第2章3『幼馴染みは眠り姫』
「風紀を乱すな、この万年自堕落居眠り女が!」
さっきまでさんざんな言い様だったくせに、よくもまあ酷いあだ名で人を呼ぶものだ。
ボクの髪の毛を布団と勘違いした少女に、そう一喝したのは、額に立派な角の生えた有角人の先輩だ。いつにも増して、聞くだけで震え上がるくらいの雄雄しい声。男女平等に怒声を注げる者なんて、この人くらいしか居ないんじゃなかろうか。キリッとのり付けされた襟に、物差しの様にはっきり正された背筋。ある意味、彼は物差しなのかもしれない。
「同じ制服で、着崩しもしてないのに。相変わらずこの制服が似合ってることが不思議で堪りませんよ、水燃先輩」
「ふん、着ているのが僕だからな。当然だろう、氷雨レイ」
当然のようにボクを見下ろしたのは、長谷川水燃。小憎たらしいボクの先輩である。いや、大憎たらしいと言っても過言ではない。まだまだ大でも足りないくらいである。
四年生にして風紀委員長を任せられるこの男。だがしかし、性格に難有り。顔を合わせる度にボクのことを見下し、先輩かつ風紀委員なのに下らないことですぐに口論したがる困ったちゃんなのだ。そういう先輩を持つと、苦労するのはボクら後輩なのである。
「何か考えたか、氷雨レイ」
「思想の自由くらいは、ボクにもありますからね」
「ああそうだな。だが、侮辱に自由は無いぞ」
「いつものあんたに言ってやりたい言葉だよ」
「はぁ」
「ふぁぁ、水燃も大変だねぇ。毎日毎に……ぐぅぅぅぅぅぅ」
「途中で寝るな!」
言いたい事は最後まで言え、という水燃先輩の怒りの矛先を転換させたのは、他でもない、この場にいる第三者であった。矛先はと言えば、もちろん彼女に向けられている。頭に花冠を付ける、桔梗色の髪をした少女。水燃先輩の渾身の怒声をも、あくびまじりにかわしてしまえる彼女こそが、
「誰ですか」
新キャラだった。この作品にとっても、ボクにとっても、見たことの無い新キャラだったのだ。水燃先輩はやれやれと首を振った。
「この女なら、僕と同じクラスの《眠り姫》。いや、ただの居眠り娘だ。いつもクラスの風紀を居眠りで支配し、乱している輩だ。何度注意しても繰り返す、まるで氷雨レイだな。こいつは、侮れんぞ」
「ボクは悪口の代名詞か何かなんですかっ!?」
「ぐぅううう………」
《眠り姫》さんは、ボクに相当興味がないらしく、目すら開けてくれなかった。おまけに名前すら教えてくれなかった。先輩と同じクラスということは、四年B組。とにかく、彼女はわが道を行っていた。ぐっすりと。ここ、保健室のベッドで眠り姫のように安らかな寝息を立てていたのだ。だから、話が何一つ進まないのである。
突如、初対面のボクにのしかかってきた《眠り姫》さんを運搬し、そしてボクは擦りむいた鼻を治療してもらおうと思ってここに来たのだが、
「悪いけど、今はベッドが一つしか空いてないし、こっちも手一杯だから☆ 治療は出来ませーん☆」
と、きらきらお目目の保健委員さんに言われてしまったのだ。この学校治安が悪いんじゃないのか。二つ三つあるベッドはもうすでにカーテンがかけられ、使用中を示している。抗争でも起こったのだろうか。ある程度、治療待ちの列まで出来ていた。
よって彼らの手が空くまで、《眠り姫》さんのベッドに居ることになったのだが。この調子じゃあ、コンクリートに直面したボクの鼻の血が止まる方が速そうだ。ちなみに、ミナモ先輩は付き添いである。つくしたちはあっさり教室に向かってしまったのだ。
遅刻厳禁を掲げる風紀委員長に睨まれては、いくらボクが恋しくても行かざるを得まい。《眠り姫》を挟んでベッドに二人、腰掛ける形でボクらは暇をもてあましていた。
「くぅぅぅ……すぅ、すぅ、すぅぅぅぅ」
童顔。その一言に尽きる。《眠り姫》。おなかの当たりで手を組む様なんか、まさにそうだ。
長いまつげも、ぷっくりとしたほっぺも、まるで本物のお姫様のように愛らしい。四年生だなんて、ボクより年上であることが、未だに信じられない。二年生くらいに見えるもん、だって。年下及び童顔に弱いボクには、たまらない刺激である。ごくり、と唾を飲む。
刹那、シンクロするようにミナモ先輩の目が光ったのが分かった。ぎろり、と音がしそうなくらいに睨みを効かせている。ボクのことを射殺しそうなほどに。
この人の地雷は幾つも踏んで来たと自負しているが、呼吸すら地雷だとは。
まさか、生きていることが重罪だとでも言うのか。
「そのマッカーサーだ」
「は」
「間違えた、そのまさかだ」
