お嬢さまと大魔法
何度も繰り出される殴打。
サクラコが去って身軽になった勇者は、連打をことごとくかわしていく。
ゴーレム。土、あるいは鉄などで作った人形に、古代の呪文を込めた宝珠を埋め込み、魔力によって起動する人工生物。
心無き魔導兵器は、ただひたすらに術者の命令を実行する。
術者が遠く離れていても、死んでも、その動力源である核が破壊されるか、魔力が切れるまで永久に従い続けるのだ。
勇者の剣をはじき、生半可な魔法攻撃も通さない身体。
アレスは戦いながら岩の巨人を止める手を模索した。
古代技術による頭脳は上等な平衡感覚を持ち、倒れても自分の足で立ち上がる。
剣は通らないくせに、自分の意思で身体の一部を切り離して飛ばしたりもできる。
森は足止めにすらならず、土の身体を水で溶かすことも考えたが、付近には巨人の足よりも細い川か、水たまりにしかならない泉があるだけ。
魔力切れを狙うか? これだけの巨体を動かし続ける魔力だ。そう長くはもつはずはない。勇者は時間切れを期待する。
しかし、勇者が最初にゴーレムと戦闘を開始してからすでに数十分が経過していた。いまだにゴーレムの動きが衰える気配はない。
そもそもゴーレムは古代都市の防衛などに使われていた兵器だ。それが、ちょっとやそっとで動力切れを起こすとは考えられない。
勇者は屈強だ。聖なる力によりその体躯ではありえない筋力や耐久力、コントロールはともかく、豊富な魔力や呪文抵抗も兼ね備えている。
しかし、精神はただの人間の、子供のそれである。
長時間に及ぶ戦闘は、確実に彼の集中力を削っていった。
次第に攻撃のいなしかたが雑になる。自由落下で隙を生むミスを再び犯し、ゴーレムの発する岩の連弾を回避しそこない始めた。
傷を受けることは大したことは無い。
頭にダメージを受けて気を失わない限りは、治癒魔法により一瞬で無かったことにできる。
繰り返される身体の損傷と回復。その度に発せられる痛みが、確実に少年の気力を殺いでいく。
アレスは思い出していた。これまでの旅を。困難と苦しみに満ちた旅を。
思い出せ。やっかいな魔物はこれが初めてじゃなかっただろ。全部乗り越えて来たじゃないか。
人型の魔物。力任せなアレスの斬撃をことごとくかわし、受け流し、着実にカウンターを入れてくる。
それはパーティの武闘家を上回る武術の達人だった。アイツはスネばかり狙ってきてつらかった!
結局は、炎の魔法で黒焦げになったけど。
実体の無いゴーストの群れ。打撃も斬撃も無効。パーティに居た聖職者も、体内と精神にダメージを受けてダウン。
教会で習った対霊体の魔法で攻めたけど、追い付かなかった。
これも結局、勇者の相棒が強大な魔力のかたまりを放出して無理やり消し飛ばした。
強烈な攻撃魔法を操る悪の魔導士。致命傷を負う怪我人が続出。勇者までが治療に追われる未曾有の大ピンチ。
そこで、治療と攻撃を同時にやってのけたパーティの魔法使いが居た。
――ユッカ。
世界平和は大事だ。みんなの命も。魔物の多くは自分にとって問題にならない。仮に倒せなくっても、この身体は容易く朽ちはしない。
旅はつらかった。何度も逃げ出したくなった。何度も諦めたくなった。先の見えない真っ暗な道を歩くようなものだ。
でも、それでも。それでもここまでやってこられたのは、彼女が居たからだ。
娘への想いは勇者をひとりの少年へと引き戻す。
山がそのまま迫ってくるような、土石流のようなこぶし。
頭が揺らされ、回復が遅れる。地面に叩きつけられ、弾み、視界が乱れる。
反射的に身体の傷を癒す。アレスの気持ちはすでに敗北していたのに、勇者の使命感がそれを許さない。
身体はなんともない。魔力もまだ余っている。だが、立ち上がる気力が起こらない。
ユッカはまだ来ないだろう。一般人であるサクラコが彼女の家とここを往復するだけでも、時間いっぱいだ。
やっぱり、会っておけば良かった。もう、このまま踏みつぶされてしまおうか。
――グオオオオーン!
ゴーレムの雄たけび。心の無い兵器でも、トドメの一発は気合を入れるものなのだろうか。怒号はひときわ大きく空気を揺らした。
握り合わされたふたつのこぶしが、小さな勇者の頭上へ影を落とす。
地面に巨大なクレーターが出来上がった。
何度もこぶしを叩きつける無慈悲な巨人。クレーターは深くなり、あたりの大地に亀裂が広がる。
アレスは座り込み、猛り狂って何も無い地面を叩き続けるゴーレムの姿を茫然と眺めていた。
――ボクは諦めていたはずだ。身体が勝手に避けたのか?
