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あなたにバラの花束を  作者: ななこ
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 僕はマンションの階段を転げ落ちるようにして降りた。


 嘘だ、嘘だ、嘘だ。


 舞……。

 一体どこにいるんだ?


 慌てて車に乗ろうとしたとき、ふいに背後から声がした。

「一体そんなに慌ててどうかしたの?」


 上田さんだった。

 なぜか上田さんの心配そうな、優しい顔を見たら、涙が溢れてきそうだった。

 でも、泣いている場合ではない。


「上田さん! 舞が!」

「舞ちゃんが、どうかしたの?」


「探すの、手伝ってもらえませんか!?」

「ん? え? どういうこと?」


 訳がわからない、と眉根をよせている上田さん。

 説明不足だから仕方ないのだが、説明しようと思えば、焦って言葉が上手く出てこない。

 パニック状態とはこのような状態をいうのだろう、と頭の片隅で冷静に分析している僕がいた。

 

 今の現状を説明すれば、舞がいなくなってしまったことを認めているようで。

 涙が出そうだった。


「上田さん! 舞が! デイサービスの建物から出て、どこかへ行ってしまったんです! スタッフの方にも探してもらってるんですけど、見つからないみたいで……! お願いします……!」

 

 何とか伝えきった僕は、上田さんに「一旦落ち着いて」と低い声で諭されてしまった。


「事情はわかったわ。まず、警察には連絡した?」

「スタッフの方がしてくれたみたいです」


「それならよかった。彼女が、行きそうなところとか、思い当たらない?」

「急に言われても……」


 眉間に皴を刻んで考える。

 彼女が行きそうなところ……?

 もしくは行きたいところ……。


 ふと脳裏に昨日の事が蘇った。

 自分の誕生日に姫に祝って欲しかったと涙を流す彼女。

 必死の形相で姫を探しに行くと言い始めた彼女。


 もしかして。


「姫を助けに……?」

 

 上田さんは不審そうな表情をしたが、「もしかしたら見つけられるかもしれません」と僕は勢いよく車に乗り込もうとした。


 けれど上田さんに腕を掴まれる。

 その強さから、何かを伝えるように。


「絶対に見つけてあげるのよ」

「?」


 上田さんの表情が。

 声が。

 何かを思い詰めているようだった。


「……どうかしたんですか?」


 上田さんは何か得体のしれないような暗いものを抱えているのかもしれない。

 それは予期悲嘆か。それとも辛い過去か。

 

 上田さんは全てを――過去と、想いを吐露するように、口を動かした。


「うちの旦那、家で倒れてたの。私の方が仕事に行く時間が早くて、その後に倒れちゃったみたいで。でも家には旦那しかいなくて。私が仕事から帰ってきて見つけた時には、もう遅かったの」


 その言葉にドクン、と心臓が大きく脈打った。

 寂寥感の漂う瞳は言葉以上に、後悔を物語っている。


 突然の出来事。

 誰が予想していただろうか。

 誰も予想できないから、怖いのだ。


 目まぐるしく変わる自分の人生に眩暈し。

 この世界を悲嘆し、自分を責めただろう。

 

 彼女も同じだったのだ。

 どうして、倒れてしまったのだろうか。

 どうして、もっと早く見つけてあげられなかったのだろうか。

 どうして、助けてあげられなかったのだろうか。


 問うても見つからない答えに、苦しめられる。

 ずっと。


 それがどれほどつらかっただろうか。

 どれほど涙を流しただろうか。


 彼女の瞳は、声は。

 影のように陰る。  


「だから絶対に早く見つけてあげて」


 小さい声であっても、心から叫ぶような悲痛な声に、僕も叫びたくなった。


「大丈夫です。絶対に見つけます」


 静かに。

 力強く。

 僕は上田さんに頷いた。


 僕が彼女の無事を信じなければ、一体誰が信じるのだろう。

 

 だから。

 取り返しのつかないことにはさせない。

 

 不安そうに道を彷徨っている舞の顔が脳裏にちらつく。

 今にも泣きそうな。


 僕が絶対に見つけるから。

 大丈夫だと手を引いてあげるから。 

 だから、絶対に無事でいてくれ。 


 少しだけ安堵したように、こくん、と上田さんが頷く。


「私もこの近くを探してみるから」

 

