第5章 第130話 黒く濁る魔石
裂け目の奥で赤い光が揺れた。
次の瞬間、灰色の狼型魔物が岩肌を蹴って飛び出してくる。
「来る!」
フィーナの声より早く、アイリスが前へ出た。
魔物は低く唸り、真正面のアイリスへ噛みつこうと跳ぶ。だが動きが妙だった。速い。しかし踏み込みが荒く、着地のたびに身体がわずかにぶれている。
ユウトは【鑑定】を使った。
【種族:グレイファング】
【危険度:D】
【状態:異常興奮】
【体内魔力循環:乱れ】
【神経反応:不安定】
【魔石周辺:異常反応】
「一頭は生かして確保したい!」
「承知いたした!」
アイリスは剣を抜いたが、刃を返した。
グレイファングの牙を半歩で避け、剣の腹で肩を打つ。
だが、魔物は倒れない。
着地と同時に四肢を踏ん張り、無理やり体勢を戻した。
「痛みを無視してる?」
ユウトが地面を隆起させて脚を拘束する。
その瞬間。
グレイファングは固定された前脚ごと身体を捻った。
土が砕ける。
「うそっ、外した!」
「普通の状態ではござらぬ!」
二頭目が裂け目から飛び出した。
フィーナが先に反応する。
「レティシア、左!」
「任せな!」
レティシアが盾を斜めに構えた。
正面から受け止めるのではなく、突進の向きを滑らせる。グレイファングは盾の表面を擦り、そのまま岩壁の手前へ流された。
「エリシア!」
「塞ぎます」
杖が振られる。
裂け目の前だけへ圧縮した風が叩きつけられ、続いて出ようとしていた三頭目の進路を押し戻した。
ユウトは一頭目へ再び接近する。
「アイリス、前脚!」
「はっ!」
アイリスが体勢を崩し、ユウトが今度は脚だけでなく腹の下まで土を盛り上げた。
四肢が浮く。
これなら踏ん張れない。
二頭目もレティシアが進路を制限し、その先へユウトが拘束を重ねる。
最後の一頭は風圧が弱まった瞬間に飛び出した。
だが、その着地点にはすでにアイリスがいた。
「眠っていただくでござる」
剣の腹が側頭部へ正確に入る。
魔物は地面へ転がり、そのまま動かなくなった。
「奥は?」
ユウトが尋ねる。
フィーナは耳を裂け目へ向けた。
「もう一頭いる。でも、遠ざかってる」
「追わない」
ユウトは即答した。
セレスはすぐに拘束した個体へ駆け寄る。
「診ます」
呼吸、瞳孔、脈拍、筋肉の緊張を順番に確かめていく。
「熱があります。呼吸も速すぎますね」
「暴れたから?」
「それだけではありません」
セレスは前脚へ触れた。
「筋肉が細かく痙攣しています。興奮状態が続けば、自分の身体の方が先に壊れます」
ユウトも魔力の流れを確認する。
【体内魔力循環:乱れ】
【魔石周辺:異常反応】
【神経反応:継続的負荷】
「傷だけ治しても駄目そうだね」
「はい。原因が残れば、また同じ状態になる可能性があります」
セレスは少量の鎮静薬を用意した。
「まず呼吸と興奮を落とします。治療はその後です」
「お願い」
生きている個体から取れる情報は、生きたまま調べればいい。
魔石を確認するためだけに殺す必要はなかった。
「ユウトお兄ちゃん」
フィーナが少し離れた岩陰を指した。
「こっちに血の匂いがある」
茂みを分けると、別のグレイファングの死骸があった。
腹部を食い荒らされ、周囲には乾ききっていない血が残っている。
「これなら魔石を確認できるな」
レティシアが周囲を見回す。
「死骸目当てで他の魔物が来る前に済ませようぜ」
ユウトは死骸を【鑑定】する。
【死因:大量出血】
【魔石:変質あり】
「やっぱり」
胸部を開き、魔石を取り出す。
本来なら青灰色のはずの魔石。
その内部には、墨を溶かしたような黒い濁りが浮かんでいた。
王国内で回収した変質魔石とよく似ている。
ユウトは石そのものを調べた。
【名称:グレイファングの魔石】
【状態:変質】
【魔力純度:低下】
【内部魔力流:不均一】
【異常反応:既知分類に該当せず】
【発生原因:解析不能】
エリシアも覗き込む。
「王国の個体と、黒化の位置が近いですね」
「魔力が乱れてる場所も似てる」
「ただ、こちらは濁りが少し薄いです」
「こっちの方が影響が弱い?」
「可能性はあります。個体差かもしれませんし、時間差かもしれません」
そこまでで止める。
比較できる事実だけを記録する。
「セレス、この魔石の状態と生きてる個体の症状、繋がりそう?」
「魔石周辺の異常と、神経症状が同時に出ているのは気になります」
セレスは拘束した個体を見た。
「ただ、魔石の異常が症状を起こしたのか、同じ原因が両方へ影響したのかは分かりません」
「じゃあ、そこも持ち帰って調べよう」
「はい」
フィーナは取り出した魔石を嗅ぎ、その後に裂け目から流れてくる風へ鼻を向けた。
「やっぱり違う」
「何が?」
「魔石の方は前の変な魔物に近い。でも穴の奥は、もっと石と古い水の匂いが強い」
「同じ匂いじゃないんだね」
「うん」
その違いは大きかった。
もし遺跡の内部そのものが黒い変質の発生源なら、もっと近い匂いでもおかしくない。
だが嗅覚だけでは結論は出せない。
それでも、単純な一本線ではなさそうだという材料にはなる。
「今日はここまでにしよう」
ユウトが言う。
「生きてる二頭を運ぶ檻と、入口を補強する資材を持ってきてもらう。中へ入るのは、それから」
「それがいいでしょう」
エリシアも素直に頷いた。
「内部の魔力流を止めない方法も考える必要があります」
「支柱の状態も調べ直した方がいいな」
レティシアが続ける。
「入口を開けたせいで地下の流れまで変わったら洒落にならねえ」
帰還の準備へ移ろうとした、その時だった。
ゴォン――。
再び地面が低く鳴った。
「待ってください」
エリシアが目を閉じる。
先ほどとは違い、すぐには立ち上がらなかった。
「……やはり」
「何か分かった?」
「流量そのものが増えたわけではありません」
エリシアは石柱へ視線を向ける。
「一瞬だけ、魔力の流れが逆になっています」
ユウトも石柱を見る。
【流動方向:地下側から地表側へ一時反転】
【継続時間:短時間】
【原因:不明】
「地下から魔力が戻った?」
「そう見えます」
その瞬間。
ユウトの手の中で、黒く濁った魔石がわずかに震えた。
「……え?」
全員の視線が集まる。
魔石の内部に浮かんでいた黒い濁りが、一瞬だけ脈打つように揺れた。
そして、地下の反転が止まると同時に静まった。
エリシアが魔石と石柱を交互に見る。
「偶然でしょうか」
「分からない」
ユウトは答えた。
ただ一つ、確かなことがある。
地下の魔力が逆流した瞬間、黒く濁った魔石も反応した。
偶然か、共通する何かがあるのか。
それを確かめるには、もう遺跡の外だけでは足りなかった。
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