お嬢さまと死地
今、何時くらいかしら?
外の世界は相変わらず雲が支配しており、時を知らせる夕日を隠してしまっていた。
ただ、部屋の中は灯りなしではやっていけないくらいには暗くなっている。
この世界にも時計はある。こちらと同じ十二の数字の表示のあるもの。だが、あまり重用されてないようだ。
約束はあいまいな“日単位”。細かくとも午後とか午前とか、夕暮れ時とか、食後とか、そんな程度だ。
それらはお茶の約束でも、王との謁見でも、ゲーム開始の合図でも変わらない。
数字が出てくるのはせいぜい料理の焼き時間の基準くらいだ。
時に縛られたサクラコの国とはまったく違う世界。こちらの世界に来てずいぶんと経つが、時間を気にする癖だけは抜けきっていなかった。
恋人は多忙だった。新しく王となり、国を引き継ぐためにやらねばならないことが山積だった。
たとえ、近々死ぬことになろうとも、国民に対して示さねばならないことがある。城の者に呼ばれ部屋を出てから、ずっと戻って来ない。
ひとり、そのままの姿でシーツに包まれるサクラコ。気怠い身体。恋人の魔法の提案を断り、それから長いあいだ、痛みの余韻を弄んでいた。
そろそろ起きなくては。
夕食時になれば、隣の部屋に居る王女へ食事を運んでやらなければならない。
シャワーのひとつでも浴びたい気持ちであったが、そのうちに夜だ。彼女は構わず着物を身に付け始めた。
廊下に出ると、階下から野菜を煮るおなじみの香りが漂ってきた。
階段を降り、厨房へと顔を出す。恒例、食事はサクラコが最初にとっていた。
毒見というわけではないが、身体に不調を抱えた王女のために、食事の味付けのアドバイスをしている。
「どうです? サクラコさん、今日はサラダのソースにこだわったんですよ。王子が戻られましたからね、ずっと寝かせておいたワインビネガーを開けたんです」
料理長が自慢げに語る。
「おいしゅうございますわ」
若いトマトやタマネギ、細切りのニンジン。加えて様々な風味の緑の葉物に掛かったドレッシング。
ブドウのような酸味、それでいてとげとげしさがない。いっとき彼女の国でも流行ったバルサミコ酢。
「よかった。少し酸っぱすぎるかと思ったんですが」
「疲れた身体には酸味が良いと聞きますわ」
「ですよね。サクラコさんも何かとお疲れでしょう」
王女の友人へのお追従。それ以上の意味は無い。サクラコは少し頬を火照らせた。
「それじゃ、他のモンの飯を作りますかね。何か気になった点があったら、おっしゃってくださいね」
料理長は鍋に戻る。軽やかな手さばきで材料を加えている。
他のモンの飯。王女には他の者とは別のメニューが供されていた。
動物も植物も生物だ。ものによっては口から入れたそれらが魔力の影響を及ぼすことがあった。
たいてい、薬や高級品としてもてはやされるはずのそれは、王女にとっては毒に等しい。
現世でいうところのアレルギーのようなものだ。魔力アレルギー。
「おいしい……」
呟くサクラコ。メインは子羊の肉を焼いて甘いソースを絡めたもの。魔力の少ない品種。それも成長前の肉ならばもっと安全だ。
料理に集中しているように見えるコックが、目じりを下げ、口元を釣り上げたのが分かった。
* * * *
* * * *
王女の部屋。ベッドで身を起こし食事をするメアリーと、イスに腰かけ本を読むサクラコ。
ヤギ頭の大きな置物は静かに寝息を立てている。
サクラコが目を通しているのは王女の部屋の本棚に置かれていたレインパージ王国の歴史書。
魔法的な記述以外は、彼女が学校の授業で覚えのあるパターンのものが多い。今後、王子の力に少しでもなれればと考えての選書だった。
メアリーがサラダを食む音が聞こえる。軽快な水気のある野菜の音。途絶える。
サクラコは視線を感じて本から顔をあげる。
「どうかなさいました? やはり、少し酸っぱかったかしら」
「い、いえ。おいしいです。料理長にはお礼を申し上げないと……」
慌てて食事に戻るメアリー。
「メアリーさん、本日は顔色がよろしいかと存じますわ」
彼女の身体のアザはまだ消えていなかったが、心なしか頬に赤みが差しているように見える。
サクラコは元気に野菜を食む王女を見ると、満足してに文字へ戻った。
――ノックの音。
