第11話 再会の税務官
ヴェルグの黒字が確定してから、一週間。
港の掲示板には、週次収支報告が貼り出され、人だかりができていた。
「本当に黒字なんだな……」
「数字が書いてあると安心するな」
ざわめきの中、アシュレイは少し離れた場所から様子を見ていた。
赤は、薄い。
完全に消えたわけではないが、滞留はしていない。
数字が公開され、疑念が減ると、赤は沈殿しない。
「監査官殿!」
町長が駆け寄ってくる。
「北の農業都市オルテナから使者が来ている!」
「……早いですね」
黒字は噂になる。
噂は、信用の芽だ。
役所へ向かう途中、アシュレイの右目がわずかに熱を持った。
視界の端。
王都の方向に、赤黒い影がうねる。
聖剣の光が、遠くで閃いた。
鼓動が一段強くなる。
「……加速している」
呟いたときだった。
「その通りよ」
背後から、澄んだ声。
振り向く。
石畳の上に立つ女性。
栗色の髪を後ろで束ね、簡素な旅装を纏っている。
だが姿勢は崩れず、視線は鋭い。
見覚えがある。
「……リシェル」
元王国税務官、リシェル・アルノート。
最後に会ったのは、追放の翌日。
何も言えず、ただ背を向けた彼女の姿が脳裏をよぎる。
「久しぶりね、アシュレイ」
口調は冷静だが、わずかに硬い。
「何の用です」
自然と距離を取る。
彼女の背後に赤はない。
代わりに、焦燥の淡い色。
「王都の状況を伝えに来た」
「……聞きましょう」
二人は港を離れ、静かな倉庫裏へ移動した。
潮の匂いと、遠くの喧騒。
「国債の利回りが跳ね上がった」
開口一番、核心。
「三日前の聖剣大規模発動が原因よ」
右目が疼く。
赤黒い竜が、翼を広げる幻視。
「討伐地域は?」
「一時的に静まった。だが別地域で急増」
予測通り。
「聖女が倒れたわ」
胸がわずかに締めつけられる。
「命に別状はない。でも、契約負担が身体に出始めている」
聖剣の代償。
未来価値だけではない。
「勇者は?」
「振るい続けている」
リシェルの瞳が揺れる。
「止められないのよ」
責める色ではない。
ただ、事実。
「財務卿は?」
「監査団を派遣する準備をしている」
「ヴェルグへ?」
「ええ」
予想はしていた。
だが早い。
「黒字化が王都で話題になっている」
リシェルは一歩近づく。
「あなた、何をするつもり?」
真っ直ぐな問い。
「都市を繋げます」
「……連盟?」
「黒字を点で終わらせない」
右目に、線が浮かぶ。
ヴェルグから北へ、東へ。
小さな光点が繋がるイメージ。
「王都を囲むの?」
「餌を断つ」
リシェルは黙り込む。
「それは、反逆と見なされる」
「知っています」
「それでもやるの?」
「やらなければ、竜が育つ」
言葉が漏れる。
「……竜?」
しまった、と思う。
だが彼女は笑わない。
「見えているのね」
「何が」
「歪みが」
彼女の視線は鋭い。
「私は見えない。でも数字は追ってきた」
一瞬、沈黙。
「あなたの報告は正しかった」
その言葉は、重い。
「でも、やり方が最悪だった」
「……分かっています」
初めて素直に認める。
「空気を読めなかった」
「空気じゃない」
リシェルは首を振る。
「感情を読めなかった」
胸に刺さる。
彼女は続ける。
「都市を繋ぐなら、数字だけじゃ足りない」
「……」
「信用は、理屈だけでは動かない」
その通りだ。
ヴェルグは、小さく、顔が見える規模だった。
だが都市連盟となれば違う。
「だから来たの」
「協力する、と?」
「監視も兼ねてね」
わずかな笑み。
「あなた一人では、また失敗する」
「……否定はしません」
そのとき、遠くで馬の蹄の音が響いた。
街道から数騎の騎兵が入ってくる。
王国の紋章。
「早速来たわね」
リシェルが呟く。
アシュレイの右目に、赤が浮かぶ。
騎兵の背後に、濃い赤。
圧力。
「監査団だ」
港の空気が変わる。
町長が蒼白で駆け寄る。
「王都からの正式命令だと!」
騎兵の一人が宣言する。
「ヴェルグ港の財務運営に重大な疑義あり。即時監査を実施する!」
ざわめき。
赤が濃くなる。
アシュレイは静かに息を吐いた。
「予想より早い」
「どうする?」
リシェルが問う。
王国の公式監査。
従わなければ反逆。
従えば、圧力で制度が潰される。
右目の奥で、竜が蠢く。
餌を奪われることを嫌うかのように。
「……受ける」
「正気?」
「透明性を武器にする」
数字は味方だ。
隠し事はない。
だが。
政治的な解釈は、数字より強い。
騎兵が近づいてくる。
「監査責任者は誰だ」
視線が突き刺さる。
アシュレイは一歩前に出た。
「私です」
騎兵の目が細まる。
「追放された元監査官か」
周囲がざわつく。
リシェルが小さく息を呑む。
「正式な立場はありません」
アシュレイは淡々と答える。
「ですが、制度設計は私が行いました」
赤が、港全体に広がり始める。
信用が試される。
小さな黒字は、圧力に耐えられるか。
リシェルが囁く。
「ここが、最初の分岐よ」
アシュレイは頷いた。
ヴェルグの黒字は、偶然ではない。
だが。
これから始まるのは、制度の戦争だ。
遠く、王都の空で赤黒い竜が羽ばたく。
第2章、始動。




