第7章 第201話 苦しむ自由
ゴーン。
鐘の音が町へ響いた。
通りにいた人々が、一斉に足を止める。
老人も。
商人も。
子どもの手を引いていた母親も。
そして次の瞬間。
誰に言われたわけでもないのに、全員が同じ方向へ歩き始めた。
神殿へ。
「ユウトお兄ちゃん!」
「分かってる!」
ユウトは果物屋の店主へ【鑑定】を向ける。
────────
【状態】
外部精神干渉:一時解除
再干渉:進行中
【追加干渉】
聴覚媒介による行動誘導
【誘導先】
神殿
【媒介】
鐘音に含まれる神力波
────────
「鐘がきっかけになってる!」
「なら、まず音を止めます」
エリシアが杖を掲げた。
「少し時間をください。鐘楼の位置を固定します」
魔力感知が広がる。
遠くにある鐘楼。
そこだけを包むよう、細長い術式が空中へ描かれていく。
「町全体を覆うのは無理ですが、鐘楼だけならしばらく封じられます」
「お願い!」
「サイレンス・フィールド」
半透明の結界が鐘楼を覆った。
ゴ――ン。
次の鐘音は途中で消える。
町人たちの足が止まった。
「止まった!」
フィーナの耳が跳ねる。
「でも……」
人々は神殿を見たままだ。
「完全には戻っていません」
セレスが果物屋の店主を支えながら言う。
「こちらも再干渉が続いています。音を止めても、神力そのものが残っています」
「やっぱり鐘は命令を強めるためのものか」
ユウトは町全体へ意識を広げた。
【鑑定】。
今まで見てきた一人ひとりの状態ではなく。
神力の流れそのものを追う。
神殿地下から無数の黒い糸が伸びている。
途中。
何か所も力が集中している場所があった。
────────
【広域解析】
精神干渉中心:神殿地下
主要中継点:8か所
補助中継点:複数
聴覚誘導:鐘楼
【解析結果】
神殿地下のみでは町全域への干渉維持は困難。
中継点停止により干渉強度を低下可能。
【警告】
急激な停止は対象者へ精神反動を与える可能性があります。
────────
「八か所……」
「全部一度に壊すのは危ないですね」
エリシアが言う。
「うん。まず一つ止めて反応を見る」
「なら探すのはフィーナの仕事だね!」
フィーナが胸を張る。
「一人では行かせぬ」
アイリスがすぐ横へ立った。
「拙者が同行する」
「じゃあ二人でお願い」
「承知した!」
「フィーナに任せて!」
「レティシアは俺と来て。中継点が魔道具に近い構造なら、下手に壊さない方がいい」
「そいつはあたしの領分だな」
「エリシアは鐘楼の結界と神力網の監視を」
「分かりました。ただし防音結界は長時間維持できません」
「セレスはここでカイルのお父さんをお願い」
「はい。再干渉が強まったらすぐ連絡します」
役割を決め、六人は動いた。
ユウトとレティシアが最初に向かったのは町の共同井戸だった。
その脇に、小さな石碑が立っている。
笑顔を模した紋章。
今までなら気にも留めなかっただろう。
だが。
「これだ」
ユウトが【鑑定】する。
────────
【神力中継碑】
機能:
神力波増幅
精神干渉再送信
信仰反応収集
【内部構造】
魔石
銀線
魔力伝導合金
神力付与部位:解析不能
【停止方法】
動力魔石の切り離し
神力伝導路の遮断
【注意】
破壊による急停止は非推奨
────────
「へえ」
レティシアが石碑の継ぎ目へ顔を近づける。
「神の力なんて言うからもっと得体の知れねえもんかと思ったが、土台は魔道具じゃねえか」
「分かる?」
「魔石から銀線へ流して、こっちの合金で増幅してやがる」
レティシアが工具を取り出した。
「神力がどこに乗ってるかは分からねえが、道具部分だけなら外せる」
「壊さず?」
「職人舐めんな」
ユウトが危険な箇所を【鑑定】で確認する。
「左下の線は触らないで。そこ切ると一気に出力が落ちる」
「じゃあ先にこいつを逃がす」
レティシアが小さな金具を取り付ける。
魔石から流れる魔力を一時的に別の回路へ逃がし。
銀線を一本ずつ外していく。
「こういうのはな」
工具を動かしながら、レティシアが言った。
「壊すより止める方が難しいんだよ」
「覚えておく」
「お前は覚えるのが早すぎるから怖えんだよ」
「それ褒めてる?」
「半分だけな」
最後の銀線が外れる。
石碑の紋章から黒い光が消えた。
その瞬間。
近くにいた女性が立ち止まる。
「……あれ?」
顔から笑みが消えた。
代わりに、不安そうに周囲を見回す。
ユウトはすぐ【鑑定】した。
────────
【状態】
精神干渉:中 → 軽度
自主判断:回復傾向
感情抑制:低下
────────
「効いてる」
「だが完全解除じゃねえ」
「それでいい」
いきなり全てを戻すのではなく。
考えられる余地を作る。
今はそれで十分だった。
その時。
通信魔道具が鳴った。
『ユウトお兄ちゃん!』
「フィーナ?」
『見つけた! でも神官さんたちがいっぱい来た!』
続いて激しい打撃音。
『こちらは拙者が引き受ける!』
アイリスの声だった。
「無理しないで!」
