第40話 「一つの幸せな結末」
ソフィアは結局、ほとんど話してしまった。
聖女などの大集会の機密に関わる部分は避けたが、それでも自分の立場については推測できてしまうと思う。
ソフィアは対面に座っているクレアの表情を不安そうに伺った。
クレアは、一つため息をつくと、席を立った。
「ほら、ミルクのおかわり。いるでしょう?」
クレアはそう言って手を伸ばした。ソフィアがこくこくと頷いて空になったカップを渡した。
ミルクを注ぎながらクレアが話す。
「まぁ、ただの親子とか兄妹じゃないだろうとは思ってたけどねぇ。……で、その先生はどうしたんだい? 昼から姿が見えないけど」
「それが、その。喧嘩というか、私が怒らせちゃって……」
「それで臍曲げて逃げちゃったってのかい。仕方ない男だねぇ」
クレアが小さく笑みをこぼした。ミルクが入ったカップを持って戻ってくる。
「あんたも、何か怒らせるようなこと言ったんだろ?」
「……はい。私は別に死んでもよかったって、なんで連れて逃げたんだって」
クレアの動きが止まった。大きくため息をつく。
「はぁ……。あんたも、ずいぶんと困った子だね」
「え? え?」
ソフィアは急に自分に矛先が及んで困惑した。
「私にもね、娘が居たんだよ。あんたより少しばかり大きかったけどね」
「……」
クレアが席に戻り話しはじめた。
「せっかく女に生まれたんだからお淑やかに育てば良かったのにねぇ。誰に似たんだか。冒険者になるとか言って剣振り回して、その挙げ句に魔獣に襲われてねぇ」
「そんな、聖国は魔獣は出ないはずじゃ……」
ソフィアが目を見開いて驚いている。クレアはその反応を意外そうに見ながら続けた。
「ああ、ベルコ教の奇跡ってやつかい。この辺りの魔獣は半分動物みたいなものだからねぇ。そういうのはあまり効かなかったんじゃないのかねぇ」
「……そうなんですか」
ソフィアが落ち着きを取り戻して、ミルクを一口飲んだ。
「あの子もねぇ、望んで危険に飛び込むような子でねぇ。周りが心配して止めても『私の人生なんだから、お母さんは邪魔しないでって』。そればかりでね」
「……」
クレアがソフィアの目をまっすぐに見つめる。
「あんたもね。あんたが思ってるよりもずっと周りの人はあんたのことを大事に思ってるんだよ。だから、死んでもいいなんてそんなことは言わないでやりなよ」
「そう……ですね。すいません」
ソフィアは素直に頭を下げた。
「そういうのは、本人に言ってやらなきゃ……あれ?」
クレアがその様子を見て呆れながら窓の外へ目を移した。
その途端、何かに気付いたようで窓に駆け寄って勢いよく両開きにした。
外に向かって声を張り上げる。
「あんた、まだ見張りの時間じゃないのかい」
家の近くを若い男が歩いていた。
クレアの声に驚いて、いたずらの言い訳をする子供のようにしどろもどろになって答えた。
「いや、違うって。そのさ、暇そうにしてた奴がいたから、ちょっと代わってもらっただけで」
「どこの誰だい」
「ほら、クレアさんの所に来た、男の方だよ」
その会話を聞いていたソフィアがビクッと体を震わせた。
「しょうがないね、ほら、迎えに行ってやんな。……ちゃんと謝るんだよ」
クレアはソフィアの背中を叩いて、断る暇を与えず家から押し出した。
†
渡瀬は櫓の上で地平線を眺めていた。
もうすぐ夕日が沈もうとしている。見渡せる限りの草原が夕焼けの色に染まっている。
思えばずいぶんと遠くに来てしまった。
こんな景色も、日本にいたままでは見られなかっただろうと思う。
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
櫓の縁にのりだして、櫓の足下をのぞきこんだ。
「センセーイ、あ、いらっしゃいますねー」
ソフィアが櫓の下で手を振っていた。
渡瀬の姿を認めると、櫓に取り付けられたはしごに手を掛けて登りはじめた。
「ちょ、ちょっと、危ないから降りて降りて」
「大丈夫でーす」
