ミズナギドリに東風(5)
「なっ、え、なんで!? どうしたの千代、眼鏡だったっけ?」
紗枝と千代は、最近友人になったばかりだが、すでに随分と親密になっていて、柚子抜きでも一度遊びに出かけている。その時は、紗枝が浅草を案内したのだ。先週の出来事である。
その時の千代は、やんちゃなデニムファッションだった。紗枝はてっきり、それが千代のスタンダートスタイルだと思っていた。それがどうして、こうなったのだろうか。紗枝はお世辞にも、可愛い、とか、格好いい、とか、何が似合っている、とか、言えなくなってしまうのだった。
そんな紗枝の困惑、驚きを見て、千代は口角を上げてにこっと笑った。その笑顔だけは、いつもの千代である。
「私結構ね、この、地味系ファッション好きなの。このメンツだったら絶対被らないし、一週回っていいでしょ、眼鏡女子」
思わず、柚子が笑い声をあげる。
柚子は、千代がそうやって、ファッションスタイルの系統を変えて遊ぶのを知っていた。これ以外にもかなりのストックが千代にはある。被らない、というのが千代の中では、コーディネートの大原則らしく、柚子も毎回楽しませてもらっていた。ある時はクルエラのようなセレブスタイル、ある時は――もうちょっと暖かい時期なら、エクステに膝上丈のワンピースやタイトスカートをあわせたギャルスタイル。
「みっくんとデート行くときとか、あと柚子と二人で買い物行くときとかも、結構この格好するんだよね」
にやりと、千代は笑みを浮かべる。
「びっくりだよ」
「紗枝はそういう可愛いの似合うからいいよね。私なんて、絶対無理だもん。素材の差だ、悔しい」
「いやいや……」
紗枝からすると、千代は充分羨ましい〈素材〉だった。すらっとした手足、シャープな頬、全体的に大人っぽい雰囲気。千代は、紗枝のダッフルコートやその色合いの組み合わせにも言及して褒めた後、それで――と、あえて冷ややかな声で柚子に迫った。
「そのポールスミスはお姉さんから?」
さすが千代、と柚子は思った、一目でこのコートのブランドを言い当てる。
実は古着屋で買ったもので、柚子も、このコートの詳しいことは知らなかった。ただ、家の近くの古着屋にしばらく飾ってあって、いいなぁと思っていたのだ。古着にしては高価だったので、長いこと買うのを躊躇っていた。というよりも、本来買う予定はなかったものだ。
「古着屋さんで買ったんだ」
「え、柚子が、自分で!?」
「買うよ! 全部お姉ちゃんのお下がりじゃないんだから」
ごめんごめんと、千代は笑う。紗枝も釣られて笑う。
千代も、柚子の洋服事情を良く知っていた。イタリア、イギリス、フランス界隈の服装品を、姉から譲り受けている。他からすれば羨ましくて歯ぎしりしてしまいそうな話だが、当の柚子は、そのせいなのか、ブランドというものに特別な意識を持っていない。女子高生御用達の〈プチプラ〉ブランドのシャツに、ディオールのロングパンツなんかを、平気で合わせるような子である。
そんな柚子が、ポールスミスを自分で買うなんて、どういう風の吹き回しだろうかと、千代は思った。
「何かいいことあった?」
千代は聞くと、柚子は笑みを抑え込んだ表情で、「別にないよ」なんて言いながらもったいぶる。こいつめ、千代が思っていると、今度は紗枝が柚子に言った。
「柚子、嘘つくとき耳が動くんだよね」
そうすると柚子は、紗枝の言葉を真に受けて、慌てて耳を抑えた。
その反応に、紗枝と千代は声を上げて笑った。
「そんな、嘘つくと耳動く人って、妖怪だよ」
笑いながら、千代が言った。
「柚子、ホント面白い」
紗枝もそう言う。
「は、図ったな――」
柚子は、顔を赤くしながら言った。
「で、どんないいこと?」
千代は興味津々に聞いた。付き合いたての柚子の「良い事」といえば、その関係しか考えられない。部活動の最中や更衣室にいる時のおしゃべりの時間でも、案外柚子は、聞かれても自分の恋愛事情に関してはあまり話さない。のろけ話の一つ二つ、柚子の口から聞き出したい千代だった。
二人の興味津々と言う視線の圧に耐えかねて、柚子は口を開いた。
「水上君が、私と一緒にお弁当食べる場所――机と椅子、用意してくれたんだ」
そう白状して、かあっと顔を赤らめる柚子。
見ている紗枝と千代の方が恥ずかしくなってしまった。どれだけ初心なんだと、二人は内心柚子に突っ込みを入れる。そんなことでコートを買っていたら、ひと月で破産してしまう。
「おかずも、作ってきてくれるんだよ!」
なぜか必死な柚子の頭を、思わず紗枝は撫でつける。
「料理ができる彼氏っていいよね」
千代が言った。千代が付き合っている後ダンス部の後輩である〈みっくん〉は、料理はからきしできない。
三人は駅前の横断歩道を渡り、商店街の道に歩いた。