「ありがとうございます」

 僕は車に乗りこんでアクセルを踏んだ。


 僕は思い当たる「あの場所」へ。

  

 どうか、何事もなく無事でいてくれ。

 僕は祈ることしかできなかった。




 僕は車を走らせながらふと思う。


 人は、どこへ帰りたいのだろう。

 ふるさとか。

 愛する人のところか。

 天国か。

 それとも、思い出の場所か。


 でも、それはすべて同じなのではないのかと思った。

 全て思い出深い人とのつながりのある場所なのではないだろうか。

 

 もし、舞が、あのストーリーをなぞっているのだとしたら。

 舞は、最後どうなってしまうのだろうか?

 どこへ行ってしまうのだろうか?

 僕は「花の約束」のエンディングが頭から離れなかった。


 勇者――ハイゼル。

 彼は実は死んでいた。

 

 姫の力を宿した者は、あの世界では記憶と引き換えに、一時的に生きることができるのだという。

 イザベラも同じような存在だった。

 

 姫が救い出された時に、この世界が魔王に支配された経緯を語った。

 姫は人々の魂を天へ導くという特殊な力を持つ。

 それがあるため、国には魔物がおらず平和だった。


 けれど隣国には姫のような力がなかったため、魔物が多く出現していた。

 そこで隣国の王が姫を奪おうと城へ刺客を送り込む。それにより姫を助けようとした国王や兄、護衛官など何人もが命を落してしまった。


 けれど天へ昇ることを拒否した国王が自身の魂に魔王を宿し、魔王となり果て、隣国も世界ものとも滅ぼしてしまったらしい。


 そう、魔王は国王であり、彼は何よりも姫を守りたかったのだ。


 暴走した魔王を止めるために、姫は勇者を探していたのだという。

 選ばれたハイゼルはもともと姫の護衛官の一人で、恋仲になるほどの関係だった。


 でも姫はハイゼルをこの世界に召喚したくなかった。

 魔王を倒した後、この世界で役目を終えたハイゼルを、姫がもう一度天へ送らねばならなかったからだ。


 永遠には、魂のままでは存在できない。

 

 それを姫は分かっているため、愛した人を二度も天へ見送るのは胸が張り裂けるほどつらかったのだ。

 それでもハイゼルを召喚したのは、魔王を倒し、国王を解放することができるのは、以前から腕が立っていた優秀な護衛官ハイゼルしかいないと思ったからである。


 邂逅を喜んだがつかの間、二人に別れがやってくる。

 

 ハイゼルは話を聞いている最中に、全てを思い出す。

 彼は運命を悔やんだ。

 それでもどうしようもできない。

 彼は涙ながらにも、天へ帰ってゆくのだ。


 いつかまた、巡り合えるようにと、約束を交わして。



 そう。もし、舞が勇者として、姫を探しに行っているのならば。

 彼女は。

 一体どうなるんだ?

 

 姫なんて、この世界にいないのに。

 彼女は、どこへ向かおうとしているんだ?


 不意に脳内にちらつく。


 天へ、行きたいのだとしたら?


 僕は、どうしたらいいんだろう。


 どこかへ行きたい彼女。

 じっとしていることが苦手だった彼女。

 病気になってほとんど外へ出ることがなくなった。

 体は、ずっと部屋のなかにいたから。

 だから、心の中ではずっと冒険していたかったのかもしれない。




 目的地に着いた僕は駐車場に車を止め、走る。


「舞ー!?」


 走る。

 走る。


「舞―!?」


 喉が枯れるほど叫んだ。

 僕の声がこだまする。


「舞ー!?」

 

 お願いだ、返事をしてくれ。


 僕は夕焼けに染まる墓場に来ていた。

 家からそれほど遠くない、施設からも遠くない場所にある。


 小高い丘の上。

 喧騒が遠くに聞こえる。


 僕がここを選んだのは、ここが、最も天国に近い気がして。


 そしてなにより。

 舞が姫を亡くなった母だとしていたのではないかと思ったからだ。

 だから、姫の存在する場所として、ここにいると思ったのに。

 

 でもそこには、ただ、そこには沈黙があるだけで。

 

 舞はいなかった。


 舞。

 君はどこへ行きたいの?

