追憶 2
追憶 2
「ハッピーバースデートゥーユー! ハッピーバースデートゥーユー! ハッピーバースデーディア舞! ハッピーバースデートゥーユー!」
小さなアパートの小さな部屋。
自分なりに料理を作って、バースデーケーキを買って。
プレゼントも用意して。
付き合い始めの頃に、僕は彼女の誕生日を祝った。
「お誕生日おめでとう!」
掛け声とともに、彼女がふう、と息を吹きかけた。
「ありがとう」
頬を上気させて喜ぶ彼女。
僕は彼女が喜んでくれている、ただそれだけで胸がいっぱいだった。
「ねえ」
「何?」
「このハンバーグ、中が生焼けだよ」
僕はそれを言われた瞬間、ズガーンと体に衝撃が走った。
「え!? うそ!? じゃあ食べちゃダメだよ!」
僕は慌てて彼女の皿を奪った。
僕の食べていたハンバーグはきちんと中が焼けていたから、大丈夫だと思っていたのに。
彼女が食べるハンバーグが生焼けとか正直笑えない。
確かに彼女のハンバーグが大きかったから焼き時間が足りなかったのかもしれないというのはある。
でも、今日のために何度ハンバーグを作ったことか。
それなのにこれで失敗していたとか本当にショック過ぎる……!
冷や汗をたらたら流しながら、確認すれば。
「ん?」
半分に割れたハンバーグを眺めてみても、紅い部分はないじゃないか。
安堵すると同時に深くため息をついた。
「こら。こら。こら。こら! 焼けてるじゃん!」
「えへへ。バレた?」
ぺろり、と舌をだしてチャーミングに笑う彼女。
そんな笑顔で許すわけないだろ!
って、言いたくなるけど、結局は許してしまうので、僕は言葉を飲み込んだ。
それに、今日は舞の誕生日なのだから。
こんなことで怒るなんて器の小さなことはしない。
僕は皿を舞に返しながら、
「えへへ、バレた? じゃないよ。本当にそういう冗談やめて」
と顔をしかめるだけにする。
「本当に今日は舞のために一生懸命作ったんだから……」
あまりにもしょげてしまった僕を見た彼女が、申し訳なさそうに「ごめんね」と謝る。
すると何かに気が付いたように僕をじっと見つめてきた。
「な、何……?」
「ねえ、そういえばこの前、料理が苦手って言ってたよね?」
「……うん」
「もしかして、私のためにこんな素敵な料理を作ってくれたの?」
「……そうだよ。舞みたいに綺麗に作れてないし、素敵かどうかはわからないけど……。でも、君のために作ったんだ」
彼女の表情がどんどん崩れていくのが分かった。
「冗談でも言っちゃダメだったね……ごめんなさい……」
「え!? いや、そんなにも怒ってないから!」
「ごめんなさい……ありがとう……。私のために祝ってくれて」
彼女がぽろぽろと涙をこぼす。
嬉しいのだろうか、申し訳ないのだろうか。
きっとそのどちらもあるのだろう。
僕はどうしたらいのかわからなくて、おどおどして、おどおどして、とりあえずティッシュを彼女の前に置いた。
すると舞はぶしゅーっと盛大に鼻をかむ。
「ふふふ……」
「い、いきなり泣いたり、笑ったり、どうしたの……?」
僕が困惑気味に問えば、彼女はあっけからんとして僕にしがみついてきた。
抱き着いてきたの方がいいのかもしれないけれど。
「何でもなーい。ありがと」
彼女は僕を抱きしめる力を強めた。
彼女は何か重たいものをため込んでいるのだろうか。
それとも何かを我慢しているのだろうか。
それともただ単に僕にしがみつきたかっただけなのだろうか。
抱きしめる腕にかなり力がこもっているので、僕はなぜか不安に駆られた。
突然、消えてしまったら?
実は重大な秘密を抱えていたら?
僕は、彼女のことを受け止められるだろうか?
なぜかそんな疑問がふとよぎって。
漠然とした未来に不安を持って。
でも、そんなことを考えても意味はないので。
今、目の前の彼女に全力で向き合う。
「舞、大丈夫?」
「ふふ。何が?」
こちらを上目遣いで見てきた彼女。
僕は、ぐ、と心臓をわしづかみにされたような感覚に襲われた。
――ああ。
だめだ。
ご飯を食べるどころじゃない。
君の熱い眼差しに、理性が追い付かなくなる。
痺れたような感覚に身を任せ。
彼女を手繰り寄せるように抱きしめ返す。
柔らかな肌を服の上から感じて、心臓の鼓動が早くなった。
舞がゆっくりと目をつむり、気持ちが高ぶった。
僕は果実みたいな唇に口づけを。
綿菓子みたいなふわふわした感触を、もっと、もっと、と貪る。
愛らしい声も、柔らかな肌も。
すごく彼女が可愛くて。
すべてが愛おしいと思う。
僕は、彼女の全てを、優しく包み込んだ。
大好きな彼女と、精一杯の祝福と。
幸福感に包まれた僕たちは、ぼんやりと天井を眺めていた。
「私ね」
「ん?」
「小さいころに両親が離婚したの」
「……うん」
「それでね、お母さんとお兄ちゃんと一緒に暮らしてたんだけど」
「うん」
「お母さん、病気で亡くなっちゃったの」
明るくも、暗くもない、ただ事実だけを伝える、フラットな声。
彼女は今、どういう気持ちなのだろう。
「それでね、お兄ちゃんは高校卒業してすぐに就職して、私が大学に行けるように生活費と学費を稼いでくれて……」
彼女の声が少し鼻声になる。
「私も、お金がかからないように勉強して、特待生の授業料免除をもらったりして、お兄ちゃんにばっかり苦労させないように、バイトもして……頑張ってきたんだけど」
息を整えるように、深呼吸を繰り返した。
「こんなにも、誕生日を祝ってもらうことがなかったから……」
――すごく、すごくうれしかったの。
喜びを囁くように。
愛を歌うように。
彼女の声が僕の体に沁み込んだ。
「絶対に、今日を忘れないから。本当にありがとう」
まだ数えるぐらいしか生きてきていないけれど、
記憶に残るぐらい彼女に喜びを与えられたことが。
本当に嬉しくて、むずがゆくて。
「また、祝おう。誕生日じゃなくても、別の記念日とかでも」
「そうだね。例えば、付き合った日記念日とか、初めてのデート記念日とか、祐一が爆笑した記念日とか」
「なんだよそれ」
「いいの。私にとっては、毎日が記念日だから」
そう言って、僕を見つめた彼女は、どこか儚く。
朝日を浴びて輝く水滴のようにきれいだった。