第5章 第131話 止まった創作の記録
山中遺跡の内部調査が始まったのは、入口の補強と安全確認が終わった翌朝だった。
学院側が用意した支柱と測定器具が並び、崩落していた正面入口にも、人が一人ずつ通れるだけの経路が確保されている。
「奥で壁を壊すなよ。特にユウト」
最後の支柱を確認しながら、レティシアが釘を刺す。
「分かってるって」
「その返事が一番不安なんだよ」
フィーナが横で笑い、白い耳をぴんと立てた。
「フィーナに任せて! 生き物の匂いと音、先に見てくるね!」
「無理に離れすぎないでね」
「うん!」
先頭をフィーナ、その後ろをアイリスが進む。ユウトとエリシアが中央、セレスとレティシアが後方についた。
石段を下りるにつれ、外の光は急速に遠ざかっていった。
壁には細い溝が何本も刻まれている。
「魔力流路ですね」
エリシアが足を止める。
ユウトも【鑑定】した。
【対象:古代魔力導路】
【状態:劣化】
【魔力流動:微弱】
【流動方向:地下側】
【周期変動:あり】
「今は普通に下へ流れてる」
「昨日のような逆流は起きていないようですね」
だからといって安全とは限らない。
六人は流路へ触れず、そのまま奥へ進んだ。
しばらくするとフィーナが片手を上げる。
「待って」
全員が止まった。
「前に水の音。あと、床の下から金属が擦れるみたいな音がする」
ユウトが前方へ【鑑定】を向ける。
【対象:古代施設連絡路】
【状態:一部損傷】
【床面下:魔力導路】
【危険箇所:前方】
レティシアがしゃがみ込み、床石の継ぎ目へ工具を差し込んだ。
「固定具が削れてる。真ん中を踏むと抜けるぞ」
「では拙者が先に渡って確認を――」
「一番重い奴が行くな」
「……承知いたした」
フィーナが壁際の狭い縁を見つけ、一人ずつ慎重に抜けた。
その先にあったのは、円形の広間だった。
戦闘設備でも、魔力炉でもない。
壁一面へ棚が作られ、石板、金属板、封蝋の残骸、朽ちた木箱が整然と並んでいる。
エリシアの眠たげな目が一気に冴えた。
「記録庫です」
「研究資料?」
「それだけではなさそうですね」
彼女は棚の区分表示を読み取っていく。
「魔力設備、物資搬入、周辺集落、祭礼……こちらは娯楽や芸能に関する分類です」
「そんなものまで?」
「この施設、単なる研究所ではなかったのでしょう」
エリシアは別の棚を確認した。
「周辺地域の魔力設備と行政記録をまとめていた管理施設に近いと思います。祭礼や催しの記録まで残していたなら、文化資料があるのも不自然ではありません」
これなら、山中の地下施設に娯楽の記録が眠っていても説明がつく。
「これ、読めそう?」
ユウトが一枚の石板を指す。
「比較資料があれば、かなり」
そこからは、ほとんどエリシアの独壇場だった。
文字の形。
使われている暦。
記された王名。
保存方法。
同じ言葉でも時代によって変わる表記。
ユウトの【鑑定】では、
【対象:古代記録板】
【年代:推定可能】
【保存状態:良好】
【記録分野:祭礼・遊戯】
としか出ない。
だがエリシアは、それぞれの石板を年代順に並べていく。
「この王名はかなり古いですね。こちらは三代後の王。さらにこっちは、そのまた後です」
「どれくらい離れてる?」
「最初と最後なら、少なくとも百年以上」
石板が床に何列も並べられた。
エリシアが最古層の一枚を読む。
「『春迎えの祭りにおいて、新たな勝負法を披露』」
次。
「『子どもたちが考案した遊戯を広場で試す』」
「……考案した?」
ユウトは思わず聞き返した。
その一語が妙に引っ掛かった。
今のアルテシアでは、既存の遊びの駒を豪華にしたり、絵柄を変えたりすることはあっても、根本から違う仕組みを生み出した者を見たことがない。
リバーシも、カルタも、コマも、最初の形はすべてユウトが持ち込んだものだ。
「昔は、本当に新しい遊びが生まれてたんだ」
「そう読めます」
エリシアも表情を引き締めた。