噛んだようだ。きっと吹いたらぶっ殺されるだろう。むちゃくちゃじわじわキてるぞ、今。真顔でマッカーサーはやめて欲しい。脳と心臓に悪い。
「ふん、ギャグとユーモアに恵まれたこの僕を、そう僻むな、氷雨レイ」
「一つも僻んでないですけど!?」
というか今のはギャグだったのか。意図的にやったギャグなのか。それならもっと笑ってやればよかったと、今更ながらに後悔する。彼は、《眠り姫》の方を一瞥し、またボクの方を見た。
何か、言ってほしそうな目である。こちらから話を切り出すのは嫌だから、お前から口を開け、と。そう顔に書いてあった。なあに、その視線にはほんの三分前から気付いていたが、口を開くわけが無い。負けた気分になるのはいやだからな。彼が語り始めるまで、口を閉ざすことにしたのだ。
「ふむ。閉ざしているなら開けにいけば良いだけだ」
「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待っ……あがががががっおごご!」
彼は至って冷然として、ボクの下歯と上歯に指をかけ、強引に口をこじ開けた。マリーアントワネットより暴虐な論理で。物理的に。すさまじい力をかけて。ボクの顎間接はあまりの過重に耐えかね、変な音まで出している。
ぎちっ、ごきごきごきっ。
と、人体(口内)から有り得ない音がしたかと思うと、その手は止まった。
「どうだ、話す気になったか」
「く、このひゃろ……」
今だに感覚の戻らない顎を噛み鳴らしながら、ボクは小さく恨み言を吐いた。そこまでしてボクから話させたかったのか。勝ち誇ったように笑っているが、もう実質先輩のほうから口を開いているようなものだ。これだから負けず嫌いは大嫌いなのだ。
「じゃ、聞きます。はい。その、《眠り姫》さんって」
「──ああそうさ、コイツは僕の不肖の幼馴染みなんだ」
「……随分と食い気味ですね」
「四年B組、寝上カノン。特技、趣味は寝ること。授業中、実習中、食事中、歩行中などのときにも目を離せばすぐに眠ってしまう厄介もの。クラスの中では眠り姫と敬遠されている」
「眠り姫。本当にぴったりなあだ名ですね」
「そして、忘れ物や物忘れもひどい。つまり物の管理が最悪でな。僕が贈呈した誕生日プレゼントだって、使っているところを見たことがないんだ」
「それはただ単に、水燃先輩のセンスが無いだけでは?」
「氷雨レイ、我が角の餌食になりたいようだな」
睨まれた。我が角って。言い回しにどこか中二味すら感じるが、彼はもう立派な十七歳である。年齢で言えば高二である。これ以上は思想の自由も許されていないので、考えるのをやめた。
「何より、彼女は深い眠りにつけばなかなか目覚めない。だから、よくイタズラもされるんだ。それを、毎回のように風紀委員であるこの僕が回収する羽目になっているんだが」
「それって、病気とかじゃないんですか?」
「違う。こいつのは、もっと、厄介なものだ」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は言葉を濁した。《眠り姫》こと、寝上カノンを横目にみながら。いや、その背後に佇む、黒い影を睨みながら。ツノに架かった前髪を、さらりと掻き上げ、
「おい、そろそろ一時限目が始まる。早く教室に戻れ、氷雨レイ」
と、言った。たくさん話して満足したらしい。擦りむいた鼻頭の出血も止まったし、もうそろそろ頃合だ。ボクは丸椅子を端に寄せ、立ち上がった。
だが、カーテンを開けて出ようとしても、ミナモ先輩が立ち上がる気配は無かった。どうやら、まだ《眠り姫》の傍に残るみたいだ。これで一時限目に遅れたら、激でも飛ばしてやりたい気分だったが。その背中がどうにも小さく見えた。今日のところは突っ込まずにおこう。
「一応。付き添い、ありがとうございますね、先輩」
そうやって、頭は下げずにおく。通過儀礼のようなものだ。案の定先輩も、
「はっ。そんなに不細工な口からの礼など何の効力も無いぞ、氷雨レイ。出直して来い」
と、返してくれたので安心した。
「あっ」
「どうした、アホ面に拍車がかかっているぞ」
「いえ、伝え忘れですよ。なに、くだらないことですけど」
お茶を濁すようなことですけど。場を凍らすようなことですけども。
「──《眠り姫》は、王子様のキスで目覚められるんでしたよね、水燃先輩」
それは、誰もが知っている常識で、テンプレ化している御伽噺のオチである。
「ふ、くだらん。早く戻れ」
いつも通りの口調でそう言った先輩の耳が、少し赤らんでいたのをボクは覚えている。
 




