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「舞、おはよう! 今日はいい天気だよ! 絶好のお出かけ日和だよ」
シャッとカーテンを開ければ、舞の顔が眩しそうにくしゃりとなった。
「ついに次の町……?」
あれ? いつの間にボス――アゼルドバイジャンを倒したんだ?
というか、そいつはどの段階のボスなのだろうか。
まあいい、きっと昨日の「デス」発言で倒したのだろう。
「そうそう。どこ行きたい?」
休日の朝。
もう、行くところは決まっているが、あえて聞いてみる。
舞は眉間に皴を寄せて首を傾げ、本気で悩んでいた。
「グリーン草原とか……イエロー平原は……ないなあ」
それは一体どこですか。
その聞きなれない地名的なものがでてきたけれど、そんなところはこの世界どこを探してもないからね。
というか、そこはあのゲームの中でどれくらい進んだら出てくるところですか?
まあいいけど。
「早く姫のところにいかなきゃいけないから、多少苦しくても、死にかけても、薬草があるし……グリーン草原でいいか」
舞はにこっと笑った。
おい。
なんだその判断は! レベル5の僕=イザベラを殺す気だろ!
そこで僕は気が付いてしまった。
どうしてイザベラがあんなにも上から目線のキャラなのだろうか、ということだ。
舞の操作するハイゼルが先に行き過ぎて、レベルが追い付かないイザベラは、きっと上から目線になることで自分のプライドを保ったんじゃないのか……?
だって、彼女はあの国きっての魔法使いなんだろ?
そんなエベレストよりも高いプライドがレベル99という、とんでも勇者に粉々に砕かされるんだ……。
『この国きっての魔法使いの私が、こいつの猛烈スピードの旅路にはついて行けないって、どういうことよ!? いや違う。こいつはへっぽこであるがゆえに、姫から絶大な力を授かったに違いない。よってこいつは全然すごくない! 私の方が自分の力でのし上がってるから凄いんだ!』
的な感じで内心歯ぎしりしてるんだ!
絶対にそうだ、なんて哀れなイザベラだろうか、と僕は同情してしまった。
なんだか温かい目で彼女の言動を見守れそうだ。
こいつムカつく性格してるな、とか思ってごめんなさい。
反省していれば。
「早く行こう!」と勢いよく起き上がった舞が、パジャマのまま玄関を飛び出そうとする。
「ちょちょちょちょ、待って! 朝ご飯まだだから……」
「あれ? そうだっけ?」
「いや、そうですよ」
「いや、でも食べたよね? ゴッド・オブ・ザ・スパイシーカレー」
「ゴッド・オブ・ザ・スパイシーカレー……」
うーん……いつの話かな? 舞さん。
僕は苦笑いして彼女を席に座らせた。
朝食を終え、さっさと身支度をして僕たちはアパートを出る。
行ってらっしゃい、とでも言ってくれているような晴天だ。
五月の気温はあったかい。というか、もう暑い。今日の昼は相当暑くなるかもしれないな。
そんなことを考えながら僕たちは自家用車に乗った。
そう。今日は君との記憶を巡る小旅行なのだ。
高速を走って約一時間後。
遠くまで伸びる瀬戸大橋に差し掛かる。
瀬戸内海を横断するときは、車窓いっぱいに瀬戸内海が広がり、海は太陽の光を受けてまるでダイアモンドを散りばめたように輝いていた。
素敵な旅路を祝福してくれているかのよう。
そんな最高の日に、最高の小旅行を二人で満喫したい。
「きれい……」
「うん。そうだね」
ぼんやりと眺めている彼女の横顔を盗み見て、僕は本当に小旅行に出てよかったという感想を早くも抱いた。
「これ、見た事あるよ。あれだよね、あれ」
「海だよ」
「違うよ。ビリーズの町にある温泉だ……」
「ん?…………そうなの?」
ビリーズの町にある温泉? どこそこ?
