシュラース、始まりと終わりの地・ドゥガリーヤの3つの異世界を、神樹が束ねる前の世界の事だ。どんな世界だったかは知らんが、その旧時代が滅んで、今の世界が生まれたんだわ。インファ、黄昏の軍団のこと、知っていやがったのはノインか?インか?」
「しりません。……オレからは、ノインに連絡は取れません……」
インファは、ルディルの前だというのに血を吐くように辛そうに、絞り出すようにそう言った。その様子から、インファが、ノインを捜したくてもできない。してはいけない様が見て取れた。
「オレでも知らんことを、どうやって知ったんだかなぁ、あいつは。あれから連絡ねぇの?まさか、1人で暴くつもりじゃねぇよなぁ。だが、ノイン……リティルは、風の王なんだぞ……?」
隠したところで、遠ざけようとしたところで、リティルは矢面に立たなければならない。風の王は、世界の刃。世界を永遠に存続させる為に、戦い続ける運命を背負った精霊なのだから。
「ルディル様、ノインの探している、精霊の至宝・蛇のイチジクって、いったい何なんだ?」
ノインを思い、暗く沈んでしまったインファとルディルの様子に、ラスは心が痛かった。出て行くことを、ノインは一家の全員には告げなかった。ラスは、四天王の執事ということで、ノインに告げられた1人だった。「蛇のイチジク」それを探しに行くことは聞いていたが、風の城の図書室にも、それのことが書かれた書物はなかった。
ノインが出ていって、リティルが一家の皆に話した後、一家の皆は「蛇のイチジク」のことを各々調べているが、それが何なのかさえわからない現状だった。
ルディルは、ラスのもっともな疑問に顔を上げた。
ルディルも、ノインがこの城を離れる時、彼自身から大体の事情を聞いていた。
ルディルは、初代風の王ということもあるが、自称リティルの保護者だ。ノインは、リティルとインファが遠慮してルディルに告げないことを考慮して、話を通しておいてくれたのだった。
そして、ノインの心配は的中し、リティルとインファは、ルディルにノインのことを言わなかった。何も言ってこないリティルに痺れを切らし、ルディルは風の城に乗り込み「水くせぇわ!ノインを心配させてるんじゃぁねぇぞ!」と吠えた。
乗り込んできたルディルにリティルは「あいつと、連絡取ってるか?」と開口一番聞いてきた。風の城を出るノインに、ルディルはオレとくらい繋がっておくか?と提案したのだが、ノインはそれすら断った。彼は、死を覚悟していた。もしもを想定し、その事実がルディルからリティルに伝わることを恐れたのだ。
だが、風の王には隠したところで無意味だ。リティルはおそらく、鬼籍を管理している無常の風に、ノインの鬼籍が置かれないかを注意させているはずだ。
おまえの死を、リティルが見逃すはずがねぇわ。ルディルは、どうしてもリティルを守りたい騎士の鏡の補佐官を思った。
――ノイン、蛇のイチジクのこと、いったいどこで知りやがった?
目下の疑問はそれだ。あれは、精霊の至宝。関係のない者が知り得ないモノだからだ。
「ラス、無限の宇宙と有限の星のこと、覚えていやがるか?」
「え?」とラスの前髪に隠れていない右目が面食らった。どうしてオレ?と彼は思ったらしい。
「無限の宇宙と有限の星……精霊王・シュレイクの守護精霊だった、智の精霊と力の精霊?」
「古参の知識が健在で、頼もしいねえ。あいつとオレ、15代目率いる風の城の顛末、おまえ、知ってるか?」
「いや。そこまでは。イシュラースへ戻ってみたら、ルディル様が太陽王になってて驚いたくらいだ」
本当に驚いた。風の王は15代目。初代のルディルは、崩御してしまったんだと思っていたのだから。
「レイシのことは?」
「え?混血精霊で、リティルの養子の第2王子。インリーと婚姻関係にあるくらいしか」
思春期の少年の姿をしたレイシは、グレて捻くれているが、根は優しい。騎士気質で、真面目故に力の抜けないラスを「ラス、そんなんじゃ父さんより先に倒れちゃうよ?」と執事の仕事を、不慣れなのに手伝ってくれる。
「レイシはなあ、元太陽の精霊・シュレイクの息子だ。あいつを巡ってシュレイクと揉めてな。このオレが斬った。太陽の力を奪い取って、オレとレシェラが太陽王になったんだわ。その時、無限の宇宙と有限の星は死んだ。その時から、あいつらが守護していやがった蛇のイチジクと黄昏の大剣は行方不明だ」
「智の精霊と力の精霊の持っていた至宝だったんですか?ノインはその至宝に延命の方法があると言っていましたが、確かですか?」
インファの反応から、彼もそれが何なのかすら掴めていなかったことが窺い知れた。知識欲の半端ない本の虫であるインファが、1ヶ月もあって掴めていないことをノインが知っていたことを、ルディルはやはり問いただすべきだったかと後悔した。
「オレは見たことがねぇからなぁ。ただ、蛇のイチジクには、あらゆる知識が入ってるって聞いてるぞ?」