聖なる天命、勇者の使命感を恨めしく思った。
「驚いたよ。まさか、勇者さまがこんな子供だったなんてね」
聞きなれない男の声がした。
見上げるアレス。
その男は、背が高く、がっしりとした体躯をしているが、足だけはしなやかで長い。短く切った癖毛は涼し気で、少々古臭さのある男前。
彼は、城下町いちばんのスケコマシと呼ばれているのだが、少年は知らない。
「あなたは?」
「俺か? 俺は、疾風のスミスってんだ。助太刀するぜ、勇者さま」
腰の短剣を抜き、構えるスミス。
「アイツは危険すぎます。短剣なんかじゃとても歯が立ちません!」
「いーの、いーの。こんな子供が頑張ってるのに、大人がのんびり見てられますかってんだ」
「ボクは勇者です。関係無い人は避難していてください!」
「関係無くはないぜ。ユクシア嬢は俺の知り合いだ。別の知り合いが透明化で街を騒がせてたから、何かあったんだと思ってな。来てみれば案の定だ」
「ユッカと……サクラコさんの?」
「そーいうわけだ。勇者さまはちょいと休んで、見物でもしててくれよ!」
未だ暴れるゴーレムに向かってスミスは駆け出す。
「……なんてカッコつけたものの。デカ過ぎやしないか?」
走り来る男に気付いた巨人。ターゲットを変えてこぶしを突き下ろす。
飛び上がり、手の甲に着地する軽業の盗賊。
岩の道をまさに疾風のように駆け上がり、あっという間に頂上へと登り詰める。
「早い!」
驚く勇者。
「ここが弱点だろ? 大体相場が決まってんだよ!」
紅の単眼に突き立てられる短剣。
「刃が通った!?」
さらに驚く勇者。
しかし動きは止まらない。激しく身体を揺さぶるゴーレム。スミスは飛び退くと、緩やかに着地した。
「あのゴーレムは剣を弾くんです。どうやってダメージを?」
「そりゃ、企業秘密さ。俺は盗賊をやっててね。お宝を守る魔法人形ってのにも何度かお目にかかったことがある。あれだけデカいのは初めてだがな」
見上げるスミスの額には汗。
「前言は撤回だ。勇者さま、手伝ってくれ」
「はい!」
剣を構えるアレス。
「俺が切り口を作ってやる。勇者さまはそこに一発ぶちかましてくれ」
再び駆けるスミス。繰り出されるこぶしをかわし、肘のあたりに切り込みを入れる。
岩の巨人は両手を使い、すばしっこい盗賊を捕らえようとする。その度にかわされ、両肘に切り込みが増えていく。
――グオオ……グオオーーン!
ゴーレムが地団太を踏んだ。
「なんだ、アイツ? イラついてんのか?」
「ゴーレムに感情は無いはずですが……」
ゴーレムが再び両こぶしを合わせ、頭上高く持ち上げる。再び繰り出すは大地を削り取る一撃。
「大振り! 今だ、勇者さま!」
アレスはゴーレムのサイドへと回り込み、居合いの構えを取る。
振り下ろされるこぶし。飛び退くスミス。
両腕を横切るは金糸雀と竜胆の一閃、金髪青眼の勇者のつるぎ。
――グオオーーーン!
ゴーレムの絶叫。肘から先が落ち、大地と一体化して土の丘を作る。
「やったか!?」
巨人は膝から崩れ落ち、両肘を大地についた。
揺れる大地。あまりの振動にふたりは姿勢を制御することに集中する。
ゴーレムが再び立ち上がる。地面から引き抜かれる肘。
……その肘先は大地から土を奪い、腕を再生させていた。
「だめです! 再生してます! やっぱりコアを壊さなきゃ……」
「クソッ! これじゃキリがないぜ!」
再び攻勢に移るゴーレム。攻守交替、回避に回るふたり。
岩を飛ばし、腕を振り回しの大暴れ。大地は削られ、木々は吹き飛ばされ、あたりは嵐の通り過ぎたかのような有様になっていく。
スミスは汗をぬぐって息をつく。
「ふう、あっちいな。激しい運動だ。これが美人相手なら歓迎なんだがな」
「まったくです。ほんと、暑いですね。熱いっ……!?」
何かに感づく勇者。
揺らめく空気。陽炎。
巨人に向かって空間が吸い寄せられている。激しい風だ。
「スミスさん! ゴーレムから距離を取ってください、なるべく遠くへ!」
アレスは叫ぶ。
勇者の言にしたがい、踵を返して全力疾走をするスミス。
アレスも力任せに後方へと飛び退いた。
――――――!
