01 新城 悠木 の 過去
中学一年の一〇月、日中でも秋の暖かさが薄まり冬の寒さが顔を覗かせるも、屋内では暖房を入れるにはまだ早い、そんな頃だった。
僕はいつものようにTシャツとトランクスという下着姿で床に入り安らかに眠っていると、深夜突然下腹部に痛みを覚えて目を覚ました。
そのときは布団にもぐりながら寝ている態勢を左右に変えたり、膝を抱えてしばらく耐えていると痛みがスゥーっと消えていき、痛みの原因をとくに心配することもなく再び眠りに落ちていった。
その日の朝に起きたときには、深夜にあった痛みのことなどすっかり忘れていて、いつものように身支度をして朝食を家族で食べて、いつもと同じ時間に鞄を持って玄関を出て登校した。
学校はやはりいつも通り授業が進み、いつも通り弁当を食べて、午後の授業が終わるとホームルームのあとは男子が掃除当番だったので、僕は片手箒を持ち腰を屈めて担当の教室を掃いているときだった。
そんなことはしていないし、されていないのだが、大事なところを強打したような蹴り上げられたような痛みが突然下半身に広がり、僕はしばらく動けなくなったが、まわりに気づかれないよう痛みを堪えながら少しぎこちない動きで掃除を続けた。
痛みが続くなか掃除が終わり、早く家に帰って寝ようと、昇降口で靴に履き替え下駄箱に上履きを入れたとき、痛みが嘘のようにスゥーっと消えていった。
そのとき、深夜に痛みで目が覚めたことを思い出したけど、すぐに痛みが消えることなど気にもせずに僕は下校した。
帰宅した僕は体調が悪いのかもしれないということを一応考慮して、外へは遊びに行かず、自室にこもってゲームをし漫画を読んで時間を潰して、夕食後風呂に入ると、その日は早めにベッドへと入った。
僕は眠気に襲われるのを布団にくるまりスマートフォンから音楽をBluetoothスピーカーに飛ばし聴きながらネットサーフィンをして待っていると、突然下腹部に三度目の鈍痛が広がり、仰向けで寝ていられず身体の向きを左右に変えて膝を抱え痛みを誤魔化しながら、一度目や二度目のようにまた痛みが過ぎるのを待った。
しかし一〇分経っても三〇分経っても続く鈍痛に息は荒くなり吐き気も催してきたころ、完全に消えたわけではないものの痛みが和らぎ荒くなった呼吸も落ち着いたので、その隙に眠ってしまおうと、安堵感と痛みに耐えた疲労からか襲ってきた睡魔に抗うことなく、朝には痛みが消えていると信じて眠りに落ちていった。
下腹部の激痛で目が覚めたのは、まだ外が暗い朝方だった。
あまりの激痛に眩暈がして、耐えられないほどの吐き気に突き動かされながらベッドから起き上がり、痛みで身体をくの字に曲げ、床に手を付きながらもトイレへ向かおうとするとトランクスの中に違和感を感じた。
今はその違和感に構っている場合ではないと這うようにしながらトイレに向かうが、身体を動かすと、とりわけ脚を動かし太ももが大事なところに触れると下腹部の激痛が増してうまく進めない。
これは絶対におかしい……。
そう確信し、オレはトランクスを下げて自分の下半身を覗くと、身に起きている重大さに目の前が一瞬真っ暗になった。
見ると、大事なところが赤黒く変色し大きく腫れ上がっていて、そのせいで身体を動かすことで揺れたり、太ももに擦れたりすると痛みが走っていたんだと分かった。
原因が分からず痛みだけを感じていたときはどうにか身体を動かすことができたが、激痛の正体を目で見て確認したことで身体がすくみ動けなくなってしまった。
僕はトイレに行こうにもベッドの横でまったく進めずに這いつくばっていた状態から、枕元に腕を伸ばしてスマフォを床に落とすとそれを拾い一一九番へ電話をかけた。
「一一九番、消防署です。火事ですか、救急ですか」
もののワンコールで電話口から応答があり、僕は痛みで荒くなった呼吸の合間に「救急車をお願いします」と答えた。
その後、住所氏名と今の症状を恥ずかしさを振り払い正直に伝えて電話を切ったが痛みで動けず玄関の鍵を開けに行けそうにないので、両親どちらかのスマフォに電話をかけて、事情を説明し救急隊員を迎え入れてもらわなければならない。