『承知! 殺傷はせぬ!』
金属音。
悲鳴。
だが剣が肉を裂く音はしない。
アイリスは鞘と剣の峰を使い分け、神官たちの手首を弾き、足を払い、次々と姿勢だけを崩しているようだった。
『ユウト殿!』
「なに?」
『中継点へ急激に神力が集まり始めた!』
ユウトも広域解析へ意識を向ける。
一か所。
フィーナたちのいる方向だけ、黒い神力が急激に濃くなっていた。
「レティシア!」
「ああ!」
二人は走った。
路地を抜け。
身体強化で屋根へ上がる。
最短距離を跳ぶ。
辿り着いた広場では。
十数人の神官を相手に、アイリスが一人で立ちはだかっていた。
剣を抜いている。
だが刃は使わない。
鞘で腕を弾き。
足を掛け。
柄頭で肩を押す。
相手が自ら刃へ飛び込もうとすれば、身体を捻って受け流す。
「命を惜しまぬとは……厄介でござる!」
「フィーナは!?」
「あちら!」
中継碑の横。
フィーナが膝をついていた。
黒い神力が少女だけを包んでいる。
「フィーナ!」
「来ないで!」
ユウトの足が止まる。
【鑑定】。
────────
【対象】
フィーナ
【状態】
神力干渉・集中
過去記憶刺激
判断阻害
服従傾向誘導
【精神干渉】
強度:高
【抵抗】
継続中
────────
頭の中へ声が流れ込んでいるのだろう。
フィーナの耳が強く伏せられている。
「……もう、頑張らなくていい」
少女が小さく呟いた。
「フィーナ?」
「誰かに任せれば……間違えなくていいって」
自分の言葉ではない。
それでも。
とても優しい響きだった。
「考えなくてもいい」
フィーナの身体が震える。
「言われた通りにしてれば……嫌われない。怒られない。失敗しない……」
ユウトの手が強く握られる。
「……それだけは、許さない」
怒鳴らなかった。
ただ、声だけが低くなる。
フィーナが顔を上げた。
「ユウトお兄ちゃん……」
「今すぐ答えを出さなくていい」
「え?」
「怖いなら怖いでいい。迷ってもいい」
ユウトは一歩だけ近づく。
「でも、フィーナがどうしたいかだけは、あいつに決めさせなくていい」
黒い神力が揺れた。
フィーナは唇を噛む。
「……楽だったことはあるよ」
ぽつりと漏らした。
「命令された通りにしてればいいって思った方が……楽だった」
「うん」
「自分で決めるの、今でもちょっと怖い」
それでも。
フィーナはゆっくり片足を立てた。
「でも……」
黒い神力が身体を押さえつける。
その外側から。
エリシアが遠隔で張った精神防護結界。
セレスが以前から重ねていた精神安定。
そしてソフィエルから授かった小加護。
それらが、僅かにフィーナを支えている。
最後に。
立ち上がるかどうかを決めたのは。
フィーナだった。
「戻りたくない」
小さな声だった。
それだけ。
けれど十分だった。
────────
【精神干渉】
強度低下
【自己判断】
一時回復
【抵抗要因】
複数
詳細解析不能
────────
「……フィーナ自身が拒んだから?」
ユウトにも断定はできない。
だが。
少女は自分の足で立っている。
「ユウトお兄ちゃん」
「うん」
「今なら動ける!」
「中継点を止めよう!」
レティシアが石碑へ駆け寄る。
「こいつも同じ作りだ!」
フィーナが裏へ回る。
「どこ?」
「下から三つ目の線!」
「これだね!」
「そう!」
アイリスが神官たちを食い止める。
レティシアが回路を固定する。
フィーナが銀線を外す。
黒い光が消えた。
広場一帯を覆っていた圧迫感が、一段薄くなる。
町人たちの表情が変わった。
ある者は戸惑い。
ある者は泣き。
ある者は怒鳴った。
突然戻った感情に混乱し、その場へ座り込む者もいる。
「ユウトさん!」
通信魔道具からセレスの声。
『こちらでも干渉が弱まりました。ただ、混乱している人が増えています。一気に進めすぎないでください!』
「分かった!」
フィーナは周囲を見る。
「みんな……泣いてる」
「うん」
「怒ってる人もいる」
「うん」
「怖いけど」
フィーナは少しだけ眉を下げた。
「さっきより、本当の顔に見える」
ユウトは何も答えなかった。
その言葉を覚えておこうと思った。
その時。
『興味深い』
声が響いた。
耳からではない。
頭の中へ直接。
穏やかな。
不思議なほど優しい声だった。
ユウトの【鑑定】が乱れる。
────────
【警告】
上位神格からの直接干渉
【接続先】
ヴォイド
────────
『泣く者を増やし』
『怒る者を戻し』
『迷う心を返す』
責める声ではない。
本当に理解できないと言うような声。
『なぜ』
一拍。
『苦しむ自由を返す?』
ユウトの背筋が冷えた。
その瞬間。
広場から色が消えた。
泣いていた町人たちも。
神官たちも。
アイリスたちも。
一人ずつ輪郭を失っていく。
「ユウトお兄ちゃん!」
フィーナが手を伸ばす。
だが。
指先が届くより先に。
世界が、真っ白に塗り替えられた。
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