あたりから音が立ち去る。日没にはまだ早い時間。空が朱に染まった。
続いて閃光、世界が白に変わる。立ちのぼるはキノコ型の雲。
膨張する空気に押しのけられ、ふたりは吹き飛ばされる。
ふたりが顔をあげるとそこには、炭化した人形が聳え立っていた。
「なんだ? 何が起こったんだ?」
炭の柱を眺めて困惑する盗賊。
「あの子だ! ユッカが来てくれた!」
子供のようにはしゃぐ勇者。
ふたりが振り返ると、肩で息をして杖を構える大魔導士と、ぼろぼろの異世界の娘が居た。
「食後の運動にしてはヘビーね」
「あれは食べ過ぎだと存じますわ」
* * * *
* * * *
「スミスさん!」
サクラコが駆け寄る。
スミスが両手を広げて待ち受けているが、彼女は目の前で立ち止まった。
「……おう。やっぱり、町で騒ぎを起こしてたのはサクラコちゃんだったか。……って、どうしたんだ!? ケガとか、してないか?」
慌てるスミス。サクラコは首を振る。
「怪我は治りましたわ。それよりスミスさん、どうしてこちらに?」
「ちょっと勇者さまの助っ人をね」
勇者さま。
黙って向き合うアレスとユクシア。お互い顔を向け合っているが、視線はすれ違っている。アレスは地面を、ユクシアは彼の右後方を見ている。
「ユッカ、ありがとう。助かったよ」
「うん……」
ふたりの間に沈黙が流れる。
「なんだ? あの二人どうかしたのか?」
スミスがぼやき、向かい合うふたりに近付こうとした。
「ちょっと。スミスさん!」
サクラコがスミスを引っ張った。
「お邪魔したら、いけませんわ!」
お嬢さまは叱った。割と本気で。
「はぁー、なるほど。若いって良いねえ。どう、サクラコちゃん。俺たちも」
にやけるスミス。サクラコはそっぽを向いた。
十二歳の少年と、十五歳の少女。
成長過程である彼らの背丈は、ちぐはぐで、行動には言葉が足りなくって。
結局のところ、想いは同じ。
「「あの!」」
言葉と視線は重なる。あとは伝えるだけ。
――グオオオオン!
ゴーレムの声。
「まあ!」
風が吹く。機能を停止したと思われた魔導兵器。表面を覆っていた炭が飛ばされる。元通りの土色。
ゴーレムが息を吹き返した。
「もう!」
悔しそうに腕を振り下ろすユクシア。それを見てアレスが笑う。
「野暮ったい野郎だぜ。それにしても、あれだけの攻撃を受けても、表面しか焼けてなかったのかよ。こいつはちと厄介だぜ」
短剣を再び持ち直すスミス。
その両脇を駆け抜ける勇者と魔法使い。
「行くわよ、アレス!」「うん!」
勇者はこれまで見せたてきたよりも圧倒的に早い速度で距離を詰め、飛び上がる。
ゴーレムはこぶしを振り上げる動作を始めたばかりだったが、すぐに勇者の会心一撃を貰い、大きな体を傾かせた。
魔法使いが舌の上で何か言葉を転がし、杖の宝珠が光り始める。
傾いたゴーレムの半身が連続で発破する。そのまま倒れ、巨体が大地を揺らす。
いまだに宙に居るアレス。身を返しやいばを下へ向け、倒れたゴーレムに向かって落下を始める。
勇者の背でも爆発が起こる。落下の速度を文字通り爆発的に速め、大剣がゴーレムの腹目掛けて突き立てられる。
あたりに大きく響く金属音。巻き上がる砂煙。
「うへえ。無茶苦茶しやがる。ユクシア嬢と組んで戦闘はしたくねえな……」
スミスは苦笑いをする。
「スミスさんのお出番はなさそうですわね」
口に袖するサクラコ。
アレスはゴーレムから離れ、ユクシアの前に立った。
ユクシアは先程から両腕を広げて何かを呟いている。大魔導士の正面には宙に浮いた杖。
あたりの空気が急速に乾燥し始める。
倒れた巨人の上に黒い塊が現れた。それは見る見るうちに膨れ上がり、巨大な雷雲となる。
雨のように降り注ぐ雷。巨人の身体が何度も大きく痙攣した。それに合わせて激しい地震が起こる。
「おおお!?」「まあ!」
スミスは自身もよろめきながらも、ひっくり返りそうになるサクラコを支えてやった。
電撃の雨が止み、雲が霧散する。巨人の震えも止まる。
「やったか!?」
二度目のやったかを呟くスミス。
「スミスさん、そのお言葉はあまりよろしくないと存じますわ」
サクラコが何か言った。
杖を地面に突き立て、静止するユクシア。正面に立つアレスも構えを解かず、微動だにしない。
遠方から飛来する岩石群。それは規則正しく整列し、うねりながら迫ってくる。まるで岩で作られた大蛇のようだ。
大蛇は勇者の前まで迫るが、光の壁によって砂煙となる。
「ユッカ! コアを潰さなきゃだめだよ!」
叫ぶ勇者。
「電撃で魔力の流れが狂って止まるかと思ったのよ! 思ったより循環してる魔力が強いわ。直接、魔力をぶつけて狂わせないと、シールドが邪魔して攻撃は届かないと思う」
「ボクが時間を稼げばいい?」
少年は勇者の目でユクシアを見つめる。
「コアがどこにあるか分かればなんとかなると思うケド、魔力だけであれだけの巨体を貫くにはちょっと、ガス欠かも……」
目を泳がせるユクシア。
「あんなに大きな魔法を連発するから!」
「だって! 倒せると思ったんだもん! 普通なら町がいくつも消し飛ぶ威力よ!?」
言い争う少年と少女。ケンカをしている筈なのに、ふたりのあいだにはぎこちなさが見当たらない。
――グオオ……ッス!
