25.フレアとの遭遇
あれっ、誰もいないや。
魔力応用の授業が行われるはずの教室。
扉を開けて中を覗いたけど、まだだれもいない。
うーん、この授業、ちょっと時間帯が悪いよね?
今日の午後1コマ目は、他に攻撃魔法と治癒魔法の授業が行われる。
ほとんどの生徒が、そのどちらかをまずは履修体験してみるんじゃないだろうか?
私だってそのつもりだった。マリー王女様から助言を受けるまでは。
部屋へと滑り込み、窓際まで行って座る。席は自由なはず。
窓から外を見下ろすと、ちょうど運動場・・・じゃなかった、演習場が見える。
おおーかなり大勢の生徒が集まっている。あれは攻撃魔法の授業を受ける生徒だ。
あ、ラルフィード様だ。クリシュナ様もおられる。
確か、昼からは学年関係なくどの授業でも受けられるんだっけな
午前は歴史とか地理とか外交とか魔力操作とかそういったもので、1年生は最初の基礎部分から学ぶことになっている。
上級生に関しては、1年次で合格点が取れたらその授業はもう取らなくてもいい。
合格点が取れなかったら再度取り直すか、また別なものを勉強するかは本人次第だ。
この辺りはやっぱり前世の大学のシステムに近い気がする。
午後からは実践的な授業が多く、人によって知識にも魔力にも大きな差が出てくるため、何年生でも関係なく自分の勉強したい項目を集中して受けられる。
1つの授業で同じ進度の生徒同士は、いくつかのグループに分かれる。
本人の資質が関係してくるので、学年を越えて上級生と同じグループになることもあるのだ。
あ、ノルディスだ。アームズ様と話してる。
・・・おお、なんか遠巻きにだけど女生徒の輪に囲まれてるような?
その輪がじりじりと近づいて・・・あっ、食いついた!
1人話しかけたらみんな話しかけてる!すごい!池の鯉の群れに、餌投げ込んだみたいになってる!
そんな印象を持ってしまい、思わずぷぷっと吹き出してしまう。
ラルフィード様とクリシュナ様のところにも輪が出来ているけれど、そっちは少し狭いところに上級生、少し離れたところに1年生と2重になっていて面白い。
あれはなかなかガードが堅いなあ。上級生ガードを、下級生たちが突破できるのか?!
そしてこっちはマリー王女様だ!
取り巻きーずも押しのける勢いで、なんか話しかけている2人組がいるなあ。
上級生の男子生徒っぽいけど・・・イザベラ様の知り合いかな。なんかイザベラ様が間に立って話している様子。
ん、もしかしてイザベラ様の兄弟かな?遠目だけど、なんとなく顔が似てる気がする。
もう1人の男子生徒も、身体が大きくて上級生っぽい。
さすがにアンジェリカ様は話の輪に入ってるみたいだけど、カリーナ様はちょっと入りづらいのかまごまご周りで回ってるなあ。
こうやって見てみると、力関係がよくわかる。
上から眺めながら、勝手に人間関係ウォッチングを楽しんでいた時だった。
『・・・何を1人でぶつぶつ言ってるのよ』
不意にそんな声が頭に響いて、えっ?!と周りを見回す。
誰もいない。
・・・えっ。どういうこと?
「座敷わらしでもいるの、この学院?」
怖いので口に出して言いながら、おそるおそる教室の後ろから前まできちんと見る。
その時。白いものが目の端に映ったな、と思うとひらりと目の前の机の上に現れたのは。
『ザシキワラシって何』
そんなことを念話で伝えてくる、真っ白な猫だった。
「・・・あの、フレア様、ですかね?」
『様はいらないって言ったでしょ』
なんだっけ、この猫の種類。ヒマラヤン?ペルシャ?なんかそういう種類の猫ちゃんだ。
白くて毛がふわふわで、太い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、机の上に座っている。
白い動物。念話。話し方。そして、その身体を取り巻く金色のオーラ。
もちろんすぐに正体はわかったのだけど、なぜフレアがこんなところに?