「……! どうぞ」
メアリーは口の中の物を慌てて片付け、返事する。
「サクラコは居るか?」
入ってきたのは王子。
「あら、スミスさん。お仕事は終わり?」
本を閉じる。
メアリーは兄の目当てが自分でないことを知ると、子羊のステーキに手を付け始めた。
……ときおりふたりの顔をちらちらと見ながら。
「ソレフガルド国王に手紙が届いた。……というか届いていたという連絡があった。ヤツかららしい」
「まあ。どうしてあちらにお届けになったのかしら」
サクラコたちはこちらにそれが届くものだと思い込んでいた。
「さあな。引っ掻き回したいのかもしれんが、いつも向こうに届けてたし、ただのクセかもしれねえな……」
「考えても仕方がありませんわね。“最後”とのことですし、あまりお待たせすると、あのかたは何をなさるか分かりませんわ」
「そうだな。転移術の術師を待たせてる、今すぐソレフガルドへ行くぞ」
呼びかけに応え、本を棚に戻すサクラコ。メアリーは兄の顔を見つめている。
「メアリー、俺たちはちょっと出てくる。おまえ、少し元気になったみたいだな? 頬に赤みが差してるぞ」
指摘を受けて顔を背ける妹。
「……そんな顔するなよ、今日はソレフガルド国王と話をしに行くだけだから。なんかあったらそいつに護ってもらえよ」
兄は寝息を立てる悪魔を指さす。
「ンフゥ、アクマオウサマ、ユルシテ……」
一同は悪魔を見て笑う。
「い、いってらっしゃい」
ふたりに手を振るメアリー。
「いってまいりますわ」
ふたりが退室する。
「す、末永くお幸せに」
ひとりつぶやくメアリーは、頬をいっそう赤くした。
* * * *
* * * *
ソレフガルド王城。会議室。
国王は挨拶もそこそこに、手紙の魔法銀を発動させる。
『はぁい。ヤークだよ。みんな元気にしてた? 王女のお葬式は済んだ? 顔を出せないでごめんねえ』
にやにやしながら謝辞を述べるホログラムの魔導技師。
「ヤークさまは、お気づきになられていないのですね」
マリオンが安堵のため息をつく。
『こっちも研究が忙しくてねえ。ようやく装置が完成したから、最後のゲームをはじめようかと思って。ルールは簡単。私の新しい研究の根城に来て欲しい。王子クンとサクラコくんのふたりだけでね』
ヤークは二体のちいさな人形を取り出すと、テーブルの上にそれを並べて歩かせた。
『もし、他に誰か連れてきたら……』
フラッシュ。歩く人形が爆発する。
『……ってことはしないけど!』
「しないのかい!」
ベティがイスを鳴らし腕を伸ばす。
注目する一同。ツッコミ師は赤くなり席に着く。
『まあ、邪魔者は排除するから、そこだけは気を付けてね。仕上げの大事なところなんだ。次のゲームを引き起こすようなマネはしない事だね』
テーブルの上を片づける魔導技師。
『それで、研究所の場所なんだけどお……死の谷って知ってる? 知ってるよね?』
「死の谷……」
呟く兵士。
『負のエネルギーの出どころ。一方通行ながらも、あまたの世界に通じる亀裂のある谷だ。魔王もそこから生まれた。
常に瘴気が濃く、強力な魔物が跋扈し、心に邪念を抱えるものは気が狂うと言われている、世界の終わりの場所。
谷の底には大きな大きな地下空洞があってね。そこに負のエネルギーを奔出する渦があるんだ。
魔物がうるさいこと以外は、研究に申しぶんないところでねえ、感情エネルギーのおよそ半分を占める負のエネルギー。
巨大なゲート樽渦からは、よその世界からランダムにそれが……』
科学者の話が逸れる。長講釈が続く。
「つまり、ふたりがそこに辿り着けるかがゲームのポイントなのね」
ベティが爪を噛む。
「そんなところに、ふたりだけで行かせられるかよ。あたいが途中まで送ってやるよ。どうせ分かりゃしないって!」
ミザリーが舌なめずりする。
「ミザリーさんは強い魔物と戦いたいだけでしょう……。ミザリーさんが行くのなら、私もお供をしますよ」
兵士も参加を希望する。
「だめよ」
ユクシアが口を開く。
「今度のふたりの旅に関して、ソレフガルド王国は一切の支援はしないわ」
国王の姪の発言。
サクラコは国王を見る。ソレフガルド国王は表情を閉じ沈黙している。
