第19話 「ギセラさんは信じない」
ギセラは渡瀬の部屋に入るときょろきょろと周囲を見渡すと、軽く舌打ちをしてベッドに腰を下ろした。
しかし、こっちを睨み付けるだけで何も言わないので渡瀬から尋ねる。
「あの、聞きたいことって何でしょう?」
サリアの時と同じように、今度は司教を治療している件について文句を言いに来たのではないかと思った。
文句があるなら言ってみろ、俺はあんたの師匠に頼まれてやってるんだ、と渡瀬はギセラの質問に身構える。
「あの……司教って結局病気だったのよね。毒じゃなくて」
「? はい、そうですね。急性膵炎って病気だと思います」
「それってどんな病気なの?」
渡瀬は感心し、自分が勘違いをしていたのだと思った。
ギセラはただ知らない病気の勉強のために質問に来ただけなのだ。
最初部屋に入ってきたときに怒っているように見えたのもただ緊張していただけだったのだ。
自分も研修医の時はいろんな科の先生に手当たり次第に質問に行っていたものだと渡瀬は目を細めて昔を懐かしんだ。
あの頃は、どの先生も忙しいにもかかわらず優しく教えてくれた。
自分もできる限り優しく、分かりやすく教えてやらねばと思う。
「えっとですね。そもそも膵臓が何をしているところかは?」
「……食べ物の消化液を出すところだってトラフト師匠は言ってたけど」
「はいその通りです。膵臓は食べたものを分解・消化するための液体を出す臓器です。これを消化酵素と呼びます。これが何かで、司教の場合はたぶんお酒が原因で、膵臓自身を溶かすようになってしまった状態が膵炎です」
横目でギセラが話についてきていることを確認する。
「消化酵素による炎症はとても強く、炎症が治まるまで身体が耐えられずに血管の中の水分が外に漏れ出して脱水で死んでしまうこともあります。それと、膵臓は食事がきっかけになって消化酵素を出すので炎症が続く間は食事が一切出来なくなります」
「じゃあどうやって……」
渡瀬はギセラの疑問を遮って説明を続ける。
「僕が司教の治療でやったことは1つ、身体が脱水を起こさないように大量の水を血管の中に直接流しただけです」
渡瀬は言いながら、机の上に積み重なる点滴バッグの一つを取り上げる。
「これは古代文明が使っていた、点滴といわれる道具です。この袋に入っている水には、糖や塩、そのほか身体に必要な成分が入っています。これを身体に直接入れれば脱水も起きませんし、食事を取らなくても栄養を補えるというわけです」
「じゃあ、私の治癒が効かなかったのはなんでなの?」
ギセラがちょっとムッとした、不機嫌そうな顔に戻る。
渡瀬は確信のない仮説まで話すかどうか悩んだが、納得させるにはこれしかないだろうと思い、切り出した。
「ちょっと質問に質問で返すようで申し訳ないんですが、治癒魔法ってどういう仕組みで効くか分かりますか?」
渡瀬の質問にギセラは首をひねる。
「さあ? 効いてるからいいじゃない」
ギセラの答えになっていない回答に、渡瀬はやっぱりかと肩を落とした。
仕方ないとも思う。現代にも何で効くかわかってない薬は山のようにある。
「――ここからは僕の仮説なんですが、治癒魔法は細胞の活性化に関係があるんじゃないかと思うんです」
「さいぼう?」
渡瀬はいかんいかんと首を振る。
油断しているとすぐこの世界でまだ発見されていない専門用語が出てしまう。
「古代文明では、生き物の身体は全て細胞という小さな粒が集まって出来ていると考えられていました。小さな粒がいろんな性質を持つようにそれぞれ成長して、集まって、皮膚や歯、身体の中のいろんな臓器を作るんです。もちろん膵臓も、消化酵素を出すための細胞がたくさん集まって出来ています」
ギセラは自分の手のひらの皮膚をムニムニと摘まんでいる。
その納得のいっていない様子をみて渡瀬は微笑ましく思う。
