Fire-Taps(1)
心愛たちとのダブルデートの内容が決まった。
ボウリングとカラオケ。そのスケジュールが柚子から送られてきたその日から、詩乃は夜、一人で北千住駅前にあるカラオケ屋に通った。少し前に流行った歌や定番の曲、全部で十曲ほどを選び、そうして、カラオケ機の採点ゲームで八十点以上を取れるように練習した。
ボウリングの方も、これはカラオケほど毎日では無かったが、二日に一回は一人でボウリング場に行った。詩乃の家の近くにはカラオケ屋もボウリング場もあり、この二つの施設はごく近くにあったので、ボウリングを練習する日は、ボウリングを数ゲームこなし、その足でカラオケ屋に向かった。
カラオケもボウリングも、詩乃にとっては遊びではなかった。ダブルデートの日、ボウリングもできず歌も歌えないでは、新見さんに恥をかかせてしまう。ちゃんと彼氏として、少なくともあの映画館の時よりはちゃんと、振り舞えるようになっていなければならない。
詩乃は、心愛という柚子の同級生が、自分たちをダブルデートに誘ったその理由がわかっていた。
――あの子は、自分を辱めて、新見さんを悔しがらせたいのだろう。あの映画館で、ぱっとしない柚子の彼氏――つまり自分を見た時、あの瞬間に、ダブルデートの計画を思いついたのだろう。一目見れば、自分が、華やかなコミュニティーの社交遊戯全般が苦手な人種であると、大抵誰でも察しが付く。
新見さんもきっと、薄々は気づいるはずだ。
だからダブルデートの話を自分に持ち掛けた時は、あんなに躊躇いがちだった。
それでも、わかっていながら新見さんが、元同級生、元友達の誘いを受けたのは、新見さんの中にまだ、旧友に対する友情の芽が残っているからだろう。夕焼けの残光のようなものかもしれないが、新見さんはそれが、まだあると思っているのだ。
それを自分は、「無い」とは言えない。もしかすると向こうの方も、本当は新見さんと仲直りしたいだけなのかもしれない。
スコーン――。
ダブルデート前日の、ボウリング場での最後の練習日。ストライクを取った、ピンの倒れる小気味良い音を聞き、詩乃はいよいよ戦いだという気がしてきた。
新見さんのために自分ができること。
たぶん、恥をかかせないようにすることくらいしかないのだ。新見さんと心愛というあの女の子との間にある情がどんなものなのかはわからないけれど、それは二人だけのもので、他人が意見を挟めるようなものではない。
スコーン――。
誰かのストライクの音が響く。詩乃はシューズを脱ぎながら、短く息を吐いた。
土曜日の午後。ダブルデートの当日。
茶ノ原高校は午前中授業で、その後ダンス部は活動があった。ダンス部の活動の後、柚子は体育棟三階のシャワールームで汗を流して、服を着替えた。上はダークグリーンのローゲージニット、下は黒のスキニー。髪は乾かして、一つ結いに束ねる。トレンチコートを羽織って準備をして、柚子は文芸部の部室に向かった。詩乃とは、文芸部の部室で待ち合わせをしていた。
柚子がダンス部で練習をしている間、詩乃は詩乃で、クリスマスの部誌の仕上げ作業をしていた。しかし柚子が部室にやってくる頃には、詩乃は、すでにその作業を終えて、制服から私服――ライトベージュのフリースにジーンズ――に着替えてデートの準備をしていた。
部室にやってきた柚子は、詩乃の新しい服を褒めた。
詩乃は、恥ずかしがりながら、カシミアのロングコートを上に着た。――骨董品のような十年物のコートで、奇抜さには全く欠けるが、物は良い。父のクローゼットの奥に押し込められていたのを詩乃が勝手にもらい受けたものだった。元は、母が父へのプレゼントとして買ったものだった。その来歴も、詩乃がこのコートを好きな理由の一つだった。
「行こうか」
エアコンと電気を消して、二人は部屋を出た。
詩乃は部屋の鍵を閉め振り返った時、柚子から香ってくる優しい柑橘系の香りに、くらりとした。少し前を歩く柚子は、一つ結いのために、その首筋が露になっている。寒そうと思いながら、詩乃は柚子の清潔感からくる言いようのない色気に、一人ドキドキしてしまうのだった。そうして同時に、心配にもなってきてしまう。
今日は、相手の彼氏も来るのだ。
――なんか、嫌だな、と詩乃は思った。
詩乃は柚子と並んで歩きながら、日暮里の駅前までやってきた。本当は駐輪場で自転車を置き、電車でボウリング場まで向かう予定だった。しかしふと、詩乃の脳裏に、あるアイデアが浮かんだ。
詩乃は空を見上げた。
透明な青い空は、宇宙まで見渡せるようだった。幾塊か、遠くに浮かんだ雲は薄く、日の光に当たって明るく白く照っている。
「自転車で行こうか」
詩乃が言った。
「え?」
と、柚子が驚いて聞き返した。
目的地のボウリング場は池袋駅の近くにある。自転車でも三十分かかるか、かからないかほどの距離である。
詩乃は柚子の答えも待たず、自転車に跨った。
詩乃は自分でも、自分の行動の由来が分からなかった。彼氏らしくあるべきだ、という強迫観念が自分に行動を起こさせているのか、それとも別の理由からなのか。