やっぱりもっとゲームを進めないと舞の話にはついていけないなあ……。
そう考えながらも、のほほんとしている君を見れば、戸惑いも不安も全部がどうにかなるような気がしてくる。
君が伝えたいことや感じていることを、僕は取りこぼさずにきちんと拾えるだろうか、とか。
変わりゆく君を本当に理解できるようになるだろうか、とか。
僕らはこれから一体どうなっていくのだろうか、とか……。
そんな漠然とした不安を、君は少しでも薄めてくれるね。
僕も薙いでいる海へちらりと視線を向けた。
小さなことでも喜びを感じ、気たる出来事にゆるぎないような。
何もかもを包み込むほど広く深い海に、僕もなりたい。
穏やかな時間が過ぎてゆく。
この時間が本当に幸せだった。
この時間が、永遠に続けばいいと、心からそう願う。
高速道路から降りて、地道を走る。
「じゃあ、まずは僕らが出会った大学から行こうか」
大学の近くのお店に車を止め、舞の手を引いて出身大学へ向かった。
回想療法という心理療法があるらしい。
懐かしい話をすることで、精神状態を安定させる効果が期待できるとか。
別に今の彼女の精神状態が悪いわけではないし、たいして昔のことでもないけれど。
思い出の場所を訪れれば、何かを思い出すかもしれないし、何か少しは変わるかもしれないと思ったのだ。
というか現実世界に戻ってきてほしい。
これが一番の願いだった。
しばらく歩けば、自転車をこいで校内へ入っていく生徒がちらほら見えた。
吹奏楽かオーケストラの音楽が聞こえてきたり、運動部の掛け声が微かに聞こえる。
今日は休日だけど部活とかかな?
校門を抜け、噴水の広場へ出る。
小さい子用のプールのような噴水の周りにベンチが設置されており、誰でも休憩できるスペースが広がっていた。
そう、僕たちの出会いはここだった。
「懐かしいなあ。ここで君に会って、突然君に告白されて、付き合いだしたんだ……びっくりしたけど、あれは君の一目惚れだったの?」
僕と舞は学部が違った。僕は経済学部で舞は農学部だった。接点は無かった気がしたけど。
舞をちらりと見ると、彼女の横顔には哀愁が漂っていた。
なんだろう。
思い出せなくて悲しいのかな?
それとも懐かしくて感激してる?
どちらも違う気がして、僕は舞の言葉を待った。
「運命だったよ」
すべての音が消えた。
静かに言葉を唇に乗せる舞の横顔にどきっと胸が鳴る。
まるで当時に戻ったような心地。
地に足がついていないようなふわふわ感。
これから何か楽しいことでも起きるかもしれないという、高揚感にも似ている。
もしかして、思い出してくれたのだろうか。
「そ、そうなんだ……?」
「ずっと探してた」
「ずっと……? それはいつぐらいから?」
真剣に噴水を見つめる舞の瞳にも、過去の僕たちの姿が見えているのだろうか。
僕にはあの日の光景が目に浮かぶ。
病気になる前でも、舞は過去の事を語ったことがほとんどなかった。
だから、とても興味があった。
何気にどぎまぎしながら聞いていれば。
「目が覚めてから。『助けてください』っていう姫の声を聞いて……」
ん? 姫?
膨れ上がった期待が徐々にしぼんでいくのが分かった。
ですよね。現実の話ではないですよね。とほほ。
「必死で探してる。今も。ずっと」
「……そうだね」
主人公は姫と世界を救う話だったよね。
僕はそのお供だった。
君の夫、祐一ではなく、勇者のお供、イザベラだったな。
きっとそれはこれからも変わらないのだろう。
でもいつか、僕をわかってくれる日がくるのだろうか。
いや、もしかしたらそんな日なんてこないかもしれないな。
そんなことを考えながら、舞の小さな手を握った。
昼食を食べ終えて、僕たちは近くにある公園を散歩、というか観光することにした。
そこは観光地である、日本庭園のような公園。
圧倒されるほど広い公園には、計算されて配置された木々が涼し気な影をつくる。
大きな池には橋が架かり、その深い色をした池には鯉がのんびりと泳いでいた。
温かな風に包まれて、その風景を眺めれば、自分たちはまるで絵画の中にいるような気分を味わえる。