悩んだ結果、母親ではなく父親のスマフォに電話をかけて呼び出している最中にもう救急車のサイレンが近づいてきているのが聴こえた。
「どうした?」
眠たそうな父親の声が電話口から聞こえると、こんな時間にもかかわらず起きてくれたことと電話に出てくれたことに安堵を覚えた。
「ごめん、腹が痛すぎて、さっき救急車呼んだんだ……」
痛みと吐き気で、うまく言葉が出てこない。
荒い自分の呼吸音と、まだ鳥も目覚めていない暗さを残す早朝の静寂な窓の外から着実に近づいてくるサイレンだけが自室に響く。
「もう、救急車来ると思うから、玄関を開けて欲しいんだ……」
「なに、腹痛で救急車…?」
そう、父親の訝し気な声がスマフォから耳に響いたちょうどそのとき、家の真ん前に救急車が到着したことが、サイレンの音と窓のカーテン越しから差し込む赤い回転灯の光で、外を確認せずとも分かった。
回転灯はそのままで、サイレンが鳴り止んだ数秒後にはインターホンが家の中に鳴り響いた。
「新城さん、新城悠木さん! 救急隊員です、開けてください!」
玄関先からよく通る声で僕の名前を呼ばれ、再びインターホンが鳴らされた。
家の中で慌ただしい足音が聞こえると、玄関を解錠しドアが開かれる音がし「二階です」と父親の声とともに数人の足音が階段を上がり近づいてくるのが分かった。
「悠木、入るぞ」
Ⅼ字ドアノブが倒され、ドアが開くと電灯がつけられ父親より先に二人の救急隊員が床で膝を抱えるように倒れている僕のもとまで駆けてしゃがみ込むと僕の手首を軽く握った。
「大丈夫ですか、立てますか?」
という問いに僕は荒い息を吐きながら首を横に振るだけで答えた。
「脈拍数一〇〇ですね、一応呼吸数もみます」
手を取った隊員はそう告げると今度は僕のみぞおちに指先を当てて、もう一人はトランクスのゴムに手をかけると、ずり下ろしにかかった。
「ごめんね、患部を見せてもらいますね」
ああ、電話で伝えた症状をここで見られるのか…。
僕は恥ずかしさもあったが、なされるがままトランクスを脱がされていった。
「陰嚢、野球ボール大の腫脹か」
僕の下半身を確認した隊員はとくに触れることなく目視しただけで、素早くトランクスをはかせてくれた。
「呼吸数五四です」
「分かった、ここの階段担架無理だな」
「応援呼びますか?」
「一三歳だぞ、おれとお前で十分だ」
二人は短い会話をすると、トランクスを下ろした隊員が僕の腕を引いて上半身を起こさせて脇の下に頭を入れるともう一人もそれにならった。
「起こしますよ」
という隊員の声で両脇を担がれ、両側から腰に手を回された僕は痛みで身体をくの字にしながら立ち上がり、二人に支えられた状態のまま階段を下りて、救急車内のストレッチャーに横たわらされた。
救急車内に運ばれてもすぐには出発しない。
僕の人差し指にはパルスオキシメーターが挟まれて車内壁面の液晶モニターにバイタルサインが表示され、それを見ながら隊員は無線でなにやらやり取りをしている。
開け放たれたバックドア開口部越しに車外を見ると母親は何事かと集まってきた近所の人たちに「お騒がせしてすみません」と頭を下げて、一緒に救急車へ乗り込んだ父親は「ただの腹痛でこんな時間に救急車を呼ぶなんて近所迷惑な」と悪態をついている。
「搬送先病院が決まりましたので、今から出発します」
無線でやり取りをしていた隊員がそう告げた。
「じゃあ先に行ってください、病院にはあとからすぐに車で向かいます」
父親は立ち上がって隊員にそう言い残し救急車を降りようとしたが「ちょっと待ってください」と止められた。
「緊急手術の同意書にサインしていただく場合があります、その際は入院の手続きもありますし、保護者の方も救急車に同乗して一緒に向かってください」
その言葉に僕は、これは手術の必要な症状だったんだと、事態の重大さに気が付いた。
今まで僕の痛がる姿に、大袈裟だ近所迷惑だ人騒がせだと言っていた父親の顔がさっきまでとは違う驚きの表情に変わった。