「なんでだよう! あいつにびびってたってしょうがないだろ? 勇者さまだって歯が立たねえ相手だ。どうせその気になりゃ、国なんて木っ端みじんだろ? それならあたいはサクラコを助けてやりてえよ」
不満を漏らすミザリー。
「国王の決定よ。あなたたちの参加も絶対に認めない。分かって。
結界が消えてしまってから、この国は段々と強力になる魔物の脅威にさらされ続けているわ。
あなたたちがレインパージの奪還に行っていたあいだにだって、瘴気にやられた竜の群れが国を襲ったわ。
単純な魔物の脅威だけでいっても、魔王が居た頃の比じゃないのよ」
「くっそー! ドラゴンかよ! そっちに行けば良かったぜ!」
好戦的な女の後悔。
「ミザリーさんは少し黙りましょう」
兵士が窘める。
『おっとごめんよ。すっかり話が逸れてしまった。
それで、ふたりが私の研究所に来て、ちょっと研究の仕上げを手伝ってくれれば、オシマイだ。
ふたりのことは、うーん? 多分? きっと? うん、殺さないよ。だから安心して訪ねてくるといい。
お茶でも用意して待ってるからさ。それじゃ、また近いうちに。ばいびー!』
消えるホログラム。
「……わたくしたちは大丈夫。みなさまは国を守ることを第一にお考えになって」
サクラコは心配する仲間たちにほほえみかける。
「道中も大丈夫だ。俺は盗賊だぜ? 気配を隠して移動をするのは得意だ。サクラコには魔法が通りやすい。ふたりだけのほうがかえって楽かもしれないぜ」
スミスも歯を見せる。
「そんなこと言って、おふたりでいちゃつきたいだけではないのですか? ハッハッハ」
マリオンが男の声で茶々を入れた。サクラコが咳払い。
「……とにかく、ふたりだけで行ってもらうわ。といっても、死の谷は遠いから、転移魔法で繋いでる最寄り地までは送らせるわ。そう長い旅にはならないはずよ。後日、準備ができたらふたりでソレフガルド城に来て」
席を立つユクシア。国王も続く。
「ちょっと! あんたたち、冷た過ぎない!?」
ベティは王族に対しても憤怒を隠さない。
「ベティさん。あなたのお気持ちは嬉しいですわ。きっと、ユッカさんや王さまも、不本意に感じておられるかと存じますの。おふたりをお赦しになって差し上げて」
「そうだよ。俺の起こした不祥事が発端だ。ここまで手伝ってくれたことだけでも、恩返しができないくらいだ。どころか、本当なら犠牲になった人たちに償いをしなきゃいけない……」
旅の当事者たちが言う。
「分かったよ……」
不満を押し殺す友人。
「ごめんなさい、僕も役に立てないで……」
兵士がつぶやく。
「そうだ。あなたたち、夕食は食べた? 今晩はうちで食べて来なさいよ。お城みたいに豪華なものは出せないけど、うちも結構、儲けてるから、それなりに良い食材があるのよ」
ベティの誘い。いまだに子羊の居座る胃はGOサインを出さない。
「お、いいな。それじゃ遠慮なくお呼ばれするかな」
男の胃を持つ王子が賛成する。
「よーい、じゃあ、あたいも!」「ぼ、僕も良いですか?」
「いーわよ。何人でも来たら! オヤジも喜ぶよ!」
鍛冶屋の女が笑う。
お嬢さまの最後の晩餐は胃もたれを招いた。
* * * *
* * * *
翌日、出立の準備をするサクラコとスミスをひとりの娘が訪ねた。
部屋を出ると見慣れた鉄紺の三角帽子が目に入る。
「あら、ユッカさん。おはようございます」
「おはよ……」
髪の牡丹色に不釣り合いな表情。
「ユクシア嬢か。どうした? やっぱり心配だからついてくるってか?」
盗賊の道具をチェックするスミス。
「そうじゃないわ。サクラコを少し借りるわよ。昼までには返すから」
「おう? いってらっしゃい」
首を傾げるスミス。
レインパージ城下町を歩くサクラコとユクシア。
「あなたとこうして歩くのは久しぶりね」
「そうですわね」
街の人々を眺める。ヤークの支配の残滓、街にはすっかり機械人形が浸透している。
「あの様子だと、ちゃんとスミスと仲直りしたのね」
「ええ。最後の別れも済ませました。……もう、心残りはありませんわ」
ほほえむサクラコ。わずかに鴇鼠を孕む微笑。
「それはさすがに嘘でしょ。私にまで虚勢張らなくてもいいわよ」
黙り込むサクラコ。