浮世離れしたこの光景。
僕はこの場で、この景色を眺め、以前も同じような事を思ったなと、想いを馳せた。
そうだ、これは思い出を巡る旅なのだ。
決して、今の現状を憂いでいるわけではないのだ。
それでも、少しだけ淡い過去にすり合わせるように気持ちを寄せて。
少しだけ、感傷に浸る。
僕はあの時と同じように君と手を繋いだ。
でも、君への想いは淡い恋心から、成熟した愛へ変わっているけれど。
あの時と同じように、僕らは砂地道をゆっくり歩いた。
ぼんやりと辺りを見渡す彼女のペースに合わせて。
君の小さな手。
それを放してしまえば、知らない間に君がどこかへ行ってしまいそうな気がして。
知らず知らずの内に握る手に力が入ってしまう。
そんなはずはないのにな。
僕は思考を切り替えるように、周囲に視線を向けた。
その公園には小さな子を連れた家族や、奥様方などの観光客がいた。
みんなの顔は穏やかで、楽しそうだ。
君の表情も心の中も、この公園の雰囲気のように穏やかであってほしい。
木陰にベンチがあったので、僕らはそこで休憩することにした。
チロチロと木漏れ日が地面の上で踊っている。
それを眺めていれば、それに合わせて脳内では軽快な音楽が流れだした。
そこで気が付く。
ああ、この音楽は「花の約束」のBGMだと。
自分も舞同様、あのゲームに毒されているのだ。
そこで小さく笑ってしまった。
全部ではないにしろ、少しでも彼女と世界を共有できている気がして、僕はすっと目線を上にあげた。
僕の目に飛び込んできたのは、太陽の光を浴びて美しい濃淡を演出する若葉だった。
「ここは、舞と初めて公園デートをしたところなんだ。といってもただ散歩しただけなんだけど……。当時はまだ付き合って数日みたいな、初々しい感じだった気がする。僕は緊張していたけど、君は全然そんなことなかったなあ」
舞は黙って僕の話を聞いている。
僕は彼女に、ここでお弁当を食べた、とか、鯉に餌をやったとか。
長々と思い出を語って。
語っているうちに当時の気持ちが心の奥底でふつふつとわきおこるのを感じて。
視界が霞んだ。
「常に君は強引だったよ。何をするのも。……でも、そんな毎日が楽しかったんだ」
すると舞は至極まじめにこちらを見つめていたのに気が付いた。
「どうかしたの?」
「ここは……」
何かを思い出そうとしている表情で、舞はゆっくりと言葉を紡ぐ。
もしかして、当時の記憶がなんとなくでもよみがえったのかな?
淡い期待を胸に、彼女の言葉に耳を傾けていれば。
「ここは魔王の手下――ロミリオと闘った場所だよ」
「ロ……ロミリオ!?」
そんな王子みたいな敵がいるのか。名前からして敵わなさそうだな。というか、魔王の手下と闘うデートなんて、とんだデートじゃないか……!
まあ、実際は戦ってないし、彼女の脳内の中だけなんだけど。
すっかり当時の淡い気持ちなど消え去った僕は、おかしくて笑ってしまった。
「え? でもさ、僕のレベルはたしか五だったよね? そんな強そうなやつと闘ったらさ、さすがに死んじゃうんじゃない?」
軽い気持ちで思ったことを聞いてみた。
「即死だった」
絶句。
おいいいいい!
さらっと怖いこと言うなよ!
というか、頼むからもう少し僕のレベルを上げてくれ!
そして殺さないで!
たとえ死んでも、せめて生き返らしてくれ!
僕の悲嘆は心の中で炸裂する。
そして僕は心の中で誓う。
絶対にイザベラを死なせない。
たとえ死んでも生き返せてあげよう、と。
なんだかイザベラが不憫に思えてきた。
「えーっと、じゃあ、舞一人で戦ったの?」
「そう。仕方ないから私一人で戦った」
「そ、そうですか……」
「いつものことだよ」
はあ、と呆れたようにため息をつく彼女。
なんか足手まとい感半端ないよな、イザベラ。
そんなことを感じながら、僕は穏やかな風景に視線を向けた。
懐かしく、淡い思い出が詰まった場所。
でも。彼女は何も覚えていない。
ただそれだけのことが、少しだけ。
少しだけ心に冷たい隙間風が通ったような、虚しいというか、寂しいというか。
言葉では言い表せない感情が、僕の心の奥底に沈みこんだ。