詩乃は、後ろは見ないで、ただ柚子が決めるのを待っていた。
二人乗りは危ないから電車で行こう、と言われれば、詩乃もそれに従うつもりでいた。
ところが柚子は、ほとんど悩まずに、詩乃の自転車の荷台に乗り、その手を詩乃の両肩に乗せた。
「じゃあ、ボーリング場までお願いします」
タクシー運転手に言うように、柚子がふざけて言った。
「はい」
と、詩乃も運転手になったようにすまして応え、ぐい、ぐいっと、こぎ始めた。
車輪は最初ゆっくりとしか動かなかった。そうして動き出したかと思うと、駅の横の踏切で一度止まらなければならなかった。
はぁっと、息をつく詩乃の首筋に汗が微かににじんだ。柚子はハンカチを出して、詩乃の汗をぽんぽんと、吸い取った。遮断機が上がって、詩乃は再びペダルに立って、自転車をこぎ出した。
前のめりで上下する詩乃の体に、柚子は後ろから手を回した。
ぐん、ぐん、と段々速度が上がっていくと、詩乃もサドルに座り、ほっと息をついた。
「二人乗り、初めて!」
柚子は後ろから言った。
「新見さんも?」
「うん」
柚子は詩乃の背中に額をくっつけた。
いっそこのまま、ダブルデートなんかサボって、どこか遠くまで行ってしまいたいなと、詩乃は思った。一時間でも、二時間でも、ずっとこのまま走っていたい。
そんな提案をしたら、新見さんはどう言うだろうか。
詩乃はそんな事を思って、一人小さく笑った。
詩乃は柚子を乗せて、三十分もしないうちに目的のボウリング場に着いた。駐輪場で柚子を降ろし、自転車を降りて、詩乃は柚子に貰った眼鏡を付けた。
ボウリング場の入口正面のロビーに、心愛とその彼氏が入ってきた。
白灰色ダッフルコート姿の心愛は、彼氏の腕にべったりと寄り添っている。彼氏の方は、黒いフード付きのミリタリーコートに銀のプレートネックレス、その下にはアメリカ的なキャラクターの刺繍されたスウェットシャツを着、太めのチノパンを穿いている。
柚子と詩乃は、ロビーのベンチに隣同士座っていたが、二人がやってきたので立ち上がった。詩乃は、一目見て、心愛の彼氏というその男とは、ソリが合わないのを悟った。
貪欲そうな目に、やけに張りのある頬。緩慢なその歩き方は、生張りを主張しているかのようである。そして何よりも詩乃は、その男の、自分を見る目つきが嫌いだった。
「お待たせぇ」
心愛が、甘えたような声で言って、小さく柚子に手を振った。
柚子も、嬉しそうに手を振り返した。
「こんにちは」
柚子は、初対面である心愛の彼氏に挨拶をして、小さく会釈をした。
「新見サンでしょ? そっちは、水上クン?」
心愛の彼氏は、柚子と詩乃に視線を移しながら確認した。
「俺、福井瑛斗って言います」
そう自己紹介をして、取ってつけたようなお辞儀をする。
「うん、よろしくね」
柚子はいつもの笑顔で応えた。
「水上君、髪型変えたんだ」
やけに高い声で心愛が言った。そうして、やっぱり眼鏡かけるんだねと、続けた。
心愛――本名は畑中心愛。映画館で会った時と同じで、目の奥にどんよりした暗さが見える。やっぱりこの女子は好きじゃないと、詩乃は思った。
心愛の問いかけに、うん、と詩乃はほとんど表情を変えず、小さく頷いた。詩乃は、心愛やその彼氏――瑛斗には、名前を呼ばれるのも嫌だった。二人は、表面的には親しく接しようとしてきているが、その心の奥では、自分と打ち解けようなんて思っていない。出会いがしらのたった数秒のやり取りの中だけでも、目の奥、言葉や表情の端々に、詩乃はそれをはっきりと感じ取っていた。
受付を済ませて靴を選び、四人はレーン前のベンチに移動した。U字型の椅子の片側に柚子と詩乃、テーブルを挟んで心愛と瑛斗が座った。心愛が瑛斗と二人分の飲み物を買いに立ったので、柚子も、詩乃に飲み物のオーダーをとって、席を立った。
「水上クン、部活とかやってんの?」
詩乃は、心愛の後を追いかける柚子をちらりと見やってから応えた。
「うん。文芸部」
「文芸部!?」
大きな声で瑛斗は聞き返す。大声を出しても、ボウリング場は色々な音が反響し合っているので、目立ちはしない。しかし詩乃は、瑛斗の大袈裟な驚き方と、その驚いた後で、小ばかにするような派手な笑いに、顔をしかめた。へらへら笑う瑛斗の顔を見ながら、何がそんなにおかしいんだよと、詩乃は思うのだった。
「文学部じゃないんだ」
なおも笑いながら、瑛斗が言う。
詩乃は、腹立ちを紛れに応えた。
「作るの専門だから」
「作るって、えっ、水上クン、小説書くの?」
「うん」
マジで、とまた笑いながら、大袈裟に驚く。
たぶんここで普通なら、福井君は何やってるの、と部活の事を聞くに違いない。詩乃にもその会話のレールは見えていたが、絶対に聞くもんかと思った。第一、この男子には興味が無い。
「俺もバンドやってんだよね」
「へぇ」
「へぇって、反応薄くない!?」
「軽音楽部?」
「そうそう。俺ギターとボーカルやってんだ」
なるほど、だからこのあとカラオケなのかと、詩乃は理解した。すると詩乃は、ここ一週間ちょっとの練習で付けた自信が、あっという間に萎んでいくような気がした。