 どこへ行ってしまったの?


「舞……」


 僕はくしゃりと顔を歪める。 


 ねえ、舞。

 君がたとえ行きたいところが分からなくても。

 何もかもを忘れてしまっても。


 僕が君の行きたいところを見つけてあげるし。

 君との軌跡を決して忘れないから。


 だから君は何も心配しなくてもいいよ。

 不安になることもないよ。

 いない人や場所を探さなくてもいいんだよ。


 君には、僕がついているから。

 ずっと一緒にいるから。


 だから、だから、どうか。


 何も言わずにどこかへ消えないで。

 僕を置いて行ってしまわないで。


 僕のそばで、ずっと、笑っていてほしいんだ……。


『約束よ』

 ゲームのフレーズが脳裏をよぎった。


『あなたが、この世界から消えてしまっても、私は、ずっとあなたを覚えているし、愛しているわ。だから、だからどうか』


 エンディングのワンシーンが頭から離れない。


『天へ行ってしまっても。私のことを、忘れないで』


 エミール姫が勇者ハイゼルに贈る、最後の言葉だった。


『絶対に、絶対にまた、あなたに会いたい。約束よ……』

 ――お願い。いつか私を、見つけて。



 僕はそのワンシーンを無理やり頭から振り落とす。


 いやだ。いやだ。いやだ。

 僕の前から消えたりしないで。


 お願いだから。


 舞の母が眠る墓標の前に立ち、僕は絶望を顔に張り付けて。

 言葉をこぼしていた。


「お義母さん……舞は。舞は一体どこに……? あなたの娘は、とてもかわいい子です。僕は彼女をとても愛しています……」


 涙が、地面に染みを作る。

 溢れて、溢れて、溢れて。

 涙も、言葉も、体全身から溢れてゆく。


「だから、どうか……お願いします」


 君に、会いたい。


「まだ、彼女を連れて行かないでください……!」


 僕はまだ、彼女と一緒にいたいです。


 僕の事をわからなくてもいい。

 僕はイザベラでもいい。

 

 だから。

 だから、どうか。


 まだ僕のそばにいてください……!

 

 何もかもが限界だった。

 慟哭が墓地にこだまする。



 

 どれぐらい泣いたのかわからない。

 涙が枯れるとはこのことか、と実感する程、僕は泣いた気がする。

 一生分の涙かもしれない。


 泣いたせいか、頭がやけにクリアで。

 まだ自分は絶望の底にいるわけではないと思えた。


 僕はゆっくり立ち上がる。

 

 彼女を探さなければ。

 僕は絶対に彼女を見つけると誓ったのだから。

 

 土を払った僕は、墓標に一礼して墓場を後にする。

 

 大丈夫。

 絶対に見つかる。

 だから、希望だけは捨てない。


 その時にふと、僕はある場所を思い出した。

「まさか……」

 

 耳元で鼓動を感じながら、僕は車に乗って。 

 その場所へ行く。


 もしかして、君は「そこ」にいるの?




 僕は駐車場に止めて、駆けこんだ。


 日なんてすっかり暮れてしまって。

 全てが闇に包まれている。

 

 そこは、月のない夜空のように暗い、バラ公園だ。

 

 不安をかき消すように、バラが光に照らされていた。

 それが星のようで。

 希望を持たせてくれているようで。

 

 なぜか確信に近いものが僕の中にあった。

 

 アーチを抜けた、バラのモニュメントの前。

 僕は息を整えながら、そのバラを眺める影に近づく。

 

 ねえ、舞。

 僕は、君を、心の底から愛している。

 

 でも、その言葉は、気持ちは。

 彼女に届かないかもしれない。


 それでも、僕は何度でも。言いたい。

 ――愛している、と。


「舞……」

 驚くように振り返った彼女。


「やっと……見つけた」

 ほろりと笑顔が彼女の顔に咲く。


「それは……僕のセリフだから……」

 言い終わるか終わらないかのうちに、舞が僕の胸に飛び込んできた。


「よかった……やっと、会えた」

「?」

 僕は訳がわからないまま、でも、見つかった安堵で、僕は彼女を抱きしめる。

 

