第20話 「ギセラと天国と地獄」
その時、リナはドアの隙間から全てを見ていた。
ギセラとかいう女がワタセの部屋に入るのを。
泣くギセラをワタセが慰めるのを。
二人が顔を近づけてなにやらしているのを。
遺跡から持ち出した古代の道具を二人で楽しそうに扱っているのを。
あの女は、ワタセの事を嫌っているはずだった。
少なくとも、初めに会った晩ではそうだった。
いつの間にこんな仲になっていたのだろうか。
やはり、司教の病気について相談する内に……。
リナの頭の中で妄想が走り出す。
夕暮れ、眠る司教の横で医薬品を並べる渡瀬とそれを手伝うギセラ。
ものの拍子で触れる手と手。
ふと目線をそらし合う二人。
夕日の赤でも塗り消しきれない頬にさした朱色。
やがて二人は見つめ合い、二つの唇がゆっくりと近づいていく……。
いやいやいやいやいやいや。
流石にありえないとリナは思う。
あの女はかなり優秀な治癒術士だ。冒険者で回復役を勤めているだけの自分とは訳が違う。
そういう女はプライドが高いと相場が決まっている。
どこの馬の骨とも知らないいち冒険者であるワタセなんか相手にしないはずだ。
別にワタセは美男子って訳ではないし、あんな女がワタセに惚れる理由がない。
しかし、ワタセの方からという可能性も……。
ワタセはああいう女が好みなのだろうか。
リナは答えの出ない問いを延々と追い続ける。
†
二人はそれからしばらく顕微鏡を覗いていた。
初めて顕微鏡に触った子供がそうであるように、ギセラも身の周りのいろいろなものを顕微鏡で見たがった。
その様子を小一時間も眺めてそろそろ一通り見終わったかという頃に、渡瀬はギセラに言った。
「明日、司教と約束してた物が届くんです。ホントは一人で見に行こうと思ってたんだけど、ギセラさんも一緒に来ます? ちょっとショック受けるかもですけど」
「行きます」
ギセラは即答した。
期待に満ちたその眼差しに渡瀬も嬉しくなった。
「じゃあ、明日の朝、一緒に行きましょう」
†
翌朝、二人が宿の一階で待ち合わせて一緒に街に出て行くのをリナは見ていた。
一定の距離を保って後をつける。
本気で尾行する気なら最低でも4人は欲しいところだが、まさかこんなことで仲間の手を煩わせるわけにもいかない。
しかし、まさかデートではないだろうと思っていたが、想定が甘かったかもしれないとリナは思う。
ワタセの方はそこらの店で買ったと思しき古着を着ていつもの袋を背負っている。要するにいつもと変わらない様子だが、ギセラの方はこの数日見たこともないほど着飾っているのが遠目から見ても分かる。
赤いスカートと控えめにフリルが施されたブラウス。同性からみても綺麗だとは思うが、知っているギセラのイメージとはあまりにギャップがある。
二人は街の中心から反対の方向へ歩きだした。
並び立ってなにやら楽しそうに話している二人を見ていると、どこからどう見ても仲睦まじい男女が遊びに行っているようにしか見えない。
しかし、二人の様子とは反対に周囲の街並みはどんどん寂れて薄暗い雰囲気を醸し出している。
道の端で生気のない瞳をして座り込んでいる浮浪者がぽつぽつと目に入る。
周囲の国々の中では最も治安が良いとされる聖国でもやはりこういった闇の側面は免れないのだろうとリナは思う。
リナが二人の目的に思いを巡らせはじめたそのとき、ワタセが一つの建物の前で立ち止まった。
ワタセは建物の看板と手元のメモを何度も見比べて、よしと大きく頷く。
隣に立っているギセラが傍目から見ても明らかに狼狽している。
さもありなん。
その建物の看板にはこう書かれてある。
『刑務所』
†
刑務所の門をくぐりながら渡瀬が種明かしをした。
「ドレイク司教に死刑囚の死体の解剖させてくれないかってお願いしてたんですよ」
渡瀬はいい笑顔をしていた。顕微鏡を自慢しているときのあの笑顔だ。
ギセラは突然地面が無くなって自分がふらふらと漂っているような感覚を覚えていた。
「え? その、司教と約束してた物が届くって、一緒に見ようって、これの事ですか?」
ギセラの声が震えている。
しかし渡瀬はギセラの同様に一切気付くことなく、テンションを上げて嬉しそうに答える。
「はい! 解剖学は医学の基礎ですからね!」
ギセラは目の前が真っ暗になった。
一瞬で自分は最初から勘違いしてたのだと悟った。
渡瀬はなおも饒舌に話し続ける。
「ドレイク司教がですね、今度の治療のお礼になんか出来ることはないかって言ってくれてですね。この辺りじゃ結構偉いって聞いたんで、ダメ元で言ってみたんですけど、いやーなんとかなるもんですね。最初は司教もびっくりしてたんですけど、解剖学がいかに重要かって話したら数日の内に死刑執行の予定が無いか聞いてくれるってなってですね。それにしても今回は本当に運が良かったですよ。司教が頭の柔らかい方で本当によかった。普通の聖職者だったらそう簡単には通らなかったでしょうからね。僕も早い内にこの世界の人の身体がどこまで一緒なのか調べときたかったんで……」
「このせかいのひと……?」
ギセラの疑問に、渡瀬は自分が口を滑らせたことに遅れて気付く。
話し始めると自分はどうにも冷静さを欠いてしまう。
渡瀬は反省しつつ慌てて取り繕った。
「ああいえ、なんていうかその。ほら、いろんな場所を回ってるといろんな人が居ますからね。じゃあほら、その服じゃ死体の脂肪とかついちゃいますから。ちょっと薄着になって、上からこの服を着て下さい。マスクもありますから」
聞き捨てならないことをさらっと流しながら、渡瀬がリュックサックから手術用の青いガウンとマスク、キャップ、ゴム手袋を取り出した。
「刑場の人に血抜きまではお願いしてますけど、早くしないと腐っちゃいますからね。ぱぱっと行きましょうか」
天国から地獄とはまさにこのことだとギセラは思った。




