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あなたにバラの花束を  作者: ななこ
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「イザベラ……君のレベルは低すぎるよ」


 やけに真剣な声で言われた言葉が理解できなかった。


「はい……?」


 僕は何度が瞬きを繰り返し、何と言えばいいのかわからず、困惑気味に手元の特性カレーを見下ろす。


「だから、次のボス――アゼルドバイジャンのレベルは30ぐらいなのに、君のレベルはたったの5……。これじゃあ、死ぬよ? 一撃で」


「…………」


「勇敢に戦ったとしても、レベル99である勇者の私だけが生き残って、残りは全滅というのは悲しすぎるよね? それにみんなが早く死んでしまったら、私だけが必死こいてボスと戦わないといけないじゃない? それってどうなの? 勇者イジメ?」


「……」


 どうして自分のレベルはそんなにも高いんだ?

 どうして僕のレベルは5なんだ?

 しかも。

 イザベラって、どう考えても女だよね?

 どうして僕は、君の中では女設定なんだよ!


 僕の中にある疑問が頭の中で暗雲のごとくぐるぐる巡っている最中にも、彼女は話続ける。カレーのスプーンを振り回しながら。


「いい? 今から君のレベルをあげる! だからとにかくそのゴッド・オブ・ザ・スパイシーカレーをしっかり食べるの! そうすれば経験値がもらえてレベルが上がるから、しっかり食べなさい!」


 そう言って僕の目の前に置いてあったカレーをスプーンで指した。


「……」


 ゴッド・オブ・ザ・スパイシーカレー……?

 一体何を言っているんだろうか。

 頭の中は大丈夫なのだろうか。

 っていうかそもそもこれ、自分が作ったように言っているけれど、僕が作ったんだからね?

 しかもどこかのファンタジー設定か知らないけれど、これは現実世界にあるごく普通のカレーライスで、経験値なんてものはもらえないからね!?


 という意見はカレーと共に吞み込んで、自分を落ち着かせる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 とにかくカレーを食べなければ、彼女が今にも怒って飛び掛かって来そうだったので。僕はカレーを口に運んだ。

 うん。うまいな。


「やったね。これで1レべ上がったじゃん!」

 

 嬉しそうに笑う彼女を見て、僕は苦笑した。

 そっかあ……。僕はレベルあがったのかあ……。

 現実世界ではありえないけれど、どうやら彼女の世界ではありえるらしかった。



 今から5年ほど前。

 

 僕はガツンと頭を殴られたような気がした。


「え? 先生……。今何て……?」


 近くの大きな市民病院の診察室。

 僕――田鍋祐一は妻――舞と共に診察医からの衝撃的な病名を告知されていた。


「田鍋舞さんは、精密検査の結果、若年性認知症と思われます」


「若年性認知症……」


 初め、舞は時間や日付がわからなくなったり、日常的にしていることを忘れるようになったりした。

 なんだかおかしいなと思い始めた僕は、これは何か脳の病気なのではないか、命に関わる病気だったらいけないと思ったので、舞を急いで病院に連れてきたのだ。

 そしたら若年性認知症という病名を告知されたのだ。


 認知症って、70とか80のおばあちゃんやおじいちゃんがなるような病気じゃないのか?

 確か、ボケていくような病気じゃなかったっけ……?

 まだ僕の妻は26だぞ? こんなに若くてもなるのか……?

 

 認知症って……え……?

 どうして、僕の妻が……?

 

 受け入れがたい真実を突き付けられて、その時僕は医師からの説明をほとんど聞いていなかった。


 認知症とは大雑把にいうと、脳の機能が低下する病気であり、それにより日常生活に支障をきたす。

 文献や同じ病気で悩むご家族のブログなどを読んで勉強してみたが、よくわからない。

 当てはまることは確かにあるが、彼女の言動のほとんどが意味不明だからなのである。

 なにせ、始まったのだ。

 

 彼女の旅が。



 現実世界に戻ってこーい!


 何度も叫びたくなったが、僕はスマホを片手に、舞が先ほど言っていた単語を必死に調べていた。


 アゼルドバイジャン……。イザベラ……。

 どうやらそれはロールプレイングゲームの登場人物の名前らしかった。

 一体どういうことだ?

 

 スクロールしてそのゲーム内容を読んでいくと、僕は何となく納得した。

 彼女は以前からとてもゲームが好きで、特に「花の約束」というタイトルのゲームが大好きだった。


 耳がタコになるぐらい以前から僕にその話をしていた。

 ストーリーが泣けるだの、戦闘が爽快でとても楽しいだの。

 僕はあまりゲームをしないのでよくわからないから、ふーんという感じで聞いていたけれど。


 その内容は勇者プレーヤーが魔物に捕らわれた姫を助けに行くという、ありふれた内容なのだが。

 好きすぎて、どうやら、舞は自分がそのロールプレイングゲームの主人公だと思い込んでいるのかもしれない。


 僕は魔法系のお供らしい。しかも性別は女で名前がイザベラ。

 なんでやねん! なんで僕が女設定やねん! と関西の人ではないが、そうツッコみたくなる。

 

 今、どこのステージにいるのかはわからないけれど、どうやら彼女はボス戦を控えているらしかった。しかも僕のレベルは彼女曰く5レべ。

 それって、魔法全然覚えてなくね? って思うけど。

 正直、始めからお供として仕えている設定じゃないのか。

 途中参加なのか?


