『魔王軍広報部』5
「近くの町に飛んで、勇者のこと聞いてくればいいんですよね?」
「待って、ニナ」
ミルがすぐに止める。
「まだ、何を聞くのかも決まってないでしょ」
「行ってから考えればいいじゃん!」
「それをやめてって言ってるの!」
「でも、現場に行かなきゃ何も分からないよ!」
「現場に行く前に、何を確認するのか決めるの!」
「ミルは慎重すぎるんだって!」
「ニナが考えなさすぎるの!」
ユノアが、くすりと笑った。
「二人とも、いいところを突いていると思うよ。現場に行かなきゃ分からないことはある。でも何を調べたいのか決めずに動けば、聞きやすい話だけを拾って帰ってくるかもしれない」
「……それは、そうだけど」
ニナの勢いが、少し弱まった。
「それに、勇者の噂は魔王軍に都合のいいものばかりじゃないと思う。不都合な話が出てきたとき、どうするかも決めておいた方がいいんじゃないかな」
「同じ基準で確認します」
レムは迷わず答えた。
「私たちは、勇者を悪者にするために情報を集めるのではありません。まず、どのような情報が存在するのかを調べる。内容を確かめ、裏付けが取れたものを記事にする。取れなければ、未確認の情報として扱う。魔王軍にとって都合がよいかどうかは、その基準に含めません」
『賛成です、レム様』
通信水晶から、ユリウスの声がした。
『公開する情報には、必ず責任が伴います。たとえ事実であっても、伝え方によっては読む方に誤った印象を与えることがございます。ですので、記事には出所を併記いたします。誰が、いつ、どこで述べたことなのか。それが記せないものは、記事にいたしません』
「はい。記事にするかどうかも、確認してから判断しましょう」
「じゃあ、あたしが現地で話を聞く。ユノアが必要なら潜入して調べる。ミルが記録して照合して、ユリウスが記事にする。そういうこと?」
ニナが指を折りながら確認した。
「大筋では、そうなります。ただし何を聞くかは事前に決めること。集めた情報は、必ず共有すること」
「……はい」
返事は、さっきよりもずっと落ち着いていた。
「ミルの言う通り先に聞くこと決めた方が、聞き漏らさなくて済むもんね」
「分かってくれた?」
「分かったってば。ミル、最初からそう言ってよ」
「最初から言ってた!」
ミルは疲れたように溜息をついたが、その顔は少し緩んでいた。
「では、最初に調べる項目を整理しましょう。ニナさんが現地で何を聞くか、ミルさんと一緒に決めてください」
「はい。出所、日時、確認できる裏付け、聞き取りの可否。それから、確認済みか未確認かの区別。項目を先に作っておきます。後から情報が増えても、混ざらないように」
ミルはすでに、新しい用紙を広げていた。
「さすがミル。仕事が早いねえ」
「まだ何も始まってないよ」
「もう始まってるじゃん!」
「……始まったばかりだからこそ、手順を決めてるんだけどね」
ミルは用紙の一番上に、見出しを書き込んだ。
勇者に関する情報収集・確認記録。
その下の欄は、すべて空白だった。
*
会議が終わるころには、窓の外が夕焼けに染まっていた。
ニナは、ミルに監督されながら、取材用の質問票と格闘していた。机に向かって三十分も座り続けている。じっと座っている仕事は無理だと言っていたが、質問票の作成なら続くらしい。それは、レムにとって新しい発見だった。
ユノアは、潜入が必要になりそうな先の候補を挙げ、事前に調べるべき項目を書き出している。
通信水晶の向こうでは、ユリウスが編集用の書式と公開前審査の手順を整えると約束し、それきり静かになっていた。
レムは、会議の成果をまとめた報告書を書き上げた。部の目的の欄だけは、他の欄よりも時間をかけて、一行にまとめた。
そして最後に、予算申請書を添えた。「読むかどうかは、そのとき考える」と言われた書類だが、出さないという選択肢は最初からなかった。
「皆さん、本日はありがとうございました」
書類をまとめ、頭を下げる。
「明日から、具体的な調査内容を詰めていきましょう。焦らず、ひとつずつ進めます」
「はい、レム様」
「了解です!」
「はーい」
ミルとニナとユノアの返事は、それぞれに違っていた。同じ方向を向いているのかどうかは、まだ分からない。それでも清書した配置表には、五つの名前とそれぞれの役割が確かに並んでいた。
安堵はあった。問題が解決したからではない。ようやく、仕事を始められる状態になったからだ。
一人になった会議室で、レムはミルの書いた記録用紙を手に取った。
勇者に関する情報収集・確認記録。見出しの下は、出所も日時も、すべて空欄のままだった。
魔王軍の兵士が見た勇者。人間の町で語られる勇者。旅の途中で出会った人々が知る勇者。同じ人物の話でも、立場が変われば、見えるものは変わるのだろう。
魔王軍には、魔王軍の中から見た世界しかなかった。それを知るには、外の声を聞くしかない。人間たちが何を見て、何を聞き、何を信じているのか。そこに、魔王軍の知らない事実があるかもしれない。
あるいは、人間たちの方が間違っているのかもしれない。それも、確かめてみなければ分からない。
集めた情報が何を示すのか。公表したとき、世界がどう反応するのか。今のレムには、まだ見当もつかなかった。
ただ、決めていることがひとつだけある。
誰かの言葉を、確かめもせずに真実と決めつけないこと。
それが勇者の言葉であっても、魔王軍の言葉であっても、魔王様自身の言葉であっても。
レムは記録用紙を元の位置に戻し、灯りを落とした。
空欄を埋めるのは、明日からだ。