 ここにいるのだと。もう安心してもいいんだと。

 深く、深く、息を吐く。


「やっと、やっと見つけた……! ここに……。ここにいたんだね……!」


 涙を浮かべた彼女が僕を思いっきり抱きしめる。


「ずっと、会いたかったよ……! 祐一!」

「え?」


 いつの間にか、姫でもイザベラでもなく、祐一と。

 彼女が呼んだ。


 僕の事なんて忘れてしまっていたのに。


 その瞬間すべてが繋がった気がした。


 ――ああ……舞はずっと僕の事を探していたんだね。

 僕が、君にとって姫だったんだ。


 認知症になって、いろんなことが分からなくなってしまって。

 僕のことも忘れてしまうほど進行してしまって。


 とても心細くなった彼女は、ずっと僕のことを探していたんだ。

 記憶がなくなって、何をするのも分からなくなってしまって。

 誰が誰だかわからなくなって。


 現実の君の世界にいる人は、みんな知らない人になってしまったんだ。

 だから、誰にも自分の気持ちをうまく伝えることができず、誰にも助けを求められなかったんだね。


 それは怖かったはずだ。

 手から何もかもがこぼれていくようで、どう足掻いても、こぼれたものは元には戻らないから。


 だから、安心できる人は、そばにいてくれるのは。

 ずっと過去の僕しかいないと思ったのかもしれない。


 でも、僕はずっと君のそばにいたんだよ。

 近くにいたんだよ。

 

 でも、僕の事がわからないから、きっと彼女はずっと好きだった、そして唯一記憶に残っていたロールプレイングゲームに重ねて、僕に伝えていたのかもしれない。


 だから、彼女はこの場に来たかったのかもしれない。

 あのゲームの場所と重なる、このバラ公園に。

 そうしたら、きっと姫――僕に会えると思ったのだろう。


 それにここは。

 僕が彼女にプロポーズした場所だから。


 微かな記憶が、彼女の中にあったのだと、思いたい。

「舞……」

「何?」


「愛してるよ」


「うん」


「ずっと、ずっと、君を愛してる」


「うん」


「君が何もかもを忘れても、絶対に僕は君の事を忘れないし、君との思い出も忘れない」


 舞がぽろぽろと涙を流す。

 その涙が、ライトアップの光に照らされて、宝石のように綺麗だった。


「君がどこへ行っても、迷子になっても。おじいちゃん、おばあちゃんになっても、どちらが先に逝っても」


 舞はただ黙っている。僕の言葉を聞き漏らさないように。


「僕は絶対に君を見つけるから」


 抱きしめる腕に、一層力がこもった。


「約束だよ……!」


「うん。約束する。絶対に、君を一人にしないから」


「うん……!」


「舞」


「何?」


「誰よりも、君を、愛してるよ」


「うん。私も。祐一を愛してる」


 ――いつもありがとう。

 そう、囁く君の涙に、僕の涙が重なる。


 世界一の幸せ者だと、僕はこの腕の中にいる彼女を見て。

 夜空に浮かぶバラたちの祝福を受けて。


 心に刻む。


 この一瞬を。

 永遠の心の風景にするために。


 絶対に忘れない。


 僕は君が伝えたいことを、しっかりと受け取るよ。

 何がしたくて、何を想っているのかも。

 

 取りこぼしのないよに、僕は、君から汲み取るから。


 以前は不安だったけど。

 君のことなら。

 できるような気がするよ。

 

 これからも一緒に永くいられるような気がするよ。


 ねえ、舞。


 ざあっと風が通り抜けて、バラの花びらが夜空に舞う。

 ひらひらとベールのように僕らに降り注いだ。


 受け取ってくれてありがとう。


 僕も、君から受け取ったよ。


「愛情」という名の花束を。

 

 僕は、君とずっと一緒にいたいから。

 だから。 

 どうぞ、これからもよろしくお願いします。


 

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