ソフィアはまだ病み上がりの状態である。
満足に力も入らない状態でこの高さのはしごを登るのは危険だと思って止めようとしたが、ソフィアは渡瀬の必死の制止も聞かずに登り続けている。
はらはらしながらその様子を見守る。
あと少しというところで、ソフィアが手を滑らせた。上体がふわりと浮く。
渡瀬は這いつくばってソフィアの腕に手を伸ばした。
すんでの所で手を捕まえた。
ソフィアが心底驚いた表情をしていた。
渡瀬はほっと息をつくと、踏ん張ってソフィアを櫓の上まで一息に持ち上げた。
思っていた以上に軽いソフィアの身体が櫓の上に飛び上がり、勢い余って渡瀬の身体に覆い被さった。
右手はまだ固く繋ぎ合ったまま、二人の顔が吐息がかかる距離まで近づいた。
ソフィアが慌てて飛び退いて顔を逸らした。
「それで、どうしたの?」
渡瀬が平静を装って声を掛けた。
一方で耳まで真っ赤にしたソフィアは一瞬目的を忘れていたようで、あ!と声を上げた。
ソフィアが渡瀬の方に向き直る。
櫓の床に膝をついて頭を下げた。
「先生、さっきはすいませんでした」
渡瀬は何のことか分からず首をかしげた。
ソフィアはそっと顔をあげ、渡瀬の表情を伺いつつ補足した。
「あの……、先生は私を心配してくれたのに、私は死んでもいいとか、自分勝手なこと言って……」
渡瀬が座り直して視線を合わせる。
「自分勝手じゃないよ。君はみんなのために」
「いいえ!」
渡瀬の言葉をソフィアが遮った。
「全部、自分のためです。――私、本当のところは他の人なんてどうだっていいんです。私たちがどんな思いでお役目を務めているかなんて、窓の外の人たちは知りもしないで」
渡瀬はソフィアの部屋の二階で、聖都の広場でくつろぐ人たちを二人で見た時のことを思い出した。
ソフィアが、歴代の聖女が、どういう気持ちであの光景を眺めていたのか――。
「あの人たちが私のことを考えもしないなら、私にとってもあの人たちのことなんてどうでもいいんです」
ソフィアがいま、心中を包み隠さず語っていることを渡瀬は理解した。
彼女が心の底で自分の運命を、世界の全てを憎んでいたとしても、それも当然だと渡瀬は思う。
ソフィアが膝立ちで渡瀬に近づいた。
とろんと落ちた目尻に、渡瀬はいつもと違う雰囲気を感じた。
「――ねぇ、先生。私が聖女を長く務めていたのも、健気ないい子風に振る舞っていたのも、全部、先生のためなんです。先生に会って、先生がすごいって思って、先生が褒めてくれるんなら、そのためなら死んでも良かった」
目の前の少女の異様な雰囲気に渡瀬がのけぞった。
ソフィアは渡瀬の頭を逃がさないように両手で掴んだ。
ゆっくりと顔を近づける。
「先生、お慕いしています」
そう言うと、ソフィアは目を閉じて唇を押し付けた。
息が苦しくなるほどの時間を待って、ソフィアが唇を離した。
二人の間に引いた細い唾液が、夕日の光を受けてキラキラと煌めいた。
ソフィアが人差し指で唇についた唾液を拭い、蠱惑的な笑みを浮かべた。
その間、渡瀬はずっと目を白黒させたまま固まっていた。
†
結局、クレアの家に戻ったのはどっぷりと日が沈んだあとになった。
渡瀬の腕にソフィアがべっとりとくっついている。
扉をあけて二人を出迎えたクレアは、その様子をみて一瞬驚いた表情を浮かべた。
「ちゃんと幸せにしてやんなさいよ」
クレアがニヤニヤと下世話な笑みを浮かべながら渡瀬の肩をバシバシと叩いた。
渡瀬は深くため息をついた。しかし言い訳を並べる気にはならなかった。
そうすればソフィアがまた機嫌を損ねることぐらい容易に予想が付く。
それに何より、全てはこの子の幸福な未来のためにやったことだ。
自分が隣にいることでこの子が幸せになれるのなら、それは考えるまでもないことだと渡瀬は思った。
この後にエピローグを追加してこのルートは完結になります。
また、36話時点で分岐する別ルートも計画中です。そっちはもう少し医療モノっぽくなる予定です。
お時間あればまたよろしくお願いいたします。