 というか、始めから仕えていたら、もうちょっとレベル上がるだろ、なんていろいろツッコみたいことはあったが、まあいい。

 僕は小さくため息をついた。



 舞の脳内ファンタジーはおそらく病気の症状で妄想というやつだろう。

 多くの文献やブログを見る限り、妄想は日常生活に密着したことが多いと書かれていた。

 例えば、財布を無くして、誰かに盗まれたという物盗られ妄想や、僕が不倫しているという嫉妬妄想など。


 明らかに間違った判断や考えであるが、本人はそれを信じ切っているのだ。

 でも、なぜか舞の場合はロールプレイングゲームの妄想なのだ。しかも自分がその世界の住人ときている。

 ユニークすぎて頭が痛い。


 ぶっちゃけ、こんなことを言っている彼女とどういう風に向き合っていったらいいのだろう。そしてどう接したらいいのだろう。

 僕はインターネットを駆使し、自分に必要な情報をとにかく漁った。

 何か、何か欲しかった。

 解決となる糸口が。

 すると、見つけた。


「冷静に受け止めて、話しに耳を傾けてください」


 という一文を。


 なるほど。ということは妄想に付き合えばいいのか……?

 そして読み進めると。


「妄想や不可解な行動は、本人にとっては何か意味があるのですから、その意味を考えることが重要です」


 えーっと……。

 つまり、どうして彼女がロールプレイングゲームの主人公のように振舞っているのかは、何かしらの理由があるということか。

 ただ単に好きってだけじゃないのか?

 他に何かあるってことか?


 もし、何か彼女の中で秘密があったり、今悩んでいることがあって、それを僕に伝えようとしているのであれば。

 それを理解し、解決するためには。

 僕は、彼女の妄想に付き合う必要があるのだろう。


 なるほど。

 頭では納得できたとしても。

 うーん……。

 思わず頭を抱えてしまう。


 あんまりゲームをしないからわからないんだよなあ……。

 そういうファンタジーな世界。まあ、本の中とかで考えてもいいのかもしれないけど。

 二人で呪文を言い合う姿を頭に思い浮かべて、苦笑した。


 すると彼女が少しだけ不安そうな表情を浮かべてこちらへ歩いてきたぞ。


「イザベラ……私はごはんを食べたっけ?」

「今さっき食べたよ?」

「そっか、そうだよね」

「そうそう。それで僕のレベルは確実に1上がったんだよ」

「そっか! じゃあ、5レベだね!」


 あっれー!?

 僕、1レべ上がって6レベじゃないんですか!? おかしいなあ……!?

 

 まあ、いいけど。

 もしかして、彼女の中では僕は永遠の5レベなのかもしれない……。

 

 ソファに戻ってテレビをぼんやりと見ている彼女。

 舞は僕の事を本当にイザベラだと思い込んでいるらしい。もう、それは彼女の中では決定事項らしかった。


 本当に僕の事わからなくなっちゃったのかな……?

 スマホに視線向けたが、スクロールする指が止まる。スマホ画面が滲んできて、僕は慌てて目を拭った。

 

 どうしたらいい、なんてわかってるだろ。

 彼女のために、自分にできることは。


 僕はスマホの画面を消してソファでくつろいでいる舞へ視線を向けた。

 もう、彼女は先ほど自分が何を言ったのか忘れているのだろう。

 

 発症しても外見は一つも変わらないのに。

 5年も経てばやはり病気も進行してしまうのか。


 君と一緒にいるのは確かに楽しい時もあるけれど、辛い時もある。これから先の事なんて想像できない。

 正直、彼女が診断を受けた時はショックだった。

 ショック過ぎて、本当にあのあたりの記憶がない。

 手術で治るものであればどれほどよかっただろうか。

 いや、病気自体なって欲しくないので、それもあまりよくはないが。


 認知症は徐々に進行し、元には戻らない。

 どんどん舞のものが失われてしまうのだ。

 言葉、行動。


 何よりも、僕との思い出。

 これから作ってゆく過去となる思い出も。


 忘れてしまうと思えば、本当につらかったし、今もその現状を目の当たりにして辛くなっている自分がいる。

 まあ、僕の感情よりも一番ショックを受けていたのは舞本人だろうから、どうこう考えても仕方がないのだ。

 それに、進行は個人差もあり、すぐにすぐは悪くならないというが……。


 はあ。

 正直、君の病状に耐えきれなくて、この場から逃げてしまいたくなることもある。

 これがずっと続くのかと思うと、不安に押しつぶされそうになることだってある。

 でも、それ以上に。


 僕は君がそばからいなくなることを想像できないんだ。

 ずっと隣で笑ってほしいんだ。

 もう、僕は君なしじゃ生きていけない人間になってしまったんだ。

 

 確かに始めはかなり戸惑ったし、舞が認知症だと認めたくなかった。

 君は何を言っているのかわからないし、理解できないことが多い。


 理解できないのなら、理解できるように努力すべきだ。

 本当は何が言いたいのか、何をしたいのか。

 僕がしっかりと考えて彼女を不安にさせないように。

 今のこの現状を変えることは出来ないのなら。


 僕の悲観的な考え方を変えるべきだ。


 僕はじっと舞を見つめる。

 そんな僕の心境何てつゆ知らず。

 彼女は鼻歌を歌い始めた。よく車で聞いた、あの曲だ。

 そう、それは「花の約束」のテーマソングだった。

 どんだけ好きなんだよ。

 それがおかしすぎて僕は笑ってしまった。


「何を笑っているの? 笑ってもレベルは上がらないよ」

「……そうだね」


 どうやら僕のレベル上げが、今の彼女にとっては最重要課題らしい。

 沈みゆく気持ちを奮い立たせるように、僕は頭を振った。


 僕は今の舞を大事にしたい。

 いつまで一緒にいられるのかわからないんだ。


 たとえ彼女の病気が進行しても。

 彼女が幸せに生きていてくれたら。

 隣で笑ってくれていたら。

 僕はそれでいいじゃないか。


 僕は彼女と旅に出ることを決心したのだった。



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