「フレア、どうしてここに?遊びに来たの?」
『そんなわけないでしょ、あなたったら相変わらず呑気ね』
フン、とそっぽを向くフレア。
しっぽがパタパタしている。うわあ、めちゃくちゃ可愛いんだけど!
『もちろん『循環』するために来てるのよ。ラルフもだけど、大きい魔力を持っている子がちらほらいるから、効率がいいの・・・ちょっと!聞いてるの?!』
目の前を揺れるしっぽを見つつ、柔らかい手触りの毛をもふもふと撫でさすっていたら怒られてしまった。
「あ、ごめん。聞いてる。『循環』のために来てるのよね?」
『そうよ』
怒られて手を引っ込めたものの、その引っ込めた手に身体をこすりつけてくるので、触っててもいいようだ。なので、遠慮なく撫でさせてもらう。
「フレアが学院にいるとは思わなかったけど、よく考えたら効率いいのかもね」
フレアは火の精霊様だ。
火の精霊様が司るのは、戦いに関するものすべてだ。
攻撃魔法や剣術はもちろん、体術やスポーツ的なものの試合や、ちょっとした競争まで含まれる。
ハーディエンス学院ではもちろん攻撃魔法や剣術の授業があるので、それの実践は欠かさない。それに加え、体術やレクリェーション的な試合などはよく行われている。
そして、学院という多くの生徒たちが集まる場所。
前世でもそうだったけれど、こういう場所ではある意味競争は絶えないのだ。
誰かに勝ちたいという気持ち、そのための努力。もっと上に行きたいという向上心。
そういったものがたくさん渦巻いていて、それもまた『循環』の元になる。
『悪意はダメだけどね』
「悪意?」
『そう。悪意を持って攻撃魔術を使ったり、剣術を使おうものなら火の加護はアタシが全部奪ってしまうの。わかってる子がほとんどだけど、たまにわかってないのもいるから』
なるほどね。例えば剣術でライバルに負けたとして、強くなろうと頑張ることには火の加護が与えられるけど、ライバルを傷つけてやろうと剣術を使ったら後が怖いよってことね。
そんなことはもちろんしないけど、覚えておこう。
日本ではよく「悪いことをしたらお天道様が見てる」なんて言ったけど、ここでは「精霊様が見てる」んだね。本当の意味で。
「普段から学院にいるの?」
『そうよ。ガクインチョーの部屋には、アタシの寝床があるわ』
・・・学院長室に?めちゃくちゃVIP扱いされてる。
でも、多分その辺はフレアの正体をうすうす気づいている人たちの指示なんだろう。
『この時間は大勢で攻撃魔術が飛び交うから、一番いいのよ。でも、あなたもいるだろうと思ったのに、居ないんだもの』
「あーごめんね。ちょっと、こっちに興味があったから」
『まあいいんだけど。上から気配を感じたから来てみたら、すぐ見つけたから・・・イタッ』
「あ、ごめん!」
『もうちょっと丁寧に撫でなさいよ!』
また怒られた。
毛の間に指を入れてすくようにして撫でていたんだけど、毛玉がところどころにあって引っかかる。
それで引っ張ってしまったのが痛かったようで、怒られちゃったのだ。
「ねえフレア、今度猫の毛用のブラシもってくるから毛をとかさせてね」
『・・・いいけど、それじゃあアレもつけてよ』
「アレ?」
『アレよ、アレ。その、前にあなたがつけてくれたやつ』
・・・前につけた・・・あ、白いレースのリボンかな?