さらに古い記録には、新しい劇の形式、新しい歌、新しい物語の構成、新しい祝い方まで残っていた。
ところが、年代を下るにつれて変化が消えていく。
「ここからです」
エリシアが中期の記録を指した。
「題材が変わっても構成が同じ。盤の材質は違っても規則は以前のもの。歌詞は変わっても曲の型が同じです」
さらに後世。
同じ英雄譚。
同じ祝祭。
同じ遊び。
装飾と名称だけが繰り返し変えられている。
ユウトには、一枚ずつを見てもそこまで分からなかった。
エリシアは百年以上の記録を一本の時間軸へ並べ、そこに意味を見つけている。
「……すごいな」
「何がです?」
「俺の【鑑定】だと、一枚の情報は見える。でも、こうやって並べて流れまで見るのはエリシアじゃないと無理だった」
エリシアが一瞬だけ固まった。
「そうですか」
「うん。いてくれてよかった」
「……今は研究の話をしましょう」
返事だけは平静だったが、彼女はなぜかユウトから少し視線を逸らした。
そして次の石板を持つ手が、ほんの少しだけ止まる。
研究している時、ユウトが隣にいることを、いつからこんなに当然だと思うようになったのだろう。
その疑問が浮かび、エリシアはすぐに頭の隅へ追いやった。
「続けます」
「うん」
フィーナが棚の下を覗き込んでいた。
「こっちにも何かあるよ!」
最下段の奥から、黒ずんだ金属箱が見つかった。
中には薄い白色の記録板が一枚だけ納められている。
エリシアが慎重に取り出した。
「保存指定資料ですね」
刻まれた文字は、これまでより古い。
「読める?」
「一部なら」
エリシアがゆっくり拾っていく。
「『大いなる歓びを司る御座が失われてより――』」
「御座?」
「神を指す場合もあります。ただ、宗教的な役職や象徴を意味する場合もあります」
続きは欠損している。
その下に残っていた文を読む。
「『新しき歌は少なくなり、新しき物語は語られず、新しき遊びもまた生まれなくなった』」
広間が静まり返った。
ユウトは年代順に並んだ石板を見る。
前期には、確かに新しいものが生まれている。
後期には、ほとんどない。
そして、その変化を記した資料には「歓びを司る御座が失われた」とある。
「時期は重なる?」
「調べます」
エリシアはすぐに他の記録を並べ替え始めた。
しばらくして、指が一枚の石板で止まる。
「……かなり近いです」
「どれくらい?」
「誤差を考えても、同じ時代と見ていい範囲です」
セレスが白い記録板を見る。
「その『御座』が失われたことと、新しい娯楽が生まれなくなったことに関係があるのでしょうか」
「記録を書いた人は、そう考えていた可能性があります」
エリシアは答えた。
「ただ、それが事実かどうかは別です。神殿側の古文書とも照合したいですね」
ユウトも頷く。
ここで分かったのは原因ではない。
ただ一つ。
アルテシアの人々は、最初から新しい娯楽を生み出せなかったわけではない。
昔は、自分たちで考え、作り、広めていた。
それが、ある時期を境に止まった。
その事実だけで十分に大きい。
その時、地面の奥から低い振動が響いた。
ゴォン――。
全員が足元を見る。
ユウトが持っていた黒く濁った魔石も、かすかに震えた。
だが、記録板には何も起こらない。
エリシアは魔石を一瞥しただけで、白い記録板へ視線を戻した。
「二つの問題を一つにするのは、まだ早いですね」
「うん」
「まずは、この記録の年代を他の資料と照合しましょう」
ユウトも頷いた。
黒い異変は黒い異変。
創作が止まった歴史は、創作が止まった歴史。
今はまだ別々に調べる。
それでも、ユウトの胸には新しい疑問が残った。
この世界から失われた「歓びを司る御座」とは、いったい何だったのか。
そして――なぜその喪失とともに、人々は新しい楽しみを生み出せなくなったのか。
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