表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/55

囮作戦

扉を押し開けたとき、室内には静かな緊張が満ちていた。エルヴィンは床の上に広げられた羊皮紙と小さな魔導記録具の束を、慎重にセピアの前に差し出す。ポアロは端正な顔つきのまま、背中に手を回し、小さな盤面をそっとセピアに見せた。


「これが、昨夜我々が押さえた物的証拠の全てだ」

エルヴィンの声は低いが確信に満ちている。セピアはひとつずつ書類に目を通す。王妃側の指示文、地下牢使用の覚書、ガゼルの名義で動いた資金の流れ、そして――録音で確かめられた会話の抜粋。


ポアロが淡々と説明する。

「文書は王妃の作為を示すものです。送金の一部は名義を偽って側近の口座へ流れ、そこから地下の運営費に回されています。音声記録では――」

ポアロは再生装置を軽く回し、低く録られた会話を流した。男の冷たい声、女の嗤い声。言葉ははっきりと、崖の『事故』の算段を語っていた。


セピアの顔が一瞬、青ざめる。目の前の事実は、幼いころから胸に抱えてきた疑念の輪郭を、突きつけるようにはっきりとさせた。だが、エルヴィンが続けて言った言葉に、セピアはさらに身を硬くした。


「しかし、この証拠だけでは陛下は半信半疑でしょう」

エルヴィンの表情は冷静だが、言葉の重みが重々しい。

「陛下に直接差し出し、裁定を仰げば確かに公式の動きは取れます。しかしそれが王妃に伝われば、王妃は我々が動いたことを知る口実を得る。つまり、我々の動きに対して“先回り”して身を隠すか、証拠を破棄するか、あるいは強硬に反撃してくるでしょう。最も危険なのは、王妃がこちらの証拠を潰すための“即時の仕掛け”を打てることです」


ポアロが静かに頷く。

「そこで、我々の選択肢は二つ。証拠を先に公にするか、王妃の不正行為を“現行犯”で捕らえるか。現行犯で掴めれば、陛下もその場で動ける。王妃の逃げ道は無くなる。だがそのためには、彼女が“動く”状況を作り出す必要があります」


エルヴィンが視線をセピアに向ける。

「つまり囮作戦です。王妃が仕掛けようとする“孤立した標的”を用意する。王妃が手を下した瞬間に外部から押さえ、現行犯で証拠を突きつける――そうすれば、王妃の嘘は通じない」


セピアは一拍息を吸った。胸の奥で、誰よりも強く反対する声が鳴る。レビリアの顔がふっと脳裏に浮かぶ。眠る彼女の柔らかな頬、リオを抱いた細い腕。レビリアを守るためなら、何でもしたいという気持ちが溢れる。


「レビリアを囮にするつもりですか…」

セピアは言葉を絞り出す。怒りなのか、守りたいという焦燥なのか、その声は震えていた。


エルヴィンはため息をつき、しかし毅然として答えた。

「可能性としては高い。王妃が標的にする相手は“孤立した女性”だ。レビリアは王妃の目に触れやすく、彼女にとって格好の餌になる。だが――我々はそれを“利用”するのではなく、“誘導”する。護衛体制と録音・撮影網を敷き、万全のバックアップを置く」


ポアロが続ける。

「殿下、我々はあなたの言う通り、レビリア様を危険に晒すことなど望みません。だからこそ、護衛の配置は多重にします。隠し映写機は複数箇所に設置し、録音は魔導板で同時録音。脱出経路はあらかじめ確保し、あなた方の不意の事態には即座に介入できる部隊を暗がりに待機させます。私が直接現場を操作する余地も残します」


セピアは拳を固く握りしめる。理屈は正しい。だが心が許さない。

「僕が囮になると言ったのに」――胸中でその言葉が未練となって鳴る。だが、声には出さない。彼はレビリアの安全を最優先に思っていたからこそ、逆に冷静にならざるを得なかった。


エルヴィンは静かに言葉を添える。

「もしこちらから王妃に証拠を突きつければ、王妃は反射的に仕掛けを強める。君の言う“勝負”は消耗戦になる。だが現行犯で掴めれば、王妃はその場で言い逃れが出来ない。君が演じる“阿呆のふり”も、欺瞞を深めるためには必要だ。今は耐えるときだ」


セピアは窓の外、夜明けの薄い光を見つめる。頭の中で守るべき者たちの顔がぐるぐる回る。

(レビリアを危険に晒すのは嫌だ。それでも、最終的に彼女を守るためなら──)

彼はゆっくりと顔を上げ、二人に向き直った。


「分かった。レビリアを囮にするのは納得がいかないが、君たちの言う通り、まずは護衛、カメラ、録音位置を決めよう。絶対に彼女を危険にさらすな。もし少しでも危険だと感じたら、ただちに作戦を中止して救出するんだ」


エルヴィンは確かな眼差しで弟を見、短く頷いた。

「約束しよう。君の言葉は我々の指針だ。最良の死角は見せない。ポアロ、準備の再確認だ」


ポアロは書物の上に置かれた小さな巻物を取り上げ、計画図に指を這わせる。

「ここに三箇所の隠し撮影、ここに二つの隠し録音具、さらに南側の回廊に待機部隊を配備します。脱出口はこの古い下水道路を利用します。監視は我々とエルヴィン殿下が直接掌握し、非常時には私が合図を送る。守れます、殿下」


セピアは深く息を吐いた。胸の奥のざわつきは消えない。だが、仲間を信じるしかないことも知っている。彼は指を動かして、地図上の一点に小さく印をつけた。それは、レビリアが「孤立している」ように見せかけるための小さな仕掛けの場所だった。


「よし。では準備を進めよう」

三人の声が揃う。外の空は明るさを増し、王宮はこれから示される劇の舞台へと変わっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