↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/55

第12話 沈黙の盤

あの夜から、タツヤは協会に顔を出していなかった。

アキヤマと交わした言葉が、胸の奥で何度も何度も反響していた。


――犠牲があるからこそ、秩序は立つ。


一見すれば残酷だが、街の現実を知る者なら誰もが薄々気づく“答え”でもあった。

だからこそ、その理屈はあまりにも正確で、あまりにも冷たかった。

理解はできる。

だが、どうしても納得だけはできなかった。


胸につかえた棘は、小さくも鋭く、じっと血を滲ませ続けていた。


 


数日後、ルアンの家を訪れた。

麻薬吸引による症状は軽度で済んだらしい。

母親は泣き腫らした目で礼を言い、医者は時間さえあれば回復すると告げた。


ルアンはベッドの上で、薄い毛布にくるまっていた。

顔色は悪いが、瞳の奥にはまだ火が残っている。


「先生、また打ちたいです」


弱々しい声だったが、迷いのない言い方だった。

タツヤは思わず目を伏せる。


「……俺もだ」


その一言に、どれほどの悔いと願いが混じっていたか。

ルアンの頭を撫でながら、タツヤは自分の中に沈んでいたものが少しずつ形を得ていくのを感じていた。


守れなかった。

だがまだ終わっていない。


少年の笑顔は、後悔を突き刺しながらも、もう一度立ち上がる理由を与えてくれていた。


 


記者としての日々は続いた。

街を歩き、記事を書き、締切に追われる。

だが、書けるのは無難な文化記事ばかり。


“街の秩序”について触れた原稿は、すべて編集長に止められた。


「ここを掘るのは危ないんだよ。

 お前もわかってるだろ」


編集長は苦い顔で言った。

その眼差しに、恐れと諦めの両方が混じっていた。


――言葉では届かない。


その事実が、ゆっくりと心に沈んでいく。

読むだけでは、この街の深層には触れられない。

記事では、何も変えられない。


このまま沈黙を続けることが“守る”なのか。

それともただの逃げなのか。

日々の中で、その境界が曖昧になり始めていた。


 


そんなある日、編集部での雑談が耳に入った。


「二年に一度の“国際将棋フェスティバル”、もうすぐらしいぞ」

「市長も来るってよ。日本からも要人が来るって噂だ」

「目玉はアキヤマ会長の講演だってな」


その名を聞いた瞬間、タツヤのペンが止まった。

胸の奥で、何かが鈍く弾けた。


――あの男が、また“正義”の顔で壇上に立つのか。


秩序を語り、賞賛され、拍手を浴びる。

ルアンの涙も、壊れていく街も、“必要悪”の一言で無かったことにされる。


タツヤはその光景を想像し、胸の奥に冷たい怒りが走った。


 


夜道を歩くと、いつの間にか協会の前に来ていた。

扉の向こうから、かすかに駒の音が響いてくる。

規則正しく、静かに、街のどこよりも落ち着いた音。


その音が、心にこびりついた沈黙を揺らした。


怒りでも、憎しみでもない。

もっと根源的なもの――“読みたい”という衝動だ。

真実を、盤の形を、アキヤマという男の内側を。


「……俺は何も知らずに、この街に来たんだな」


静かに呟いた。

最初は、希望の街だと思っていた。

自分の“読み”を試せる新天地だと信じていた。


だが、いまは違う。


この街は、秩序の名を借りた“盤上の牢獄”だ。

公開された盤面だけが整って見える。

その影で、いくつもの駒が倒れていく。


それでも――逃げるつもりはなかった。


 


翌朝、タツヤは申し込み用紙に自分の名を書き入れた。


国際将棋フェスティバル。

二年に一度、スーパウロのすべてが表向きに姿を見せる日。

街の要人も、裏の人間も、子どもも、大人も、同じ盤の前に集う。


この街を“読む”には、ここしかない。


駒箱を開けると、木の香りがふわりと広がった。

指先で駒を撫でると、ほんのわずかに温かさが残っているように感じた。


迷いも、恐れも、怒りも――

すべてこの盤に置いていくしかない。


沈黙してきた日々を、

今度こそ――“読み”で終わらせる。


タツヤの目に、静かな火が宿った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。