第4章 第103話 絵ではなく文字を見る
薄い木札を机いっぱいに並べると、それだけで何人もの子どもが身を乗り出した。
宿を示す建物。店を示す軒先。肉、水、靴、袋。毎日の暮らしの中で目にするものを中心に、札には大きな文字と分かりやすい絵が描かれている。
「じゃあ、もう一回いくよ!」
読み札を持ったフィーナが、張り切って声を上げた。
「『水を飲む』!」
ぱしん、と小さな手が木札を叩く。
「これ!」
「正解!」
「やった!」
子どもが水差しの絵が描かれた札を掲げる。その周りから悔しそうな声が上がった。
商業ギルドから様子を見に来た職員は、少し離れた場所で腕を組んでいる。ユウトはその隣で、遊んでいる子どもたちを眺めていた。
楽しんではいる。
何度も同じ札が読まれるうちに、最初は戸惑っていた子も素早く取れるようになってきた。
けれど、ユウトには少し気になることがあった。
「次! 『宿で休む』!」
フィーナが読み上げた瞬間、一人の少女が迷いなく札へ手を伸ばした。
誰よりも早い。
しかし、その視線は文字ではなく、札に描かれた建物だけを追っていた。
次の札でも同じだった。
肉の絵。
靴の絵。
袋の絵。
少女は文字を見るより先に絵を見ている。
「……あ」
ユウトが小さく声を漏らす。
「どうしました?」
エリシアが隣から尋ねた。
「文字を覚えて取ってるんじゃないかもしれない」
「絵ですか」
「うん」
ユウトはさらに何人かを観察した。全員ではない。しかし、絵だけで札を判断している子は確かにいる。
絵を付ければ、文字を知らなくても遊べる。
それは狙い通りだった。
だが、絵だけを覚えてしまえば、文字を見なくても勝ててしまう。
「ちょっと試してみてもいい?」
「なにするの?」
フィーナが首を傾げる。
ユウトは数枚の取り札を裏返し、文字だけが見えるように置いた。
「今度は絵なしでやってみよう」
「ええー!」
子どもたちから一斉に不満の声が上がる。
「いきなり全部じゃないよ。さっき何回も出た札だけ」
水、宿、肉。
繰り返し遊んだ三種類に絞る。
「では……『宿で休む』」
今度はエリシアが読み上げた。
さっきまで真っ先に札を取っていた少女の手が止まる。
「……どれ?」
周りの子どもも迷っていた。
一人の少年が、おそるおそる一枚へ手を伸ばす。
「これ……かな?」
「正解です」
エリシアが頷くと、少年の顔が明るくなった。
「やった!」
少女は札と読み札を交互に見ている。
「でも、絵がないと難しいよ」
「そうだね」
ユウトは頷いた。
失敗だったとは思わない。
むしろ、やってみたから分かった。
最初から文字だけなら、文字を知らない人は遊ぼうとさえ思わない。絵があるから参加できる。けれど、ずっと絵だけでは文字へ目が向かない。
「絵をなくす必要はないですね」
エリシアが木札を手に取った。
「最初は絵と文字を一緒に見る。慣れてきたら、文字だけでも遊んでみる。その方が自然でしょう」
「段階を分けるのか」
「はい。覚える前と、覚えた後で同じ札を使えます」
「それいい!」
フィーナが勢いよく手を挙げる。
「最初は絵ありで勝って、次は字だけでも勝てるようになるんだね!」
「フィーナもまだ文字だけだと間違えるでござろう」
アイリスが言うと、フィーナの耳がぴくりと動いた。
「ま、間違えないもん!」
「では、これは?」
アイリスが文字だけの札を一枚持ち上げる。
フィーナは固まった。
「…………肉?」
「宿でござる」
「絵がないと分かりにくい!」
「先ほど自信満々であったではないか」
子どもたちが笑い、フィーナも頬を膨らませながら笑った。
「もう一回! 今度は覚える!」
その一言で、文字だけの勝負が始まった。
最初は遅かった手が、繰り返すごとに少しずつ速くなっていく。
「これ、宿!」
「正解」
「次は肉!」
「正解!」
フィーナが札を取るたび、白い尻尾が大きく揺れた。
商業ギルドの職員が、そこで初めて机の近くまで歩み寄った。
「売れるとは思います」
開口一番、意外に慎重な言葉だった。
「ただし、文字を覚えるための物として扱うなら、遊び道具より厳しく見なければなりません」
「というと?」
「間違った文字を覚えさせるわけにはいかないでしょう。絵と文字の対応がずれていても困る。札が欠けて字の形が変わるのも問題です」
「なるほど」
レティシアが一枚つまみ、指先で縁を弾いた。
「こいつは薄いからな。子どもが何度も叩きつけりゃ、角から欠けるかもしれねえ」
「欠けた木片で手を切る可能性もありますね」
セレスが札の縁をなぞる。
「角を少し丸くして、表面も丁寧に整えた方が安全です」
「文字が欠けない位置も考えた方がいいですね」
エリシアが続ける。
一本の札から、次々と改善点が見つかっていく。
「でも」
ユウトは遊んでいる子どもたちへ視線を戻した。
「教育の道具として押しつけたいわけじゃないんです」
職員がユウトを見る。
「文字を覚えろと言われたら嫌になる人でも、遊びなら手を伸ばすかもしれない。結果として少し読めるようになれば、それで十分です」
「文字を学べる遊び、ですか」
「はい」
職員はしばらく黙り、木札を一枚手に取った。
「それなら商売としても分かりやすい。文字を習う余裕がない人でも、遊びなら家族と一緒に使える」
そこで、先ほどの少女がユウトの袖を引いた。
「あのね」
「どうしたの?」
「これ、持って帰っちゃ駄目?」
「どうして?」
「お母さんにも教えたいの」
少女は文字だけになった宿の札を指差した。
「お母さん、字があんまり読めないから。でも、これなら一緒にできそう」
ユウトは答える前に、少女の指先を見た。
さっきまで絵だけを追っていた指が、今は文字の形をなぞっている。
「これはまだ試しに作った札だから、持って帰るのはもう少し待ってもらえるかな」
「うん」
「その代わり、完成したらお母さんと一緒に遊んでみて」
「ほんと?」
「もちろん」
少女が満面の笑みを浮かべた。
その横では、見物していた年配の男性が一枚の札を手に取っていた。
「なあ、これは……宿、で合ってるか?」
「うん! 正解!」
子どもたちが一斉に答える。
男性は照れくさそうに笑った。
「そうか。宿か」
そして、確かめるように、その文字を指先でもう一度ゆっくりとなぞった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




