第5章 第128話 黒く濁った魔石の記録
古代資料保管区は、魔法研究施設の中でも空気が違っていた。
華やかな魔導板も、研究者たちの議論もない。石壁に沿って小さな魔法灯が並び、その淡い光の中へ、金属筒や石板、写本を納めた棚が幾重にも続いている。
「ここから先は、閲覧許可が下りた資料だけになります」
案内役の研究員が、封印札の付いた箱を机へ置いた。
「アルテシア王国の大神殿と冒険者ギルドから照会されていた、黒く濁った魔石に関する記録です」
ユウトたちは机を囲んだ。
箱の中には数枚の写本と、黒ずんだ石板が一枚。
「原本ではありませんね」
エリシアが写本を一枚ずつ広げていく。
「筆記法が違います。同じ古い記録を、別々の時代に書き写したもののようです」
「内容は?」
「ここが共通しています」
二枚の写本には、それぞれ異なる表現が使われていた。
『黒き石』
『濁り石』
そして、その直前には魔物被害の記録がある。
普段なら人里へ近づかない魔物が街道付近へ現れたこと。
討伐された個体から、黒く濁った魔石が得られたこと。
負傷しても退かず、人間へ向かってきたこと。
アイリスが文面へ視線を落とす。
「傷を受けても進み続けた、でござるか」
「どう思う?」
「恐怖を失ったというより、痛みに対する反応そのものが弱かったようにも読めまする」
「それだけなら他の原因もありますよ」
セレスが続けた。
「毒や病気、極度の興奮状態でも似た反応は起こり得ます」
「うん」
ユウトは頷いた。
王国で見た変異した魔物と似ている。
けれど、それだけで同じ原因とは決められない。
問題は、その後だった。
「地下で建造物を発見……」
ユウトが読み上げる。
魔物被害が続いた後、近隣の地下から古い施設が見つかっている。
用途は不明。
調査は途中で中止。
周辺への立ち入りも禁止された。
「こっちの石板が、その時の封鎖記録らしいです」
エリシアが黒ずんだ石板を手前へ寄せた。
古代文字はところどころ摩耗していたが、まだ読める箇所も残っている。
「『深部』『閉鎖』『黒化』『侵入を禁ず』……」
エリシアが読み進め、途中で止まった。
「ここだけ文が成立しません」
レティシアが石板へ顔を近づける。
「割れてんのか?」
「いいえ」
エリシアが首を振る。
ユウトも【鑑定】する。
【対象:古代封鎖記録石板】
【状態:一部摩耗】
【用途:施設封鎖記録】
【判読可能語句:深部・閉鎖・黒化・侵入禁止】
【中央記録:異常欠損】
【物理破損との一致:なし】
【欠損原因:解析不能】
「石は壊れてない」
ユウトは中央部分を見る。
そこには文字を削った跡すらない。
前後には文章があるのに、その一部分だけ、最初から何も書かれていなかったかのように空いている。
「削ったなら、表面に傷が残るはずだ」
レティシアが指先で縁を確かめる。
「こいつは違う。石そのものは普通だ」
「でも、文章には何かが入るはずなんですね?」
セレスが尋ねる。
「ええ」
エリシアが周囲の文を指した。
「文法上、ここには何らかの対象を示す言葉が必要です。施設名か、現象名か、それ以外かは分かりませんが」
文字が消えたのではない。
そもそも、そこにあるはずの情報だけが存在していない。
ユウトは王国内で見つけた古代柱を思い出した。
あの時も、【鑑定】で追おうとすると肝心な部分だけが見えなかった。
「似てる」
「王国の柱とですか?」
「うん。でも同じものだとはまだ言えない」
エリシアは石板の縁に残る紋様へ視線を移した。
「ただ、この封鎖術式に使われている記号の一部は、王国から送られてきた柱の写しと系統が近いですね」
「同じ施設?」
「そこまでは言えません」
エリシアは即座に否定した。
「同時代か、同系統の技術を使った可能性がある。それくらいです」
フィーナが石板へ顔を近づけ、鼻をひくつかせた。
「んー……王国で見た黒い魔石みたいな変な匂いはしないよ」
「石板だからかな?」
「分かんない。でも同じ匂いじゃない。だからフィーナには、同じものかどうか分かんないや」
「それで十分だよ」
分からないことを、分かったことにしない。
今はそれが重要だった。
さらに行政記録を確認すると、地下施設の発見後、周辺の採掘と立ち入りが長期間禁じられていたことが分かった。
だが、解決したという記録はない。
最後の一文はただ、
『封鎖を継続する』
それだけだった。
「場所は残ってるのか?」
レティシアの問いに、研究員が古地図を広げる。
「完全な一致ではありませんが、旧地名と地形を照合すると、この辺りが有力です」
示されたのはルーンベルク西部の山地だった。
「現在も古い遺跡があります。ただ、入口付近で崩落が起きており、内部調査は中断されています」
「古代炉とは離れてますね」
エリシアが地図を見る。
「かなり」
「なら、古代炉と直接同じ施設ではない」
「はい。ただ建造年代は近い可能性があります」
ユウトは地図と石板を見比べた。
黒く濁った魔石。
異常な魔物。
地下施設。
情報の欠けた封鎖記録。
偶然で片づけるには、重なる点が多い。
「現地へ向かわれるのでござるか?」
アイリスが尋ねる。
「すぐには行かない」
「え?」
フィーナの耳が立つ。
「王国側の資料ももう一度比べたい。ルーンベルクの許可も必要だし、崩落してるなら装備や退路も考えないと」
「えへへ。前だったら『ちょっとだけ見よう』って言って、そのまま入ってた気がする!」
「……否定しにくいな」
アイリスが口元を緩め、セレスも小さく笑う。
「その判断なら、お説教は減りそうですね」
「減るだけなんだ」
「なくなるとは言っていませんよ」
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
エリシアはもう一度、石板の端に残された小さな追記を確認する。
「こちらは後世の書き込みですね」
「読める?」
「一部だけ」
エリシアがゆっくり読み上げた。
「『深部安定のため、流れを絶やすな』」
ユウトは眉を寄せた。
「流れ……」
「何の流れかは書かれていません」
魔力かもしれない。
水路かもしれない。
施設内の循環機構かもしれない。
今の段階では何も決められない。
「古代炉にも、循環を急に止めない仕組みがありましたね」
セレスが言う。
「でも、それだけで関係があるとは言えない」
「ええ」
エリシアは頷く。
「同じ時代の技術者が、循環を扱う考え方を共有していた可能性もあります」
そこで止める。
今は、それ以上結論を進めるだけの証拠がない。
エリシアは地図上の山地へ指を置いた。
「現地へ行けば、質問は増えるでしょうね」
「減らないんだ」
「答えが一つ見つかると、質問が二つ増えるものです」
「それ、研究者には楽しいの?」
「とても」
即答だった。
ユウトは苦笑する。
「じゃあ、ちゃんと準備して確かめよう」
地図上の山中遺跡。
そこはまだ目的地ではない。
だが、王国から追ってきた黒い異変を調べるうえで、次に確かめるべき最有力候補になった。
そして机の上には、物理的には壊れていないのに、肝心な情報だけが欠けた石板が残されていた。
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