歩きながら、料理つながりで、紗枝の好きな幼馴染の話になった。紗枝の実家近くにある鰻屋の跡取り息子で、紗枝は毎週一回はその鰻屋を訪れ、幼馴染の捌いた鰻のうな重を食べている。未熟者の料理だからと、主人――つまり幼馴染の父親は、紗枝から金はとらなかった。そういう関係だからいつまで経っても、彼が自分を女というより妹あつかいするのではないかと、そんな悩みのあることを、紗枝は二人に話した。
「でも、羨ましいな」
千代が言った。
「え、そう?」
「鰻の味がわかる女って、ちょっと良くない?」
「どういうこと、それ?」
千代の意見に、紗枝は眉を寄せる。柚子はくすくすと笑う。
「味なんてわからないわよ。他の鰻屋とか行かないし」
紗枝が答えると、柚子が、目をキラキラさせて言った。
「――紗枝ちゃんそれ」
「え、どうしたの?」
「告白みたい」
「え?」
柚子の言葉に、紗枝と千代は目を合わせる。
そうして二人、考えた後、紗枝が言った。
「あー、そういうこと!?」
「すごい、さすがメルヘン柚子!」
紗枝、千代がそれぞれそう言った。
「何そのあだ名!」
寒さに頬を赤らめつつ、柚子が反発した。
「でも柚子、最近ちょっと、水上に影響されてるところあるかも」
紗枝が言うと、柚子は目を輝かせた。
「え、本当に!?」
「なんで喜ぶの……」
そんな会話をしながら、箸屋や小物屋、眼鏡屋などを見て回った。眼鏡屋では、色や形の様なざまなフレームを持つ眼鏡やサングラスをかけあって、三人で笑い合った。
「水上君、眼鏡はかけないの?」
「うん、目は良いみたい」
「へぇー。なんかほら、文学男子って、眼鏡のイメージ強いからさ」
「……買っていってあげようかな」
「いいかもね。コスプレさせてさ。いっそ、柚子好みに育てちゃえばいいんだよ」
千代がそんな事を言った。
「そういえば、水上が髪切ったのって、あれ、柚子が言ったの?」
「ううん、私本当に何も言ってないんだよね。でも――」
「いや、あの方が良いと思うよ。すっきりしてさ」
ほら、と紗枝は、柚子から送られてきた詩乃の写真をスマホのモニターに映して、千代に見せた。千代は、髪を切る前の詩乃のことは、柚子からも紗枝からも写真で見せてもらっていたので、その違いに驚いた。
「あぁ、良いじゃん! やっぱ素材は良かったんだね。背も高いしさ」
千代が詩乃の事を褒めると、柚子はにたにたと頬が緩んでしまうのだった。
眼鏡屋を楽しんだ後、三人は地元では有名なピザ屋を訪れた。ピザ食べ放題で、ピザだけでなくケーキやサラダバーもある。西部劇に出てくる酒場のような外装の店だったが、中はクリーム色の壁紙で、店に入った三人は、今日の曇り空や外気の冷たさから避難してきたような気持ちになった。
四人掛けのテーブル席に案内された三人は、席に荷物を置くと、早速ピザを取りに立った。
戻ってきた紗枝と千代は、柚子の取ってきたピザの量を見て、笑ってしまった。皿の数が多い。柚子の食いしん坊は今に始まったことではないが、彼氏ができてもそこは変わらないというのが、面白かった。
三人は色々な話で盛り上がった。しかしやはり、一番の話題は柚子と詩乃の、二人の事である。
単純な好奇心と、それとは別に、二人は柚子の友人として、純粋に柚子を心配してもいた。特に紗枝は、文化祭の後、柚子と詩乃をとりまく教室の雰囲気も知っている。柚子は、注目されるのには慣れているかもしれないが、水上はどうだろうか。
「でも良かったね柚子、部室だったら、邪魔は入んないんでしょ?」
「うん」
と、紗枝の質問に柚子は頷く。
柚子の返事から被せるように、千代が紗枝に訊ねた。
「え、やっぱり教室だと話せない感じなの?」
「やっぱ注目されちゃうんだよね。ねぇ、柚子」
「う、うん……」
「あぁ、そっか! 水上君がイメチェンしたから余計?」
柚子は頷く。
「水上、嫌がってるんじゃない、目立つの」
「うん、たぶん、好きじゃないと思う。私にはあんまり言わないけど」
「へぇ」
紗枝は、詩乃のことを考えて微かな笑みを浮かべた。
「柚子の彼氏は、そういうのに苦労するだろうね」
「ね、そうだよね!」
紗枝の意見に、千代も強く賛同する。
「でもまぁそこは、水上君に慣れてもらうしかないよね」
「うん、そう思う。柚子が目立つのは、定めみたいなものだからね」
「……私、負担になってるのかなぁ」
ピザを小さい口で齧った後で、柚子が言った。その脳裏には、二人で映画に行った時の、同級生が詩乃に向ける目や態度があった。私が彼女じゃなかったら、水上君はあんな嫌な思いをしなくて済んだかもしれない。この先あんなことが、まだたくさん起こるのだろうか。
しかし柚子は、紗枝と千代には、その話をしたくなかった。話をしたとき、二人が自分を庇ってくれるのは間違いない。きっと、私を思って怒ってくれる。しかし柚子は、かといって、中学時代の友達を「敵」と思うのも嫌だった。今は悲しい関係になってしまったけれど、あの子たちと過ごした小学生時代、中学生時代は、楽しかった。確かにそこには、友情があった。柚子はそう思いたかった。