「これから、あなたはどうなるか分からないわ。本来ならあなたはこの世界の住人じゃない。だから、元の世界に帰る選択だって考えたと思う。でも、国王も私もそれを叶えてあげることはできないの。もう、あなたの行動はあなただけの事じゃないの」
「きっと、前からそうだったかと存じますわ。“関係ないもの”なんてございませんのよ。それはきっと、世界が違っても、繋がっているということなのですわ」
現世、色褪せつつある家族を思い出す。
「ごめんなさい……」
足を止めるユクシア。
「ユッカさんがお謝りになることはございませんわ」
振り返るサクラコ。
「いいの。謝らないと、こっちの気が済まないから。これは私なりの、けじめなのよ」
「そうですの。それなら、頂いておきますわ」
親友にほほえみを投げかける。
ぎこちない笑いが返される。
「それで、わたくしたち、どこに向かってますの?」
「うん。……そう、それでね、あなたには少しでも心残りを減らしてもらおうかと思って。逢わせたい人たちが居るの」
「逢わせたい人?」
「そ、ちょっと遠いから、飛んでいきましょ!」
魔法使いは親友の腕を掴むと、空へとふわりと浮き上がった。
「まあ。また、魔法の腕をお上げになったのね」
「うん。飛行の魔術はかなり自由に使えるようになったわ。スカート押さえてなさい。下の人たちが見上げるわよ」
サクラコは空いた手でユクシアのスカートを押さえる。
「私のじゃないわよ!」
「だってユッカさんのスカート短いんですもの。はしたないですわ」
「あんたは相変わらずね……」
ユクシアが笑う。
春の陽気の中、空の散歩。郊外の草原に点在する花畑。サクラの木でも混じっているのだろうか、遠くの山には一部ピンクの模様が見て取れる。
ふたりは郊外の開発地帯の上空に来ていた。
見下ろすと、かつてサクラコとメアリーが幽閉されていた土地。
「もしかして……!」
景色を楽しんでいたサクラコの表情がいっそう澄み、晴れわたる。
地下施設。悪の女科学者の根城。
施設名に不釣り合いな平和の声。
「サクラコおねーちゃんだ!」「魔法使いのおねえちゃんも出た!」
大歓迎を受けるふたり。
すでにサクラコは感激の涙を禁じ得ない。
ところが、久しぶりに顔を見せたというのに、サクラコよりもローブの娘に人気が集まった。子供たちは客人の帽子と杖をひったくって魔法使いごっこを始める。
「まあ。ユッカさん、大人気なんですの?」
口に袖するサクラコ。
「いや、ちょっと魔法で飛ばして遊んでやったら、懐かれちゃって……」
頬を染める娘。
「良いことだと存じますわ。お子の世話ができて、悪い事はございませんもの。ユッカさんにも、いずれ必要になることですわ」
保育士志望の娘が笑う。
「私にはまだ早いわよ……。ええとね。この子たちの身体に問題が無いことが確認されたわ。親が居ないという事以外は、ふつうの子供ね」
「そうですの。よかったわ」
胸を撫で下ろすサクラコ。ふと思い出される、赤い髪の女。
「あの、ユッカさん。この子たちは、バネッサさんがお亡くなりになったこと、ご存じなの?」
「ん……。いちおう年増の男の子には伝えたわ。彼が他の子に言うのは止してくれって言うから、そうしてる……」
「姉さん!」
駆け寄ってくるくだんの男子。彼は遠慮なくサクラコへと飛びつく。
「アキラ!」
受け止めてやるサクラコ。
「お久しぶりです……。姿を見せてくれないから、心配してました」
「ほとんど彼がここの子たちの世話をしてたのよ。私もたまに顔を出してたけど、そっちのほうでは出る幕ナシね」
サクラコは弟の名を冠した少年を抱きしめ、髪を掻いてやる。
その色は、彼の元となった女の細胞を継いでか、炎の色をしていた。
「にいちゃん、泣いてるの?」「はずかしー!」
他の子供が囃し立てる。
「……姉さん、もうどこにもいかないで」
悲しく揺らぐ炎。ひとりで頑張っていた少年。しかし、サクラコは謝らなければならない。
「……ごめんなさい。まだ、やらなければいけないことがあるの」
サクラコは声に芯を通して、自分に負けないようにする。
「いやだ」
「わがままを言っては、だめよ」
諭す姉。現世の想い出が疼く。
「……分かった。いってらっしゃい。帰って、来るよね?」
「……」
返してやれない答え。血のつながった弟に対しても行った裏切り。安易な返答はそれの繰り返し。