起き上がるゴーレム。だが妙だ。今までのような緩慢さは無く、まるでビーチフラッグのように素早い立ち上がり。
立ち上がったゴーレムは早送りのようにふたりに向かって駆けてくる。
「……ッス? ねえ、ユッカ! あいつ、早くなってない!?」
「きっと、電撃のせいね!」
巨人があっというまに迫る。
「ユッカ、ごめん!」
アレスはユクシアに一声かけると、彼女を抱きかかえ走り出す。
「こら、どさくさに紛れてお尻を触るな!」
「有事だから!」
ユクシアがアレスの腕の中で暴れる。彼女の臀部の肉が彼の手のひらのなかで踊る。
「揉むな!」
「違う! キミが暴れるからだろ! 不可抗力だ!」
「前科あるから信用ナシ!」
言い争いながら勇者が駆け回る。それを追いかけるゴーレム。
「どうしましょう。おふたりが危険ですわ」
「やれやれ、助太刀してくるか……」
溜め息をつくスミス。
「どうなさるのですか? あのおふたりの攻撃も、通じてないようですが」
サクラコの疑問には答えず、スミスは両手を口に当てた。
「おーい、お前たち!」
「なんですかーーっ!?」
走りながら返事をするアレス。
「その剣、ひょっとして、魔法銀じゃ、ないのかーっ!?」
アレスがユクシアに何か言う。それを聞いて怒りだすユクシア。
「そうみたい、ですーーっ!」
アレスからの大きな返事。
「あいつ、知らずに振り回してたのか!? あれだけの大きさの魔法銀となると、国が丸ごと買える代物だぞ!?」
文句を垂れるスミス。
「俺が時間を稼ぐからー! お前たちは、剣に、魔力を込めろーっ!」
「わかりましたーーっ!」
抱きかかえられたユクシアが魔法を唱える。ふたりとゴーレムのあいだに土煙が上がる。威力は大したことのない、目くらましのハッタリ。
動きを止めるゴーレム。その隙にふたりは距離を取った。
「それじゃ、ちょっくら仕事をしてきますか」
「スミスさん!」
呼び止めるサクラコ。
「なんだい? サクラコちゃん」
「……お気をつけてくださいまし」
真剣なまなざしを注ぐお嬢さま。
「安心しな。俺は死なねえよ」
いつか聞いたセリフ。サクラコは胸の上で手を強く握る。
疾風のスミスは駆けて行った。
「スミスさん! なるべく急ぐので、頑張って耐えてください!」
跪き、剣を掲げるアレス。
「おうよ! あんまりもたもたしてると、俺が倒しちまうぜ!」
「そーお? じゃ、よろしくー!」
軽口を叩きながらも、大剣に魔力を込め始めるユクシア。
「まったく、世話が焼けるぜ」
土煙が晴れ、巨人が姿を現す。
スミスは短剣を構える。魔力が注がれ、紫の刀身を光らせる。それは魔導兵器のシールドを切り裂く、魔法の短剣と化した。
――グオオオン……ッス!
ゴーレムが雄たけびを上げ、こぶしを振り上げる。
「そろそろ、そのでかいラッパは聞き飽きたぜ!」
巨人を前に、不敵な笑みを浮かべる盗賊。
彼は腰から、きらりと紫に光る短剣を引き抜いた。
* * * *
* * * *




