『魔王様はお怒りです』2
「待て。貴様、今の話を本当に理解しておるのか?」
「もちろんです。魔王様の崇高な理想を世界中に伝える、大変重要な部署ですね」
「そうだ。決して、ただ耳触りのよい言葉を並べるだけの部署ではないぞ」
魔王様の声が低くなった。
怒鳴られていた時より、かえって室温が下がったような気がした。
「余の考えを伝え、魔王軍が何をしているのかを知ってもらう。嘘をついてまで好かれようとする必要はない。だが、事実を知られぬまま敵と決めつけられることも、あってはならぬ」
「はいはい」
「返事は一度!」
「はい」
セシルは新聞を脇に抱え、あっさりと言った。
「では、広報部を作ります。人員は適当に選んで、細かいことは担当者に任せましょう。予算が必要なら申請してもらって、活動方針も現場で考えてもらう。まぁ、何とかなるでしょう」
魔王様の表情が固まった。
「……貴様」
「はい?」
「余を舐めておるのか?」
「まさか。尊敬してますよ、魔王様」
セシルは頭を下げた。
ただし首を少し傾けただけだった。頭を下げたと言い張れる、ぎりぎり最低限の角度である。
「その態度でか!」
「いやぁ、魔王様のお考えは立派です。世界平和。素晴らしいですねぇ」
「ならば、もう少し真面目に聞かぬか!」
「聞いてますよ。広報部を作ればいいんでしょう?」
「それだけではない!」
「えー……」
心底面倒そうな声が漏れた。
その瞬間だった。魔王様の背後で、魔力が膨れ上がった。
謁見の間の空気が一気に重くなる。窓枠が軋み、床の石材に細かな亀裂が走った。玉座の周囲から黒い靄が立ち上り、光を食らって広がっていく。
壁際の魔族たちが次々と膝をつき、顔を伏せた。冷たい石の床が膝頭に食い込む。呼吸ひとつするのにも、全身の力を振り絞らなければならない。魔王軍を統べる王の威圧は、冗談で受け流せるようなものではなかった。
それでもセシルは、のんびりと立っていた。
圧を纏ったまま、魔王様の声が頭上から降ってくる。
「よいか、セシル。これは魔王軍の将来に関わる重要な仕事だ。余の理想を伝えるだけでなく、魔王軍の実態を正しく伝えねばならぬ。もし魔王軍に非があるなら、それを隠すのではなく、改めることも必要になる」
「はいはい、分かりました」
「本当に分かっておるのか!」
「大丈夫ですって。人選はこっちでやりますから」
セシルは新聞を投げ捨て、踵を返した。
「では、失礼しまーす」
「待て! 予算はどうする! 活動方針は! 報告の手順は! 概要だけでも決めねばならんだろ!」
「その辺は適当に申請しまーす。通るかどうかは知りませんけど」
「貴様ぁぁぁ!」
怒声が謁見の間を揺らした。
しかしセシルは、振り返らなかった。
扉が閉まる。
残された謁見の間には、魔王様の荒い呼吸だけが響いていた。黒い靄が、少しずつ玉座の影へ引いていく。
「……あやつ、次に会ったら覚えておれ」
低い呟きが落ちてくる。それを合図にしたように、列の魔族たちが恐る恐る顔を上げはじめた。
魔王様は、さきほどまで新聞が落ちていた床の一点を見つめていた。そこにはもう何もないのに、まだ紙面を睨んでいるような目だった。歪んだ似顔絵。誇張された見出し。勇者を讃える記事。
そのどこにも、魔王様の語る世界の姿は載っていなかった。
「必ず、余の真意を伝えてみせる……!」
その声に、偽りの響きはなかった。疑う余地もないほど、真剣な声だった。
やがて魔王様が片手を振った。下がれ、という合図だ。魔族たちは音もなく立ち上がり、ひとり、またひとりと、扉の向こうへ消えていく。
*
「――さて、この面倒事、誰に押しつけようかな」
一方、魔王城の廊下を歩きながらセシルは、いたって真剣にそれを考えていた。
自分でやる気は、最初からない。
広報の経験もなければ、やりたい気持ちもない。ただでさえ机の上に積み上がった仕事の山にこれ以上、面倒を載せるのは御免だった。
とはいえ、魔王様から直接命じられた以上、広報部を作らないわけにもいかない。形だけでも整えておかなければ、また玉座の前に呼びつけられるのは目に見えている。
ならば、答えはひとつ。
仕事を任せられる人間を探す。
いや、正確には。
**仕事を任せたあと、自分が口を出さずに済みそうな人間を探す。**
セシルは頭の中で、人事資料の頁をぱらぱらとめくった。
名前と所属の羅列が、流れるように過ぎていく。優秀でも野心があるのは駄目。扱いにくい者は、手間が増えるから駄目だ。
すると、ある名前のところで、指が止まった。
「……ああ、レムちゃんでいいか」
理由らしい理由は、なかった。几帳面そうで、書類も扱えそうで、何より頼めば断らずに何とかしてくれそうな気がした。それだけだ。
セシルは、答えの出た問題集を閉じるような気軽さで頷いた。
「よし。決まり」
こうして、魔王軍広報部の設立が決まった。
魔王様の威信を懸けた一大事業。世界の未来を左右するかもしれない、重要な部署。
そして、その設立を命じられセシルにとっては――面倒な仕事がまたひとつ増えた、それだけのことだった。