「無限の宇宙とは、どんな精霊だったのかね?」
傍聴していたゾナが問うた。
「腰の曲がったじいさんだ。オレが幽閉されるとき、風の王達を気にかけてやってくれと頼んだんだが、そのよしみで、インと関係があったのかもな」
「敵対した王の守護精霊であるのに、助力を頼んだのかね?」
ゾナはなぜそんなことを?と言いたげだった。
「理解できねぇかもしれねぇが、あいつらは信頼できた。リティルも、有限の星とはうまくやっていやがったんだろう?」
インファを伺うと、彼はすんなり頷いた。
「ええ、よく風の城にも来ていましたよ?大半は、厄介な仕事を持ち込みにですけどね。父さんと共謀して、レイシを守ってくれていました。オレも、彼には悪い印象はありません」
有限の星は、赤い髪の赤いひげ面の中年の大男だった。そういえば、大剣を身につけていたが、あれが黄昏の大剣だったのだろうか。
「黄昏の大剣は、どんな力を秘めていたんですか?」
「世界を終わらせる力だ。実際に、その力が何なのかは預かり知らん。……インファ、おまえ、怒っていやがるか?」
「はい?オレはインジュほど怒りっぽくはありませんよ?」
唐突に怒っているかと様子を窺われ、インファは面食らった。
「そのな……その至宝が行方知れずになったのはなぁ、オレのせいなんだわ」
歯切れ悪く、ルディルはその巨体を竦めた。
「?」
インファは明らかに返答に困っていた。所有者しか、存在すら知らないことが多い、精霊の至宝。当時、原初の風という、受精させる力の結晶体である至宝の守護者だったルディルは、その所有権を放棄、リティルに継承させることで太陽王の力を奪った。そして今、強力すぎた原初の風は、3つの欠片に分かれて風の城で守られている。
半分を、風の王・リティルが持ち、その意志は守護鳥・フロインとなって具現化した。
4分の1を、第2王子のレイシが守護している。
最後の4分の1は、セリアの腹を借り、煌帝・インジュという精霊として産まれた。
リティルは幽閉されていた初代風の王のことを、原初の風と呼び、原初の風とは何なのか知らなかった。知ったのは、ルディルからその至宝を託されたまさにその時だったのだ。
「オレが、早く智の精霊と力の精霊を作ってりゃぁ、ノインは放浪なんかせずにすんだんだわ。その2柱の精霊は、太陽の精霊が精霊王って大層な名で呼ばれる所以ってことだ」
「つまり、ルディル様がその精霊を作らなかったから、至宝が行方不明になったってことなのか?」
「そういうことだ」
精霊の至宝は、1つ1つが強大な力を秘めていて、失われることが許されない。それを管理することを怠り、そのせいで所在不明となったと明かされ、ゾナはそんなルディルに呆れた。インファは?と見ると、額を押さえて俯いていた。
「インファ、大丈夫?」
何も発言しないインファの様子に、ラスは彼の精神を案じた。リティルの統治する風の城ではあるまじき失態だ。副官のインファがしっかりしているということもあるが、ぶっきら棒な物言いで若い容姿だが、リティルは真面目で確かな王だ。リティルが管理者だったなら、そんなことにはならなかっただろうなとラスには思えた。
「……黄昏の軍団……世界を終わらせる力……今回の事案は、黄昏の大剣を悪用した結果……?」
ユラリと顔を上げたインファに、ルディルが「おっ!」と身構えた。心ここにあらずで立ち上がろうとしたインファは蹌踉めいて、ガタンッと机に手をついていた。
「インファ!」
ギョッとしてラスは慌ててソファーを立つと、インファの体を支えた。、
「……ラス、至急父さんを起こしてください。ノイン……あなたは今どこに……?」
インファの様子に、大変なことがこのイシュラースで起ころうとしている、もしくは起こっていることをラスは気がついた。
頷いたラスが、飛ぼうとすると、机の上の水晶球が緑色の光を発した。
『リティル!大変よ!ノインが、花園を壊滅させたの!』
現れたのは、白い虎の耳を生やした幼い少女だった。大地の王・ユグラだ。
ユグラは、応接間にリティルがいるかどうか確かめずに、叫んでいた。
「!ユグラ、それは確かですか?」
『インファ!……あれ、リティルは?』
「すぐに行きます!ラス、皆を応接間に集めておいてください!」
インファはイヌワシの翼を開くと、一息に舞い上がり、城の奥へ続く扉を風を操って開くと、飛び込んで行ってしまった。こうしてはいられないと、ラスも皆を集めるべく扉の奥へ消えた。
「……ノインが花園を壊滅?そんな場所で、何をやっていたのかね?はあ、しかたのない友人だ。独断で突っ走ったあげく、敵の策にはまったと、そういうことかね?」
彼にあるまじき失態だと、ゾナは嘆かわしいと首を横に振った。
「余裕じゃねぇ?ゾナ」
「ジタバタしても何も変わることはないよ。インファとリティルの判断に任せるより他、ないではないか。それにオレは、傍観者なのでね」
ゾナは、再び大きなため息をついたのだった。