第5章 第151話 白狼族の居場所
競技場を出たあと、フィーナと白狼族の少女は、人通りの少ない広場の端にある石の長椅子へ並んで座った。
ユウトたちは少し離れた場所にいる。こちらを気にしているのは分かるが、誰も近づいてこない。
フィーナが「二人で話したい」と自分で決めたからだ。
「その耳飾り、ガルディアの物じゃないよね」
少女が口を開く。
フィーナは耳元へ触れた。
「うん。旅の途中で買ったの」
「やっぱり。白狼族でその飾りしてる人、あんまり見ないから」
「変?」
「別に。似合ってる」
「えへへ!」
少しだけ緊張がほどけた。
少女は白い尻尾を揺らしながら続ける。
「この国の白狼族じゃないんだよね?」
「うん」
「じゃあ、どこの群れ?」
フィーナの耳がわずかに伏せた。
生まれた場所。
家族。
奴隷になる前のこと。
覚えていないものも多い。覚えていても、口にしたくないことがある。
昔なら、聞かれたら答えなければならないと思っていた。
命じられれば従う。嫌でも拒めない。
答えたくないと口にすること自体、自分には許されていなかった。
けれど、今は違う。
「……それは、まだ話したくない」
声は少し小さかった。
それでも、自分で言えた。
少女は目を瞬かせたあと、あっさり頷く。
「そっか。じゃあ聞かない」
「……怒らないの?」
「なんで怒るの?」
「聞いたのに答えなかったから」
「答えたくないんでしょ? だったら仕方ないじゃん」
あまりにも普通に返され、フィーナはしばらく少女を見つめた。
やがて尻尾がゆっくり左右へ揺れる。
「ガルディアの白狼族って、みんなそうなの?」
「まさか」
少女は笑った。
「うちの母さんなんて、何でも聞きたがるし、近所のおばさんは人の世話ばっかり焼くよ。私はそういうの苦手」
「じゃあ、みんな違うんだ」
「当たり前でしょ。白狼族ってだけで性格まで同じだったら怖いよ」
フィーナも笑った。
「白狼族って、みんな群れで暮らすの?」
「そういう人は多いけど、別に白狼族だけで固まらなきゃいけないわけじゃないよ。一人で冒険者してる人もいるし、他の獣人族と家族になってる人もいる」
「へえ……」
「私は一人暮らし無理だけどね」
「どうして?」
「料理するの面倒」
「フィーナも!」
二人で笑った。
少しして、フィーナは膝の上で手を組む。
「フィーナね、白狼族に会ったら、何か分かると思ってた」
「何が?」
「自分が……どこにいるのが正しいのか、とか」
少女はすぐには答えなかった。
しばらく考えたあと、首を傾げる。
「それ、私に聞かれても分かんない」
「え?」
「だって、フィーナがどこにいたいかなんて、私には決められないし」
その言葉に、フィーナは黙った。
視線が自然とユウトたちへ向く。
少し離れた場所で、レティシアが腕を組み、セレスが何かを話し、エリシアは眠そうに立っている。アイリスは競技場の方を時々見ていた。
ユウトもこちらを見ている。
けれど、来ない。
呼ばない。
フィーナが戻ると決めるまで、待っている。
胸の奥が、少し温かくなった。
「……フィーナ」
自分の胸元を押さえる。
「フィーナがいたいの、あそこだ」
口にした瞬間、妙にすっきりした。
誰かに言われたからではない。
白狼族だからでもない。
自分でそう思った。
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
少女が笑う。
「うん!」
フィーナも笑った。
それでも、もう一つ気になることがあった。
「でも、白狼族のことももっと知りたい」
「知ればいいじゃん」
「両方でもいいの?」
「なんでどっちか捨てるの?」
フィーナは目を丸くした。
そして、すぐに笑う。
「ほんとだ!」
翌朝。
障害競技の予選会場には、多くの参加者が集まっていた。
土の競技路には低い壁、丸太、斜面、狭い足場、複数の分岐が設けられている。速さだけでなく、進路判断や身体操作も問われる、ガルディアで昔から続く競技だ。
「フィーナ!」
隣の列から声がする。
昨日の白狼族の少女だった。
「同じ組!」
「今度こそ負けないからね!」
「まだ一回も勝負してないでしょ!」
「あ、そうだった!」
開始の合図が鳴る。
二人は同時に飛び出した。
最初の壁。
フィーナは勢いを殺さず片手を掛け、身体を滑らせるように越える。
次は丸太。
前方の足音を耳で拾い、混み合っていない場所を選ぶ。
やがて三つの分岐が現れた。
右は踏み跡が多い。
だが多すぎる。
迷った参加者が何度も入り直したような跡がある。
中央は最短に見えるが、奥から戻ってくる足音が聞こえた。
「行き止まり……!」
左。
草が一方向へ倒れ、その先から通過確認札が風に揺れる乾いた音がする。
「こっち!」
フィーナは左へ飛び込んだ。
少女も少し遅れて同じ道へ入る。
「やっぱりそっちだった!」
「フィーナが先!」
「まだ終わってない!」
斜面を駆け上がり、低い枝をくぐる。
最後は細い足場だった。
少女は勢いをほとんど落とさず踏み切った。
フィーナも飛べる。
だが、足場の端に薄い砂が浮いているのが見えた。
そのまま踏み切れば、着地で滑るかもしれない。
一瞬だけ迷い――速度を落とす。
しっかり踏み直してから跳んだ。
着地した時には、少女が半歩先へ出ていた。
二人が続けてゴールへ飛び込む。
「一着!」
係員の声が響く。
白狼族の少女が両手を上げた。
「やった!」
「くやしいー!」
フィーナは耳を伏せる。
だが次の瞬間には、尻尾が大きく揺れた。
「でも、もう一回やりたい!」
「次も勝つよ!」
「次はフィーナが勝つ!」
「二着、フィーナ! 二人とも予選通過!」
「やったー!」
今度は素直に跳び上がった。
ユウトたちのところへ戻ると、フィーナは胸を張る。
「ユウトお兄ちゃん! 二位だった!」
「予選通過おめでとう」
「最後ね、無理して飛べば勝てたかもしれない。でも滑りそうだったからやめた!」
「うん。それでいいと思う」
「負けたのは悔しいけど、フィーナがそうするって決めたから!」
自分で選び、その結果も自分で受け止める。
それが今は、少しだけ嬉しかった。
すると白狼族の少女が後ろから追いついてきた。
「ねえ。明日の午後、白狼族がよく集まる広場に来る?」
フィーナの耳が動く。
昔なら、まずユウトを見ていたかもしれない。
行ってもいいか。
断った方がいいか。
けれど今回は違った。
「行く!」
迷わず答える。
「フィーナがもっと知りたいから!」
少女が笑う。
「じゃあ、また明日」
「うん!」
フィーナは振り返り、ユウトたちの方へ走った。
戻る場所は、自分で決めた。
そのうえで、知らない場所へ行くことも、自分で選べるようになっていた。
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