3-19※: 吐息とネット
はっきりと『わざと○○○○当ててます宣言』をされてしまって、即座に返せる言葉が見つからなかった。そして、その言葉を受けて、余計に背中への感覚が過敏になっていく。どちらも仕方の無いこと、回避のしようが無い事だと思う。
「……なんでまた」
ほぼほぼ棒読みのままで二階堂に訊く俺。
「いや、……嬉しいけどね? 正直言ったら嬉しいけどね。イヤとかそういうことじゃなくてね」
そして慌てて弁解する俺。追い込まれて早口になるのが絶妙にダサい。
「がんばってるから」
「え?」
だが、そんな俺の心配を他所に、二階堂は小さく答えた。
「がんばってるから、深沢くん」
思わず訊き返した俺にもう一度、今度は少しだけハッキリとした声で二階堂は答えた。
「がんばってるって言っても……俺はそんな」
「放課後も土日も働いてる。私にはまだそういうことは出来る気がしない」
「そんな……」
俺の場合は必要に迫られてやっているだけ。率先して始めたことじゃない。
褒められるようなことはしていない。
だから。
「……褒められるようなニンゲンじゃないよ、俺は」
吐き捨てるような言い方になってしまう。
一瞬だけ二階堂の動きも止まった。
「……いや。ごめん、何でもない」
慌てて取り繕ったところで失言には代わり無いのだが、謝らずには居られなかった。これではただの八つ当たりと変わらないじゃないか。
「気にしないで」
だが、二階堂はまだ続けてくれるらしい。いつものような涼やかな声色ではなく少しだけやわらかな雰囲気を帯びていたように感じたのは、俺の気のせいなのかもしれない。ただ、それでも、少しだけ俺の心のささくれだった部分も綺麗にしてもらえたような気がした。
「とりあえず、最初に会った時とは印象変わった、って考えても良いってこと?」
「そうね」
そういう風に捉えられれば、幾分か平穏なのかもしれないが。
「遊んでそうに見せかけてたような感じのイメージはとっくに無いわね」
「ぶふっ……! ああ、そうだね、たしかにね」
このタイミングで、なかなか急所に近いところへの一撃を持ってくるのが二階堂だった。思わず噴き出してしまう。
「そりゃあバレバレだよなぁ……、何ならイタいくらいだわな。アレはバレるし」
「でも、あの時の深沢くんにとっては、それが処世術みたいなモノだったんじゃない?」
「……良くお解りで」
処世術なんて高尚な言い回しが与えられるモノとは思わないけれど、少なくともそういうやり方でどうにか生き長らえようとしていた側面はある。他人にそれほど興味を持っていなさそうな言動をしているようにも見える二階堂だが、それはもしかすると他人をしっかりと見ているからこその言動なのかもしれなかった。
「さてと……」
二階堂のおかげと言うのは、その言われ様からすれば少し納得行かない部分はあるが、意識が違うところに言ったおかげか幾分か落ち着いたのも事実。
「ありがと」
「もう良いの?」
「ん。今度は俺のターンってことで」
攻守交代とさせていただくことにしよう。
念入りにお風呂用の椅子を洗い流してから座ってもらうことにする。今度は二階堂も遠慮することは無く、素直に座ってくれた。
「別のボディタオルとかってあるの?」
「あるけど。別にそれで良いけど」
「えっ」
思わず鏡越しに彼女の顔を見つめる。
間接キスとかいう類いではないにせよ、それで良いのか。
「それ、そもそも私のだし」
「えっ」
この手の中にあるタオルを指差され、俺は固まる。
――ようやく落ち着きを取り戻していた部分も、また少しずつかたまりはじめてきた。
「ボディブラシとかはあるけど……」
「ぁあ、それだ! それはどこに」
「私は滅多に使わないし」
「……そっすか」
助け船かと思ったら、どこからか流されてきたただの棒きれだった。
「普段使ってる別のモノとかってないの?」
「強いて言うなら……」
ここの解答如何によっては俺の処遇が決まる――。