父親は母親に「あとから車で来るように」と伝えると二人の内、一人の隊員が後部から降りて外からバックドアを閉め助手席に移動すると、白み始めた朝の空気にサイレンを響かせながら救急車が動きだした。
病院の名前を聞いて、だいたい自転車で一五分、車で一〇分ほどの距離だとの認識があったがサイレンを鳴らし一度も止まることなく走る救急車は、その認識よりも早い五分ほどで病院へと到着した。
救急車は救急車専用入り口と書かれた大きな自動ドアを抜けて、そのまま病院内まで進入し所定の位置で止まると、助手席の隊員が素早く降りてバックドアを上へ開け広げた。
救急車内後部に残っていた隊員と外の隊員とで、僕を横たわらせたメインストレッチャーを車外へ滑らせるとロールインタイプのアンダーキャリッジが最上段で展開し、後部開口部で待ち構えていた医師と数人の看護師にそのまま引き継がれた。
「搬送者は一三歳男性、陰嚢に野球ボール大の腫脹、変色あり、昨夜二一時半頃痛みだすも痛みが引きそのまま就寝するも痛みで覚醒、その約五分後の四時五五分消防に通報しています」
救急隊員がクリップボードの紙を読み上げて医師と看護師に僕の症状を伝える。
「急いで診察ベッドに運んで」
医師がそう指示すると看護師二人が僕を乗せたストレッチャーを押して、カーテンでいくつも仕切られた部屋に運び込まれ、ストレッチャーを病院の診察台の隣へ着けて高さを近づけると、オレは這うようにして診察台へと移動して仰向けに寝かされた。
「パンツ脱がせますね」
看護師は言うが早いか僕のトランクスを完全に下ろし、両脚から抜き取るとそこに医師が顔を近づけて診察を開始した。
ニトリル手袋をはめた手でオレの内太ももを撫でて様子をみているようだ。
オレは痛みと吐き気で荒い息のまま、なすがままにされていたが突然の痛みの増大に悲鳴を上げて医師の手から逃れるように身をよじった。
医師は、触る手を太ももから患部に変えて、そこを軽く持ち上げてきたのだ。
「精巣挙筋反射なし、プレーン徴候陽性、精巣捻転症の疑いが濃厚、色からして六時間は経ってるな…画像診断は省いて緊急手術、腰椎麻酔の準備、保護者の方に同意書もらってきて」
え、緊急手術……?
医師の言葉に周りの看護師が慌ただしく動き始める。
手術なんてそんな……僕はいったいなにをされるんだろうか……。
「ごめんね、シャツも脱いでくださいね」
近づいてきた看護師がやはりそう言い終わらない内にシャツを脱がしにかかり、とうとう僕は素っ裸になってしまった。
素っ裸で痛みに耐えている姿を想像すると、考えないようにしていた恥ずかしさが急に込み上がってくる。
「では麻酔しますので、しばらく痛いの我慢して力抜いて動かないでくださいね」
看護師はそう言い、仰向けで寝ている裸のオレを横向きにして首の後ろと膝の裏側に腕を回すと、膝を抱え込ませるような体勢で身体を固定した。
「少しチクッとしますけど絶対動かないでくださいね」
痛み…注射かなにかか……?
臍しか見えないような状態に身体を固定した看護師が優しい口調で念を押すように伝えると、まだ痛みへの覚悟も決まらないうちに僕の腰辺りに針が刺され、そのままズルズルと背骨の奥に針が侵入してくる痛みと違和感と不快感が入り混じったものから逃げようとする本能をなんとか抑え込み、声を押し殺してなんとか耐えた。
すると、ずっと耐えていた痛みが嘘のように引いてくると、今までしていた荒い呼吸もすぐに治まった。
「麻酔効いてきたみたいだね、じゃあ目隠しと穴あき」
医師が様子をみてから看護師にそう指示をすると、僕を仰向けに寝かせて胸のあたりにカーテンが置かれ、下半身を覗き見れないようにした。
裸にされたり緊急手術とかどんどんと事態が進んでいくけど、なにはともあれずっと痛いまま我慢してきたところでやっと痛みが消え、治療らしい治療をしてもらえるんだ、もうこの人たちにすべて委ねるしかないんだよな…。
僕は痛みが消えたことによる安心感から緊張が解けて、朝方に目が覚めたこともあり急激に襲ってきた眠気に抗うことができなかった。