「わかった!でも、白い猫だから白のリボンじゃない方がいいかな。赤いのにしようかな」
『まかせるから、可愛くしてよね!』
「おまかせあれ!」
どん、とひとつ胸を叩いたのとガラッと扉が開いたのがほぼ同時だった。
扉の向こうに立っていた姿に、私はその姿勢のまま固まってしまう。
「・・・シャル。もう体は大丈夫なのか?」
一瞬驚いた顔を少し緩めて、そう問いかけてくる低い声。
「ゼ、ゼファス様!はい、そうです、あの、その、昨日はすみませんでした!」
立ち上がって頭を下げると、ゆっくり近づいてくる足音。
私の目の前でその足音は止まり、代わりにふっと笑う声が聞こえる。
「頭を上げてくれ。謝ってもらうことじゃない」
「でも・・・」
「緊張して倒れることなんて、よくあることだろ。夜会に慣れていないんだから仕方がない」
恐る恐る顔を上げると、ゼファス様は優しい顔でこちらを見ておられた。
その表情に息が止まる。
なぜそんなに優しい顔をしてくれるんだろう。
目の前に推しがいる。それだけで十分なのだ。
同じ空間にいて、同じ空気を吸って、同じ授業を受けて。
画面の中じゃなくて、すぐ近くに手を伸ばせるところにいる。
それだけで十分。それ以上は何も望む気はない。
シェアト兄様にも言ったのだ。
ゼファス様には自分よりもっとふさわしい人がいて、その人と幸せになって欲しいと。
その気持ちにウソはない。ウソではない、のだけれど。
だけど、心からの本心ではない。
自分にとって理想そのものの人が、目の前にいるのだ。
どうして、好きにならずにいられようか。
「ゼファス様最高!推し!尊い!」とバカみたいにはしゃいでいたのも、画面の向こうにいたからなのだ。
今、こうやって同じ空間にいて、同じようにはしゃげるわけがない。
だけど、気持ちは大きくなる一方だ。
これはゲームなのだ。
いや、現実なのだ。
私がエレメンタル・プリンセスになれば。
そうすれば、私だってゼファス様の隣に。
世界の滅びよりも何よりもそのことが一番の目的になる。
それじゃダメなのに。
「シャル?」
名前を呼ばれて漂っていた意識が戻る。
・・・考えちゃだめだ。大事なものを見失っちゃだめだ。
私は一度大きく息を吸って、吐く。落ち着こう。
「はい、えっと、ありがとうございました!昨日は楽しかったです。倒れるまでは」
そう言って、えへへと照れ笑いをしてみせるとゼファス様は安心したようにふっと笑う。
「ああ、そうだな。次は最後まで居れるよう、慣れなきゃな」
「そうですよね。王都育ちじゃないので、人の多いところって苦手です」
そんな会話をした後で、ふと気づいて問いかける。
「ゼファス様、この魔力応用を履修されるんですか?」
「ああ」
ゼファス様はちょっと頭に手をやって、困ったような顔になる。
「本当は、苦手な魔術系の授業を取った方がいいのはわかってるんだけどな。ついつい」
ついつい、苦手なものを避けてこんなマイナー授業に来ちゃったってわけか。
ちょっとかわいいなと思うし、むしろ私としては超ラッキーだ。
「私は苦手な体術や剣術の助けになるかなって思って」
「体術や剣術の?」
不思議そうな声に、説明をする。
魔力応用で学ぶ身体強化の魔術によって、体術や剣術などの不得意分野をカバーできるのではないかということを。
「なるほど、考えてもみなかった。大したものだな」
ほめてもらえてうれしいけれど、私は首を振って否定する。
「いえ、これは私もマリーアンジュ王女様からアドバイスいただいたのです。すごいのはマリーアンジュ王女様ですよ」
「・・・そうか」
ぽつりとつぶやいて、どこか遠くを見るような目になるゼファス様。
その脳裏には、美しい彼女の姿が映し出されているんだろうか。
「・・・あの方は、さすがだな」
「そうですね」
そのまま黙りんでしまった私たちに、「にゃっ」という猫の声が聞こえた。
私の耳には『いつまでアタシを無視する気なの?!』という若干お怒りモードの同時翻訳も聞こえてきたけれど。
ごめん、フレア。完全に忘れてたわ。