「では最初の話に戻りますが、僕は治癒魔法は細胞を活性化することで、細胞が自身を修復する力、傷ついた部分を分裂して補う力を加速して身体の傷や病気を治しているのではないか、と考えています」
無言で聞いているギセラもなんとなく分かってきたようで表情を明るくした。
「ではもし、膵臓に治癒魔法をかけるとどうなりますか?」
突然質問が飛んできてギセラが驚いた表情を浮かべる。
「えっと……、消化酵素をたくさん出す?」
「はい、その通りです」
ギセラの答えに渡瀬は満足して大きく頷いた。
「普通ならそれは食べ物の消化がよくなるだけで済むんでしょうけど、あの時、ドレイク司教の膵臓は消化酵素で自分の膵臓を溶かすような状態でした。そんな状態で治癒魔法をかければ、当然膵臓はますます自分を溶かして、膵炎も悪化します」
渡瀬はすらすらと説明を続けた。
これで納得しただろうとふと顔を上げると、ギセラは俯いて何かに耐えるようにぐっと服の裾をつかんでいた。
涙の粒が膝に落ちる。
ギセラは嗚咽を押し殺しながら話す。
「じゃあ、じゃああの時、私が治癒魔法を使ったせいで、司教の病気が、悪く……」
女の子を泣かせてしまった。
渡瀬は慌てた。
説明に酔っていて、ギセラを責めるような内容になっていたことに気づいていなかった。
「いやそれは違います! もともと司教の膵炎はかなり進んでいました。もうずっと前からお腹は痛かったはずです。ギセラさんが魔法をかけたことは病気の重症度とはほとんど関係ないと思います」
「……ほんと?」
ギセラが涙をいっぱいに湛えた目を向ける。
「本当です。そもそも司教の膵炎なんてどうせお酒の飲み過ぎが原因です。全部あの人の自業自得です。司教なのに全く節制が足りてないのが悪いんです」
ギセラがくすりと笑みをこぼした。
「……それ、言いすぎよ」
なんとか機嫌を直すことに成功した渡瀬は、何か話をそらすものはないかと頭を巡らせる。 すぐに思いつくと、立ち上がって布袋の中を漁りだした。
「なに、やってるの?」
ギセラの疑問に渡瀬は満面の笑顔で答えた。
「さっき細胞の説明したとき、いまいち納得できていなかったみたいなので、実物を見てもらおうと思いまして。――お、あったあった」
渡瀬が布袋から何か大きなものを取り出した。
顕微鏡であった。
渡瀬は顕微鏡を机の上に置くと、爪楊枝をつかんでギセラの方を向いた。
「ちょっと口開けてください」
言われるままにギセラが口を開く。
渡瀬はギセラの口の中をのぞき込むと、頬の内側を爪楊枝で軽くこすった。
爪楊枝の先を見て、よし、と頷くと、今度はスライドガラスにその先を擦りつける。
じっと不審な目を向けるギセラに気づくことなく、渡瀬は黙々とセットを続ける。
鏡台の角度を調節し、ピントを合わせる。
「出来ました出来ました」
渡瀬は立ち上がって、ギセラを手招きした。
「ちょっと覗いて見てください」
ギセラは渡瀬の見よう見まねで顕微鏡のレンズをのぞき込んだ。
中には、一部がくしゃくしゃになった箱のようなものが映っていた。箱の真ん中には赤い丸が一つずつ入っている。
「これは物を何百倍も拡大してみる装置です。今映っているのは、さっき擦り取った頬の粘膜細胞です」
ギセラはじっと顕微鏡をのぞき込んでいる。
「その箱の一つ一つが細胞です。箱の真ん中に赤い丸が映っていると思いますが、それが細胞の中心となる核です。――見えてます?」
ギセラが顔を上げた。
こくこくと何度も頷く。何か口に出そうとするのだが感動を言い表す言葉が思いつかずに口を閉じることを繰り返している。
「実際に細胞を見てみてどうです? 僕の言ってたことも少し分かるでしょ」
ギセラは渡瀬を見上げる。ギセラの顔からは当初の怒りや不満はすっかり消え去っていた。
一言だけ、素直に口に出した。
「うん、すごいです」




