IV-F: カフェオレは溜め息を溶かしてくれますか
この場の空気がほわっとなるような声の主の方を見ると、意外にもそこに居たのはウチのクラスの担任、大町先生。そして、大町先生の傍らに小さな女の子の姿。
――大町先生って、結婚していらっしゃったかしら。
そんな疑問がふと湧いてくる。
「あ。どこの子なんだろって思ってたけど、アレがまさか?」
「知ってるの?」
何か合点が行ったらしい咲妃が、さらに思案顔になる。さすがの情報網。一体どんなルートで入手しているのかは知らないし、今後も知ろうとする気はないのだけれど。
「大町先生の姪っ子ちゃんとかっていう。たしか、お姉さんの娘さん……だったかなぁ」
「へえ」
パッと見で娘さんなのかなと私が思うほどには似ているのだから、姪っ子さんというのも納得だった。先生のお姉さんにお会いしたことはないけれど、あの感じならば恐らくよく似た姉妹なのだろう。そんな予想をするのは容易い。
「それにしても、レンレンをご指名とはお目が高い」
顎に手を当てて、どこかの巨匠のような口ぶりだった。
「……どの立ち位置で言ってるのよ」
「喫茶店ウェイター評論家?」
本当に巨匠ぶってみたいらしい。じゃあ、もう、やらせておこうかしら。咲妃本人が楽しそうで、他の人に迷惑をかけない限りは何を言ってもイイと思うし。
「どうしたのかな?」
そんな彼のウェイター業務は、こんな雑談とはお構いなしに進んでいく。
姪っ子さんの目線に合わせて片膝立ちをしながら訊く彼。
目線はお客様よりも少し下から。思い返せば、彼の伯父さまのカフェバーでもああいう応対はしょっちゅう見ている。
「あのね、あのね、すぷーんがね」
「あっ」
子供らしい無邪気さの中に申し訳無さを多分に含んだ声色。座っている椅子の足元からは少し遠いところにあの子が使っていたらしいスプーンが転がっていた。落としてしまったようだ。
「だいじょうぶだよ、今持ってくるからね」
「ごめんね、深沢くん」
「いえいえ」
大町先生も申し訳なさそうにしているが、彼は直ぐさま笑顔をふたりに向けて応対している。姪っ子さんへの笑顔と先生への笑顔をしっかりと使い分けているあたりもさすがというべきなのだろう。
キッチン側担当の女子生徒のところに向かうや否や、彼にはすぐに新しいスプーンが渡される。彼女も彼女で熟れているらしい。どこかでバイトをした経験があるのだろうか。
「はい、どーぞ」
「ありがと、おにーちゃん!」
「どういたしまして」
ハッキリとしたお礼。とても良い子なのが良く解る。彼のクラスメイトももちろんそれが解るからか、物凄くにこやかな笑顔になっている。
彼もまたしっかりとした笑顔でお返し。
そして――。
「おにーちゃん、かっこいーね!」
そんな言葉が、彼にはさらにかけられることになった。
思わずバランスを崩す彼。ざわめき、そしてほんわかとした笑顔に包まれる教室。
子供は、正直だった。
「深沢くん、ありがとねー」
「いえいえ、オシゴトですから」
「でもホントに、振る舞いとか含めてステキよね」
さらには大町先生からもお褒めの言葉――だけではない何かも一緒にもらっているようだった。
「歌恋は変な男にはイイ顔しない子だから。お墨付き、お墨付き」
「あ、あはは……マジっすか」
「大マジ」
「とにかく、ありがとうね。お昼までかな? がんばってね」
「あ、ハイ。ありがとうございます」
――なにやらすっかり。
「随分と本領発揮しているようねえ」
「……みたいね」
感想は咲妃も同じだったらしい。
「そして菜那は若干不満気、と」
「そんなことないわよ」
そう、そんなことは一切無いはずだ。
「……お待たせ致しました」
「いえいえ」
そんなことを言い合っているうちに彼がこちらに戻ってきてくれた。そう言えば注文をする直前で大町先生の姪っ子さん――歌恋ちゃんというらしい――に呼ばれていたのだった。
「じゃあ、私はカフェオレでー」
「私も同じのを」
「はい、カフェオレおふたつで」
そつなくこなす彼。本当にいつも通り――いつも、あのカフェバーで見ている彼の姿ととても重なる部分が多い。