「……帰ってくるわよ」
代わりに答える魔法使いの娘。
サクラコは声のぬしを見つめる。
「ユッカさん、無責任な事をおっしゃらないで」
サクラコは姉の、母の目で友人を見据える。
「サクラコは、絶対に帰ってくるわ。もちろんスミスも」
ユクシアはまっすぐに見つめ返す。
国王の姪。勇者の相棒。サクラコの親友。
「私を、私たちを信じなさい。私もあなたたちを信じるわ。だから、あなたは思いのままに、迷わず、進んで」
* * * *
* * * *
死の谷。近辺には巨大で凶悪な魔物が跋扈。たとえ生き永らえようとも、長く住めば悪人は魔になり、善人も悪へ堕ちる瘴気。
意外にも豊かな自然に囲まれたその地。植物たちも瘴気の影響を受けて、巨大化や魔物化を遂げている。当然、動物も魔物と区別がない。
奇怪なアセビの森。巨大化した鈴なりの花が放つ甘い香りでむせ返りそうだ。
森には多くの魔物が潜んでいる。黒いウマの王はヒヅメで人を踏み殺さんばかりで、シカは鋼のような角でメスの取り合いをしている。
「不気味だな」
呟くスミス。
「でも、どこか、美しくもありますの」
サクラコも小声で返す。
ふたりは姿を隠し、亡霊のように森を進む。
向かう先は、幾多の世界の負が流れ込む三途の川。
死出の旅路。後悔は無い。ふたりは世話になった国に迷惑を掛けまいと、己の身を捧げに赴く。
今度ばかりは帰れぬ旅になる可能性が高い。ふたりは覚悟を決めていた。お互いに別れも交わしたつもりでいる。
だが、王女や城の者や、友人たちへの出立の知らせはごく淡白に行い、「ちょっとふたりで出てくる」と言うようなていに留めていた。
「デートスポットにはお勧めできないな」
巨大な竜の死骸を迂回する。
「これは、ドラゴンですの?」
悪臭を放つ塊。こんなときだというのに、袴に臭いが移らないか気に掛かる。
「ああ。サクラコは初めて見るのか。そっちの世界には居ないのか?」
「居りませんわ。ドラゴンは、お話の中だけの存在ですの」
「そうか。まあ、こっちでもお話の中だけで済ませたい相手だよ」
「やっぱり、火をお吹きになりますの?」
「種類によるかな。凍てつく息や、毒を吐く種類も居る。動物よりも魔力に敏感な種類が多いから、生きた竜には鉢合わせたくないな。まあ、こいつらには寿命が無い。このサイズならまだ子供だ。俺でもなんとかなると思うが……」
王子は見えない娘を引き寄せた。
「手を離すなよ」
真剣な声。
「離すも何も……」
透明の娘が頬を赤らめる。
彼女は見えない腕にしっかりと抱かれている。
彼との初めての冒険の時、タコワ邸の壁を乗り越えた時と同じように。しかし、今のふたりは超えた壁の数が違った。
「陽が沈む前に森を抜けよう」
スミスは身体強化の魔法を掛け、娘を抱えてアセビの森を走った。
森のさき、一変して植物は途絶え、蕎麦切色の荒野が広がる。遠くでうごめく不気味な影は魔物か亡霊か。
切り立つ崖から見下ろされる先には漆黒の割れ目。怒りと悲しみの欲望を、尽きることなく噴出している。
「ここまで来たは良いが、問題はどうやって降りるかだな。ユクシア嬢から飛行の魔法を借りとけばよかったぜ」
「どこかに、入り口でもございませんの?」
あたりを見回すサクラコ。
「そこまで親切じゃないだろ……」
周囲はすっかり暗くなっている。不用意な灯りは魔物をおびき寄せるだろう。
「ここで、一晩明かすのはちょっとな……」
闇の中、頭を抱えるスミス。
「わたくし、構いませんわ。あなたとふたりなら」
「嬉しい事、言ってくれるじゃないの……」
言葉とは裏腹に声には疲労が浮かぶ。寝ずの番の癖がある男。
「あら、あれは何かしら?」
遠くからやってくる光。
「ごめ~ん。待ったぁ?」
魔動付き立ち乗り二輪に乗った片眼鏡の男。
「ヤークさ……」
魔導技師の姿に吹きだしそうになるサクラコ。
何といってもそれは――具体的な商品名は避けるが――彼女の世界にもある、有名な電動立ち乗り二輪車に酷似していたからだ。
「こんなところに一晩も居たら、さすがに死んじゃうよね。呼び出しておきながら用意が足りなかったよ。ついておいで。研究所に案内するよ」
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