「……手、とか」
「……――――……っ――?」
手。
いや、たしかに。聞いたことはあるけれど。
あまり肌が強くない人はたっぷり泡立てたタオルでも過敏に反応してしまうから、手で優しく洗った方が良いと。
そういう情報は確かに入れたことはあるけれど。
「ちょっと待ってて」
そう言いながら二階堂はどこかへ立つ。「あ」とも「え」とも答える間もなく彼女は戻ってきた。
「はい、これ使えば大丈夫」
「えーっと……」
つまり、これは。
「泡立てネット。使ったこと無い?」
「いや、一応はあるけど……」
「あるんだ」
意外そうな反応。
「洗顔フォームでなら」
「なるほどね」
今度はどこか納得したような反応。そんな一瞬で手の平を返させられる要素はあっただろうか。
「言われてみると……深沢くんってニキビとかそういうの無縁っぽい」
「おかげさまでね」
なるほど、そこだったか。
たしかに、そういうのには一応は気を遣っている方だと思っている。
「だったら話は早いわね」
「……ん、まぁ、そうだね」
もう断れない。もう逃げられない。
俺は、この手で、二階堂の身体を洗わねばならないようだ。
○
両手いっぱいにもこもこになった泡。ウマく作れたと思う。柔らかいことこの上ないのだが、今の俺にとってはこれが持ち得る最上級の防御壁だった。
「じゃあ、行きます」
「お願いします」
二階堂は極めて自然に返してきた。
せめてもう少し心の準備が出来たら良かったのだが、そのための時間は優に与えられていたと思う。何ならたっぷりのこの泡を作る時間がそれだったはずだ。だが、いざ二階堂の綺麗な背中を見てしまっては――という話。生唾を飲む音すらもこのバスルームに響き渡っている気がするほどだった。
「……行きます」
「良いって言ったでしょ」
「今のは、アレだ。自分に対して言ったヤツだ」
「そ」
自分への合図が必要なタイミングで、あるよね。
いずれにしても、こんなところで時間を浪費している場合ではない。
意を決して、触れる。
まずは、その背中に。
「……ぉぁ」
――するりとした感触。自分の腕なんかをさすったくらいでは感じることのないような感触。
「もう少しくらい、強くしてもいいけれど」
「……良いのか?」
「ええ」
とはいえ、この白磁に傷なんか付けてしまったら、後世に至るまで叩かれかねない。ほんの数パーセントくらいに留めておかなければいけないだろう。
二階堂は俺の葛藤を他所に自分で泡立てネットを使い腕や足の方を洗い始める。泡の隙間から仄かに見える太腿に――思わず喉が鳴ってしまう。
「深沢くん」
「ぅん?」
「前もお願い」
「……っ!」
喉鳴りが聞こえたのか、あるいは指先からの感触か。もしくは、ただ単純に俺があまりにも分かりやすすぎるのか。とにかく、完全に俺の考えを読まれている気しかしない。
「まえ」
「うん、前」
前というのは、誰がどう考えても「カラダの前の方」という意味。
「良いの?」
「ええ」
ちょっと前にも訊いたようなことを繰り返せば、当然とばかりのトーンが再び返ってくる。
「ジョークではない?」
「そんなウソを吐く必要ある?」
「……無いか」
「無いわよ」
そうだよな。俺の周囲にいる人の中でも、二階堂は随一ウソから縁遠いと思う。
「……ふぅ~~」
「深呼吸した?」
「そりゃまぁ」
「そんなに意気込む?」
「そりゃまぁ」
「語彙力ゼロになってる?」
「そりゃまぁ。っていうか、もう、アタマ回ってるか分からん」
思考回路がまともに動いていないのはもちろんだが、さっきから指先の動きが良くない。明らかに緊張しきっている。
「逆上せてる?」
「いろんな意味で逆上せそうだよ」
バスルームの気温や湿度にはとくに問題はない。このバスルーム一帯に広がっている空気感のようなモノに、俺は完全に逆上せ上がっている。鼻血を噴き出していないことを褒めてほしいとすら思えているくらいに、精神的余裕はなくなっていた。
○