そんな彼のことを茶化すのだろうかと思って咲妃を見ていたが、そんなことはない。その昭和レトロ喫茶店風エプロンに身を包んだ彼の姿を、しっかりとその目と脳細胞に焼き付けようという視線を送り続けていることだけは良く解るけれど、それ以外におかしな部分は見えなかった。
「カフェオレをふたつ」
「はーい、カフェオレふたつー」
注文は無事に受け付けられたようだ。後はのんびりと待つだけ。
――私はあまりにも咲妃の言動を疑いすぎているのだろうか。
結構失礼なことを考えているという自覚はある。もう少し控えた方が良いのかもしれない。
「何も言わなくて良かったの?」
「……それは私のセリフよ」
言ってからセリフ選びを間違ったと自覚する。まずは『誰に』というのを先に確認しておくべきだった気がする。
「何でよ」
が、咲妃は、敢えてなのか、私のセリフをスルーしてくれた。
「だって、ここを楽しみにしてたのは咲妃の方でしょ」
「それもそうだけど、まぁまぁ。ここではいつもの感じではない制服姿でがんばってるレンレンを見られればそれでオッケーみたいなところはあるし」
「なるほどね」
店舗限定にも期間限定にも程があるくらいに激レア姿と見ることもできるのか。そういう考えには至らなかった。
「ピシッとやってる姿だったら、現状私たちだけで堪能できてるわけだしね」
「……なるほどね」
あまり素直に認めたくはなかったが。
「それにしても、ホントに人気あるのね」
「ね。……ウチのクラス、大丈夫なのか心配になるんだけど」
「……たしかに」
「人気出過ぎちゃって、取られないようにね」
「……」
答えは、見つからなかった。
○
途切れた会話を元に戻してくれたのは、カフェオレと彼だった。
「お待たせいたしました、カフェオレおふたつです」
「ありがとー」
「ありがとう」
ホットも提供できるようにはなっているが、コールドのメニューが基本線である学校祭。氷がとても涼しげで、午前中とはいえしっかりと暑くなってきている今の気温にはうってつけだった。
「……ねえねえウエイターさん」
「はい」
しかし、変な意味で涼しくさせられそうな展開が始まりそうだった。
咲妃が何となく意味ありげな顔で静かにカフェオレをテーブルに置いた彼を呼ぶものだから、案の定彼も少し警戒感を持つ。それでも笑顔は崩れていないあたり、彼も意地があるのだろうか。
一応は小声だからマシかもしれないが、何か怪しい感じになっているのは間違いない。
よくよく見れば、先ほど彼と一緒に宣伝をして歩いていたウエイトレスふたりもこちらを気にしているらしかった。
「完成度、高いね」
「ありがとうございます。投票の方も、何卒よろしくお願いいたします」
飽くまでもオシゴトである感じは崩さない。
「ちゃっかりウチの担任ともいい感じになっちゃって?」
「……ワタクシ、そろそろ次のお客様のところへ行きますので」
そして明らかに面倒くさそうなことになりそうな流れを察知して、ここを離れようとする勘の良さ。接客業を日頃から熟しているだけはある。
が、直ぐさま本当に訊きたかったことをぶつけるあたり、咲妃も咲妃で場の空気を読める子だったりはする。
「午後からウチに来てくれるのよね?」
「……ええ。まぁ」
「待ってるからね、菜那も私も」
「ちょ、っと」
そして、やっぱり面倒なことを言い放つのが咲妃だった。
「……解ったよ」
では、と言い残し、彼は立ち去っていく。
私には何の弁解の時間も与えてくれなかったのは、一体何なのか。
だからと言って、何か良い表現を思い付けたかと言えば、全然そんなことはないのだけれど。
「……咲妃ぃ?」
「だぁって」
「だってじゃないわよ、全く」
溜め息をカフェオレで落とし込む。意外と美味しい。もちろん本格的なところで飲むものとは比べられないけれど、それでも美味しくは感じる。
「だぁって、明らかに何かモヤモヤしてそうな感じがしたから」
「……私が?」
「そう」
そんなことは、無い、はず。
「今はそんなこと無さそうだけどね」
「……何なのよ、もう」
こういうときはいつも思わせぶりな言い方ばかりしてくる。
まるで『アナタは何も解ってないのね』とでも、言われているような気持ちになってしまうのだ。




